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 一人の少女が扉を開ける。

 中には古ぼけて何が描いてあるのかよくわからない絵画、予備に使われているであろう椅子、一部が欠けたシャンデリア……などが置いてあり、倉庫というよりは物置のような扱いだった。

 中はあまり手入れされておらず、掃除が行き届いていないため埃とカビの臭いがした。

 それにも負けじと少女は部屋の中へずんずんと、押し進んでゆく。適当に見回した後、一つの絵画とのにらめっこが終わったと思ったら、


「うーん、つまんない」


 少女は落胆した。ここにはお宝を発掘しにきたのだ。屋敷の中を探索して遊んでいたが、この部屋には入ったことがなく、たまに人が出入りしているのを見て、お宝が隠されていると思ったわけだ。

 しかし、理想とは裏腹に、お宝部屋などではなく、いらないものが置いてあるだけの部屋の一室……ただの倉庫だった。

 彼女の冒険もここで終わろうとしていた。……が、振り返ろうとした拍子に、膝の高さまで積まれていた本の一部を崩してしまった。

 そのせいでほこりが舞い、思わず咳込む。


「もー! さいあく! なんでこんなところにあるのよ!」


 自分でやらかしたにも関わらず、一歩も動かなかった本をなじる。もちろん崩した本を拾うことも、元に戻すつもりもなかった。

 落ちた本には《魔術理論》《王国の歴史》と言った表題が書かれていたが、辛うじて少女の蹴りに耐えきった積まれた本の天辺には、表題もなく、革で装丁されているが、ところどころ擦り切れ、色も薄くなり、大分くたびれた本が生き残っていた。その様から、かなりの年月が経っていることがわかる。

 落ちた本とは違い、どことなく異質な雰囲気を放っていた。特徴を考えれば当然なのだが、少女の頭はそこまで回らなかった。

 少女は何気なくその本を手に取る。

 最初の頁を開くと、

『僕の名前は、クルス。近頃記憶が両手ですくった水のように、隙間から抜け落ちてゆく。知人に「日記をつけたらどうか?」と勧められたので、忘れ行く日々を思い出せるよう、僕の記憶と、記録のためにこれを記す。


-追記-

 もしかしたらこれを誰かが読む機会があるかもしれない。そんなことは滅多に起きないと思うけど……。念のため、それも含めて書き進めていこう。いつか誰かの役に立つかもしれないしね。なので……不慣れなためおかしなところがあっても、貴方の寛大な心で許して欲しい』


 少女が、最後の頁をめくると、そこにはこう書かれていた。

【C=W=H 帝国歴 257年】


「帝国歴って……えーと、王国歴からだと……250年前!?」 


 興味を抱いた少女は「お宝を見つけた」と言わんばかりに目を輝かせ、戦利品として本を片手に意気揚々と凱旋した。

 こうして少女と一冊の本が運命的な出会いを果たし、物語が始まる……かと思いきや、そうではなかった。


 少女は10歳前後であろう年頃で、普通の女の子が遊ぶような遊びは一切しなかった。

 少女の遊びと言えば、近所の男の子に交じり、木登りや鬼ごっこ、野山を駆け巡ったり、騎士の真似事や、いたずらをしたりするのが大好きなやんちゃ盛りで、勝気で負けん気が強く、男の子も真っ青なじゃじゃ馬と呼ばれる部類だった。

 3人いる兄達に剣の手ほどきを遊びがてらに受けているのも、猶更その性格に拍車をかけていた。

 3人の兄達も「良くないな」と心の中で思ってはいたが、かわいい妹についつい甘い顔をして教えてしまったのだ。

 両親も女の子らしさの欠片も無い少女には手を焼いていたが、思春期特有の一種の病気のようなもの……だからその内落ち着くだろう、と安易に考えていたので、無理に矯正したり、窘めるようなことはしなかった。

 かくして今日も元気に外で遊び回る少女が本を手に取り、静かに読書に耽るなどという崇高な行いは決してこなかったのである。


 お宝を持ち帰ってから一か月が過ぎ、本は少女の部屋の片隅に、無造作に捨て置かれていた……はずだった。

 その日、少女は遊び疲れ、いつもより早く帰ってきた。

 夕食まで時間はあったし、部屋のベッドで横になっていようと思って、真っすぐ自分の部屋に戻ったはいいが、入ってから()()()を抱いた。


「んんーー?」


 少女は首を捻る。

 違和感を抱いたのはいいが、原因がわからず、部屋を見渡す。


(木剣も隠されてないし、何か動かされた……ような気もするけど……)


