第5話:同志
高さ5、6mほどの崖の上に見える人影。
徐々に昇る朝日によって、その姿が照らし出される。
「あの人で間違いない」
不意にカンナが呟いた。
「え? 何が?」
「森で私たちを見ていた凄い氣の人」
粼は常軌を逸した速さで追跡を逃れた者を思い出しゴクリと唾を飲み込む。そして眩い日差しを手で遮りながら崖の上の人物を見た。
「……女……の子?」
紫の着物のような衣装であるが、丈は太ももまでの極めて短いスカートのような構造で、黒いフリルが付いたゴスロリのような格好の女性だ。粼の位置からだと下手をすれば角度的に下着が覗けてしまうのに、その女性は堂々とそこに立っている。
だが次の瞬間、突如、粼の目の前からその謎の女性は姿を消した。
「『女の子?』って顔をしかめるなよ。ちゃんと女の子だよ、失礼な」
その女性の声は粼とカンナの間から聞こえた。
いつの間にか2人の間に入り込み、馴れ馴れしくも粼とカンナの肩に手を回している。
2人が突然の出来事に硬直していると、その女性は笑いながら前に歩いて行き、回れ右して粼とカンナに向き直った。
紫のゴスロリ風の着物。間違いなく数秒前まで崖の上にいた人物だ。それが一瞬で2人の間に移動した。
その原理はまるで理解出来ない。
今分かる事は、この女性に敵意がなさそうだという事と、女の子というには少し年齢が上だろうという事だけだ。
「ごめんなー。お前達の事は森の中で見掛けたんだけど、敵か味方か分からなかったからしばらく様子を見させてもらってた」
特徴的な八重歯をチラリと見せながら、楽しそうに言うゴスロリ衣装の女性。
格好はゴスロリだが、それ以外にゴスロリの要素は皆無で、茶髪の髪をアップポニーに纏められており、活動的な印象を醸し出す。身長は高く、173cmの粼よりもいくらか高い。スラリと伸びた長い脚は黒のニーハイソックスでアクセントが加えられている。そんな少し個性的な彼女の格好にもっとも似つかわしくないのが腰に当たり前かのように装備された柳葉刀である。
「やっぱり貴女でしたか。あの速さの氣は」
カンナの言葉に、女はニコリと笑い、傍の車のボンネットに腰を下ろした。
「あたしは多綺響音。響音って呼んで」
「俺は粼馮景です」
「澄川カンナです」
「あー、カンナね。単刀直入に聞くけど、お前、エクセルヒュームだよね?」
響音は粼には目もくれず、カンナにだけ興味を示し、いきなり確信を突く質問を投げ掛ける。
「何故、私がエクセルヒュームだと?」
警戒しながらカンナは質問を質問で返す。
「あたしの氣を察知したり、熊を素手で倒したり。ただのネフィスには出来ない芸当だからね。お前の能力はおそらく、自身の氣を操る能力。熊を倒したのも物理攻撃じゃないよね? 氣の力を使った内部への攻撃。違う?」
響音は自分の耳についているシルバーのピアスを指で弾いたり、綺麗なネイルの施された爪を見ながらカンナの質問に答えた。その様子には圧倒的な強者の放つ余裕が感じられる。
「……その通りです。貴女こそ何者ですか? エクセルヒュームですよね?」
「そうだよ。時速200kmの高速移動とそれに耐えれるスタミナ、ついでに5mのジャンプ力。それがあたしの『神速』っていう能力」
「時速200km?? 5mのジャンプ力?? すげー……。さっき狼の群れをボコボコにしたのも、その高速移動を利用したってわけか」
にわかには信じ難い能力だが、実際にその高速移動を目の当たりにした粼には信じざるを得ない。
響音は話に割って入って来た粼に視線を向ける。そしておもむろに長くて綺麗な脚を組んで見せた。黒いニーハイソックスとミニスカート丈の着物の裾の間にお目見えする絶対領域に、粼の視線は自然と吸い込まれる。
「お前はネフィスじゃなさそうだよな。体力無さ過ぎだし。何でこの島にいる?」
「俺はフォーミュラの延命治療施設行きのクルーザーに乗ってたんですけど、途中事故に遭ってカンナと2人でこの島に漂着したんです」
「やっぱそうなんだ。でもあたしが聞きたいのは、何でアーキタイプのお前がそのネフィスしか乗れないはずのクルーザーに乗ってたのかって事。この島に漂着する奴は皆そのフォーミュラのクルーザーに乗って事故に遭って漂着したネフィスばっかだからね」
