第6話:拠点
島にいたネフィスの多綺響音によって窮地を救われた粼とカンナ。フォーミュラの不穏な噂が気になったが、とりあえず今は、響音が水と食糧を用意してくれるというのでその言葉を信じ、ゴスロリ風の着物の彼女の後について、また森の中に入った。
初めに粼とカンナが通って来た森とは反対側に広がる森。景色は初めの森と変わらない木々の生い茂る深い森だ。ただ、今回は熊や狼の一件もあったので、より野生動物の襲撃を警戒しながら歩いた。
かつてスコップだった木製の長い棒を片手に、粼はカンナの横にピッタリとくっ付いて歩く。先程のカンナの戦闘能力を見る限り、粼が彼女を助けるシチュエーションにはならなそうだが。
あまりの空腹で口数も少なく、粼とカンナはただひたすらに先頭を歩く響音を追った。響音は悪路には不釣り合いのパンプスで、木の根や道を塞ぐ倒木を軽々と飛び越えて行く。粼もカンナも、そんな身軽な響音を追うのに必死になりますます会話がなくなる。
「響音さん、ずっと気になってたんですが……」
そんな中、口を開いたのが粼だった。
「何? 何でも聞いていいよ、粼」
機嫌が良さそうに響音は茶色いポニーテールと両耳のピアスを揺らして肩越しに粼に微笑む。
「響音さんて“神速”っていうめちゃくちゃチートな能力も持ってるのに、その厳つい刀が必要になる事があるんですか?」
「ああこれ?」
響音は腰に提げている金色の装飾が施された黒を基調とした高そうな柳葉刀(中国の幅広の刀)に手を掛けた。
「確かに、あたしにはこの島にいる獣如きに武器なんて必要ないわな。時速200kmの速度から放つ蹴りに耐えられる自然界の動物なんて存在しないからね」
先程蹴散らした狼の群れにはきっと手加減したのだろう。でなければあの廃墟の街のど真ん中には20頭近い狼の死骸が転がっていた筈だ。
「ですよね? そんな大昔の戦で使うような刀……鹿とか猪の屠殺とか解体に使うんですか?」
粼と響音の不穏な会話を静かに聞いていたカンナは唇に指を当て、どこか不安そうな表情をしている。
「この刀はねー……と、言ってる間に到着したよ」
粼の質問に答える前にどうやら目的地に到着してしまったようだ。木々の隙間から新たな街が見える。熊と狼に襲われた廃墟から30分程歩いた場所だ。響音の案内なしにはこんな短時間では辿り着けなかっただろう。
3人は森を抜けて新たな街のアスファルトを踏んだ。
「え、ここが、砦? 廃墟じゃないっすか?」
砦と称された場所を近くで目の当たりにした粼は思わず声を上げた。見た目は先程の廃墟の街と変わらなかったのだ。想像とは違う光景に粼は首を捻る。隣のカンナは相変わらずのポーカーフェイスで表情からは感情が読み取れない。
「何言ってんだよ、ほら、街の一部を高いバリケードと有刺鉄線で囲んであるだろ? 苦労したんだぞ。お前の幼馴染のつかさも頑張ってくれてさ、普通4人がかりで運ぶ鉄板をあいつは1人で運んでた」
響音は得意気に砦と称するその防壁を指で指し示す。
「はは、つかさの怪力は健在か」
確かに建物と建物の間は3m程の鉄板の仕切りで塞がれ、その鉄板の上には有刺鉄線が螺旋状に巻かれ延々と張り巡らされている。野生動物の侵入を阻害するだけにしては些か大掛かりな防壁である事は、粼だけではなく、もちろんカンナも感じているはずだ。
「まさかとは思うんですけど……」
ずっと口を噤んでいたカンナが、不意に口を開いた。
「この島、自然界の動物『以外のもの』がいるって事……ですか?」
「え……」
カンナのあまりに恐ろしい予想を聞いて、粼の顔から完全に笑顔が消えた。響音の表情にも今までの明るい雰囲気は消えており、初めて見せる真剣な顔になっていた。それが、これから彼女が口にする事の重大さを物語っている事は、粼とカンナにはすぐに理解出来た。
