ホワイトアウト
世の中には、信じられないような突飛な考えをする人たちが、しばしば存在する。
そんな彼らを見て、「いったいどう育ったらそんな考えが生まれるのだろうか?」とか、「なにを考えて生きてきたらそんなことをするのだろうか?」という呆れを含んだ想像をするのは人の常というものだろう。
だが果たしてそれは本当に、「彼だから起き得た」ことなのだろうか?
確かに多かれ少なかれ自身の思考回路が他人と異なる点を見つけるだろうが、それだけが理由なのだろうか?もし我々が彼と同じ状況にあった際に、彼と違う思考を持つことが出来ると断定しうるものなのだろうか?
もちろん、この「だろうか?」の答えは必ず同じになるとは限らない。だが僕は最初にある話を聞いたとき当初、友人と同じように馬鹿げたやつがいたものだ、と笑いの種としていたものの、後に知ったその話の詳細によって、この「だろうか?」の疑問が鏡にこびりついた水垢のように頭から離れなくなるほどに考えが一変してしまった。とはいっても夜が眠れなくなるわけでも、授業に集中できなくなるわけでもない。ただ、ふとした瞬間にこの疑問が沸き起こるだけだ。それこそ、食事時に魚の身を箸で摘まんだときや、ノートの余白を見たとき、ベッドのシーツの皺を伸ばしたときなんかだ。
だがそんなちょっとしたことでも引っ掛かりを覚えていることには変わりない。その疑問は僕の日常にすっかりこびりついてしまった。
僕はこの疑問を分かち合う相手が欲しかった。だからこうして彼の話をしようと思ったのだ。
これは僕が高校二年のときの話だ。
この日は、南国気味の気候の僕の地元では珍しいことに、靴が半分も埋まってしまうほどの雪が積った。
高校生の生活といえば部活と勉強の二つで構成されていると言っても(恋なんてものは僕の周辺には存在しなかった故)過言では無いものだが、そんな青春の片割れである部活が屋外系の運動部となると、雪が降ろうが槍が降ろうが天候などはお構いなしに、青春を謳歌すべく作り出された体力が漲ってくるというものだが、そんな青春に振り回されっぱなしの大人たちは、安全管理という名の責任回避のため、屋外での運動の申請を却下した。
そうしたエネルギーの停滞による学校側の決断に対し、命知らずの運動部員たちは持て余した情熱と体力を発散すべく決起し、その代表として選ばれた部長が勇み足で顧問へと掛け合いに行く一方、残された無責任な僕たち平部員は、交渉が失敗するにせよ成功するにせよ、待機以外の用途に使えない時間を潰そうと努力していたのだった。
部室棟なんて大層な名前のわりに、ブロックで区切られた四角い部屋の上に敷かれたトタン屋根は雪の重さできしみ、貧相な造りの部室に暖房なんてものが置いてあるわけもないのだから、寒さを紛らすために手を尻の下に敷いて、右の耳から左の耳へ流れていくような話を続ける他の選択肢などあるわけない。
こんな時に話題にすることといったら、悪意が有るにせよ無いにせよ、その場にいない人間の悪口を叩くのが通例だが、その通例に則って、部長に始まり、顧問、生徒会、校長、学校、地域、社会、人類に対しての忌憚のない意見を述べたところで、話題らしい話題が途絶え、ブロック塀から滲み出した冷気に身を震わせ膝を擦り始めた頃に、「そういえば」とぽつり、後輩の口から出たのがこの話だった。
彼は“総理”とあだ名された後輩の同級生で、勉学優秀という、取るに足らない男子生徒だ。
あだ名の由来は、その男子生徒の名字が“伊藤”であり、授業で出てきた初代総理大臣と名字が一緒であることに加え、生真面目でありつつも、はっきりしない性質が総理大臣の答弁と一緒である、という男子中学生の安直さから来たものだ。もちろん、いわゆる“普通”の人間に対して、そんな名誉的とは決して言えないようなあだ名が付くわけもなく、彼はなにかの行事につけて仕切りたがるという悪癖を持っており、それにつけて、その結果は毎度なにかしらの原因で失敗し、それでも仕切りたがりの悪癖だけは直らないという“総理”の姿勢は、希望を持った人間に対してダンテの地獄の門のように立ちはだかり、悉くの望みを捨てさせ、ついに彼に近寄るのは昼食を狙ったトンビと温もりを求めて布団に入り込むヤスデのみとなった。
