9.私掠船
「よし、今日中に隙間を塞ぐぞ」
不動産屋に押しつけられた物件はぱっと見にわからないレベルでオンボロだった。
冬の接近に伴って隙間から吹き込む風が冷たくなってくる。
「あんたねー、少しは考えて物件買いなさいよ」
転生の女神は隙間を板で塞いでいる恭士郎に恨み言を言いながら狭い隙間にシリコンを塗る。まったく、世界のバランスを保つ重要な使命を持った自分がなぜこんなことをしなければならないのか。
「屋根があるだけありがたいと思え。おいチビ!」
女神の言葉に適当に返事をすると恭士郎は後ろで地縛霊となにか話している少女、セシリアを呼ぶ。
「ハイ」
「お前に仕事をやる」
恭士郎は先ほどまで壁に打っていた板を指さす。
それらは半分ほど釘が打ち込まれていて、とりあえず壁に付いている状態だ。
「その位置から動くな。さっき教えた風鎚で釘を打て」
「ちょちょちょちょちょ!」
割って入ったのは転生の女神・エクレールだ。
「何言ってんの!できるわけないでしょそんなこと!」
ー風鎚
恭士郎が打ち込んだ空気の塊が釘の頭に命中し、釘を押し込んだ。
「できるじゃねえか」
「変態の基準で言うな!」
空気を操る奇跡は制御が難しい。特に狭い範囲に空気を圧縮するとなれば優秀な渡来人であっても何年も訓練する必要がある。
恭士郎は異常だから出来るだけで本来であれば転生したばかりの9歳の女の子に出来る芸当ではない。これでは完全に弱いものいじめだ。
ーカァン!
板に何かがぶつかる音。
セシリアの放った風鎚が釘に命中した。
「え、うそ・・・」
「いいぞチビ!」
「ハイ・・・」
風鎚が当たった部分はわずかに釘が沈み込み、釘の周辺に堅くて軽い物が当たったへこみが見られる。
「狙いは正確だが圧縮が足りない」
チビの位置から釘まではざっと10m。
この奇跡はせめて拳銃と同等以上の射程、威力、精度がなければ実用レベルにはならない。
精度に関しては問題はあるまい。ただ、威力はもっと練り上げる必要があるな。
あとは、
「ハァ・・ハァ・・・」
「セシリアちゃん大丈夫?」
体格が貧弱なせいで早くもバテているようだ。ここも鍛えておく必要があるだろう。
「チビ!残りの釘も打て!」
恭士郎の経験では、奇跡は使っているうちに疲れにくくなっていく。
体が最適な動きを学習するのか、奇跡が連発出来るように体が適応するのかは知らないが、いずれにしても奇跡の使用に関してはペインアンドゲインは適用される。
「おい女神!チビがバテたら休ませろ!一服してくる」
「あんた今口に何くわえてんの?」
「タバコに決まってんだろ」
「今の今までタバコ吸っててまだ吸い足りないの!?」
「当たり前だろ?一生分息したら息しなくていいとでもいうのか?」
一生分酸素を吸っても10分も息が出来なければ人間は死ぬのだ。
ニコチンも同じ、食いだめはできない。
ニコチンは必要な時に必要なだけ摂取しなければならない。
「まったく、お前ら女神には義務教育がないのか?小学校で習うだろ」
「どんな義務教育よ!?そんなこと習わないわよ!少なくともあたしは!」
分からない、文化が違う。
訳のわからないことを叫ぶ女神は放っておこう。
恭士郎は携帯電話を取り出すと同業者のスコット・スコフィールドからメールが入っている。
スコットの元いた世界の汚い方言を要約すると借金の取り立てにヤクザが自宅に乗り込んできたから妻子を匿ってほしいという内容だ。
まあ別に珍しいことではない。
金にだらしないスコットが無計画に借金を作ってヤクザに追い回されるのは年一、年二くらいで起こる外人部隊の風物詩だった。
今スコット本人は遠洋漁船に乗せられて借金返済のために働いてるところだろう。
実際添付されている写真は海を背景にサメ(のように見える外来種)の死体との記念撮影だ。
スコットのバカ笑いと乗り合わせた周りの渡来人の水死体みたいな顔の対比が余計にバカさ加減を強調している。
ここでまた新着が来た。差出人はまたスコットだ。
海をバックに危機感のない自撮り、だと思うがブレブレでよく分からない。
おそらく船が揺れているのだろうか?