「この島で恐ろしいのは熊でも狼でもない。得体の知れない邪悪な見た目の化け物だ」
「化け物……!?」
「そう。奴らは大型の猿ほどの体躯を持ち、身体を覆う爬虫類のような黒い外殻は刀を弾き、鋭い爪は獲物の肉を抉る。最大の特徴である異様に長い舌で獲物を絞め殺し、その体液を啜る……。そんな化け物がこの島には何十匹いや、何百匹と存在する。幸い、陽の光が苦手なのか昼間は見かけないが、日が落ち、辺りが暗くなると奴らはどこからともなく湧いてきて集団で獲物を探し始めるんだ。あたし達はその化け物を“ノクタルス”と呼んでる」
まるで怪談話を語るようなおどろおどろしい雰囲気で得体の知れない怪物の生態を説明する響音に、粼とカンナはすっかりと縮み上がっていた。
「ま、人間が餌食になった事は今の所ないけどね」
「な、何だ、それなら良かった」
粼が胸を撫で下ろすと、響音は真剣な表情のまま、話を続ける。
「島の至る所で野生動物が引き裂かれたり、絞め殺されて干からびている死骸を見掛けるから、普段はそうやって動物を襲って生きてるんだろうな。肉は食わずに体液だけを啜ってな。でも安心するなよ。ノクタルス共が実際にあたし達を襲って来た事があるから、こうして防壁を作って砦に籠って生活してるんだからな。いつ奴らがあたし達を殺してもおかしくはない状況なんだよ」
「そ、それなら、ここに籠るよるり、島から脱出した方がいいですよ……」
不安そうに胸の前で拳を握り、カンナは響音に正論をぶつける。だが、響音はカンナの意見を一笑に付した。
「そんな事、分かってんだよ。あたし達だってさ」
「あ、そうですよね、すみません。出しゃばったことを……」
申し訳なさそうに俯くカンナを見て、響音は右耳のピアスを可愛らしくデコったピンク色の爪で弄りながら溜息をつく。
「あー、ここで長話はやめよう。詳しい話は中に入ってからな。メシ食ってからにしよう」
響音はそう言うと、砦の正門のような、廃材を利用して作られた扉の前へと1人歩き出し、門の数メートル手前で足を止めた。
「月希! 帰ったよ! 開けてー!」
響音が大きな声で中にいるであろう人物に声を掛けると、「はーい!」という元気な女性の返事が聞こえ、ガタンと中から閂を外したような音が聞こえた。そして分厚い鉄板の扉がギィィと重厚な音を立ててゆっくりと開いた。
「お帰りなさい、響音さん! ……あれ? お客さん?」
所々錆びた緑色の扉から出て来たのは、華奢なブロンドの髪の女の子だった。
左耳の上に髪を団子のように纏めており、瞳はカンナと同じ綺麗な水色。黒いミニスカートに響音と同じ黒いニーハイソックスとパンプスを履いており、腰にはやはり刀が提げられている。ただ、彼女の刀は響音の柳葉刀とは違い、刀身が細長い日本刀のようだ。色も響音の黒い柳葉刀とは正反対の白を基調として黄金の龍の装飾が施された明るく高貴な印象の配色になっている。
しかし、その刀よりも粼が真っ先に目がいってしまったのは、白いブラウスとグレーのベストがはち切れそうな程の大きな胸。カンナや響音とは比べ物にならない代物である。
「客じゃないよ。新しい仲間だ」
「本当? こんにちは! 初めまして、私は榊樹月希と申します!」
響音の回答に、月希は嬉しそうにはしゃいだが、しっかりと名を名乗ると深々と頭を下げた。
「こっちの女が澄川カンナで、こっちの男が粼……何だっけ?」
「粼 馮景です。すみません、変わった名前で」
「素敵な名前です! とっても綺麗じゃないですか! お2人共、穏やかで澄んだ小川の景色を想像させてくれます!」
