第16話:吐露
カンナは秘密のモーニングルーティンを済ませると、月希が用意してくれた青いTシャツを着て、薄手の黒いショートパンツを穿いた。相変わらず綺麗な生脚を露出していて、どこからどう見てもラフ過ぎる部屋着であるが、その格好を咎める者はこのパイドパイパーにはいない。仕上げに、お気に入りの水色のリボンで黒髪をハーフアップに結うと、自分と粼の洗濯物をまとめて裏庭に向かった。
裏庭にある古びた物置の中から、タライと洗濯板と洗濯用の水の入ったポリタンク、そして粉洗剤を取り出した。月希が言うには、パイドパイパーでの洗濯はタライと洗濯板を使って行うらしい。
「こんな古の道具、使った事ないけど」
カンナはタライに洗濯物を放り込むと、その中にポリタンクから大量の水を入れて、粉の洗剤を入れた。
口頭で教わっただけだが、難しい事はない。ただ洗濯物を洗濯板に擦り付けて汚れを落とすだけだ。
2人分の服と下着、バスローブを洗濯し終えると、一度泡を地面に流し、再び綺麗な水をポリタンクから注ぐと、泡を綺麗に落とした。
そして水気を絞ると、手製の物干し竿に手早く干した。隣の竿には、月希が干したと思われる洗濯物が干されている。風に揺れる一際大きなブラジャーが月希の洗濯物である事を物語っている。
カンナはショートパンツのポケットからバッテリー残量9%のスマートフォンを取り出し時間を確認した。
「10:30か……」
カンナは目を閉じ、辺りに氣を放った。
「カフェテリアか……ちょうどお腹も減ってきたし」
目当ての人物を見付けると、カンナはそのままカフェテリアへと向かった。
♢
「はぁ……痛い。あの女、この私の綺麗な顔を殴りやがって……絶対仕返ししてやる」
「水音、そんな事言ったらまた畦地さんにお仕置されるよ」
「今は近くにいないから大丈夫だよ。あの女の神眼はどこからでも監視はできるけど、声までは聞こえないからね」
カフェテリアで周防水音と篁 光希は朝食のお茶漬けを食べながら、昨晩の畦地まりかによるお仕置に対する愚痴を零していた。茶髪の毛先だけがブロンドのオシャレな水音の髪の上には、その日も大人の雰囲気が漂う黒いシックなコサージュが着いていて、どんな時でもそれは外さない。
水音も光希も顔はまだ腫れたままで、痛々しさを残している。
「おはようございます。周防さん、篁さん」
不意に部屋に入って来た澄川カンナだった。水音と光希は同時に突然の来訪者へ視線を向けた。
「何しに来たの?」
「朝ごはんをいただきに」
水音の刺々しい物言いを、カンナは軽く受け流すと、そのまま常温の食品庫になっている冷蔵庫に直行。迷うことなく扉を開けて中を物色し始めた。
「あー……あんたの名前なんか覚えてないけどさ」
「澄川カンナです。よろしくお願いします」
「私たちを笑いに来たんじゃないの? このボコボコの顔をさ」
「いいえ」
冷蔵庫の中身を物色するのに夢中で、水音の嫌味はまったく効いていない。
「粼くん達お茶漬け食べたんだ。私も同じのにしよ」
カンナは冷蔵庫の扉に掛かっている食材管理表を見ると、中からお茶漬けとご飯のパックを1つずつ取り出した。
そして、カンナはキッチンでお湯の入った鍋が置いてあるカセットコンロを見付けた。どうやらまだ湯気が立っているので水音と光希が使用していたものだろう。
「周防さん、この鍋使っていいですか?」
「知らない」
「そうですか、それじゃあ使いまーす」
非協力的な水音に屈することなく、カンナは淡々とお茶漬けの支度を進める。
「何なの? あの女。めっちゃ気に入らないんだけど」
「ですね」
水音の意地悪な態度にも怖がる様子を見せないカンナに、水音も光希も不満そうに口を尖らせる。
カンナはもう1つのカセットコンロを見付け、中にカセットボンベが入っているのを確認すると、棚のヤカンを取り出し、ポリタンクから水を注いで火をかけた。
鍋にはご飯のパックを入れ、ご飯を温める。ヤカンの水はご飯に注ぐ用だ。
しばらくして湯が沸くと、カンナはお茶漬けを手際良く完成させた。
「よいしょ」
カンナは水音と光希のいるテーブルの隣に座り、
「いただきます」
と、礼儀正しく手を合わせた。
「わざわざあたし達の視界に入るところに座んなよ……あ〜あ、貴重な食料がぁ〜」
水音は舌打ちをして頬杖をつきカンナを睨むが、気にせず黙々と食事を続ける。
「ねぇ、言いたい事があるならハッキリ言えば!?」
カンナのクールな対応に腹を立てた水音は突然大声で怒鳴った。
「言いたいこと? そうですね。周防さんは私のことが嫌いみたいですが、私はそんなことありません。同じネフィスなんですから、仲良くしましょうよ」
しかし、水音は眉間に皺を寄せ、眉を吊り上げる。
「寝言は寝てから言ってよ? こんなあからさまに嫌いですって態度で接してる奴と仲良くしたいと思うわけないじゃん? ねぇ? 光希」
「う、うん」
「何が気に入らないでしょうか?」
「全部だよ! お前のそのスカした態度! エクセルヒュームっていうチートを使うところも!