そして背景にはいくつもの水柱が見える。
「何やってんだあいつ?」
―洋上
大漁の歓喜は船の周囲に発生した水柱によって一瞬で冷却された。
海燕丸の前方には船籍不明の武装船舶が黄陣を組んで接近中。
積み荷を狙う私掠船団だろう。発光信号で積み荷をよこせと送ってくる。
こういう事態において海燕丸の返答はいつも一つだ。
「舐めおってからに!全速前進じゃ!あのアホどもサメの餌にしてやる!」
海燕丸は増速し船首を船団に向ける。
「おお、この船長やるじゃねえか!」
スコット・スコフィールドはこれを良い判断だと評価する。
数に勝る私掠船団を相手に距離を詰めるのは危険ではあるが、水柱が既に船尾方向で上がっている以上海燕丸は射程に捉えられていると見ていいだろう。
その上で反転して逃げようとすれば、船尾に対艦用の装備がない海燕丸はより長時間一方的に砲撃に晒されることになる。
反航戦を仕掛けて砲撃に晒される時間を最短にするやり方は理にかなっている。
そして、理にかなっている理由はもう一つある。
「一つ目ぇ!一時のアホを撃て!」
「任せな!光波斬!」
距離が詰まったことで水平線に隠れて見えなかった船影が目視出来る。
目視できればスコットの奇跡が使える。
スコットの隻眼から放たれた光の線が突出していた一隻の干舷を撃ち抜いた。
反撃を受けた私掠船は慌てて反転するが、その行為は海燕丸に横腹を晒すことになる。
「撃てぇ!」
そして、海燕丸の乗組員はそれを見逃すほどのんびりした連中ではなかった。
船首の主砲が放った榴弾が命中し、私掠船は行動不能になった。
「よし次!」
僚船が倒されても私掠船団は未だ戦意を失っていない。
むしろ、分け前が増えて余計にやる気が出たまである。
速やかに陣形を複縦陣に組み替える。両舷から挟み込む気か。
「うわあああああ!」
「おっと!振り落とされるなよルーキー!」
その動きを読んでいた海燕丸は既に転舵に入っている。
こういう事態のために用心棒として船に乗せられた渡来人だが、大半が右も左も分からないまま船に乗せられたため、スコット以外は船にしがみついているだけで精一杯だ。
「左舷に魚雷接近!」
「一つ目ェ!迎撃せえ!」
「任せな!」
スコットは船尾の爆雷投下台から爆雷を二つひっつかむと船首に走りつつ海に投げる。
水中で炸裂した爆雷の爆風によって接近中の魚雷が暴発する。
これで私掠船と反航戦の形になった。
さらに、敵側は二列になっているため奥側は僚船に隠れて砲撃が出来ない。
海燕丸は左舷の武装をすべて動員して船団に射撃を行いつつ全速ですれ違う。
その直前、上空から降ってきたミサイルによって私掠船から火柱が吹き上がった。
ー地上
チビ、ことセシリアは予想に反して優秀といえた。
いくつか奇跡を教えてみたがどれもすぐに習得した。
中には恭士郎が一ヶ月かけて覚えたものもある。
女神が言うには元々魔法という技術が普及した世界の出身だ、ということだ。
それでもここまで優秀なやつはいないらしいが。
「アノ・・・」
ということを考えていたらチビが話しかけてきた。
「アイシン、ハ、エクレール、タケ、ナンテスカ?」
エクレールというのは今壁の隙間に親の敵のようにシリコンを詰めている女神のことだ。
隙間風が寒いから直せと言ってきたのはこの女神だ。
それは分かるがアイシンというのはなんだ?
あいつがアイシンなら俺はトヨタか?
「セイシツ、ハ、イナイ、テスカ?」
聖櫃?何のことだ?
