11.オルトロス
11.オルトロス
ー海底
その生物は上方から伝わる音に聞き耳を立てていた。
『上』にいる生物から『オルトロス』と呼ばれているその生物は上から降りてくる音を分析する。
複数の回転物が水を掻く音は生物のものではない。
だがオルトロスは知っている。この回転物が上にいる生物の『殻』であることを。
そして、その殻の中に大量の食料があることを。
さらに分析する。
『殻』には種類がある。
二つに分けるなら、食料を運ぶための『殻』と、捕食者を打ち倒すための『殻』だ。
後者に仕掛ければただでは済まない。
だがこのふたつをオルトロスは聞き分けることができた。
捕食者を打ち倒すための『殻』は水を掻く音が小さく、さらに動きが速い。
さながら自身こそが捕食者とでも言うかのような性質を持っている。
オルトロスが襲うのはその逆、音が大きく、遅い『殻』だったが、今回の『殻』はその中間というべきものだ。
音が大きく、動きは遅くはない。
分析する。
これは捕食者だと。しかし、『老いている』。
捕食者としての能力は低い。
思案する。
オルトロスが老いたとはいえ捕食者に勝てるのか。
答えは『敵ではない』。
老いた捕食者は既に何度も倒している。
群れであればリスクもあろうが、『殻』は4つだ。
そこまで分析するとオルトロスは海底から這い出し、海面に向けて浮上を開始した。
ー地上
チビに算数を教えてたら客人が現れた。
庭を占拠する外来植物が迎撃態勢を取り客人に振り上げた枝はそいつが作り出した真空の刃に切断された。
「え、すご・・・鎌鼬であんな広範囲を攻撃できる転生者がいるんだ・・・」
「たいしたことねーだろ」
驚愕する女神とは対称的に恭士郎の反応は冷ややかだ。
空気を扱う奇跡は精密に制御するのが難しい。
そして、それが出来ないからあのように広範囲、手当たり次第に奇跡をばらまかねばならないのだ。
今の一撃は奇跡を十分に制御できていないことの証明に他ならないし、そういうやつと一緒に仕事はできない。
客人は母親と娘の二人組だった。
疲れた顔の母親と、まだ疲れるような困難を知らない娘の顔の対比がすさまじい。
「きょー!」
その娘が玄関で出迎えた恭士郎に飛びついてくる。
「おおジーンか、相変わらずちっこいな。もう少し親父に似た方がいいぞ」
客人はスコットの女房と娘だった。
無計画に借金を増やしたあげく家をヤクザに差し押さえられたため、妻子を恭士郎に押しつけてきたのだ。
あのアホの尻拭いはこれで何度目になるか。
「空き部屋を適当に使え。でかい荷物は俺が運ぶ。おいチビ、お前はジーンのお守りだ」
セシリアにジーンを押しつける。
「ありがと・・・」
スコットの女房は酒で焼けた喉から礼をひねり出した。
「気にするな。同期のよしみだ」
スコットの女房と恭士郎は同時期に転生して外人部隊に拾われている。
今は前線に出ることはないが、『ストームブリンガー』の二つ名を持っていた。
あのときはもっと感情を表に出すやつだったが、結婚は人を変えるというあまり良くない実例だろうな。
「スコットはこの後出港だと。話しとくことがあれば話しとけ」
女房に自分の携帯電話を渡す。
「まあ心配はいらねえよ。白銀姫のババアもいるしな」
スコットも白銀姫:アンジェリーナ・デオロットも実力『だけ』は疑う余地がない腕利きだ。
死ぬ方が難しいだろう。
ー洋上
「いたぞぉ!いたぞおおおおおおおおおおおおおおお!」
当初の予想通り、オルトロスは仕掛けてきた。
海底から浮上する巨影をドローンから投下したソノブイと魚群探知機が捉えている。
「爆雷投下!」
江戸川丸と独尊丸の爆雷は多数の小爆雷を投射する連鎖爆雷だ。海中で絶大な機動力を誇るオルトロスも面で攻撃されれば回避は不可能。
よってオルトロスは急激に進路を変更し、爆雷のまばらな残りの船に狙いをつける。
「来るぞ!異人ども!迎撃せえ!」
海燕丸の船長の号令一下、転生者が甲板に布陣する。
オルトロスは知恵が回る。
だから対潜装備に劣る海燕丸か芹洲丸が標的になることは予想ができた。
だからそこを逆手に取って誘い出し、地上から拉致してきた転生者を2隻に集中配備して迎撃する作戦だ。