「あっ! まん丸の石! ……もあるなぁ、まっいっか」


 しばらく考えた末、わからなかったので、考えることを放棄して、ベッドの上に乱暴に飛び込み横になる。

 もしベッドに意志があったら悲鳴を上げているだろう。

 横になったはいいが、先ほど感じた違和感が鎌首のようにもたげてきて、おちおちと休めなかった。

 仕方ないので、横になりながらずぼらに自分の部屋を観察する。少女のベッドは壁際にあったので、ちょうど全体を見渡せた。


(うーん、なんだろう……あれ? こんなんあったかな……)


 ベッドのすぐ脇にあるサイドテーブルの上には、普段から寝起きに飲めるよう水差しが置かれている。

 水差し以外にもまだ置けるスペースがあり、それを活用して、少女がお宝と称して持ち帰った革張りで装丁された本が置いてあったのだ。

 屋敷の者が粗雑に扱われ、床に投げ捨てられた本を哀れに思って直したのか……? それはわからなかった。


「なんだっけこれ?」


 冒険の末、手に入れたお宝だったが、少女にとっては手に入れるまでが宝なのであって、手中に収めた後は興味を無くし、がらくたと化す事はままあることだった。

 ましてや本などという自分とは縁遠い物だったので、完全に記憶から抹消されていたのだ。

 横になったまま手を伸ばし、最初に出会った時のように、最初の頁をめくり、出だしを見た後、おぼろげながらもこの本を手に入れた時の事を思い出してきた。

 思い出して満足した少女は、ベッドの適当なところに投げ捨てる。


(夕飯まで時間あるし、どーしよっかなー)


 気持ち的にはまだ動けたが、身体は疲労していてけだるかったため、身体を動かして余暇をつぶせるほどの元気は残っていなかった。

 仕方がないので放り投げた本に再び手を伸ばす。行儀悪く横になったまま本を開き、1頁目を飛ばし、次の頁から読み始める。


『えーと……何から書こうかな……。

そうだ、初めから書いていこう。まずは僕の生い立ちから。

どうやら僕は捨て子だった……らしい。らしいというのは、赤子の時の記憶はないし、後から親代わりに僕を育ててくれた二人から聞いたから。

赤ん坊の時、森の中で捨てられており、泣いているところを気づいた<エルフ>……<森の民>が拾ってくれたんだ。そのままだったら死んでいただろうね』


「なにそれ。ひっどい親もいるもんね」


 この世界にはそうしたことが度々あったが、幸いなことに少女の周りにはそういったことはなく、耳に入るようなこともなかった。

 なので少女は素直に憤慨した。

 もちろん捨てる理由は様々である。

 口減らし、忌み子、ご落胤や落し子……等々あげればきりがない。

 本の主であるクルスが、どういった事情で捨てられる至ったかはわからないが。しかし、それもあくまで250年前の話だ。

 近年は人々の暮らしも豊かになり、古き価値観や風習も廃れ、そのような事は稀に起こりえるぐらいなもので、滅多にあるものではなかった。



『ここで<エルフ>について書きたいと思う。

彼らは森と共に生き、森と共に死んでいくことを自然であると考える。

自分たちも自然の一部と考えているのだ。僕は捨て子だったせいか、そうした考えには共感できなかったけど、皆その生き方が普通だと思っているし、疑問を挟む余地も隙間もない。

生き物が生きていくために食べ物を必要とするがの如く、<エルフ>にとってはそれが当たり前の事なのだ。


そうそう、もし彼等と会遇することがあったら<()()()>とは呼ばず、<()()()>と呼んであげて欲しい。喜ぶ……とまではいかないけど、その方が好意的に受け取ってくれるし、早く心を開いてくれるはずだ。

例えば<人間>だって、<人間族>とか<人間>と呼ばれるより、<帝国人>とか<王国人>と呼ばれるほうがいいでしょ? 人と違って、<エルフ>には<ミドラス人>や<ガル人>のような地域や国名がつくことは無いから、気にする必要はない……と思う。あくまで僕の知っている限りではってだけで、もしかしたら例外があるかもしれない。違ったら……ごめんね? 

