3.女神
電気もガスもない新居だが雨風を凌ぐという最低限の役割は果たすことができてよかった。
「・・・・Eu・・・」
よほど疲れていたのか紫髪の子供は泥のように眠っている。
布団もベッドもなく床に雑魚寝よりはマシだろうと少しでも床の硬さをごまかせるように布を敷いて見たが、感想を聞くのは起きてからになるな。
「冷えてきたな・・・」
子供を拾う予定がなかったので着の身着のまま新居について、使える布を全部子供の寝床に使ったせいで今の格好は『魔界村のあと一回攻撃を食らったら骨になる』状態だ。
幸いというべきか、転生した際に転生者には祝福と呼ばれる身体への強化がなされていて、ちょっとやそっとじゃ風邪を引くことはないが。
「あー、いたいた!やっと見つけた!」
夜の闇の中から声。
近づいてくる。
強盗か、空き巣狙いか?
それにしては警戒心が足りない。
だがそれはこちらにとってまずい可能性を孕んでいる。
つまり、警戒心が必要なくなるほどに強力な奇跡か祝福を持った極めて転生者の強盗の可能性だ。
緋本刀の柄に手をかけすぐに抜刀できるように準備する。
相手が強盗の場合は残念な報告をしなければならない。
差し出せるものは今身につけているトランクス一枚だけだ。
「ちょ!?な、ま、待ちなさ、きゃあああああ!?」
緊張感のない声が悲鳴に変わった。
侵入者はどうやらこの新居の古参住人の歓迎を受けたようだ。
だだっ広い庭を乗っ取り制圧している外来植物群、こいつらはよそ者を嫌っている。
そして侵入者の動きは完全に止まった。
「放して!放しなさい!放せコラ!」
「やれやれ・・・」
間抜けな不法侵入者の面でも拝みに行ってやるか。
伊達恭士郎は静かに庭に潜っていった。
「あ、あんた見たことある!伊達恭士郎ね!?日本人の」
不法侵入者は森から伸びた蔦に拘束され、大の字を逆さにした姿で吊り上げられていた。
「そうだが?」
不法侵入者は淡黄色の髪に太い眉が特徴の見た目二十歳くらいの女だ。
恭士郎はこの女に心当たりがあった。
「エクレールか、カラシニコフ銃の弾ぐらいいる転生者の名前をわざわざ覚えてるとはずいぶん勤勉だな」
恭士郎この女を知っている。
最初に死んだ時、どこだか分からん場所で転生と奇跡、祝福について雑な説明をして自分を緋ノ本に送り込んだ女だ。
あれが5年前のことだが、この女は歳を取った感じがない。
最初に自分を女神と言っていたときは全く信じる気がなかったが、今見てみると少しだけ信じてもいいかもしれない。
「ねえ恭士郎、この庭木をなんとかしてくれない?」
「嫌だね」
「なんで!?」
「女神だかしらんが、今は私有地に入り込んだ不法侵入者だ。不法侵入者は憲兵に突き出すのがここの決まりでね」
「ちょ、待って、あたしを覚えてるでしょ!?転生する時面倒見てあげたじゃない」
「雑な説明に嘘書いた説明書だろ?あれのとおりにやって奇跡の暴発で吹っ飛んだやつを見たぞ」
「え、そうなの!?」
「そうだよ」
お陰で外人部隊と合流するまでは奇跡の使い方は自力で開拓するしかなかった。
過去にも同じ苦労をしたやつが多かったのだろう。
外人部隊では企業や研究機関に依頼して奇跡の開拓を行ったり体系化しようという流れがある。
金回りが悪いので流れがあるだけで進みは遅いが。
「つーわけで俺は寝る。朝には憲兵呼んできてやるよ」
「は、薄情者!?」
こういう手合いはろくなもんじゃない。
厨房の頃同じクラスではあってもとくにプライベートで交流がないが連絡網で互いの連絡先は知ってる、的な相手が何年も経って何の前触れもなく会いに来るというのはネズミ講の勧誘と相場が決まっている。
「この野郎!つべこべ言わずに助けろコラ!」
見苦しく暴れる女神を見る。
女神を捕らえた外来植物は女神を放す意思はなさそうだが、肥料にするという意思もなさそうだった。女神は肥料には適さないらしい。
正直、捕まえたはいいけどどうしよう?