彼の口癖は「僕がやろう。このような仕事は経験がものを言うからね」というもので、入学直後の純粋なクラスメイトたちはそんな彼を見て、気骨のある男だとか、面倒ごとを引き受けてくれるなんてラッキーだ、なんて思っていただろうが、そう思えたのも最初のうちで、“総理”の仕事っぷりを目の当たりにしてからは、期待が絶望へとみるみる変わっていき、しまいにはそれに振り回されたクラスメイト全員が刀折れ矢尽きといった消耗具合となり、その様子をして“第一次伊藤大戦”と名付けられるに至った。
そんな終戦を迎えたにもかかわらず、彼は勇猛果敢にもその後の行事においても次々と生来の仕切りたがりを発揮し、周囲の人間の反対意見を前述の口癖で全て突っぱね、烈火の如く采配を振るい、壮大な構想を描いてみせるのだが、いざ動き出すとなると最初の勢いはどこへやら、忙しく動いて見せるものの、まるで迷い羊のように行き先を見失って迷走し、決まって竜頭蛇尾に終わるのがそのオチだった。それでも反乱が起きなかったのは、彼の持つエネルギーに振り回され過ぎたことで単純な気力の限界に達していたからであって、決して彼に人望や魅力があったというわけではないことは陳述しておく。
特に酷かったのは、二年の秋の体育祭だった。
あれは最悪だった。秋というには余りにも夏のにおいを残し過ぎる日差しの中で行われた大縄跳びの練習は“総理”の大号令によるものだが、奇妙なことに、各強豪部が関東や全国の大会に向けて一分一秒の時間も惜しいとばかりに練習に気焔を上げるなかで、たかが体育祭の一種目に過ぎない大縄跳びは、サッカー部のグラウンドの一部を占有し、あまつさえ課業後すぐの時間に行われたのだ。もちろん部活に人生を捧げた人間たちは強烈に反対したのだが、早く帰りたい一心で何も考えずに発言した一部の人間と“総理”の融通の利かなさがあまりにもうまく噛み合ってしまった結果、生徒から担任顧問果ては校長まで巻き込み、なんともタイミングの悪いことに、能ある鷹は爪を隠すというわけではないだろうが、今までの体たらくからは考えられないような説得力に富んだ“総理”の大言壮語が校長室でぶちかまされたことにより職員一同は涙そうそう、全ての不満不平不文律をひっくり返して、なんとも理不尽なことにグラウンドの使用権を獲得してしまったのだ。このサッカー部から奪い取った、公開処刑に相応しい素晴らしく見晴らしのよい立地は、学校中の好奇、というよりは怨嗟の的には余りにも恰好で、同じ部活の後輩から先輩顧問に至るまでの冷ややかな目線に晒された哀れな外系運動部所属のクラスメイトには哀悼の意を示さずにはいられないが、これだけのことを成し遂げた“総理”はあながちひとかどのヒトと言えないのでもないのかもしれない。
とはいえ結局のところ、これが彼の体育祭における最高峰であり、クラスメイトのやる気のなさやあまりにも不適格な人選、炎天下における急病人、そもそも一番得点率と成功率の低い大縄に注力するという戦略上の欠点などの予想もたやすいトラブルが雪崩のように彼を襲い、最終的には栄えあるクラス対抗最下位という称号を得たことにより、その後しばらくのうちはクラスメイト全員が「あぁ、あの大縄の」という格好いい通り名を下賜されることになるという、お決まりのオチをつけるのがせいぜいだった。
ただ、そんな伊藤くんも自分の行いに対して思うところがあったのか、陣頭指揮を取るにつれて次第にげっそりと色を失っていき、全てが終わってしまった後も、しばらくの間は陰鬱な表情で漬け物をポリポリ齧る姿が見られ、彼の存在する空間全体に暗い陰影が伴い、その様子に大抵の人間は怒る気を削がれ、もし仮にその熱を失わずに叱責する人間がいたにせよ、なにも言い返すことなく全てを受け入れるしかない、とでもいうような処刑寸前の独裁者のような彼の目をとらえたとたん、次の言葉を出せないまま、その行き場のない矛を持て余して帰ってくるのだそうだ。
