第7話:計画
ネフィスの砦『パイドパイパー』に所属する事が決まったアーキタイプの粼 馮景とネフィスの澄川カンナは、廃墟の中の大学のカフェテリアにて1日ぶりの食料にありついた。
木のテーブルに出されたグラスに注がれた水で喉を潤すと、茶碗に並々に満たされた雑炊を、粼とカンナは夢中で口の中にかき込んだ。熱々の雑炊は蟹の風味がする蟹雑炊。この無人島で文明的な食事が出来るとは思わなかった2人は、その身体に染み渡る旨味を噛み締めた。
食事を用意してくれたネフィスの榊樹月希が言うには、廃墟を探索して手に入れたフリーズドライの食品が辛うじて残っており、パイドパイパーでは今の所それを主食にしているらしい。
また、1年前に近海にて座礁したフォーミュラのクルーザー内に残っていた食材を回収した事で、比較的様々な味の変化を楽しむ事も出来ると言う。
粼とカンナが腹を満たしている向かいで、多綺響音もガツガツと雑炊をかき込んでいた。何故か粼とカンナよりも食が進んでいる。
神父はドイツ出身のロゼ=ロザリオという名で、粼の隣で静かに月希が淹れてくれた紅茶を飲んでいた。
「なるほど、澄川は俺たちと同じ延命治療を受けに来たネフィスで、アーキタイプの粼は、幼馴染のネフィスを探しにフォーミュラのクルーザーに乗った、ってわけか」
神父と同じく、月希が淹れてくれた紅茶を飲みながら、響音の隣に座るパイドパイパーのリーダー斑鳩 爽が尋ねた。
「はい、その通りです。……あの、斑鳩さん、俺も色々聞きたい事が」
食事を終えた粼は、スプーンを置き紅茶を楽しむ斑鳩に質問を返した。
「何だろう?」
「まず、この島はどこの島なんですか? 日本ですか?」
「おそらく、日本だ」
「おそらく……?」
煮え切らない回答に粼は首を傾げる。
「この島にある廃墟は日本のものだ。残っている資料や物資も全て日本語で書かれていた。だが、この島の近海50kmの範囲には大陸はもちろん、小島さえ見当たらない。だからどこの国の領海内にある島なのかも分からない。確実に言えるのは、この島が80年以上前に放棄された島のようだ、という事だけだ」
「近海50kmの範囲に何もないってどうして分かったんですか? まるで実際に見てきたみたいな言い方ですけど」
粼のその質問には、スプーンを茶碗の中にカツンと置いた響音が答えた。
「『神眼』ていう千里眼みたいな能力を持ったエクセルヒュームがここにいてね、そいつの能力で半径50kmまでの状況を目視してもらったのよ。それで分かったの。この島が、絶海の孤島だって絶望的な状況がね」
「そんな能力者もいるんですね。でも……それじゃあ救助を呼ぶ事も出来ないし、脱出しようとしても、どの方角に進めばいいか分からないですね……」
「周りが海じゃなかったら、あたしがビューっとひとっ走りして助けを呼びに行くんだけどね。さすがに海の上は走れない」
響音は椅子の背もたれにもたれかかって、満腹になった腹を擦りながら話した。
粼は予想より深刻な状況に言葉を失った。周囲50kmの範囲に大陸も島もないのなら、近くを船や飛行機、ヘリコプターの類が通る可能性は低い。旅客機は通るだろうが、航行硬度からだと島にいる人が救助を求めている事が分かるはずもない。
静かに隣で雑炊を食べていたカンナも、その深刻な状況に手にスプーンを持ったまま固まっている。
「あ、あの……」
固まっていたカンナが神妙な顔付きで口を開いたので、全員の視線がカンナへと向いた。
「皆さんもネフィスでしたら同じ気持ちかと思うんですけど、フォーミュラの発表では、ネフィスの寿命は30代前半。その延命治療の為にフォーミュラのクルーザーに乗ったのに、事故でこの島に漂着した。皆さんもそうなんですよね?」
「ああ、そうだな」
斑鳩が頷くと、響音も黙って頷いた。
「なら、一刻も早くこの島から脱出して、フォーミュラに抗議しなくちゃいけないと思うんです。それに、ここには凶暴な怪物がいると聞きました。それなのに、失礼ながら、皆さんあまり……その危機感がないというか……普通に生活しているようなので……」
意を決して意見を述べたカンナは、斑鳩と響音の目を交互に見てその反応を窺っている。
すると、神父のロザリオが立ち上がった。
「澄川さん。貴女の疑問はごもっともです。しかし、ネフィスの彼らもしっかりと計画を立て
、この島から脱出する為に組織的に動いているんですよ。ね、斑鳩くん」
ロゼは斑鳩の隣に来てその肩にポンと手を置いた。
「ええ、まあその計画は神父様が立案してくださったもの。神父様がいなければ、このパイドパイパーを作る事もなかった」
「そうですよ、神父様がいなければ今頃ノクタルスにやられてたかもしれないし、私達が粼さんや澄川さんに出会う事もなかったかもしれない」
カフェテリアのキッチンの奥から、調理器具を片付け終わって出て来た月希が、斑鳩の話に付け加えた。相変わらず、カンナと同じ水色の瞳がキラキラと煌めくようで美しい。
そのまま月希はカンナの隣にちょこんと座った。
それを見て、ロザリオが話を続ける。
「これは主の導きです。僕は主の導きの通りにあなた方に助言をしただけです」
