第18話:却下
ネフィスのXX個体である『澄川カンナ』と、アーキタイプである『粼 馮景』が孤島『ABYSS』に到着したとの報告を受けたその日の内に、フォーミュラの代表である雲類鷲 依桜は、メンバー全員を招集した。
広い会議室には、長方形に並べられた机と座り心地の良さそうな革張りの肘掛けが付いた椅子が6つあり、その内の5つの席に研究員が座っている。長方形の席の片側には、若い女性職員のラダ=ハンプバークとリンダ=ハイゼルが座り、その対面には強面の中年男性のアラン=アクセルロッドと、フォーミュラの副所長を務める最年長50歳の男性である楊佩芳が、鋭い眼光でメンバーの様子を窺っている。
そして、そのメンバーの横顔を正面に見据える形で座るのが、白い髪と白い肌、そして紅い瞳が美しい雲類鷲 依桜だ。
だが、席はもう1つ、アクセルロッドの左隣が空いている。孤島『ABYSS』に潜入している研究員のクリストフ=フォン=シュトライヒの席だが、彼は現地活動が最優先の為、この会議への出席は任意である。必要があれば、シュトライヒはリモート参加する事になっているが、この日はリモートでの参加もない。
「雲類鷲博士。聞くところによると、ABYSSにアーキタイプの男も入れたらしいな。どういうつもりだ? 実験に何かメリットでもあるのか?」
顔に深い皺の刻まれた楊は、不服そうに依桜を睨んで言った。しかし、依桜はその眼光に怯むことなく、淡々と説明を始める。
「これまでネフィスだけを集めて、その生態を観察してきましたが、有用なデータを得る事は出来ませんでした。アーキタイプという不確定要素を加える事で、何か変化が起こる可能性はある。そう判断したのです」
「万が一、実験に支障をきたす事になったらどうするつもりだ?」
「実験への影響が出る前に、シュトライヒ博士に命じて即時、アーキタイプを処分します」
「それならば良い。頼むから、邪魔だけはするなよ、小娘」
傲慢不遜な態度で楊は言ったが、相変わらず、依桜は表情を変えずに、楊の眼光に真っ赤な瞳で対抗する。そうすると必ず相手は堪らず目を逸らす。眼力で依桜に適う者はここにはいない。
ただ、楊の態度と言い草に怒りを顕にしたのは、ラダだった。
「相変わらず怖いわね〜、副所長のくせに、誰に口利いてるのかしら?」
「貴様こそ、どの立場でこの私に口を利いてる?」
「あら、ごめんなさい。副所長様。はい、あたしは謝ったので、ちゃんと所長に謝ってください?」
「貴様などいなくとも、研究に支障はないのだぞ? ラダ。あまり舐めた口を利くのなら、貴様を実験の材料にするぞ」
「きも〜、あたしの身体弄るって事?? アーキタイプのあたしが何の実験材料になるというのかしら?」
リンダとアクセルロッドは、ラダと楊の毎度の口論にはさすがに慣れてしまい、我関せずと、手元のパソコンを弄っている。
「やめなさい、2人共。言い争いを続けるのなら、会議は中止します」
2人の口論を見かねた依桜の一言に、ラダと楊は口を閉じた。
「始めてくれ」
楊はそう言って、腕を組むと、背もたれに身体を預けた。
ラダは不貞腐れ、頬杖をつく。
「時間が勿体ないので、早速本題です。まず、ABYSSの現状の報告を、ハンプバーク博士から」
依桜が部屋の明かりを遠隔操作で落とすと、指名されたラダは、自身のノートパソコンを操作し、依桜の正面のスクリーンに被検体の情報が投影した。
「はーい。先程も少し話があった通り、一昨日ABYSSへ送り込んだアーキタイプの男と、ネフィスのXX個体の澄川カンナが昨日入島の確認が取れました」
「『澄川カンナ……。22歳。エクセルヒュームか。……体内の氣を操り、索敵や攻撃に利用可能。八卦掌を元にした体術・氣功掌』を使う……なるほど」