「右舷!錨を降ろせ!」
海燕丸が投錨し、船体が船首を軸に回転、船底を突き破ろうと急浮上したオルトロスを回避するとその巨体が露わになる。巨大な紫の軟体動物だ。
「3人落ちた!」
だが、急激な回避運動によって転生者たちは反撃に出ることが出来ない。
「ほっとけ!動けるやつは反撃せえ!」
その中で動けたのは隻眼の巨漢、スコット・スコフィールドだけだった。
「よっしゃ!任せな!」
対オルトロス用に準備した銛撃ち銃、通常は船体に固定して使うそれを腰だめにしてオルトロスに撃ち込む。
続いて海燕丸の船員たちが機関銃と銛撃ち銃で猛射を加え、オルトロスが大きくのたうつ。
ようやく反撃出来る態勢になった渡来人たちも遅ればせに奇跡で攻撃する。
「火炎弾」「氷槍」「鎌鼬」
ー祝福:炎耐性
ー祝福:凍気耐性
ー祝福:風耐性
しかし、オルトロスもまた捕食者だった。
触腕をくねらせて海水を取り込み、一気に引き絞る。人間が手で水鉄砲を作るやり方をさらに強力にしたモノだった。
高水圧の水の刃によって甲板上の転生者5名がサイコロステーキになって絶命した。
反撃が減ったタイミングでオルトロスが海燕丸に接近する。
「こっちに来る!」「ひ、ひいいいいい!」「だめだ!奇跡が効かない!」
「ルーキー!銛だ!銛持ってこい!」
甲板上を逃げ惑う転生者のケツを蹴飛ばすのはスコットだ。
オルトロスに奇跡が効かないことはこの大男にとっては慌てるような事態ではない。外来種が奇跡に対して耐性を持っていることは珍しくないし、対応出来ないなら今生きていない。
対処方法は極めて単純だった。奇跡が効かないなら武器で攻撃すればいいだけだ。
生き残った転生者が銛撃ち銃に銛を装填し、スコットが撃つ。
的がでかい上に向こうから当たりに来てくれるのだ。やりやすいことこの上ない。
オルトロスは触腕で銛を受けつつ残りの触腕で甲板上をなぎ払う。
叩きつけられた触腕によってさらに6名の転生者が肉塊になった。
しかし、その中にスコットはいない。
「よーし!手当たり次第にぶっ刺せ!」
もはや銛撃ち銃は必要ない。銛を持てるだけ持ってひたすらオルトロスに突き刺していく。
穂先には対外来種用の毒が塗り込まれている。どれが効くかは知らないがどれかは効く。
どれかが効けばオルトロスは死ぬ。
そのことに気づいたらしいオルトロスは急速に離脱を図る。
口から高圧縮の水流を吹き出して銛が刺さった触腕を切断し海に反転した。
このまま潜航して脱出を図る気だろう。
「ほな、いくで!」
海燕丸の艦橋で経過を見ていたハカセはタブレットを操作する。
オルトロスに突き刺さった銛から大量の浮き袋が広がった。
オルトロスが海底に逃げることは想定済みだった。
重要なのはいかにしてオルトロスを海面に留めるか、そしてその目的が達成された今、勝利は人類に引き寄せられつつあった。
外来種の筋力をもってしても浮き袋の浮力をねじ伏せることは出来ない。オルトロスは急速に反転し離脱を図るがそれを許すほど人類は慈悲深くはなかった。
オルトロスが標的から除外していた江戸川丸と独尊丸はすでに次の手を打っている。
防潜網を展開し、オルトロスの離脱を阻む。
「電流を流せ!」
それでも強行突破を図ろうと防潜網に突撃するオルトロスは高圧電流が流れたことでその意図を挫かれた。
「おい、あいつ電気が弱点だぞ」
スコットの分析は無線経由で芹洲丸のアンジェリーナに伝わった。
反転したオルトロスの進路にはすでに芹洲丸が待ち構えている。
甲板上のアンジェリーナは奇跡を発動するため術式を構築する。
転生者が奇跡を使用するだけなら不要な手順だが、アンジェリーナはこれを行うことでより強力かつ効率的に運用できた。
ー凍気縛鎖
ー溶断刀
ー真空砲
ー震雷
ー祝福:凍気耐性
ー祝福:炎耐性
ー祝福:風耐性
アンジェリーナが放った奇跡はオルトロスに命中。
凍った海面がオルトロスを拘束し、直後に収束した灼熱の刃と真空の断層がオルトロスの祝福もろとも触腕を破壊する。
そして、身を守る術を失ったオルトロスに強力な電撃が直撃し、芹洲丸に近づく前にその速度と戦闘能力を完全に喪失した。
「楽勝」
