第15話:決意
所々ダンボールで補修されている見栄えの悪い窓から、朝日が燦々と降り注ぎ始めると、粼 馮景は目を覚ました。
「良く寝たー……」
朝日のおかげで気持ちのいい起床だ。
粼は上体を起こし伸びをすると、視界の端に青いバスローブが映った。
カンナは結局、粼と同室になる事を承諾し、バスローブ姿のまま、部屋にもう1つあるベッドにうつ伏せで爆睡してしまった。
同じく、紺色のバスローブ姿の粼はベッドから這い出ると、カンナのベッドへと近付いた。
すやすやと気持ち良さそうに枕を抱いて眠っている。ただ、可愛らしいのはそこだけで、下は酷い有様だ。
毛布は足もとに蹴飛ばされているし、青いバスローブの腰の辺りがはだけ、カンナの綺麗な生脚が片方だけくの字に曲がって飛び出している。バスローブの布が少しズレれば尻まで見えそうな程に危うい状態だ。
昨日風呂に入った時に脱いだ服やら下着やらは、カンナの足もとに蹴飛ばされた毛布の脇に散らかっているので、彼女が下着を着けていないだろう事は容易に想像がつく。
カンナが寝ている隙に、粼はバスローブを脱ぎ、月希が用意してくれた男物の下着を穿き、服を着た。部屋を掃除した際に出てきた、かつての学生の服が状態が良く利用可能だったのだ。パイドパイパーのメンバーは皆自前の服以外は、フォーミュラのクルーザーからの漂流物か、発掘された服を再利用しているようだ。
「カンナ、おはよう。朝飯食いに行く?」
深い眠りに落ちているであろうカンナに声が届くとは思えないが、一応声は掛けてみる。
「朝ごはんは、まだいいかな」
「え? 起きてたの?」
今まで寝ていたとは思えないほどのしっかりとしたカンナの受け答えに、粼は思わず目を見開いた。カンナの目は閉じられたまま、枕を抱いて、うつ伏せの姿勢は変わらない。
「ううん。今起きたよ。粼くんが近付いてきた気配で起きたの」
話しながら、カンナは薄目を開けて粼を見ると、再び目を閉じてしまった。
どうやら起きるつもりはないようだ。
粼は溜息をついて髪をかき上げる。
「カンナさぁ、俺たちはお世話になってる身なんだからさ、初日からダラダラするのは良くないよ。今日は一緒にミモザちゃんの知り合いの子に弓習いに行くんでしょ?」
「行くよ」
「なら早く起きようぜー。俺はもう準備できただぞ」
「やる事はやるよ。でもごめん、朝は弱いんだよ。低血圧でね」
「常に健康体のネフィスに低血圧とかないっしょ。あんまりわがまま言ってると、襲っちゃうぞ〜」
粼が顔の横で両手を閉じたり開いたりする動作を繰り返すと、カンナは薄目を開けてそれを見て、ニヤリと笑った。
「ははは、粼くんもそういう事言うんだね」
「何だよ、その反応は」
カンナが声を出して笑うのを見るのは初めてだ。ただ呆れて笑ったのか、そういう話題が好きなのかは分からない。
「だって……粼くんそんな事しないもん。仮にそういう人なら私が寝てる時にこっそりイタズラするでしょ? でも、粼くんはそんな事しない。だから私は一緒の部屋でも安心して眠れるんだよ」
「それはそれは、大層俺の事を信頼してくれているみたいで。光栄だな」
「後で必ず合流するから、ご飯は先に食べに行ってて。私には1人の時間が必要なの。モーニングルーティンをこなさないと調子でなくて……」
「モーニングルーティン?」
「モーニングルーティン……」
ルーティンの内容については語らず、枕を抱いたまま意味深に微笑むカンナ。その色っぽい表情に、粼は思わず目を逸らす。
「分かったよ。じゃあ、俺は榊樹さんとミモザちゃん誘って飯行ってくるからね。戻ったら弓を習いに行く! いいね?」
「ありがとう。行ってらっしゃーい」
カンナはまた薄目を開けて粼を見ると、ニコリと笑って小さく手を振った。それに粼が手を振り返すと、カンナは枕で顔を隠してごロリと寝返りを打って粼に背を向けた。