響音の雑な紹介とは対照的に、月希は粼とカンナの名前を具体的なポイントを挙げて賞賛した。その対応に、粼もカンナも月希がとても心の綺麗な女の子なのだと認識した。
「あーそーだ。フーケーか。セセラギフーケー。月希どう? この男。中身は結構いい感じだったよ? 顔もそこまで悪くはないだろ?」
「どう? って、何がですか! 響音さん! てか、粼さんに対してすっごく失礼ですよ! ごめんなさいね、粼さん。響音さんこんな感じだけど、悪い人じゃないですからね?」
相変わらず無礼極まりない態度の響音に、月希は顔を赤くして困惑しながら場を取り繕う。
「あー、大丈夫、まだ出会って間もないけどそれは分かってるから。な、カンナ」
「うん」
相変わらず口数の少なくないカンナ。元々クールで静かだが、月希のコミュニケーション能力の高さに戸惑っているようにも見える。単に人見知りなのかもしれない。
「とにかく、粼さん、澄川さん。ようこそ“パイドパイパー”へ! 歓迎します!」
「パイドパイパー?」
「この砦の名前だよ。いいから来い。大丈夫だと思うけど、ここのリーダーに加入許可を貰いに行くぞ」
月希の満面の笑みと粗雑な響音に迎えられ、粼とカンナはついにネフィスの砦『パイドパイパー』へと足を踏み入れた。
♢
鉄の扉の中は、野生動物と戦闘になった廃墟の街と見た目は変わらない。朽ちた建物が緑の蔦に覆われ、現実の世界から隔離された不思議な雰囲気を纏っている。
ネフィスがいるという話だが人の気配はまるでない。
そんな静寂の中の廃墟のボロボロのアスファルトを、4人は進む。先導する響音と月希の黒いパンプスのヒールがコツコツと響いている。
「ここは中心のあの大きな大学の研究棟から半径およそ200mの地点の道路を全てバリケードで封鎖して囲った簡易な砦になっています。出入口はさっき入って来た南側の入口の他に北と東と西に1つずつ、合計4箇所あって全ての扉は中からしか開きません。中は結構広くて、パイドパイパーの皆が大学近辺の居住スペースにある建物をそれぞれ自分のお家にしてるんですよ」
「へぇ、なるほどね……」
月希のガイドを聞きながら、粼は近くにつかさがいないかとソワソワしながら辺りを観察する。
一方、隣を歩くカンナは、時々チラチラと何かを見付けたかのように視線を動かすが、その視線を追っても粼の視界には朽ちたビルしか映らない。きっとカンナは氣の力を使ってパイドパイパーにいるネフィスの人数や位置を把握しているのだろう。半径200mの広さなら、カンナの氣の探知範囲内なので、全てのネフィスを把握出来る筈だ。
「榊樹さん、斉宮つかさはどこにいる? 俺の幼馴染なんだよ。いるんでしょ? ここに」
「え!? そうなんですか?? あー、でも、つかささんは今はここにいません。あの人は探索班の任務で昨日ここを出たばかりで……長ければ1ヶ月は戻りません」
「マジで!? 何だよー、一足遅かったかー」
そそくさと先頭を歩いていた響音は、粼と月希の会話を聞いて申し訳なさそうな顔で振り向いた。
「悪い、粼。つかさが今回探索班だったの忘れてた……」
「いや、大丈夫ですよ、響音さん。ここで待ってれば1ヶ月後には会えるんですよね?」
「そうだな、収穫があればもっと早く帰って来る」
「なら全然問題ないです! 俺がクルーザーに乗った目的は、つかさの無事をこの目で確認する事だったわけだし」
そう言って響音と月希に笑顔を見せた粼。響音と月希がその様子にホッとしてまた前を見ると、ガックリと肩を落とす。
隣を無言で歩くカンナが心配そうに横目で粼を気遣う視線を送った。
