第8話:確執
神秘的な廃墟の大学内を多綺響音と榊樹月希について歩く粼馮景と澄川カンナ。何故か分からないが、廃墟というものはいくら見ていても飽きない。自然と人工物の調和が、ある種の芸術的な美を感じさせるからなのだろうか。粼はかつてスコップだった棒切れを片手に、そんな事を考えながら廃墟の大学を歩いた。
スマートフォンの時刻表示は13時を過ぎ。相変わらず圏外で、バッテリー残量は20%弱。さすがにこの廃墟の中に電気は通っていないようで、充電出来そうな場所は残念ながら見当たらない。
カフェテリアから少し歩いたところで、粼とカンナの前に3階建てのアパートのような建物が現れた。相変わらずこのアパートも、蔦に覆われ、地面は草が生い茂っており荒れ放題の建物だ。
「ここが居住スペースです。大学の学生寮だった建物で、まだ使える部屋がありますので、粼さんと澄川さんもここの部屋をお使いください」
粼は月希が勧めてくれたアパートを見上げて渋い顔をする。
「俺、廃墟に住むの初めてだから分からないんだけどさ、この建物大丈夫なの? 80年以上前の建物なんだろ? 1階なんて窓の半分くらいまで草で埋まってるし、3階は屋根が一部崩落してない?」
「大丈夫ですよ! 施行時の設計資料によれば、造りは鉄骨鉄筋コンクリートで丈夫ですし、1階と3階は確かに使えないんですけど、2階は比較的綺麗ですよ?」
「そうか、まあ、実際に住んでる人がそう言うなら大丈夫か。じゃあ、俺はここに住むよ。カンナはどうする?」
カンナは顎に指を当て真剣に考えているようで、質問されるとゆっくりと粼の顔を見る。
「私も、ここで大丈夫」
「良かったです! ここがパイドパイパーの居住スペースの中で一番住みやすいと思いますよ。今日からお隣さんになりますね!」
粼とカンナが住む事になり、嬉しそうにはしゃぐ月希。
しかし、不意にカンナが振り返り、後ろの様子を気にし出した。
「ん? カンナ? どうした?」
粼がカンナの挙動を心配していると、響音も月希も不思議そうな顔でカンナの視線の先を見る。すると、3人はようやくカンナが何を見ているのかを感じ取った。
「誰? 隠れてるのは」
カンナが言うと、観念したのか人影が2つ道の脇の茂みから姿を現した。
「へー、やるじゃん! 気配は消してたのに、もしかして、結構出来る人かな? ね、光希」
「うん」
現れたのは若い2人の女性。1人は毛先がブロンドの肩までの茶髪で、頭に黒いコサージュが着けられている。服装は白のノースリーブシャツに、真っ赤なサスペンダー付きスカート。その可愛らしい顔は口元だけ笑っている。
もう1人は小柄でオレンジ色の腰くらいまで長いツインテールで、少女と言った方が適切なくらいに若い。ピンク色のオフショルダーのシャツとデニムのホットパンツで、そこから伸びる生脚は細いのにかなり筋肉質だ。目付きが悪く、こちらは愛想が一切ない。
2人ともお揃いの黒革の指抜きグローブを着用しており、仲が良さそうに思える。
「周防水音と篁 光希か。何か用?」
不穏な空気を感じ取った響音は、冷たい声色で水音と光希に問う。その顔に笑顔はない。
「響音さん、また新しくメンバー増えたんですか? 2人も」
「そうだよ。斑鳩の許可は取ってある」
「斑鳩さんは優しいから誰でも許可するじゃないですかー。でもさー、徒に人を増やすのはどうかと思うんですよねー」
「何が言いたいの? 水音」
水音の絡んで来た目的を悟った響音は腕を組んで睨み付ける。
「はっきり言いますね? 役に立たない人を増やして、私たちの貴重な食料を減らさないでもらいたいんですよね。その2人が役に立つんですか? 後醍院さんみたいな頭おかしい穀潰しの例もありますし、人間性が破綻してないかも確認しなきゃ」
「それなら心配ないよ。この澄川カンナは素直でいい子だし、素手でヒグマを倒す逸材だ」
すると水音は堪え切れずに吹き出した。
「ヒグマ?? それって凄い事なんですか? 私たちにだって出来ますよ? やらないだけで。じゃあ、そっちの男は?」
笑いながら水音は粼を指さした。
水音の隣のツインテールの光希は終始口を閉じている。
「粼は斉宮つかさの幼馴染だから、きっと棒術の達人だよ、ね?」