この本には便宜上<エルフ>にせよ、<ドワーフ>にせよ、種族名で統一して書くつもり。その方がわかりやすいだろうしね。』


(エルフって本当にいるんだ……)


 時刻は午後3時半を回ろうとしていた。

 この時間帯、屋敷では特に仕事などはなく、1日のうちで一番静かな時間だった。

 皆それぞれ自室で過ごしたり、厨房を給湯室替わりに使い、お互い持ち寄った菓子やお茶を楽しみながら談笑に興じている。

 少女は行儀悪く横になりながら読んでいた本を、今度はうつ伏せになって、本を開いたまま枕に置き、本立て代わりにした。

 時折ばたんばたん! と大きな音をたて、足をばたつかせながら読み進める。


 エルフというのは大多数が一生涯、森から出ることがない。中には“変人”と呼ばれる類もおり、自ら外界へ出たがる者もいる。が、それは本当に稀なケースであって、少女を含め、エルフと会遇はおろか、目にすること自体が非常に珍しいのだ。

 稀有な存在から<エルフ>を目にしたものは「非常に運が良い」と言われ、それゆえ彼等は「幸運の運び手」とも呼ばれる。

 勘違いが無いように言っておくと、彼等は他の種族と断交しているわけではない。率先的に関わろうとしないだけだ。

 近隣の村と品々を交換したりもするし、定期的に訪れる旅商人も存在する。頻度は半年や1年に一度だけ……なので近隣の住民すら相見える機会は多くない。

 自ら受け入れた人々とは穏やかに交流する一方、無断で森に足を踏み入れ、荒らすような輩には一転して牙を向く。

 森とは彼等にとって終の棲家であり、半身であり、神聖な場所である。そんな我が家同然、我が身同然の森を無神経にも踏み荒らす者には容赦しない。

 これは外敵から身を守るためでもあった。


『次は彼らの性格について。

<エルフ>という種族はよく他種族に誤解を受けやすい。

僕が今まで聞いただけでも、「冷たい」「感情が無い」「常に見下してくる」「目が怖い」‥等、たくさん出てくる。たしかにそう受け取られてもおかしくはないんだけど、実際は違う。彼らを象徴するかのような挿話がある――』


 エルフの里には黒目、黒髪の男の子が居た。彼は自分の事をエルフだと思っており、それを疑うこともなかった。しかし、年齢を重ね、大きくなるにつれ周りとの差異が大きくなっていった。

 耳は短く、髪色はエルフ特有の緑や金にあらず、両瞳は黒々としていたため、同じ年頃の子供たちにいじめられるようになった。

「おまえなんて<森の民>じゃない」心無い言葉を投げかけられることもしばしばあり、少年の心は傷ついた。

 いじめられるようになってから一月経とうとした或日、彼は何事も無かったかのようにいじめられなくなった。

 特に何かをしたわけでもなく、誰かが手を回したわけでもない。

 朝、子供たちが遊ぶ広場へ行くと、皆からは少し離れた場所で立っていた。そこへいつも意地悪な少年が、目の前を通りがかった際に彼に気づき、


「一緒に遊ばないのか?」


 と声をかけられて、彼は茫然としてしまった。


「今まで悪かったな。早く行こうぜ」


 こうしていじめられていた男の子は、再び彼らの輪に戻っていった。


『もちろん男の子はしばらくもやもやとした気持ちで過ごしたよ。みんなと遊んでいくうちにだんだんと消えていったけどね。そして年月が経つにつれ、わかるようなったんだ。

<エルフ>という種族は関心が続かない……興味を失う、と言えばいいかな? 一つの事に何年も熱中したり、打ち込んだり出来ない種族なんだ。飽きっぽい性格とはちょっと違うけど、極端に言ってしまえばそうなのかもしれない。かといって何もかもやめてしまうわけではないよ。

弓矢の訓練、薬になる野草など親や祖先から子孫へ受け継がれている知識や

知恵……それらは絶える事なく続いている。

そんなわけで、周りからは冷たい印象が残りやすいんだと思う。

そうそう! <ドワーフ>は<エルフ>を嫌っているって有名な話だけど、実は<エルフ>は<ドワーフ>の事を何とも思ってないんだよね。要はそこまで彼等みたいに興味が持てないみたい。片方は嫌ってるのに、もう一方は何も思わないなんて……不思議な話だね』