こうしたことが三年の間繰り返されたわけであったが、その混迷に満ちた道筋にもかかわらず、どんなに焦燥しようとも、次の機会には不撓不屈の意思で必ず立ち上がり、自ら、というよりは周りの限界への挑戦を重ねる“総理”の姿には、呆れを通り越してもはや畏敬の念すら湧きかけた、と後輩は語った。
ともあれ、伊藤くんとはそのような豪の人物であった。
そんな“総理”の記憶を後輩が思い出すことになったのは、この二月の寒さだった。
二月には通常、高校入試が行われ、今週の土日にも、この高校で入学試験が行われる予定だ。去年の高校入試の時期も、雪こそ降らないものの、築40年の古めかしい校舎を中まで冷やすのには充分なほどの寒気に襲われていたものだ。
伊藤くんの舞台は、そんな冬の風がガラス窓を揺らすなか行われた、高校入試の試験会場だった。
高校入試というものは、ほとんどの日本人にとって人生におけるチョークポイントと言えるだろう。どんな人生を積み重ねたにせよ、大抵はここに集約する。思えば、同級生が軒並み一次募集で合格して一足先の春を迎えつつあるなか、僕とその他敗残兵一同にあっては、来たる二次募集へと向けて刃を研ぐことが余儀なくされた記憶だけが堆く積まれており、ここでもし運動会のテーマでも流れたらさぞかし気持ちよく走れることだろうというほどには、歴然とした社会的立場の差を見せつけられたものだが、そんなことは一次募集生たちの脳裏には浮かぶべくもないものだろう。
我らが“総理”はといえば、今までの苦い経験を噛み潰すように英単語を覚えていくと、隅から隅まで考え抜かれた、精密機械のように細やかで繊細な計画を携え、敬虔なことに毎日欠かさず飲み続けてきた眠気覚ましの栄養剤を飲み込むと、気合いを充分にして試験に臨んでいた。
試験会場は二年生の教室で、中学校よりも大きな正面玄関を通り抜け、職員が勤務時間外に悴んだ手で貼ったのであろう、テープを何度も貼り直した形跡のある矢印の描かれた案内にしたがって進んでいく。
普段は目まぐるしく書いては消されていく様を想像させられるような、授業の内容がうっすらとうかがえる黒板に書かれた席順に従い、碁盤の目のような机の間を通っていく。
彼の机には、釘のように尖った鉛筆二本にシンプルな鉛筆削り、間違いのないように念入りに書かれた受験票、包装が外されたむき出しのティッシュペーパー、朝の出発前に時刻規正したばかりの腕時計が並んでいる。周りの有象無象が、不安を忘れたいがために友人知人と一生懸命に会話を続けようとしたり、将来通うかもしれない校舎の薫りを鼻に充満させ、あるいはこの期に及んで詰め込めるだけ詰め込もうと参考書にかじりつく中、“総理”は祈祷中の僧侶のように、ただ目を瞑り、試験官が教室に入ってくる瞬間のみを待っていた。
そして試験官が入室し、試験説明や問題用紙の配布の段になっても、彼は泰然自若の表情を顔に張り付け、すべて彼の計算通りに事が進んでいることを確認しているかのように問題用紙を回していた。
午前の教科を、残り一科目というところまで終えるに至るまで彼のその余裕は失われず、今までの失敗がまるで嘘のように、その計画が狂うことなく、優秀な成績で合格できるという確信を抱いているようだった。
この恐るべき全能感に伊藤くんは酔いしれていたのだろうか?それとも今までの不幸を寄せ付けないために自分に暗示をかけているのだろうか?それを知るすべは無いが、少なくとも言えるのは、伊藤くんの身にこれから起こる全てのことを、彼はこの時点では全く信じていなかったということだろう。
なぜなら、今まで運命は彼を嘲笑い続けて来たが、その絶望的な高笑いの頂点が、この日に用意されていたなんてことは想像の埒外にあったであろう、満面の笑みを浮かべつつあったからだ。
“総理”の竜頭が叩き落とされたのは、午前最後の科目である国語の試験開始の合図から約5分後のことであった。
「パキッ」という、やけに軽快な音が、独創的なテンポで机を叩く鉛筆の筆記音たちを押し退けるかのようにして、乾燥した教室中の耳に届いた。