粼はそんなカンナを部屋に残し、かつてスコップだった棒切れだけ持って部屋を出た。
♢
月希とミモザと共にカフェテリアに来た粼は、簡単にお茶漬けを作って腹を満たす事にした。パイドパイパーでは朝はお茶漬けが定番らしい。
朝日が窓から差し込んでいるので、この時間は蝋燭もランタンも必要ないくらいに明るい。
業務用冷蔵庫の扉に付いている、食材利用表に記録を付けた際に、冷蔵庫の中を覗いてみたが、そこにあったのは開封されたダンボールが数箱あるだけ。現在パイドパイパーにいる15人が一月凌げればいい方だ。探索班が食料の確保が出来ないまま戻れば、探索班分の食料も在庫から捻出するので1週間ももたないだろう。
「食料だけどさ、このレトルト食品の在庫、そこにあるだけなんでしょ? 足りなくない?」
食事を終え、箸と茶碗を置いた粼がテーブルの向かいの月希に聞いた。
「はい……もう足りないです。探索班が食料を見つけて来てくれない限り、私たちは狩猟生活になりますね。つかささんの班とは別の班が、もうそろそろ戻る時期なので、その持ち帰った食料の量によっては、食事制限しないといけなくなります」
「だよな……まあ、そうなったら俺も協力するよ。貴重な食料分けてもらったしね」
「はぁ……早くお家に帰りたいなぁ」
ミモザは粼と月希の会話を聞き、ゲンナリしながら言うと、月希はミモザの方に身体を向けた。
「ミモザちゃん。それはみんな同じなんだから言わない約束でしょ?」
「ごめんなさい……」
月希に叱られ、ションボリとするミモザを見て、粼はテーブルに両手をつき立ち上がった。
「帰りたいよな。そうだよ。みんな帰りたいんだ。よし! 俺も今日からパイドパイパーのみんなに全面的に協力する! 次回、探索班に入った時役に立てるよう頑張る!」
「粼さんかっこいい!! 私一目見た時から貴方のことデキる男だと思ってました!!」
黄色いボブヘアーを揺らし、目を輝かせて拍手するミモザ。頬を赤く染めて喜んでいるのが可愛らしい。
「ミモザちゃんが俺を初めて見た時って、俺、裸だったよね……カッコついてないんだよなぁ。忘れてくれない?」
「忘れませんよ。めちゃくちゃレアじゃないですか、男の人の裸なんて」
「いや……そんな事はないと思うぞ」
男の裸に崇高な何かを感じている様子の幼女ミモザは、ニコニコしながら粼を見つめる。
しかし、笑顔のミモザとは対照的に、月希は心配そうな表情で粼を見ている。
「粼さん、探索班に志願してくれるのはありがたいんですけど、かなり危険ですよ。ノクタルスに遭遇する可能性が非常に高いですから。斑鳩さんは粼さんの探索班への編成を前向きに考えていましたけど、私は賛成出来ません。粼さんは見張り当番だけでいいですよ」
粼は月希の話を聞くと「ふむ」と言って一旦座った。
「危険なのはみんな同じでしょ? 食料を見つけなければ生きていけない。燃料を見つけなければ島から脱出できない。みんなが危険を冒してまで必要な物資を探してるってのに、俺だけじっとしてられないだろ?」
「でも……」
月希は粼の言い分に反論できずに俯いた。月希が言いたい事は分かる。粼がネフィスではなく、アーキタイプで、他のメンバーよりも戦闘能力が格段に劣る。それを危惧しているのだ。だが月希は、粼がアーキタイプだと知らないミモザがそばにいるから直接その話は口にしないのだ。
その戦闘能力の格差の件も踏まえて、粼は協力すると言っているのだ。
粼がこの島に漂着したのも、元はと言えば幼馴染の斉宮つかさの生存を確認する為だった。運良く、この島につかさがいる事が分かったが、無事合流して、島を脱出するには、どの道パイドパイパーのメンバーが探しているクルーザーの燃料が必要になる。
「粼さんのお気持ちは分かりました。でも、私はまだ貴方が戦っているところを見た事がありません。だから……ちょっと心配なんです」