「あー違う違う!待った待った待った!」
思案してると女神が飛んできた。
「おい釘転がってるぞ足下見ろ」
「#$&(@+#!?」
言わんこっちゃない。女神は転がっていた脚立に足の小指をぶつけて悶絶。
そのままゴロゴロ転がりながらこっちに来た。
今着てるスーツはシリコンまみれだ。
ヨーロッパの壁画の女神はこんなではなかったが、物事は得てして脚色されて伝わるという好例なのかもしれない。
「違うのよセシリアちゃん!」
転がったまま女神は何やら弁解を始める。
どうやらこのチビは女神を俺の愛人だと思っているということらしい。
チビの世界では有力な貴族は愛人を囲う習慣があり、鉄の馬(自動車)を持っている恭士郎を貴族だと思っている、というのを女神が説明した。
「そうだぞ?こいつはアイシンだ」
「違う!」
事実は違うがそれをわざわざ説明するのは面倒だ。
恭士郎は適当に相槌を打つことにする。
文化の違いから来る誤解というモノは時間をかけて理解するしかないだろう。
「てことだ、休んでいいぞアイシン。爪が割れてないか見とけ」
「くたばれこの野郎!」
「アイ・・・シン?」
「違う!」
ー洋上
新たな敵の乱入に私掠船団は戦列を乱し、反転して離脱を試みる。
その船団すべてにミサイルが命中し黒煙が噴き上がった。
海燕丸の艦橋、水平線の彼方には新たな艦影。
艦首には小型の単装砲、旧型艦改造の海燕丸と異なる大型で平面の多い上部構造物は現役、それも新型の駆逐艦のものだった。
暮の旅団のものか?いや、見覚えがない。
海燕丸が抱いた疑念はすぐに正しいことが証明された。
逆探が駆逐艦の電波標定機に捕捉されたことを告げる。
「めちゃくちゃすごい音や・・・」
次いで駆逐艦から入電。
内容は以下
・駆逐艦は政府軍所属の駆逐艦「東海」であること
・「政府の」海上輸送の健全化のために国仲方面派遣されたこと
・今海燕丸が航行している海域は漁業禁止区域であること
「ざけんなコラーーーーーーー!」
「ぶち殺すぞ木っ端役人がーーーーーー!」
「何が漁業禁止区域じゃふざけんなーーーーー!」
海燕丸の返答はこの通り。当然だ。
旅団発行の最新の海図と照らし合わせていても漁業禁止区域にはなっていない。
連中は言いがかりをつけて積み荷の略奪を目論んでいることは明白だった。
普段であれば粋がった政府の船など沈めてサメの餌にしてやるところだが、最新鋭の装備を手にして気が大きくなっているらしい。
「ここは漁業禁止区域だ。今、このとき、政府がそう決めた」
それが証拠に駆逐艦の艦長(根津というらしい)の態度は自信に満ちている。
「だが政府は寛大だ。政府に『然るべき税』を納めるなら見逃してやらんこともない」
つまり、撃沈されたくなければ獲ったキャビアを寄越せということだ。
首都方面では珍味として高値が付くため、小遣い稼ぎに来ている役人も少なくないしそういう輩は見つけた端から沈めているが、今回は力の入れ方が違う。
「ダブスタクソ政府が!コケにしおって・・・」
「大変だなあんたら。キャビア食うか?」
罵声が飛び交う艦橋にスコットが入ってきた。
どんぶりに盛り付けたキャビアをスプーンでむさぼりながら艦橋の外を見る。
「一つ目ェ!」
スコットの奇跡は強力だ。目から出るビームで木っ端役人を吹っ飛ばせるか?
「無理だな。ここからならいけると思ったが無理だ」
「ド畜生!」
船長はどんぶりとスプーンをひったくってキャビアを食う。
「お前ら食え!食えるだけ腹にぶち込め!」
一つ目男の奇跡をアテにしてみたが、駄目だというなら海燕丸に勝算はない。
唯一出来る抵抗は食える限りキャビアを腹に詰め込んで糞に変えることだけだった。
「まあ、こういう日もあらあな」
順調かと思われたスコットの借金返済計画は早くもケチが付いたようだった。
to be continued