受験生たちはそれにより、ほんの一瞬だけ集中力を途切れさせることになったが、それでも音の発生源を確かめるそぶりすらせず、取り組んでいた問題の思考を蘇らせ、文章の中から問題に該当する箇所を必死になって探す作業へと戻っていった。後輩くんがその流れの中の一部であったように、「なぜ主人公は◯◯したのか?下記の選択肢よりもっとも正しいと思うものを選べ」という問題の解答を導き出すために四苦八苦する中、小気味よく文字が羅列されていく音どころか、苛立ちが滲み出るペンが机にぶつかる音や、頭の回転が低速になるにつれて出てくる溜息すら聞こえない机が、教室の中心に近いところに一つだけあった。
つまり、“総理”の机がその音の発生源だったのだ。
彼はいま、完全に思考を停止していた。
「なぜ?」だとか「どうして?」という疑問が浮かぶことすらなく、ただひたすら手に持った先端のない鉛筆を眺めていた。
鉛筆の先端は既に彼の視界の外に消えており、解答用紙の上にはそれが消え去った瞬間の痕跡が、文字の最後と思わしき曲線の端末を中心にしてぽつぽつと飛散していた。
伊藤くんは、頭にむわと熱が立ち昇り、こめかみのあたりが締め付けられるのを感じた。
彼がここまで無視することができていた不運は、ついに目を背けることが出来ないほど、その存在を膨張させていた。たかが鉛筆を一本折っただけといえばそうだし、まだ鉛筆に予備はある。なんなら折れた鉛筆の頭の方を削ってやることもできるのだから、冷静に考えることが出来るなら、試験に大した支障をきたすこともないと判断することが出来るだろう。
ただ一つ問題なのが、それに、「伊藤くんの身に起きていなければ」という註釈が付いてしまうことだ。
入念な準備により形作られた心の檻は、今や手に持つ鉛筆のようにさんざんにひしゃげてしまい、そこに押し込められていた生来の不運という魔法使いが軛から逃れ、伊藤くんを惨めな蛇へと変えようと虎視眈々と狙っていた。
しかし、立ち止まるという行動を彼は許されていない。なぜなら入試というものは、ただ一人のためだけに行われるものではないのだ。たとえ受験者のうちの誰かが鉛筆を折ってしまったからといって、その為だけに全体の進行が中断させられるなんてことは絶対に無いことは分かりきったことだ。したがって、地球の時間でも止めない限りは、粛々と流れに身を任せる他無いのである。
机の上では、デジタル時計が忠実に時を刻んでいくが、それが今になっては非常に恨めしい。周りの机から発せられる筆記音が、嫌が応にも流れから取り残されていることを教え、伊藤くんの手の裏は、“食べるラー油”の入った瓶を握ったかの如きぬらめきを見せ、今にも折れた鉛筆がその手から滑り落ちてしまうかのように思われた。
だが、伊藤くんは辛うじて耐えることが出来た。
例え死神の足音が軽快なリズムを持って彼を取り囲もうとも、素早く予備の鉛筆に持ち帰ることで時間のロスを最小限にするという名案を思い付かずとも、寒さのためではない指の震えのもとに鉛筆削りを手に取ることで、かなりの短さになると予想される鉛筆の復旧に努めることが出来た。
「まだ戦える」と彼はきっと思っただろう。
しかし伊藤くんが入念に計画していたのと同様、彼の不運もまた彼の心を折ることに全力を尽くそうという心意気を見せ、熟練の旋盤工のような的確なタイミングと緻密さで、それは実行された。
黙々と試験が行われる教室の中では極めて異質な音が空気をつんざいた。それは、先ほど鉛筆がひしゃげる音にすら反応しなかった競争相手の視線を、ことごとく“総理”の机へと誘引した。彼の机の上では、真新しい腕時計が、躾のなっていない子犬がはしゃいで立てるような甲高い警告音でもって、保有者だけでなく教室中にその存在を誇示している。
“総理”は今まさに、計画の軌道修正のための鉛筆削りを持ち上げていたところであったが、その顔には驚愕、そして困惑の念を張り付けたまま、ただ自身の時計を見つめることしか出来なくなっていた。それは時間にして、ほんの十秒ほどであっただろうが、このような特殊な状況下では、時間というものは無限大に広がってゆくものだ。