 新しい物事に手を出すと、人は大抵どちらかだ。1つは寝食を忘れ、没頭する。沼にハマる、というやつだ。もう1つは、その行為自体をすぐやめてしまう……読書でいえば、数頁で読むのをやめてしまうとか。

 少女は……後者だった。本を閉じると、またもやベッドの端へ放り投げた。

 大きく手足を伸ばし、仰向けになって目を閉じた。見慣れない文字という怪物に挑みかかり、疲れたのだろう。

 何せまともに本を読んだのはこれが初めての経験だったのだ。

 少女は夢の中へ落ちていった……。



「やぁ、君は誰だい?」


 誰かわからない人物が声をかけてくる。顔はぼんやりとしていて、判別がつかず、声だけがはっきり伝わってくる。


「あたし? あたしはクルエーティラ。あなたは?」


「君は知っているはずだよ。僕の備忘録を読んだろう」


「びぼう……ろく?」


「記憶を忘れないために書き記した本さ。日記みたいなもの……と言えばわかるかな?」


「そう……あなたの名前みたわ! なまえは……たしか……」


「そろそろ起きる時間だよ。よかったら読み進めて欲しいな。まだまだいろんな事が書いてあるんだ。きっと楽しめるよ」


「ま、まって! あなたの名前を思い出すから……!」


「またいつか会えるよ……クルエーティラ」


「お願いまって!」


 手を伸ばすが、彼には届かず、そして霧のように消えてしまった。

 目が覚めるとそこは見慣れた天井で、クルエーティラが何の気なしに目をやると、本は変わらずベッドの端に投げ捨てられたままだった。

 突然扉をノックする音と共に女性が扉から顔を出し、


「夕食よ、皆集まってるわ。ティーも早く来なさい」


 一声投げかけるとすぐに行ってしまった。

 クルエーティラはまだ夢に半分浸っているようなぼんやりとした状態だったが、姉の一声ではっきりと目が覚めた。


「……行かなくちゃ」


 部屋から出た後、扉を閉める前にちらりと本を見やる。

 初めてお宝を見つけたあの日のように……本の存在がとても気になった。



 次の日……。

 朝食もそこそこにクルエーティラはいつも通り動きやすい服に着替え、外へ遊びに行く。

 向かっているのは遊び友達が多く居る街の広場……ではなく、街全体が見渡せる丘へ一人、登っていた。

 右手には例の本を持ち、左側はクッションを脇に抱え、手にはバスケットを持っている。

 彼女にとってこれは大変珍しいといわざるをえない。

 遊ぶにしても男の子たちに混ざり、一人で遊ぶことなど無いからである。ましてや本とクッションを持っていくなど初めてのことだ。

 親兄姉が見たら「明日は槍か剣が降るのか!?」と仰天することだろう。

 丘の上には樹齢200年を超える一本の大木がそびえ立っており、長年この街を見守ってきた。

 時折子供や恋人たちが足を運び、大木の周りで遊んだり、寄りかかって愛を囁きあったりしている。

 頻繁に人が訪れるわけではないので、今日も誰一人いない。雲一つ無い晴れ空で、春の陽気のおかげで温かく、気持ちのいい日だった。


 クルエーティラが目的地に到着して、真っ先にやったことは場所の確保である。

 ここで快適に過ごすためわざわざ屋敷からクッションを持ってきたのだ。大木の周りを何度もうろうろし、一番快適な場所を見定める。

 大木はきっとそんな様子を微笑ましく見ているだろう。彼にとっては獣も鳥も人間も等しく変わらない。

 自分を止まり木……一時の安らぎを得るため使ってくれるなら本望なのだ。

 目的の場所を見つけた彼女は手に持っていたバスケットを地面に置き、雑にクッションを投げ捨てると、叩くようにぱんぱん、と整える。そこへ思い切り座り、背もたれ替わりに木へ寄りかかる。