また響音は雑に粼の特技を決め付けた。ただ、今回は響音が正しい。幼い頃からつかさと共に棒術及び槍術を学んでいたのは事実だ。つかさは棒術の道を選んだが、粼は槍術を極める事にした。だから槍術が専門なのだが、一応棒術も使える。
「あー、まあ、達人て程ではないですが、それなりには使えます」
「へー、そうなんだ。つかささんの幼馴染。棒術って、そのゴミみたいな棒を使うんですかー?」
小馬鹿にしたように、粼の持つ木の棒を指して言う。
「水音。それ以上はやめろ。人間性が破綻してるのは、お前の方じゃないのか?」
粼を揶揄う水音に響音が強い口調で咎める。
そんな中、月希は静かに水音を睨み付けていた。普段明るく柔らかな雰囲気の月希がこんな怒りの表情を見せるとは意外だった。
一方のカンナは想像通り無表情だった。自分の事も言われていたので無関心というわけではないだろう。
「失礼ですねー。私はパイドパイパーの皆の為に忠告してるんです。仲間を増やすのもいいけど、新人の人間性と利用価値はちゃんと考えないと無駄に食料を消費して皆死ぬかもしれませんよ?」
「だから、人間性は問題ないし、粼は探索班に協力するって言ってくれてる」
「その女は?」
「私も探索には協力しますよ」
水音により、急に槍玉に挙げられかけたカンナだったが、相変わらずのポーカーフェイスでまるで動じず淡々と答えた。
「ほら、カンナも協力してくれるって。はい!
この話は終わり! 散れ散れ、水音、光希」
響音の場を収めようとする態度が水音は気に入らないらしく、大きな舌打ちをして、自分の握った拳を見つめた。光希も水音の拳に視線をやっている。
「私、響音さんとお話しに来たんじゃないんですよねぇ……。まあ、いいや。光希、行こ」
そう言って水音は、終始無言で様子を見ていただけの光希を伴い、新参の粼とカンナに因縁を付けるのをやめ、踵を返して立ち去った。
「響音さん、ヤバイっすね、あの水音って子」
「悪いな。2人とも。ここにいるのは神父様を除いたら全員ネフィス。短い寿命という残酷な現実を知ったせいで、自分の事しか考えられなくなってあんな風になっちゃう奴らもいるんだ。本来は延命治療を受けられるはずだったのに、フォーミュラに騙されてこんな島に監禁されて……だから、アイツを責めないでやってくれよな」
「気持ちは……分かりますよ」
黙って響音の話を聞いていたカンナが静かに口を開いた。粼と響音、そして月希の視線がカンナに集まる。
「私だって最初寿命の事を聞いた時は愕然としました。30歳を過ぎたらいつ死んでもおかしくないなんて、恐怖で気が狂ってしまいそうでした」
「カンナ……」
寂しそうな表情で、カンナは珍しく気持ちを吐露し始めた。一緒にいた時間の長い粼は特にその発言に興味をそそられ息を飲んだ。
「小さい頃から私は人の“氣”を感じる事が出来ました。一度感じた氣の感覚はいつも一緒に遊ぶ友達のものなら自然と覚えてしまいます。だからいつも友達が学校の休み時間にどこかへ行ってしまっても居場所を把握出来るし、追いかける事も出来ました。ちょっと気になる男の子が出来た時は、その子の氣をずっと追っちゃって……でも、それがバレた時、友達からも気になってた男の子からも『気持ち悪い』って言われて、それからは私に近付く人がいなくなり、周りからは化け物扱いされて避けられるようになったんです」
「そっか……そんな辛い過去があったんだ」
粼が言うと、カンナは頷いた。
「だから私は、それ以来極力人とは関わらないように生きてきました。家族にも、その事は隠していたんですけど、私に気功掌を教えてくれた父にはバレてたんですよ。そして、父は私に言いました。『これからの長い人生、必ずお前を差別しない人が現れる。その人達と出会う為には、お前自ら人との交流を絶ってはならない』」
「素敵なお父さんですね……」
月希は大きな胸の前で手を握り締めて目を潤ませて言う。
「だけど、2年前、私が20歳の時、試作体のネフィス達が全員死んだって世界でニュースになって……私に残された時間があと10年くらいかもしれないって知りました。……せっかくこれから、やり直そうと思ったのに……って、凄く悲しくて悔しかった……」
3人はカンナの話を聞いて黙って頷く。