だが誰も彼もを、その緊張の中に閉じ込めることができるというわけではなく、この教室内において唯一立場の異なる試験官は、驚きで肩に乗ったチョーク粉をふるい落としたものの、すぐに試験を妨害している犯人を視線の先に捉えた。
伊藤くんはこの異常事態を許容することが出来ずに、電車内で携帯電話の着信音を流した人間同様、煙たがるような周囲の視線を、ただ茫然と浴びていた。
鋭い視線をもって事態を解決しようとしていた試験官だが、一向に収まる気配のない警告音にしびれを切らし、伊藤くんの方へと足を進めた。その神経質な足音に伊藤くんは、ようやく現実へと立ち返り、足音の持ち主がこちらを睨みつけているのに気付いた。
しかし、試験官の苛立ちを含んだその表情は、彼が事態を制御することに全く寄与することなく、かえって衰弱した敏感な神経に鋭い刺激を与え、それに基づいて脳は、迅速且つ無意味な指令を彼の四肢に伝えてしまう。彼はその人差し指でもって、自己認識から疎外された動作を行い、その排他的作業により本来目的こそ達成したものの、それは時間的シグニチャに決定的な相違を生み出し、操作者の意図しない結果を発生させるものとなった。
つまるところ時計の時刻を、“23:12”という、少なくとも日本の現在時刻ではないところに再設定したのだ。警告音を止めることには成功したものの、これは理解不能で、あまりにも破壊的な行動であった。
“総理”は元来、狂い始めた道程から戻ろうとして逆方向に走り出すようなところがあったが、ここに来てその集大成として、崖に飛び込むレミング(ここにまつわるエピソードは正しくないらしい)もかくあらんとばかりに、清水の手すりから大ジャンプを試みるが如き無謀さで、自ら取り返しのつかない底なし沼に飛び込んでいくことになったのだ。こうしてつま先から首までこの泥沼にずっぽりうずめてしまった以上、彼について「混乱した」だとか「驚愕した」だという言葉でいちいち表していては修飾過多に陥るというものだろうから、今後においてはそういった表現は一切差し控えることにしよう。
とにかく、この困難に目を瞑りさえすれば、彼は試験官からの注意を受けることなく難を逃れ、やっと試験に戻れるきっかけが出来た。しかし、この程度のリターンのみをもって落ち着けるような人間は、今までの人生でも失敗してこなかったであろうし、その後においても冷静沈着な性格で物事を対処できるような人間へと成長することだろう。逆説的に言うなれば、“総理”はそんな人物ではなかったからこそ、今までの“功績”を重ねてきたのだし、だからこの瞬間においても、それを重ねざるを得ない人物だということだ。
彼がここで何を考えたか、ということについては完全に後付けの推測でしかない。
がしかし、それは様々な視点から提供された証拠によって強固に固められ、現在ある“総理論”の基盤を盤石にするに足るだけの資料を提供してくれているのだから、「おそらく」というよりは「ということに違いない」という断定的な判断をすることができると考える。
彼はまずは答案用紙を見た。
それは先ほど鉛筆をぱっきりと折ったときに生じた残滓を乗せたまま、次のアクションを待ち望むように静かに机の上に寝ている。
“総理”は、雨どいを滴る水滴のように少しずつ思考を再開させ、まず始めに手を付けるべきところはいったいどこなのか?という自問を始め、数々の選択肢が脳裏に浮かび、その優先順位をつけていったに違いない。すると、その判断をする段になって最終的な意思決定を下すための判断材料が足りていないことに気付く。
“現在時間”だ。
彼は完全に周りの時間潮流から取り残され、試験開始後の五分間で解答出来た問題を除けば、全く白紙の状態であったが、その状態が、現在時間からして大幅に遅れているものなのか、それとも多少急ぎ足で進めていけば問題ない程度の遅れなのか、ということを確認しなければ、取るべき戦略というものもまた選択できないというものだ。少なくとも彼にとってはそうであり、そのプロトコルが完了しない以上は動き出すことができない。この彼の性格―――善く言えば一貫性があり、悪く言えばどうしようもなく硬直的で、物事を進行させるには全く向いていないような適応力の無さこそが彼を苛む病の大きな部分であった。