 クルエーティラが座った場所は木の根が二股に分かれており、人が一人、詰めれば二人座れそうなスペースがあった。

 皆が大抵そこへ座るため、草花は生えておらず、地面が気持ちへこんで見えた。

 木陰を陣取り快適な場所を確保したクルエーティラはバスケットを引き寄せ、改めて自分の右脇へ置き、本日の目的である本を開く。

 1頁目をめくり名前を確認すると

「クルス……クルス……クルス……」

呪文のようにつぶやく。昨晩の夢をはっきりと覚えているわけではないが、名前だけは忘れてはいけない気がして、しっかり頭に刻み込む。


「よし」


 その行為が終わると、続きの頁までペラペラと指を操り、飛ばす。


『話が少し逸れたので戻そう。僕はエルフの両親や里の子供たちと共に成長していったが、次第に一つの問題が浮かび上がってきた――』


 クルス少年は森を巡回していた一人に発見され、発見したエルフは夫婦だったが子供がおらず、引き取ることなった。

 夫婦なりに愛情を持って育てたが、クルス少年は自分がエルフではないこと、エルフと同じ感覚や特徴が持てない事を、悩んだ時期もあった。彼はエルフではなく違う種族なのだから、当然と言えば当然である。

 しかし紆余曲折あったが、それらを乗り越え、次第に馴染んできたところに……里の皆を困らせる大きな問題に直面した。

 エルフは精霊の力を借りて、生活している。いわゆる<精霊術>を使用するのだ。

 森には多くの精霊が住んでいる。空気は澄み、鳥や獣、植物や大地などの生態系が破壊されることなく、自然の営み……生きとしいけるものがありのままの姿をさらけ出しており、森と共存して生きているエルフも例外ではなく、それは精霊にとってとても好ましい環境だった。

 <精霊術>はその名の通り精霊が居なければ使えない。使う者は力を借りる代わりに、魔力の一部を差し出すのだ。精霊にとって魔力とは嗜好品のようなものだ。

 なので自ずと魔力の多い者を好む。ここでクルス少年の問題が浮上してくる。

 クルス少年は……里の誰よりも内包する魔力が膨大だったのだ。

 小さい頃は里の子供たちと比べ僅かに多い程度だったが、成長するにつれ里の誰よりも多くなった。おかげでクルス少年は精霊に恐ろしく好まれる体質になったのだ。

 他の者が精霊に力を借りようとしても、周辺に居なかったり、居ても力を貸してくれないことが多発するようになったのだ。

 実は一番簡単な解決策がある。それはクルス本人に精霊術を使わせること。そうすれば魔力は減り、クルス少年にびっしりとまとわりついていた精霊たちも満足し、散っていくはずだ。

 しかしここで二つ目の問題に直面する。クルスは精霊術が……使えなかった。

 エルフは精霊の姿を輪郭まで見えるわけではないが、ぼんやりと見ることができるし、見えなくとも存在を感じることが出来る。

 精霊術において何より大事なのは精霊の存在を感知できることだ。クルスは種族が違うため精霊の姿を見ることはおろか、存在すら感知できなかった。

 エルフにとってこれは未知のことであり、里に他の種族が入りこむことや、精霊術を教える機会などなく、教えようと試みたみたものの……やはり精霊、という存在そのものを感じれないクルス少年には精霊術を会得することは難しかったのである。

 里の重鎮たちが集まり今後どうすべきか話し合われ、


「クルスを追い出すべきだ!」

「一緒に精霊様も出ていってしまったらどうする!」

「今はまだいいが、このままじゃ死活問題に発展するぞ」

「彼に罪があるわけではない……」

「しかし……!」


 これといった解決策も出ず、様々な意見が飛び交い、議論も過熱し紛糾の様相を呈したころ……里で一番年老いた「長老」と呼ばれしエルフが口を開く。


「あの()()にご相談するしかあるまい」


 その一言で皆が静まり返る。

 里よりさらに奥深くの森……そこには一人の賢者が住んでいる。

 言い伝えでは不老不死とされる賢者は、どれほどの悠久の時を刻んでいるのかは誰も知らず、本当の名も失われてしまった。人前に現れることは滅多になく、里のエルフ達は畏敬の念を込めて、こう呼ぶ……『始祖様』と。


 小休止をするべくクルエーティラは本を一度置き、持ってきたバスケットの上にかぶさっている布を半分ほどめくり、片手で中からごそごそと、何やら取り出す。それを膝の上に置き、さらにまたバスケットの中を手探ると立派なワインボトルを出した。