「探索班は2班あって、7人ずつで構成されているので、現在パイドパイパーにいるのは私たち含めて……えっと」
「15人ですね」
「え!?? 何で分かったんですか?? パイドパイパーの合計所属人数って私まだ言ってなかった気が……」
カンナの発言に驚いた月希は、足を止めてカンナに興味深そうな視線を送る。
「あぁ……えっと……それはですね……」
相変わらず、月希の豊かな感情表現に気圧されたカンナは答えを濁そうと月希から視線を逸らす。
「月希、そういう話はメシ食いながらでいいだろ。ほら、まずはリーダーに会わせてからって思ったけど、ちょうどいいタイミングで食堂にいてくれた。斑鳩と神父様」
興奮する月希を窘めて、響音は背中越しに親指で数メートル先のオープンテラスの店を指した。
いつの間にか先程見えていた大学の敷地内に入っていたようで、このオープンテラスはその大学のカフェテリアのようだ。そして、そこには確かに2人の男性が腰掛けており、粼達の存在に気付いて顔を向けた。
「見かけない顔だな。またフォーミュラのお客様ですか? 響音さん」
「哀れな2匹の子羊に神のご加護を」
椅子に座っている2人の男性。1人はアイドルグループにいそうな整った顔立ちの茶髪のイケメンで、もう1人は神父のような黒い装束を纏って粼とカンナにいきなり十字を切っている変わった黒髪の男だ。その話し方の訛りから神父の方は外国人のようだ。瞳は薄い緑色をしており、どこか不思議な印象を受ける。
「斑鳩、お察しの通りこの2人はフォーミュラのクルーザーの事故で島に漂着したネフィスの澄川カンナと、アーキタイプの粼馮景。悪い奴ではなさそうだから連れて来た」
「アーキタイプ……」
粼がアーキタイプだと分かった瞬間、斑鳩という男と神父の表情が動いた。この事は月希にも言っていなかったので、彼女も目を見開いて驚いている。
「響音さん、分かってると思いますが、ここはネフィスの砦です。俺は構わないですが、アーキタイプの事を良く思っていない者達もいるんですよ? その者達をどう説得するんですか? 彼にとっても居心地が悪いかもしれない」
「神父様だってアーキタイプなんでしょ? て事は、パイドパイパーにアーキタイプが入れないって決まりはない。それでもギャーギャー騒ぐ奴はあたしが責任持って何とかする」
響音は約束通り、粼とカンナがこのパイドパイパーという砦に所属出来るように働きかける。
「確かに、僕がここにいるのにアーキタイプは入れないというのは筋が通りませんね。元より人種で差別をする事は主がお許しになりません。主は隣人を愛するようにと仰っていますからね。どうでしょう、斑鳩くん。粼くんも、澄川さんと一緒にパイドパイパーの仲間に入れてあげては?」
柔和な物言いで神父の男が口添えをすると、斑鳩という男は黙って頷いた。
「響音さんと神父様がそう言うなら、俺に断る理由はない。彼ら2人のパイドパイパーへの所属を許可します」
「そうと決まればさっそくおもてなしの食事を」
斑鳩という男の許可が降りた事で、椅子に座っていた神父が立ち上がり、意気揚々とカフェテリアの奥へと歩き始めた。
「あー! 神父様! お食事は私が用意しますからのんびりしていてください!」
月希は慌てて立ち上がった神父を再び椅子に座らせると率先して食事の準備を始めた。粼もパイドパイパーに所属する事が決まって何やら嬉しそうだ。
「さ、リーダー斑鳩の許可も出たことだし、とりあえず座りなよ、2人とも」
響音に勧められ、粼とカンナは斑鳩と神父がいる席に腰を下ろした。
その瞬間、粼の腹が空腹を思い出したかのように静かに鳴った。
「お腹空いたね」
隣に座ったカンナだけがそれに気付き、粼にだけ可愛らしい笑みを見せた。