第14話:監視
フォーミュラのオフィスの灯りは、もうずっと消えたことがない。
世間では長時間労働をさせればブラック企業などと騒がれるが、すでに世界中から避難の的になってしまっているフォーミュラには、研究員の労働環境などに目を付けて騒ぐ者はいない。騒がれているのは、ネフィスが短命という欠陥を持ったまま、その技術を全世界に広めた事、そして、その欠陥を隠蔽した事に対する責任の追求ばかりだ。
ただ、それらのクレームはラダ=ハンプバークが上手く処理している為、フォーミュラの研究は今も継続できている。
自席に突っ伏したまま寝てしまっていたラダは、タイピングの音で目を覚ますと、その部屋の明るさに一度目を瞬かせた。
「ん〜……身体痛ぁ……何時ぃ……?」
寝ぼけたラダが左腕に着けた腕時計を確認しようとすると、
「7時32分です」
と、リンダがしっかりとした声で答えた。
「ゲッ! アンタまた寝てないんでしょ? 目の下のクマやばいよ?」
あまりにも酷い顔をした同僚のリンダ=ハイゼルに、ラダは心配すると同時に呆れ果てた。
「雲類鷲博士、エンジニア雇ってくれないんですもの。私が全システムの管理をしなくちゃいけないんですから、通常業務をこなしながらだと寝る暇なんてありませんよ」
「あー、分かった分かった。あたしが言っておくから。さすがにどこかのタイミングで寝ないと死ぬよー?」
「分かってますよ」
「で? 依桜ちゃんは?」
「24時を過ぎても寝ようとしなかったので、部屋から追い出しました」
眼鏡をクイッと片手で上げながら、リンダはラダを見て言った。その瞳に生気はない。
「お……おう。依桜ちゃんより、アンタが先に死にそうだよ、リンダ」
その時、部屋の扉が機械音と共に開いた。
「おはよう。お2人さん。見飽きたお前たちでも、やはり生きてる健康な女を見ると心が洗われるな」
普通とは思えないセリフを吐きながら、背の高い白衣の男が1人入って来た。短髪で眼鏡を掛けた色黒の強面の男である。
この男の名はアラン=アクセルロッド。雲類鷲 京の代からフォーミュラに所属しているアメリカの生化学の第一人者である。粗暴なところがあるが、雲類鷲 京が直々にフォーミュラのメンバーとして呼び寄せた天才の1人である。ラダやリンダよりは1回り以上歳上で、フォーミュラに所属した時期も早い為、2人の先輩にあたる。
リンダはアクセルロッドの方を見もせず、「おはようございます」と一言挨拶を返しただけで、一心不乱にパソコンの画面と向かい合っている。
「キッショ……朝から何言ってんのこのオッサン。てか、タバコ臭いんだけど」
「何だ? ラダ。相変わらず口の利き方がなってねぇなぁ? ああ?」
「変態ジジイめ。あたしとリンダに手を出したらアンタなんてすぐ依桜ちゃんに消されるんだからね? アクセルロッド博士」
アクセルロッドは舌打ちをしてラダから目を逸らした。
「性格さえまともならいい女なのにな、お前。残念だよ。ところで、リンダ。ABYSSはどんな様子だ? 面白い変化はあったか?」
ラダの態度に苛立ちながらも、アクセルロッドはリンダに話を振った。
「そうですね、昨日ハンプバーク博士が送り込んだエクセルヒュームのXX個体と、アーキタイプの男がパイドパイパーに合流したと先ほど連絡がありました」
「あ! 生きてたんだ、アーキタイプくん!」
「アーキタイプ? 何でそんなもの」
アクセルロッドはただでさえ威圧感のある顔の眉間に皺を寄せ、リンダのパソコンの画面を覗き込む。そばに寄られ、その強いタバコの臭いにリンダの表情が歪んだ。
そんなリンダの代わりに、以前アーキタイプと直接話したラダが答える。
「東京本部に乗り込んで来たのよ。幼馴染のネフィスが帰らないから会わせろって。一応依桜ちゃんに確認して、クルーザーに乗せていいって言ったから乗せたの。そしたら、生きて被検体と一緒にABYSSに漂着したってわけ。お分かり? アクセルロッド博士」
「実験に余計な影響を及ぼさなければいいがな」
「アーキタイプですよ? 何が起きるって言うんですか? ネフィスの女の被検体の性処理要員にされるくらいで、むしろ良い影響しかないと思うけど」
「それはそうと、ネフィスのXX、もしくはXYXとXYの交配はまだ起きてないのか?」