とでも言いたげに所在なさげに蔦をうねらせる。
・・・俺に振られても知らねえよ。
「おい、動くなよ」
「うるせー!早く何とかしろコラ!」
蔦は一瞬で動きを止め、女神は構わず暴れ続け、恭士郎は持って来た緋本刀を抜いた。
風刃
刃のイメージに沿って二次元に圧縮した空気の刃で女神を拘束する蔦を切断すると女神はそのまま地面に落下した。
「ぶぎゅ!?」
背中から地面に落ちた女神はしばらく悶絶したあと頬の傷に気づいた。
「き、傷!?切れてる!顔が切れてる!」
「動くなっつったろ」
恭士郎は錯乱する女神の襟首を掴むと家の中へ引きずっていった。
「血、血が出てる!?死ぬ!?あたし死んじゃう!?」
「そんだけ喋れるやつが死ぬわけあるか」
「し、死ぬかと思ったー・・・」
女神エクレールがようやく落ち着いたところで要件を聞くことにする。
「さて、こんな時間に何の用だ?壺は買わんぞ」
「ネズミ講じゃないわよ」
女神はプリプリしながら家の中を見回す。
「暗いんだけど」
「電気が来てないからな」
女神舌打ちとともには不機嫌そうに部屋を見回すと、男物の衣服が散乱した一角を見つけた。
その散乱した衣服の山の中に静かに寝息を立てる女の子の姿を見つけた。
「あー、いたいた!」
喜色を浮かべ近づこうとする女神の喉元に緋本刀はあてがわれた。
「おいその子供に何の用だ?」
恭士郎は刀を突きつけつつ女神の進路を阻む。
「内容によっては首と胴体が泣き別れになるぞ」
恭士郎のもともと鋭い顔がさらに鋭くなるのを感じた女神はゆっくりと後ろに下がると、喉をさすりながら刀を下ろすように身振りする。
「取って食ったりしないわよ」
「知らんのか?取って食うやつはみんなそう言うんだ」
「みんなって誰よ」
「多すぎていちいち覚えてられるか」
それに、ほぼ全員もう会うことはない間柄だ。覚えておく意味もない。
「・・・ああもう!とにかく、あたしはそこのセシリアちゃんを探してたの!」
「静かにしろよ。子供が起きる」
つい感情的になったところをたしなめられる。
女神とて、人間と共有できる良識は持ち合わせているが、目の前のパンイチ男に言われると納得しかねるものがある。
「まあ座れ。要件なら俺が聞く」
「椅子とか座布団は?」
「ねえよんなもん」
「というわけなのよ」
女神の話によると、あの子供が緋ノ本に転生したのは目の前の女神のお仲間のヒューマンミスによるものだった。
女神を人類と呼んでいいかは知らんが。
「この世界は危険度AAAランクだからふつーは子供は送らないのよね。少なくともあたしは」
実際、外人部隊で登録されている転生者は元軍人、傭兵、武士、ギャングなどが多い。
「手当たり次第に送りつけてたわけじゃないのか」
「違うわよ。少なくともあたしは」
こいつ以外は違わないらしい。
「そもそもセシリアちゃんまだ死んでないしね。本来なら元いた世界に戻してあげるところよ、少なくともあたしは」
こいつ以外はそうではないらしい。
「じゃあなんであのチビがここにいるんだ?」
「あたしじゃない女神がやらかしたからよ」
「じゃあなんでエース野郎じゃなくてお前がここにいるんだ?」
「野郎じゃないけどね。そのクソババア、『たまたま』身内の病気が重なったとかいって一方的に長期休暇取って今音信不通になってるから代理であたしが派遣されたのよ。あのクソババア・・・ていうかエースって何よ」