「そんな時、フォーミュラがネフィスの寿命を延ばせるって発表して、私たちネフィスは未来に希望を繋いで、やっとその治療の順番が回って来たのに、こんな無人島でサバイバル生活しなきゃならないなんて、冗談じゃないですよ。私たちネフィスには1秒1秒がとても大切な時間なのに……水音さんがああいう態度になってしまうのも、全部フォーミュラのせいです。あの子は何も悪くない」
カンナの思いを聞いた3人はまた黙って頷いた。
「お前もそういう気持ちを持ってると分かって安心したよ。カンナ。ここにいるネフィスは全員そう思ってる。水音みたいに性格が歪んでしまう事はあるが、アイツも根本に持ってる想いは同じ。だから、協力してこの島から脱出が出来ると、あたしは信じてる」
響音の言葉に、カンナは「はい」と頷いた。
「さすが響音さん。良い事言いますね〜。澄川さん、ここにいるネフィスは皆仲間ですから、差別される事はありません。だから心配しないで。それに、私たちはもう友達ですよ!」
先程まで水音の態度に怒りの表情を見せていた月希だったが、今はもういつもの笑顔と明るさに戻っていた。
「ありがとうございます。響音さん、榊樹さん」
「さて、それはそうと、粼。ネフィス同士は仲間ではあるけど、アーキタイプは別だよ。自分からアーキタイプである事は言わない方がいい。特に水音にはね。面倒臭い事になるからさ」
響音の忠告を聞いて、粼は腕を組み不服そうな顔をするが、響音は続けて言う。
「ちなみに、斑鳩と神父様はお前がアーキタイプって事を他の奴に漏らしたりしないから安心しな。じゃなきゃお前がアーキタイプって事を打ち明けたりはしなかった。あの2人は信用出来る」
「分かりました。でも、いつかはアーキタイプとネフィスも差別なく共に生きていける世界になればいいですね」
「それは無理だと思うよ」
「そうだね」という言葉を期待していた粼は、響音の思いもよらぬ返事に耳を疑った。
「自分たちよりずっと長く生きられるアーキタイプをネフィスが羨まないわけがない。病気や事故に遭わなければ今や100歳近くまで生きられるアーキタイプに対し、突然30年ちょっとで死ぬかもしれないと言われたネフィスが穏やかでいられるはずはないんだ。今はまだ大丈夫でも、きっと近い将来争いが起きるだろうな」
「それは……そうかもしれませんが……」
「あたしは今27だ。あと3年で死ぬかもしれない年代になる。もちろん、あたしは死にたくない。月希ともっとずっと一緒にいたい」
響音は拳を握り締めた。声は少し震えているような気がする。
健康なアーキタイプにはない想い。心の強そうな響音でさえ、間近に迫る死を意識し、恐れずにはいられないのだ。
「響音さん、その話はやめましょう。ここで話したってどうにもならないです」
心に影が掛かっていた響音を月希が止めた。
「うん……そうだね。悪い」
「さ! それじゃあ早くお部屋を片付けましょう! だいぶ散らかってるから時間掛かりますよ〜」
月希の明るさで、この場に流れかけていた重い空気は消え去った。カンナの手を握ると、そのまま手を引き、月希はアパートの外に設置された、くすんだ赤い塗装の剥げた鉄の階段を、高い音を鳴らしながらカンナを連れて行った。
取り残された粼と響音。
2人は顔を見合わせる。
響音の美しく整った顔はまだ寂しさで陰っていた。
「何だよ? あたしの顔に何かついてるの?」
「あ、いえ。 さ、俺たちも行きましょうか」
「お前、あたしにも部屋の片付け手伝わせる気満々だな」
「え!? いや、でも、榊樹さんも行ったから一緒に手伝ってくれるものだと……」
「嘘だよ! 何焦ってんの!」
響音は笑いながら粼の肩に手を回す。
そして粼の耳に口を近付ける。響音の吐息が粼の左耳を擽った。
「夜寂しくなったら、あたしの部屋来ていいよ」
ニカッと八重歯を見せて微笑む響音。
「じょ、冗談はやめてくださいよ!」
顔を真っ赤にして動揺する粼。その反応を見て、満足そうに笑うと、響音は粼から離れてアパートの階段を駆け上がった。
「期待通りの反応してくれて楽しいわ、お前!
ここにはその反応してくれる男はお前しかいないんだよ」
楽しそうに笑う響音。彼女の顔にはもう寂しさという感情は読み取れなくなっていた。
やれやれ、と、粼も階段を昇り始めた。
響音の吐息が当たった左耳に残った温もりが、しばらくの間消えなかった。