楊は新たな被検体のスペックを見て興味を持ったようにスクリーンに投影された情報を精読する。
「興味深い個体だが、XX個体はもはや飽和状態。これでは新たな変化など期待できんだろ。現在のABYSSにいるネフィスの性別の内訳は?」
楊の質問に、ラダはスクリーンの情報を切り替える。
「はい、これがABYSSにいるネフィスの情報です。パイドパイパーに所属しているネフィスが全体で27体。内XX個体が18体。XY個体が3体。XYX個体が6体。そして、パイドパイパー外にXYX個体が1体です」
「相変わらず、比率が偏ったままだな。パイドパイパー外のXYX個体は、伽灼か? パイドパイパー創設時に仲違いして脱退した個体」
「はい。仰る通りです」
「エクセルヒュームの優秀な個体だが、まだABYSSからは脱出できないようだな。軟禁は完璧という事だ」
「ABYSSの周囲100kmには島1つありませんし、1人で泳いで島から出るのは、いくらネフィスといえど不可能でしょう」
「ともかく、状況は依然変わらず、被検体の死傷者はなし。新たな繁殖もなしか」
「ええ。被検体は2班に別れ、相変わらず脱出用のクルーザーの燃料や食料を探し、島の探索を続けてますね」
ラダの報告を聴き、つまらなそうな表情で楊はスクリーンを睨む。
すると、楊の隣のアクセルロッドが口を開いた。
「アーキタイプはパイドパイパーに受け入れられたのか? ネフィスは自分より劣等なアーキタイプを見下す習性があるはずだろ」
その質問には眉間に皺を寄せたリンダが眼鏡をクイッと上げて答える。
「アクセルロッド博士、全ネフィスがそういう思考とは限りません。雲類鷲博士の前でネフィスを悪く言うのはやめてくださいと言ったはずですが?」
「だが、一般論だ」
すると、リンダとアクセルロッドの口論を、依桜は手で制した。
「ハイゼル博士。大丈夫です。会議の場では、私への気遣いは不要。ありがとう。アーキタイプがパイドパイパーに受け入れられているのかどうか、報告を続けてください」
依桜が言うと、リンダは頷いた。
「結論を申し上げますと、アーキタイプはパイドパイパーのネフィスに受け入れられています。すでに数体のXX個体とは仲が良さそうだとの報告が上がっています」
「という事は、もしかしたら、アーキタイプくんとネフィスちゃんのどれかが行為に及ぶ可能性は高いよね。たとえアーキタイプくんが紳士で手を出さなくても、ネフィスちゃん達は我慢できないんじゃないかな? 妊娠の可能性がない異性なんて、最高の玩具だし」
軽い感じでラダが言うと、リンダは下劣な者でも見るかのような目で睨みつける。
「確かにそれは可能性は高いが、被検体の性欲を無意味に発散させてしまうとなると、実験には悪影響だな」
腕を組みふんぞり返っていたアクセルロッドが言った。
「もう2年近く観察してるのに、ネフィス達は自己処理ばかりで、子作りをしないじゃないですか? アーキタイプが1人性処理要因として入っても、繁殖実験には影響ないですよ、アクセルロッド博士」
ラダが答えると、今度は楊が続ける。
「強い繁殖本能を持っているにも関わらず、自然下での繁殖はなし。ネフィスは完全に性欲を制御できるという事だ。このままでは、莫大な資金を投入したというのに何の成果も得られない。ならば、別のアプローチとして遺伝子の突然変異誘発実験の方を進めるしかないな」
「と言うと?」
「『創世記計画』の始動を提案する」
『創世記計画』
ラダとリンダはその名称が議題に上がると、待ってましたと言わんばかりに襟を正す。
「どういう計画?」
「新人類に自然下での強制進化を促す計画だ。敢えて被験者に『死』の恐怖や絶望を与え、遺伝子に何らかの変化が見られるか観察する」