「そのクソババアみたいなやつを日本語でそう言うんだ。いや違うな。お年を召された相手には敬意を払って『大先生』と呼ばないといかん」
要するに大先生がバックレて若輩のこいつが火消しに駆り出されたということらしい。
女神の世界もいい加減なもんだ。
「それで、あたしが来た目的だけど、その子が持ってる神器:蒼天剣を回収しに来たの」
「あのチビは連れて帰らないのか?」
「それは無理」
女神は言う。人間の魂は肉体という型に嵌まるように変質するのだと。
そして肉体は所属する世界に適合するように最適化されているという。
生きたまま世界を渡ろうとすれば規格の違うネジを無理矢理ねじ込んで山を潰すように、世界に弾かれるのだと。
「だから魂が肉体に適合する前の状態、つまり死んで生まれ変わるまでの間でしか世界間の移動はできないのよね。魂が体に馴染んだ状態、つまり生きてる状態で無理矢理世界間を転移させようとしたら魂が壊れちゃう」
「あのチビは生きてここに来たんだろ?なぜ今も生きてるんだ?」
「知らないわよ。でも、生きてるってことはもう魂は緋ノ本のに適合してるってこと。生きて元の世界に戻すことはできない」
非常に、天文学的な低確率ではあるが、異なる世界間で魂の形が完璧に一致して、その二世界間でのみ生きたまま移動可能なケースは『理論上は』存在するらしい。
その『理論』が正しいかどうかを生きた人間で試すことは禁止されてるらしいが。
「まあでも、恭士郎がセシリアちゃんを保護してくれててよかった。こんな危ないとこで女の子一人だけなんて可哀想すぎるもん」
女神はそのことについて安心したように子供を見る目を細めた。
「ところで、神器:蒼天剣はどこにあるの?」
「ない」
「は?」
女神の言う神器はおそらく昼間旅団が輸送していた剣型の神器のことだろう。
「旅団が鹵獲して持っていった」
「どこに?」
「知らん」
・・・・・・・・・・・。
「なんで取り返さなかったのよ!?」
「知らねえよ」
神器を欲しがっているのはなにも女神だけではない。
旅団や企業も軍事的、学術的な理由で探し求めているものだ。
子供の命と違って『はした金』でどうこうできるものではない。
昼間の状況で旅団とことを構える選択は存在し得ない。
「とにかく、捜し物ならここにはねえよ」
「それじゃあたし帰れないじゃない!」
「知らねえよ」
女神は頭を抱えてうずくまる。
「あああああああああああっ!?」
「静かにしろよ。子供が起きる」
忌々しげに恭士郎を睨む女神をよそに恭士郎は庭に出ていった。
風刃
そして圧縮空気の刃で庭を占拠する外来植物から枝を切り取ると庭の前、外来植物の射程外に積み上げていく。
ついで転がしていたドラム缶をブロックの足に乗せる。
「おい女神」
「何よ」
「風呂を沸かす。井戸に行って水を汲んで来てくれ」
「いやよ。力仕事は男の仕事でしょ?」
「じゃあ薪割りやるか?」
「どっちも嫌に決まってるじゃない!大体なんでいきなり」
女神の問いに恭士郎は部屋の隅で眠る子供を指差す。
ああそうか、自分が入るためじゃないのか。
これで断ったらあたしが嫌な奴みたいじゃない。
「水汲んでくる」
「手押しポンプは生きてるからそれを使うといい」
女神はゆっくりと立ち上がると井戸に向かっていった。
「チビが起きたら風呂に入れてやれ」
女神が水を汲み終える頃、東の空が白み始めていた。
To_be_Continued.