仲良く男と一緒に来たことも! 全部気に入らないんだよ!!」
「態度は……ごめんなさい。貴女を不快にさせるつもりはなかった。貴女との闘いに氣の力を使ったことも、謝ります。でも、粼くんと一緒にここに来たことは関係ないはずです」
「そうやって口答えしてくんのもムカつくの!
同じネフィスだとか言ってたけどさ、同じじゃないからね! あたしとお前は!」
「何でよ、同じでしょ?」
「違うよ!! 同じだったらそんな冷静にしてられるはずない!! ここの奴らはみんなそうだ!! フォーミュラに嵌められて島に閉じ込められたっていうのに、何で前向きに頑張れるの!? たとえ島から脱出できたとしても、延命治療が存在しないなら何の意味もないじゃない!! あたしはあと10年もしたら死ぬんだ!! まだやりたいことだってたくさんあるのに……なのに、何でみんな平然としていられるんだよ!! みんなおかしいんだよ!! 仲間なんかじゃない……みんな嘘つきだ!!」
水音は思いの丈を一気に吐き出すと、机に額をつけて号泣してしまった。
「水音……泣かないで……お願い……私も……悲しくなっちゃうから……」
泣きじゃくる水音の頭を、オレンジ色の長いツインテールを揺らしながら光希が優しく撫でる。その光希の唇も声も僅かに震えていた。
水音の気持ちを聞いたカンナは、箸を置いた。
どうやらカンナだけが気に入らなかったわけではなさそうだ。同じネフィスでも、他のパイドパイパーのメンバーは水音のように現状に絶望せず、島からの脱出を目標に前向きに生きているらしい。水音はその気持ちが理解できないのだ。だからパイドパイパー内でも孤独を感じ、同じ気持ちの篁 光希と行動を共にしていた。そして、フラストレーションが溜まりきっていたタイミングで粼と一緒にやって来た新人のカンナがその捌け口になってしまった。カンナはそう理解した。
嗚咽を漏らし咽び泣く水音を、光希が必死に慰め続ける。ついに光希の目からも大粒の涙が零れている。
カンナはその様子を見て、掛ける言葉を選んでいると、光希がこちらを向いた。
「水音を泣かせたのは貴女が初めてです」
光希の言葉に、カンナは背筋を正す。水音を泣かせたことを責める言葉を覚悟した。
しかし、カンナが予想していた言葉は続かなかった。
「ここにいる人たちは、みんな話なんか聞いてくれなかった」
「アイツと口利かなくていいよ! 光希! 行くよ!」
光希の話を水音は遮った。そして、立ち上がり、涙を手で拭うと、部屋から飛び出して行った。慌てて光希も水音の後を追いかけて行った。オレンジ色の長いツインテールがヒラヒラ揺れて、やがてカンナの視界から消えた。
2人が去り、静寂に包まれるカフェテリア。2人の氣は少し離れたところで止まった。
カンナはそれだけ確認すると、また静かにお茶漬けを啜った。