「え!?」
響音の衝撃の発言に、粼とカンナは同時に驚きの声を出した。
「どういう事ですか?? まるでフォーミュラのクルーザーは意図的に事故に遭って、乗客がこの島に漂着するようにし向けられてるみたいな口振りですけど」
「お! アーキタイプにしては察しがいいな、粼。そうだよ。フォーミュラの奴らがあたし達ネフィスをこの島に送り込んで監禁してるんだよ」
「そんな……監禁? フォーミュラは何でそんな事……施設で延命治療をしてくれるんじゃなかったんですか?」
珍しくカンナが焦りを浮かべ響音に問う。
「きっと、この島がその施設なんだよ」
「え? ここが?」
「あたしもフォーミュラの考えてる事は分からないけど、状況からそう考えざるを得ないんだよな。奴らはこの島にあたし達ネフィスを集めて放置してる。毎年数人のネフィスがこの島に漂着するけど、フォーミュラも海保も捜索には来ない。おかしいと思うだろ? ただの事故なら何らかの捜索があってもおかしくない。あたしはこの島に来てもう2年になるのに、この島の近辺には船も飛行機も何一つ現れない」
「ちょっと待ってください、響音さん。私怖いです。フォーミュラのクルーザーが事故に遭ったなんて、日本ではニュースにもなってなかったから、誰も施設に行ったネフィスがこの島に閉じ込められてるなんて夢にも思ってませんよ!」
「ちくしょう……あのラダとかいう研究員、知ってて俺たちをクルーザーに乗せたのかよ」
怯えるカンナと怒りに拳を震わせる粼。
響音はそんな2人を冷静な表情で見つめる。
「とりあえずカンナ、あたし達ネフィスの砦に来る? お腹減ったでしょ? 食料はあるよ」
「え、いいんですか? それなら、粼くんも一緒に」
粼を勧誘しない響音に、カンナは気を遣って口添えをする。しかし、響音は渋い顔をして腕を組む。
「んー、粼はネフィスじゃないでしょ? あたし達の砦にはネフィスしかいないんだよね。あたしはいいけど、連れて行ったとして、他のネフィスの子達が受け入れないかもしれないしなぁ。それに、粼がネフィス専用のクルーザーに乗ってた理由も教えて貰ってないしねー」
響音はそう言うと、粼を誘うかのように脚を組み直した。その誘いに負け、粼の視線は再び響音の絶対領域に吸い込まれた。その視線の動きを、響音はしっかりと見ており満足そうにニヤリと笑う。
「俺はネフィスの幼馴染の無事を確認する為にクルーザーに乗せてもらったんです。……ん?
待てよ? もしかしたら、つかさもこの島にいるのかも」
「つかさ? 苗字は?」
「斉宮。斉宮つかさ」
すると響音は意外そうな顔をして粼を見つめた。
「いる」
「え! 本当ですか!? 無事なんですか?? つかさは!?」
「ああ、ピンピンしてるよ。怪力の棒術使いだろ?」
「そうですそうです! 良かったー! 一瞬事故で死んだかもって思って心臓止まりかけたよ……」
つかさの生存が確認出来た事で緊張の糸が切れた粼はその場で膝から崩れ落ちた。
「良かったね! 粼くん」
声を掛けてくれたカンナの顔を見た粼は、彼女の顔が作られた笑顔ではなく、本物の笑顔になっているのを目の当たりにした。
カンナと出会ってからようやく彼女の心の底からの笑顔が見れた嬉しさも相まって粼も満面の笑みになる。
「そっかそっか、お前、つかさを探しに来たのか。危険を冒して、勇敢だね〜!」
急にニヤニヤとし出す響音。ピョンとボンネットから飛び降りると膝を突いたままの粼に手を差し出した。
「気に入った! お前も連れてってあげるよ。他のネフィス達にはあたしが話つけてあげるから安心しな」
「え! ありがとうございます! 響音さん!」
響音の温かい手を取り立ち上がった粼は嬉しさのあまりカンナの両手を握り喜びを分かち合った。
「ほら、イチャイチャしてないで早くついて来い。先に言っておくけど、粼。あたし達の砦にいるネフィスは女ばっかだから、覚悟した方がいいかもよ。色々な意味で」
「え? 覚悟……?」
首を傾げる粼。響音はクスリと笑うだけで詳細は語らなかった。
ただ、隣のカンナの顔が少しだけ曇ったような気がした。