「あー、そうだったね。今のところ全部カンナが代わりに戦ってくれたから」
「なら、こうしましょう! 粼さん、私と手合わせしてください! それで私に一撃でも当てられたら今度私たちの探索班に入れるように私から斑鳩さんに口添えします!」
「ちょっと待って! 榊樹さんは序列5位なんでしょ? さすがに厳しい気がするなぁ」
「あ、ご安心を。エクセルヒュームの能力は使わないし、黄龍心機は使いません。粼さんの得意な棒で戦いましょう!」
「黄龍心機?」
「あ、この刀の名前です。榊樹家に代々伝わる名刀なんですよ。私はたまたま剣術家の家系なので、私が得意分野で戦っちゃったらズルいですからね」
月希がテーブルに立て掛けてあった白い日本刀を取ると粼に見せた。
「なるほどな、OK! そのルールでいこう! 弓の稽古は夕方からだし、全然時間あるな」
「え? 今すぐやるつもりですか?」
「もちろん! 俺はすぐにでも……あ、でも、棒なんて持ってないわ。さすがに、初日に拾ったこのボロスコップの柄なんかで戦えるとは思えないしな……」
月希と同じように、テーブルに立て掛けていた護身用の棒切れを見て、粼は渋い顔をした。初日から念の為持ち歩いているのは、万が一、パイドパイパーの内部に野生動物やノクタルスが侵入した時に身を守る手段を確保しておく為だ。しかし、ネフィスである月希との手合わせに、腐りかけの棒切れが役に立つとは思えない。
「ん? ちょっと待って。棒で勝負するのはいいけど、パイドパイパーに槍なんてあるの?」
「ありますよ。私もここに来た時は不思議だったんですけど、何故か廃墟の中の至る所に武器が置かれてて、それを斑鳩さんと神父様が集めて大学の体育館の倉庫で保管してます」
「へー……そうなんだ。不思議だね。武器って、銃とかもあるの?」
「それはありません。あるのは刀剣類と棒とか槍とか矛のような長柄の武器、そして弓矢のような原始的な武器だけです。ここが日本国内の島なら、銃が無いのも納得ですけどね……」
武術が世界的に発達し始めたのは、ネフィスが誕生してからの事で、せいぜい30年前だ。何でもソツなくこなすネフィスとスポーツや武術は親和性が高く、武術はスポーツ市場と同格にまで発展していた。この島は80年以上前に放棄されているという情報から考えると、武術で使用する原始的な武器が大量に残っているのは不自然だ。フォーミュラが意図的にそのような武器だけ残し、ネフィスたちと未知の生命体『ノクタルス』と戦わせようとしているのではないか、と考えたが、口には出さなかった。徒に月希やミモザに不安を与えるべきではない。もしかしたら、彼女たちは既にその考えに至っている可能性はあるが……。
「じゃあ、ご飯も食べたし、武器を探しに行きましょうか」
「そうしよう!」
粼は月希の提案に、意気揚々と立ち上がると3人の空の食器を回収する。
「私も一緒に行きまーす! 多分榊樹さんが勝つけど、今回は粼さんを応援しますね!」
「ありがとう! ミモザちゃん!」
ミモザは粼の得意武器である槍での勝負であっても、月希が勝つ事に疑いはないようだ。ミモザは粼がネフィスだと思っているはずだから、絶望的な実力差はないと思うのが普通だ。それなのに、月希が勝つと言い切るところをみると、序列5位の月希の強さというのは絶対的な信頼が置けるのだろう。
「よし! ミモザちゃんの応援のお陰で俄然やる気が出てきたぞ! 早く行こう!」
「分かりました! じゃあ、行きましょうか。その前に、みんなでお片付けしてから、ですよ?」
月希に言われ、すぐに粼とミモザは月希の食器も回収して急いで後片付けを始める。
「すぐ終わるから榊樹さんは座ってていいよー」
「ゆっくりしててください!」
すっかり粼に懐いた様子のミモザ。流しで|2人仲良く食器を洗い始めた。
やる事がなくなった月希は、テーブルに頬杖をついて、2人の楽しそうな姿を眺めていた。