どんなに完璧な計画を作ろうと、冗長性のないようでは計画外の外的要因に脅かされ破綻してしまうのが人生というものであるが、彼の場合、その外的要因を圧倒的に膨大な計画によってのみ解決しようと考える癖があり、今までに起き得た外的要因がいついかなる時に発生しても良いような選択肢を絶えず用意することで、ルート分岐が果てしなく続くノベルゲームが如き計画を生み出そうとしてしまう。
彼の考える外的要因、というものは、実行者による命令不実行、進行の停滞、予期せぬ仕事の増加にとどまらず、時間に制限を与えるような些細なこと―――廊下を歩く際に声をかけられること、缶ジュースを倒して零してしまうこと、筆圧の濃い教師によるチョーク痕を消すのに手間取ってしまうこと―――これらすべての可能性を排除するため、廊下は極力使わず人通りの少ない校舎外を移動経路とし、缶ジュースは一切買わずペットボトルか水筒からのみ飲み物を飲み、黒板消しを使わずに濡れた雑巾でチョーク痕を消してから乾いた雑巾で拭きとり、もしそれでも時間を取られるような事態が発生しても大丈夫なように、5分ごとに遅延単位を設定した行動計画を練り、路線を変更する。今回の入試だって、普通ならシャープペンシルで試験に臨むだろうが、シャープペンシルの芯が、もし詰まってしまい、または壊れてしまい、それが許容できない範囲の時間ロスにつながる可能性を考慮した結果、鉛筆という極めて単純な機構の道具を選択したのだった。たとえそれを考慮する人間がいたとしても、普通なら一本目をシャープペンシルにし、二本目に鉛筆を選択するだろうが、伊藤くんの場合は、「壊れたものはまず直す」という厄介極まるプロトコルに縛られている以上、時間に限りのある試験においてシャープペンシルを使うということは考慮のうちにすら入っていないのだ。このように外的要因を少しでも排除するためにどんな手間でも惜しまず、東京の地下鉄並みの神経質さで、遅延を想定した運行計画を用意し、必ず予定通りに進めることだけを考えるマシーン、それが伊藤くんという人間なのだ。
常識的に考えて、普通の思考力・把握力を持っている人間であれば、そのように計画を立てるなんて考えは、そもそも発生せぬだろう。
そのようなことは、イベント中のみの期間を対象にした限定条件下であるとはいえ、あまりにも計算力が問われるものだ。例えば、君は昼食を買いに購買へ行くとしよう。そこには残り一つしかパンが無く、自分が後は会計をしてしまえば購買は終了してしまう。そんな場面で一人の生徒が息を切らしてパンを買いに来る。君はそのパンをどうする?パンを譲ってもいいし、譲らなくてもいい。だがパンを譲ればそこから友情が生まれ、親友へとなっていくかもしれないし、あるいはただのお人よしとして、その場限りで別れることになるかもしれない。または譲らずに買うことで犬猿の仲となり、波乱万丈の学園生活を送ることになるかもしれないし、はたまた、その生徒の親は死期が近く、最後に購買のパンを食べたいと生徒にせがみ、必死の思いで買いに来たところで、それを知らずに目の前でパンを買っていった君は、ごんぎつねよろしく兵十から付け狙われるように…。ここまで妄想を広げる必要はない。とにかく、選択肢は膨大だし、その中で出る言葉や相手の状況によって、さらに可能性は広がっていくものだ。
そんなものを網羅しようだなんて、計画なんてチンケな言葉で表せるスケールではない。そんなものはもはや、神の領域だ。
だが我らの誇る伊藤くんは一味違う。
彼の場合、常人に比べ把握力も思考力も異常なまでに長けていて、スーパーコンピュータですら予測不可能な未来予想を、その人間離れした能力で、限定条件付きで実現しかけてしまっていたのだ。もちろん人間という枠組みから外れかけているとはいえ、その未来予想は、実現しかけはするものの、毎度それが破綻するからこそ、“総理”という生き様が発生するのであり、そのことを誰にも理解されていないからこそ、憎めない仕切りたがりという、ヘンテコだが、常識の範囲内の人間であると認知されているのである。