「はい。意外にも、性交渉が確認されているのは1組だけ。しかもしっかりと避妊をしているらしく、妊娠には至っていません」
「最初の被検体がABYSSに漂着してから2年。2年もあって性欲の化け物のようなネフィス共が子作りをしないとはな。繁殖より、生存する事を優先しているという事か」
ラダはアクセルロッドの言葉を聞き、デスクに頬杖をつきながら、しばし思案するとその口を開いた。
「ネフィスだからこそ、じゃない? ネフィス同士で子供を作っても、親の寿命を越えられないってフォーミュラが昔発表したんだし。頭が良いネフィスなら、超短命な子供を作るという選択肢を選ばない」
ラダの見解に、アクセルロッドは腕を組み、うーむと唸る。
「その発表がなければ、ABYSSの被検体共は子作りをしたかもしれんな。良心の呵責に耐え切れなくなった穣博士の判断は誤りだったか」
「アクセルロッド博士。穣博士の事をそのように言わないでください。彼も精神的に追い詰められ、悩んだ末の決断でした。あの時はあの判断が最善だったではありませんか」
リンダはパソコンの画面を見つめたまま、語気を強めて言った。
「あー、悪かったよ、リンダ。で、被検体共は繁殖本能をどうやって押さえ込んでいる?」
「それは……当然、自己処理でしょ」
ラダが答えると、リンダも頷く。
「報告によれば、ネフィスの性欲の自己処理行動は、一般的な行動の一つとして定着しています。排泄行為と同等の本能的な行動です」
「相変わらず原始的だな。ネフィス特有の行動はないわけだ。繁殖本能を自ら抑え込み、自身の代で繁栄を断つ。哀れな生き物だ」
そのアクセルロッドの発言に、リンダは再び語気を強める。
「アクセルロッド博士、雲類鷲博士の前ではそんな事言わないでくださいよね?」
「分かってるさ。俺も心がないわけじゃねぇ。身内にはな」
アクセルロッドは白衣の胸ポケットからタバコの箱を出すと、中身の本数を確認しだした。
「お願いしますよ」
「そもそも、XYの個体が絶対的に足りねーんだよ。被検体の中でも2個体は繁殖本能を抑え切れていないんだろ? もう少しXYの個体を増やし、XYの選択肢を増やせば、奴らは繁殖を始めるかもしれない。そうなれば、新たなデータが得られる可能性が増える。ラダ、XX個体はもういらねーから、XYの個体をもっと連れて来れねーのか?」
「頑張っても2年間で3体だけなんだから、これ以上のペースでもっとXYが欲しいなら、もうリストを元に攫いに行くしかないわね」
すると、アクセルロッドは鼻で笑った。
「フォーミュラに人攫いに裂ける程の人員はいねーだろ」
「なら他に良い考えが?」
アクセルロッドはタバコの箱から1本タバコを取り出すと口に咥えた。しかし、部屋が禁煙なので火は点けない。
「XY個体を連れて来る案はない。ただ、こっちは別のアプローチとして楊博士と話し合い、被検体に新たな刺激を与える為に『創世記計画』の始動を提案する事にした」
「え? 何それ? 『創世記計画』? 初耳なんだけど。知ってる? リンダ?」
「私も初耳です」
「依桜ちゃんは詳細知ってるの?」
ラダは興味津々にアクセルロッドの方に身体を向ける。
「説明済みだ。詳細が知りたければ雲類鷲博士に聞け。まあ、あの人は計画に乗り気ではなかったがな。だが、こうも停滞していては研究は進まないだろう。俺たちの世代で京先生の研究に決着を着けるには、手段を選んではいられない。そうだろ?」
「貴方にしては真っ当な意見だわ、アクセルロッド博士。……そういえば、楊博士は?」
「仮眠室だ。あの人も若くないからな。休まないと身体がもたん」
「ここのところ、ほぼ一日貴方とバイオ実験室にいたもんねー。マジでみんな、身体酷使し過ぎだよ」
リンダはラダとアクセルロッドの話を聞きながら無言でパソコンに向かい続ける。
「さて、俺も寝るかな。『創世記計画』の件は楊博士がお目覚めになったら、共に雲類鷲博士に話す事になってるからな」
そう言ってタバコの箱を胸ポケットに戻し、欠伸をしながらアクセルロッドは火の点いていないタバコを咥えたまま部屋から出て行った。
そして、アクセルロッドが部屋から出たのを確認したラダは、無言でパソコンに向かうリンダに言う。
「ねぇ、リンダ。バイオ実験室見に行かない?
