第1話:船出
深刻化した少子化の対策として『ネフィスプログラム』をいち早く導入した日本でのネフィスの出生率は年々上がっていた。容姿も知能も、さらには運動能力までも自在に調整できるのだから、ネフィス技術の利用に補助金が出る日本で、我が子をネフィスという強い人種で生を受けさたいと願う人々が世界的に見ても多くなるのも不思議ではない。
そんな中、ネフィスを選択しない者も当然にして存在する。人は彼らを新人類と区別し『旧人類』と呼んだ。
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灰色の重い雲が広がる東京の街中。東京湾に面した無機質なコンクリートの中に立つフォーミュラの研究施設は、言葉に出来ない異質さを放っていた。周囲の喧騒とは無縁の静けさを纏った施設には、警備の男たちが厳重な表情で出入り口を見守っている。その姿からは、施設が秘匿された世界であることが伺えた。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
そんな施設の敷地内にある桟橋で、サングラスを掛けて黒いスーツを着たSP風のガタイの良い警備の男2人に乱暴に突き飛ばされ、黒髪の青年が尻餅をついた。
警備の2人はその背後にある小型のクルーザーを守っており、口を真一文字に結んでガッチリとその導線を塞いでいる。
「やれやれ、アンタ達じゃ話になんないからさ、話の解る人呼んでくださいよ。俺、不法侵入者ですよ? 偉い人出て来て注意した方が良くないですか?」
尻に付いた砂埃を払いながら青年は飄々とした様子で立ち上がり警備の男達に意見した。青年はガタイのいい2人の黒服の男に恐れる素振りも見せず、芯のある凛々しい瞳をして常に堂々としている。怖いもの知らずの愚か者なのか、或いは警備の男2人くらいなら問題なく倒せる力を持っているのか。いや、後者はその細身の外見からは想像出来ない。爽やかさと清潔感が溢れ出る人が良さそうな顔立ちで、シャツにジーンズ、機能性の良さそうなリュックを背負ったどこにでもいる大学生のような風貌なのだ。
「不法侵入者に呼ぶのは警察だろ。入口にも警備はいた筈なのに。ったく、今回は見逃してやるから今のうちに出て行けよ」
他の警備に悪態をつきながらも頑なな黒いスーツの男。埒が明かないと青年は肩を落とし溜息をつく。
「どうしたの? その子。誰?」
不意に若い女性の声が聞こえ、青年と黒服が声のした方を向いた。
青年の方に向かって来るのはハニーブロンドの明るい髪をアップポニーにした白衣の若い女性。見たところ日本人ではなさそうだ。
「一般人? 勝手に入っちゃ駄目だよ。ここがどこだか分かってるの?」
女性の言葉には僅かに外国人の訛りがあるが、ほとんど気にならないくらいに流暢な日本語を話した。
「もちろん、フォーミュラの東京本部ですよね。今はほとんど人がいないようですが」
皮肉混じりの青年の言葉に、白衣の女性がクスリと笑った。
「私はフォーミュラの研究員、ラダ・ハンプバーク。生意気な青年、キミ、名前は?」
ラダという研究員は、首からぶら下げていた顔写真付きのIDカードを青年に見せて微かに笑った。
「粼 馮景」
「セセラギ? んー、確かそんな名前のネフィスはリストにいなかったから、キミ、アーキタイプか。ごめんね、アーキタイプに用はないのよ。さっさと帰りなさい」
ラダがキッパリと言い切るが、粼は真剣な眼差しをラダに向けた。
「俺は貴女に用があります、ラダさん。俺の幼馴染が延命治療に行ったきり1年も音信不通なんですよ。半年で帰って来る筈だったのに。どうなってるのか教えてください。フォーミュラに問い合わせても電話もメールも応答無し。だからこうして直接乗り込んで来たんですよ」
粼がここに来た目的を話すと、話を遮るように黒服の男がヌっと前に出た。
「ハンプバーク博士、こいつはただのクレーマーです。相手にする必要はありません。我々が敷地の外に追い返しておきますので、船はもう出しましょう」
黒服はその背後の小型のクルーザーを親指で指して言った。
しかし、ラダは腕を組み、粼をしばし見つめていた。
「粼君。施設に行ったネフィスは皆元気だよ。当初1半年で帰れる予定だったけたど、治療が長引いてしまっているの。連絡がつかないのは施設では携帯端末の使用が禁止されているから。この説明でご理解頂けるかしら?」
「まさか、信用出来るわけないじゃないですか。あなた達フォーミュラは、ネフィスの寿命の事を隠蔽してましたよね? 命に関わる重大な事実を、責任逃れの為に隠蔽するって事は、今施設にいるネフィス達にも、何か事故があったんじゃないかって疑うのが普通ですよ」