「その脱出計画というのは?」
興味深そうに粼が食い入るように尋ねる。隣のカンナも真剣な表情でロゼを見つめる。
「そもそも僕がこの島に漂着したのは、フォーミュラとは何の関係もない船の事故が原因でした。その時たまたま僕は大型のクルーザーを見付けました。僕はそれを使って島を脱出しようとしましたが、残念な事に燃料が空だったのです。その後、この島にいた斑鳩くんや響音さん達と出会い、使えそうなクルーザーがある事を伝え、共に燃料を探す事を提案したのです」
「なるほど、脱出用のクルーザーがあるんですね」
「そうなんですよ、粼くん。30人乗りの大きめのタイプなので、粼くんと澄川さんを含めてもギリギリ全員乗って脱出できます」
粼とカンナはうんうんと頷く。
「だからこの島に漂着していたネフィスの皆さんを集めパイドパイパーを作り、そのメンバーで燃料や食料などの物資を探す班を組織し、交代で島を探索しているのです」
「つまり、燃料さえ見つけられれば、この島から脱出できる、って事か。なら俺も協力します! 探索は1人でも多い方がいいでしょう」
しかし、粼の発言に、向かいの席の斑鳩は首を横に振る。
「いや、粼。気持ちは嬉しいが、すぐにお前を探索班に入れるわけにはいかない」
「どういう事ですか? 斑鳩さん」
「探索班は7人1組。それが2班あり、ここから東回りと西回りの2つのルートを探索している。だが、俺たちまでこのパイドパイパーを留守にすると、ノクタルスの襲撃を許し、安住の場所と、せっかく備蓄した食料を失う事になる。だから、探索班は2組、その他の者は留守番組としてチーム分けをしているんだよ」
「そうだぞ、粼、カンナ。あたし達は探索もせずに呑気にメシ食ってるだけじゃないんだぞ?」
「あ、いや、そんなつもりで言ったんじゃ……」
響音の意地悪な返しに、粼とカンナは慌てて否定する。
「あれー? カンナははっきり言ってたじゃん?
『危機感ない』って」
テーブルから身を乗り出してカンナの顔を覗き込む響音。カンナは思わず目を逸らし「ごめんなさい……」と呟いた。
「ははっ! 可愛いじゃん、カンナ。まるであたしと出会ったばかりの頃の月希みたいだ」
「え? そ、そうなんですか?」
突然話題に上げられた月希は顔を赤くして口元を手で押さえた。
「とにかく、粼」
粼の名を呼びながら斑鳩は腰を上げた。
「探索班に協力してくれるなら、次回の探索班交代の時に班に編成するから、それまでにここにいるメンバーとコミュニケーション取っといてくれよ。今ここに残ってるネフィスの連中と班を組む事になるからな。それと、ノクタルスの事も知ってるなら、自分の身は自分で守れるように武器とか揃えとけ。そんな棒切れは役に立たない」
粼の前のテーブルにひっそりと立て掛けてある元スコップの先端の折れた木の棒を指さして斑鳩が言った。
「は、はい! 分かりました! ちなみに、次回の班編成っていつ頃でしょう?」
「分からない。明日かもしれないし、1ヶ月後かもしれない。とりあえず、今日のところはゆっくりするといい。月希、2人に居住スペースの準備と、ここでの細かいルールを教えといてくれ。俺は内部巡回に行く」
「はい! お任せください! 斑鳩さん!」
斑鳩に指名された月希は即座に立ち上がると、キリッとした顔付きで敬礼をした。
斑鳩はそれを見てニコリと微笑むと、オープンテラスのデッキを下りて、大学の研究棟の方へと歩いて行った。
「それでは、粼さん、澄川さん。僕もこれにて失礼します。お2人に神の御加護があらん事を」
ロザリオも立ち上がり、粼とカンナに本日2度目の十字を切ると、先に歩いて行った斑鳩の後を追っていった。
「それではお2人共、早いところ居住スペースでお家決めに行きましょう! ほら、響音さんも行きますよ!」
新しく仲間が増えた事が嬉しいのか、月希は終始明るく、粼とカンナに愛くるしい程に友好的に接してくれる。
「よし! 行こう! カンナ行くぞ!」
「うん」
粼が促すとカンナも立ち上がった。響音も立ち上がりグッと伸びをしている。そんな姿に一瞬粼は目を奪われる。
「ん? 何?」
「え? あ、いや、何でも」
「あたしに見惚れるって事は、さてはお前貧乳好きだな? 月希みたいな巨乳が好きなのかと思ったのに」
「いやいやいや! ノーコメント! てか、別に見惚れてません!」
響音のいやらしい質問に、粼は首を横にブンブン振って明言を避けた。
「響音さん! 粼さんを困らせないでください! ごめんなさいね、粼さん。響音さんは歳下の男の子を揶揄うのが好きなんですよ」
「そうなんだ……」
月希のフォローに粼は苦笑して答えると、響音はケラケラと笑った。
カンナはそんなやり取りを安定のポーカーフェイスで無言のまま粼を見守っている。
寿命が僅かしかないとは思えない前向きで明るい響音と月希。斑鳩もロザリオも前向きにパイドパイパーのネフィス達を導いている感じがした。
もしかすると、パイドパイパーのネフィス達は皆前向きに状況を打開しようとしているのかもしれない。
粼はカンナと共に、月希と響音の後に続いた。