 それをこれまたバスケットの中に入っていた銀の杯に注いだ後、半分ほど喉を鳴らながら一気に飲み干す。

 この銀の杯は父親のお気に入りで、屋敷からこっそり持ち出してきた。


「ぷはっー」


 中身はただの果実水なのだが、まるで酒を飲んでいるかのような飲み方をする。

 礼儀作法をおざなりにしがちなクルエーティラですら、さすがにボトルから直のみするような真似はしなかった。

 わざわざ父親のお気に入りの杯を()()で持ってきたのには理由がある。この年頃ではよくあることだが……大人の真似がしたかったのだ。 

 少女の父は酒を嗜む。子供たちの前で下品な飲み方はしないし、酔うほど飲み干したりするわけではない。……が、クルエーティラは知っている。

 母と二人きりで晩酌している時に普段とは違う姿でいることを。それが先ほどのクルエーティラが真似している姿であった。

 その気分を味わうために、バレたら怒られること必至であるにも関わらず、持ってきたのだ。

 飲んだ杯を地面に置くと、今度は膝の上においてあったものに大きな口でかぶりつく。

 出かける前、厨房に寄り、料理人に作らせた昼食だった。2枚のパンの内側はバターが塗られ、表面は軽く焼いてある。塩で味付けして焼いた薄切りの豚肉数枚と、葉物を挟んだサンドウィッチだ。


「うん、良い味をだしているわね」


 これも母がよく口にしている言葉だった。おいしそうに半分ほど平らげると、またバスケットの中へ戻す。袖で口を拭くと、再び本の世界へと戻る。



「皆、息災なようで何よりだな」


 里の者と数度やりとりをし、ついに賢者は里へやってきた。里に住まうすべての森の民が広場に集まっている。

 賢者が集まった一同を見回す。大人たちは緊張した面持ちでそわそわしている。

子供たちは状況があまりわかっておらず、きょとんとしている。もちろん親や年寄りから始祖様の話は伝え聞いてはいるが、実際にその人物が目の前にいるという実感がわかないのだ。

 ただ一つだけわかるのは……誰の目から見てもとても見目麗しい高貴な存在……ということだ。男性も、女性も、子供や年寄りですらそう感じる。美しいものに囲まれて見慣れているエルフですら見惚れるのだから、人間などひとたまりもないだろう。

 長老が賢者の前へ進み、


「始祖様……お顔を拝見できただけでありがたき幸せですじゃ」


「ふむ、たしかお主は……あの時の童か」


 長老は頭を下げ、挨拶を交わす。


「はい……おかげ様でこの齢まで無事、重ねることができました」


「何を言う。私から見ればまだ童と変わらぬ」


「ふぉっふぉ、そうかもしれません。しかし、我等森の民は始祖様とはまた時の感覚が違ごうございます」


「そうだな……」


 表情こそ変わらないが、瞳の奥に悲しげな色が映る。


「こちらに控えておるのが、クルスでございます」


 長老の後ろに居たクルス少年を誰かが前に押し出す。


「くだんの少年か……」


「クルスや、始祖様にご挨拶なさい」


「く、クルスです……こんにちは……」


「…………」


 賢者は真っ直ぐにクルス少年を見据え、クルスの眼前を手で払う。


「散れ」


 すると周りから歓声やどよめきが上がる。


「……??」


 当然クルス少年は何が起こっているのかわからず、混乱している。

ここ1~2か月、少年の顔をまともに見た者は居ない。それこそ実の両親ですらも、だ。大勢の精霊が纏わりついており、顔が認識できないほどだったのだ。それを賢者が一声で払ったことについての驚きと喜びの声だった。


「よほど好かれやすい体質とみえる。すべてを払いきれなんだ」


「始祖様ですら……この先どうしたらいいんじゃ……」


「精霊術を会得すればよい」


「われらも試みました……しかし、クルスは精霊を見ることも感じることもできず……」


「委細聞いておる」


 賢者がクルス少年に問いかける。


「二つの道がある。一つは里を出ること。其方がこのまま居れば、皆が困るのはわかっておるだろう?」


 クルスはおどおどしながら無言のままうなずく。


「もう一つは私と共に暮らし、精霊術を学び、体得することだ。精霊術を行使できるならば、里へ再び戻ってくることも出来るだろう。……好きな道を選ぶがよい。正し、時間はあまり残っておらぬ」


「ぼ、ぼくは……」


 クルスは両親の方をちらりと見やると……


「精霊術を身につけたい! 里のみんなに迷惑をかけたくないし、父さんと母さんとまた暮らしたい!」


「よかろう。ならば近しい者と別れを告げるがよい。挨拶が済み次第、出立する」


「えっ!? い、今すぐに……?」


「そうだ」


 こうして話している間にもクルス少年の周りには散らした精霊が戻って来てるのだ。

 傍らで見守っていた両親がクルスへ歩み寄る。


「……クルス。私たちはいつまでも待っている。なぁに10年、20年ぐらいなら軽いものさ。私たちからすれば瞬きのようなものだからね。だから行っておいで……愛おしいクルス。たまに便りをおくれ」