アンジェリーナはすべてにおいてテキトーなスコットの言葉を『一切』信用していなかったが、電気に対して耐性がないというのは本当だったようだ。
もっとも、その言葉の真偽によって結果が何か変わったかと言われれば何一つ変わりはしないが。
「おい、このデカブツまだ息があるぞ!」
「ええやん!生きたまま解剖しようで!」
「人間様を舐めやがって!楽に死ねると思うな!」
動かなくなったオルトロスを漁船が取り囲む。
未知の外来種のため、使用可能、売却可能な部位があるかを検分することになるか。
これは原住民どもがやることで転生者が関わることではない。
かくしてオルトロスとの戦闘は人類側の勝利に終わった。
ー洋上
「あんまうまくねえな」
「塩がきつい」
「あんたらよく食う気になれますね」
殉職した同業者の血と肉片が散乱する甲板上で血と肉片を飛び散らせた主犯の肉を貪るスコットとアンジェリーナを悪運強く生き延びたルーキーは畏怖と呆れをもって眺めていた。ルーキーは血と肉の匂いと船酔いで胃の中のすべてを失っていたが、それでもこの2人と同じ手段で飢えを凌ぐことは本能が拒否していた。
オルトロスは現在ハカセと一部の船員によって解析が行われている。
転生者の面々は切り飛ばした触腕を調理して食えるかどうか毒味の最中だ。
軟体動物とはいうもののその肉質は堅く、刺身で食うのは面倒だ、というのがアンジェリーナの言。
アンジェリーナは小柄で線の細い転生者だったが、その神経はその細い胴回りより太いらしい。そして、実力も高いことは先ほどの戦闘で明らかだった。
ルーキー以下その他転生者の奇跡を全く受け付けなかったオルトロスを祝福の上から破壊するほどの強力な奇跡、さらにそれを4発動時に使用するなど人間業ではない。
同じことをルーキーがやれば理力を使い果たしてミイラになる。
「噛み応えあるしいいじゃねえか」
アンジェリーナとは対称的に、
スコットはその図体にふさわしく大口開けて食らいついて噛みちぎっている。
この大男には食うのが面倒という短所は長所になるらしい。
「墨が少ねえな」
海燕丸の船長の不満は別のところにあった。
腐敗しないように塩辛にしようと画策してたが、図体に反して墨が少ない。
干すか、茹でるか、どうするか。
転生者とは違って漁師たちは外来種を倒して終わりではない。
倒した敵をいかにして金に換えるか、それが重要だった。
オルトロスを倒したことで海域にサメは戻ってくるだろうが、それがいつかは誰も保証出来ないのだ。
「あかん、使えそうなとこなさそうや」
オルトロスを解剖していたハカセからもいい知らせはなさそうだ。
苦労して仕留めた獲物だが、船員の腹に入らない分は捨てるしかないというのか。もったいないにもほどがある。
こうなったのも政府のクソ野郎のせいだ。
必ず報いを受けさせてやる。
「なあ船長!」
茹でたオルトロスの肉を酒で流し込んでいた一つ目男が声をかけてきた。「どしたんなら」
船長は応じる。
本来であれば、漁船に乗せられる転生者をわざわざ相手にすることはない。
漁船に乗せられる奴らは陸で使い物にならずに払い下げられたジャンク品であり、消耗品未満の値打ちしかない連中だからだ。
だが、一つ目とシラガの2人は有用さを示した。
そして、緋ノ本では利益をもたらす者には相応の礼を尽くすのが美徳であり、船長はその美徳に従うことにした。
「あそこに島なんかあったか?」
見ればオルトロスよりさらに巨大な、島と思えるほどの巨影があった。
「いや、島はない」
その返事を聞いたアンジェリーナは偵察用のドローンを飛ばす。
「島じゃない。動いてる」
船長は得られた情報から一つの可能性を思いつく。
今回、サメが逃げたのはオルトロスが出現したからだ。
そして、オルトロスはこの海域に今までいなかった。
今までいなかったオルトロスがここにいた理由はなぜか?
オルトロスもまた、追われて逃げてきたとしたら?
そして、オルトロスを追い立てたやつがいるとしたら?
「スキブズワブニル・・・実在したとは」
巨大な影はそれに答えるように『口』を開いた。
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