あの2人が何造ってんのか見に行こうよ!」
「私、忙しいんですけど」
「いや、あのオッサン、『生きてる健康な女を見ると心が洗われる』って言ってたじゃん? てことは、女の死体いじくり回して何か造ってるんでしょ? きっと」
「なら尚更気色悪いじゃないですか」
「いいからいいから、息抜きに行こう!」
リンダは、好奇心旺盛で元気なラダに袖を引かれ、無理やり立たされた。
「待ってください、せめてパソコン持って行かなきゃ」
リンダはデスクに広げていたノートパソコンを抱え、ラダに引かれるがまま部屋を出た。
♢
施設のエレベーターを下層へと降り、バイオ実験室の前に来たラダとリンダ。他の部屋と同じく、IDカード認識、網膜認識、指紋認証の3段階のセキュリティが施されている。他と違うのは、入口の扉がかなり頑丈に作られているという事くらいだ。
「さーて、何が出るかな?」
楽しそうなラダに対して、リンダはあまり乗り気ではない様子でノートパソコンを胸の前で抱えてボーッとしている。
そして、ラダがIDカードを翳そうとした時、突然、扉が開き、中から人が出て来た。
スラッとしたスレンダーな体型の白衣を着た若い女性。特筆すべきは、その白い髪と肌。そして瞳は目を奪われる程の明るい紅。その特性は、『先天性白皮症』や『先天性色素欠乏症』等の呼称で知られる、いわゆる『アルビノ』である。動物個体で多く見れる症状でるが、ヒトにも稀に起こりうる。先天的にメラミンの欠乏から起こる遺伝子疾患であり、特に紫外線への防御耐性が著しく低く、対策無しに外は歩けない。また、視力も低い傾向があり、一般的には矯正器具が必要になる。
ただ、その外見は神々しく、本人の所作も相まって美の化身と言っても過言ではない雰囲気を漂わせている。
そのアルビノの美しい女性こそ、フォーミュラの代表であり、ネフィスの生みの親、天才遺伝学者:雲類鷲京の孫、雲類鷲依桜だ。
「あれ? 依桜ちゃん、寝てたんじゃないの?」
「寝ましたよ。それより、ハンプバーク博士、ハイゼル博士。2人とも、この部屋に何か用ですか?」
「あー、えっとねー、楊博士とアクセルロッド博士が何造ってんのかなぁ〜って気になって」
笑顔を浮かべるラダを、依桜は真っ赤な瞳で見つめる。その眼で見つめられると、不思議とラダの身体は強ばった。
「見ない方がいいですよ。吐き気を催すかもしれません」
「吐き気? このあたしが?」
「では命令しましょうか。ハンプバーク博士とハイゼル博士はこの部屋への立ち入りを禁止します」
「えー……そんなに? そんなにヤバい事してるの??」
「ネフィスの未来の為です。貴女たちのようなまだ純粋な心を持っている学者は知らない方が良いと、私は判断しました」
「はは……まあ、あのオッサン2人はまともじゃないもんね」
依桜は何も言わずに、2人の横を通り過ぎ、ヒールを鳴らしながら廊下を歩いていった。
「敢えて入室の権限は剥奪しませんが、入ればログは残りますからね。私に余計な仕事を増やさないでください」
「あ、ちょっと待って! 『創世記計画』って何?」
ラダの質問に、依桜は振り向かずに足を止めた。
「楊博士かアクセルロッド博士に聞いたのですね。それについても、貴女たちは今は知る必要ありません。近々、彼らは『創世記計画』の始動を提案するのでしょうが、時期尚早。私は却下するつもりです」
「教えてくれないって事ね」
「必要な時が来たら話します」
それだけ言って、依桜はエレベーターに乗り込み、上階へと消えてしまった。
「残念、リンダ、戻ろうか」
「ですね」
ラダとリンダは素直に依桜の言う事を聞き入れると、2人でエレベーターに乗った。