「うん……うん……。お、お父さん、お母さん……行ってきます!」


「体に気を付けるのよ、クルス」


 父と母はクルス少年をぎゅっと力強く抱きしめる。何かにつけては淡泊なエルフにしてはとても珍しい光景だった。どちらかと言えばこの両親も変わりものなのかもしれない。

 涙を拭いながらクルス少年は両親と、里の皆に見送られ、里よりさらに奥へと続く森へと歩みだした。賢者と共に……。



『僕は里の皆が「始祖様」と呼ぶ彼と、長い、長い、時間を過ごすことになる。

もちろんそれはあくまで「人間の時間」の感覚だけどね。あー懐かしいなぁ。彼は今でも元気だろうか……? きっと変わらないんだろうな。また会いたい……ような、そうでもないような……ははっ、彼もまた変わりものだからね。

当時僕は10才(ぐらいだったと思う)で、何もかも初めてで不安だった。

親元を離れるのも、見知らぬ始祖様も、そして自分が精霊術を使えるようになるのかも――』


 字が暗くて読みづらいと思い、クルエーティラが顔を上げ周りを見渡すといつの間にか夕闇が濃くなってきている。

 大して頁は進んでいないが、クルエーティラは字を見ることに慣れていないため、かなりゆっくり読んでいるからだ。

 雑に後片付けを始める。単にバスケットの中に次々と放り込む行為を片付けと呼ぶならば、だが。

 クルエーティラは行きと同じ足取りで丘を下って、屋敷へ戻る。


 こっそり持ってきた父親の杯も元の場所へ戻し、本人は完璧に隠蔽したつもりだったが、後に大目玉を喰らうことになる。なぜなら杯に付着していた土も払わず、中を濯ぐこともせず、戻したからだ。そして家の者でこんな事をするのは一人しかいない。


()()()()()()()、なぜ私の杯を勝手に持ち出したんだい?」


 愛称ではなく、名で呼ぶのは怒っている証拠だった。父親は笑顔を絶やさず、穏やかな口調で娘を問いただす。ただ……目はけっして笑っていなかった。こうなると一番怖いのは、母ではなく、父だった。

 普段叱るのは家長である母の役目で、屋敷内での頂点と言っても過言ではない。本気になった母は怒鳴ったりするのではなく、どちらかと言えば真綿で首を絞めるような、追い詰めていくためかなり怖かった。

 滅多に怒らない父は、普段から優しく温厚で、特にクルエーティラには甘めなことが多い。(これは兄たちもそうだが)

 滅多に怒らない人間が本気になると怖い、ということをクルエーティラは身を持って思い知った。が……、その程度で挫けるような彼女ではなかった。

 後日、再び丘へ出かけたときは、父親お気に入りの杯を再び持ち出しているからだ。


(土がついてたからバレたんだわ……払えば平気でしょ)


 と、安易な考えでいた。

 だが屋敷の者が磨き上げているので、使用した後があればすぐわかるのだが……。

 めげない、こりない、かえりみない。これがクルエーティラの短所でもあり、長所でもあった。

 そのしぶとさには兄姉たちはおろか、両親ですら舌を巻くほどだ。

 丘へ初めて出かけた日から、クルエーティラの行動は少し変わった。

 街の子供たちと遊ぶ機会が減り、今までほとんど足を踏み入れたことがなかった丘へ五日に1回行ったと思えば、三日に1回……と、次第に間隔が狭まり向かうようになった。

 毎回本とクッション、それにお昼ご飯と飲み物が入ったバスケット。もちろん父親の杯も入っている。

 天気の悪い日や、恋人たちなど先客が居る場合は素直に諦め、子供たちと遊んで過ごした。

 今日もいつものようにクッションを投げ捨て、そこへ乱暴に座ると、


「よいしょ」


 と掛け声と共に、大木へ寄りかかり、本を開く。

 空は多少曇っていたが、ひざ掛けがいるほど肌寒くもない。

少しでも楽しんでもらえれば幸いです。

全4話ですが、最終話は執筆中。残りは推敲が終わり次第、公開します。

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