感情的にならず理路整然と話す粼に、ラダは興味を持ったのかさらに会話を続ける。普通なら厄介な不法侵入者の対応など警備員に任せてしまえばいいのに、そうしないのがその証拠だ。
「そっか、そうよね。ならどうしたら私の話を信じてくれるかな? キミの幼馴染は生きてるよ、ちゃんと」
「そのクルーザーに乗せてください。今日治療施設に新たにネフィスを連れて行くんですよね。俺も施設に行って、アイツの無事を確認すれば納得しますよ」
フォーミュラはネフィスの延命治療を行う者を独断と偏見で選出し施設行きのクルーザーに招待している。この情報は一般に公開されている為、粼も容易に出航のタイミングを知る事が出来たのだ。
「何を馬鹿な。そんな事無理に決まって───」
「そうね、普通は施設にアーキタイプを連れて行くのはダメだけど、幼馴染の為にこんな所まで乗り込んで来たんだし、一応偉い人に聞いてみてあげるわ」
そう言ってラダは白衣のポケットから携帯端末を取り出し、片手で操作し始めた。
その以外な対応に、まだ許可されたわけでもないのに粼は思わずガッツポーズをする。
「あ、ラダです。ちょっとね、アーキタイプの子が施設にいる幼馴染の無事を確かめたいって聞かなくて──」
ラダは端末をスピーカーに切り替えて掌に置いたまま、アーキタイプの不法侵入者:粼の要望を電話の向こうの人物に伝えた。
「どうします? 連れて行きます?」
ラダはそう尋ねながら粼を一瞥する。
すると、
「『許可します』」
と、電話の向こうの人物は数秒間を空けて答えた。その声も若い女性の声だった。
「聴こえた? いいって。良かったわ───」
「ありがとうございます!!」
ラダの言葉を最後まで聞かずに、粼はまたガッツポーズをし、嬉しさを全身で表している。
「すぐに出発するから乗って。空いてる部屋は好きに使っていいよ」
ラダはそう言うと黒服の警備の男に粼を案内するように指示を出す。警備の男が手際良く粼をクルーザーの中へと案内すると、すぐに桟橋からの渡り板が外された。
「あれ? ラダさんは行かないんですか?」
桟橋に佇んで粼を見つめるラダの姿を見付け、粼は声を張って尋ねた。
「いかないよ。私は東京本部で仕事があるから」
「そうですか、ちなみに、施設まではどのくらいかかるんですか?」
「24時間くらい! 良い船旅を!」
「え!? そんなにかかるんだ……」
予想外の長時間の移動距離に衝だった事に衝撃を受けた粼。ちょうどその時、クルーザーはゆっくりと動き出した。
次第に離れていく灰色の陸地。
黒服の警備の2人とラダが黙って離れ行くクルーザーを見ている。その様子に、粼はどこか胸騒ぎを感じた。
粼は3人が見えなくなると、船内の様子を見て回った。
と言っても、小型のクルーザーなのであっという間に船内を一周してしまったのたが、そこである事に気付いた。
「誰もいない……」
船員はおろか、船長もおらず、まるで人の気配がしないのだ。
船はおそらく自動操縦で施設に向かうようにプログラムされているのだろうが、それにしたって完全に無人なんて事があるだろうか。ましてや、延命治療を受けるネフィスが乗っているのだから、万が一のトラブルに備えて乗組員がいるのが自然である。
「まさか、この船、俺1人?」
不審に思いながら粼は船底の客室の様子を見に行くことにした。小さいクルーザーなので客室は3部屋だけだ。
客室エリアに降りた時、綺麗な黒髪を水色のリボンでハーフアップに結った若い女性がちょうど部屋に入るのが目に入った。
「何だ、いるじゃん」
客を見付けて安心した粼は、女性が入った部屋の向かいの部屋を借りる事にした。
「到着まで約1日か……一旦寝とこうかな」
荷物を下ろし、上着をハンガーに掛けた粼は、部屋の真ん中の大きなベッドに倒れ込んだ。
そのフカフカな布団の感触に、一瞬で緊張が解れ、粼はすぐにウトウトとし始めた。
目を閉じるといつも一緒にいた幼馴染のつかさとの思い出が蘇る。幼い頃から共に槍術道場に通い、勉強も食事も風呂もいつも一緒だった。つかさはネフィスだったので、アーキタイプの粼は槍術では一度も勝てず悔しい思いをした事もあったが、それでも粼はつかさの事は誰よりも認め大切に思っていた。
ラダの言う事が真実なら、明日にはつかさに会える。ずっと音信不通で不安だった日々もこれで終わる。
そんな期待を膨らませながら、粼はやがて眠りに落ちた。
***
しかし、そんな期待を裏切るかのように、粼が乗った船は、翌日未明、謎の爆発事故により海の藻屑と帰した。