「うわぁ……残酷な実験だこと……それをABYSSという環境下で行う意義は何でしょうか? 施設内でも拷問などを用いて実験は可能かと思いますが?」
「簡単な事だ、ハンプバーク博士。施設内での実験では、望む変化は発現しなかったからだ」
「あら、てことは、施設内ではすでにネフィスへの拷問を行っていたと言うことですか。悪趣味過ぎるねー」
「幾日もせぬ内に死ぬ個体が、どのような刺激で延命するか分からぬだろう。それを突き止めるのが我々の仕事だ」
平然と話す楊に、ラダとリンダも特段顔色を変えることなく、スクリーンに視線を戻した。
「創世記計画の詳細をアクセルロッド博士から説明してもらう」
楊はそう言って、隣のアクセルロッドへと説明を任せた。
アクセルロッドは手元のノートパソコンを操作し、スクリーンに詳細を投影すると、計画の説明を始めた。
「被検体への恐怖と絶望の与え方だが、方法はパイドパイパーへの襲撃。無駄に多いXX個体を数人、他の被検体の前で惨殺する。個体同士の関係性を考慮し、どの個体を殺害すれば効率よく絶望を与えられるかは検討してもいいかもしれない」
「殺しちゃうんだ……せっかく苦労して集めたのに」
「ここまで何の成果も得られていない以上、そうせざるを得ないだろう」
冷酷にも楊は吐き捨てるように言葉を挟んだ。
依桜は表情を変えずにスクリーンを見つめているので、アクセルロッドは説明を続ける。
「殺戮には、我々が開発した生物兵器である『アダム』と『イブ』を使う。この2体は、寿命の近いネフィスを様々な薬物で強制的に延命したものだ」
「え? 薬物で延命ができたの? それ絶対ヤバい薬でしょ?」
「まあな。通常、人に使うものではない。延命だけを目的にしているから、被検体への他の負担は考慮していない。ただし、薬物を与え続けるだけで半永久的に生きながらえる事が可能となった。戦闘能力も高いまま維持する事に成功している。この2体ならば、パイドパイパーのネフィスを殺害する事は可能だろう」
「待って、絶対リスクあるよね? そんな薬漬けの化け物」
「外見はおよそ人ではなく、凶暴性が増し、言葉を理解できず、理性はない。ただ目の前の動くものへの破壊衝動のみで行動する本物の化け物。故に、対象を選別して殺すように命じる事はできない。そうですよね? アクセルロッド博士」
依桜はスクリーンに映し出されていない情報をスラスラと述べた。ラダとリンダはその情報を聞いて目を見開く。
「その通りです……雲類鷲博士」
「それが事実ならば、貴方々が構想している計画は実現できないですね。アダムとイブをパイドパイパーに解き放ち、特定の個体のみを狙って殺害させる事など到底不可能。むしろ、被検体が全滅する可能性の方が高いです。そのようなリスクの高い計画を認めるわけにはいきません」
すると、楊が鼻で笑った。
「この計画を否定するならば、他にいいアイディアがあるのでしょうか? 雲類鷲博士」
「絶望と恐怖を与えるというコンセプトは悪くありませんが、アダムとイブを使うのは時期尚早でしょう。全ての被検体が死ねば、実験そのものが出来なくなりますからね」
「では、アダムとイブ以外を使って被検体を殺すと?」
楊の問いに依桜は楊を見つめたまま答えない。そして、少し間を開けて依桜は口を開く
「犠牲は最小限に。それに、何事にも“段階”というものがあります。創世記計画は最終段階。実験は、しっかりと段階を経て実行に移してください。いきなり何体も殺す必要はありません」
「雲類鷲博士の胸の内は良く分かりました。必要最小限の犠牲を持って、絶望と恐怖を与えられる計画を検討します」
「あくまでも、私たちの目的はネフィスの寿命をアーキタイプと同等まで延ばす事。それを忘れないでください」
依桜はそう言って、創世記計画の議事を締めた。