先ほどの例で言うなれば、あれだけある選択肢の中でも最も悪い選択であり、限りなく0%に近い確率で存在する“兵十ルート”に足を進めていくのが彼なのだ。いや、正確に言うのであれば、それしか選べない人間なのだ。それはその時の彼にとっては最も合理的な選択肢であり、それなりの理由があってそれを選んでいるのだが、選んだそれこそが最もどうしようもない選択肢であるという、もはや運の悪さとしか表せない因子によって彼の計画にケチがついてしまうのだった。
だから彼の奇行はアブノーマルな能力に裏打ちされたものであり、それでありながらその能力の成果が必ず悪い方向に向かってしまうという救いがたい人物であるということは、饒舌に当時の状況を語る後輩君も知るはずがないし、伝聞から得た情報をもとに合いの手を入れようとする同級生も知るはずがなく、こうして彼の話をしている僕自身すらそれを知らない。だからこの説明は伊藤くんを哀れに思った誰かがしてくれているのだ。
僕ではない。
ともあれ、彼が現在時を知ることに躍起になるところに焦点を戻そう。
ちょうどご存知になったところであろうが、彼は何事も計画的に動く。その基準はデジタル時計の分読みであり、そこで発生した遅延時間を計算し計画を変更していくことで初めて動き出すことができる。
しかし、彼の目に映るのは、十七本の線で構成された“23:12”という時間表示。
自身の腕時計が絶対的な尺度であるという自信に満ち溢れ、そして自分が夜の校舎で入学試験を行っているのだと信じることが出来るような人間であるならば、その時間をもとに何の懸念も抱かず、目の前にある日本語の読解力、というよりも文脈から出題者の意図を理解して媚びを売る作業に没頭できるものなのだろうし、あるいは今までのロスタイムを考え、ペース配分する時間すら惜しんでひたすらに取り組もうとする決断力の持ち主であれば違った答えに辿り着いていたかもしれない。
だがやはり“総理”はそんな現実的でありふれた答えに振り回されることなどない。彼はあらゆる選択肢の中で、他のどれよりも最悪な選択をする才能に特化した人間なのだ。
人間にはふつう、無数の選択肢があり、これまでの人生経験によって選択可能な選択肢の数が増減する訳だが、“総理”が選ぶことの出来る選択は常に一つしかない。
今回はそれが「どうにかして現在時刻を知る」というものだった。
彼はあたりを軽く見まわした。
並みいるライバルたちの背中、巡回する試験官の気だるげな足取り、注意事項の羅列された黒板、そして運の悪いことに時計が外された後の日焼けだけが残った壁紙を見付けた。卓上にも時計は無く、勤務時間の終わりを願う試験官が、仕切りに自身の腕時計を見るだけで、あとは他の受験生の何人かが、仕切りに自分の腕時計を見やるのみで、伊藤くんに提供される時計など何一つ無い。
彼は何をしてでも時間を知らねばならなかった。こうして時間の無い時は即断即決するのが合理的で、いたずらに思考を巡らせるより直感を信じるべき、という信念が彼にはあった。きりきりと痛みを訴える腹にすら気を止めることが許されない。その結果、彼は隣の受験生の腕時計を盗み見ることを決意する。
幸いにして彼はそれなりに目が良く、また折しも右隣の受験生は伊藤くんに見えるような角度で机に時計を置いており、あとは机をシャープペンシルで叩いている右腕が少しズレてさえくれれば、難なく時間を知ることが出来るという素敵な状況だ。答案を盗み見るのは悪いことだが、時間を知るために時計を見るくらい、なんだというのだ。逆に壁掛け時計どころか卓上時計すら置かないような試験官側の落ち度であることは明白なので、このくらいは許されて当然だろう、と彼は心の中で正当化したに違いない。
見えそうで見えない絶妙なチラリズムに焦らされながらも懸命に見つめていると、受験生の顔がふいに上がる。伊藤くんは一瞬ドキリとしたが、彼の視線に気付いたわけではないということが直ぐに分かり安心する。受験生の晴れやかな顔からして、恐らく悩んでいた問題の答えが完璧に理解できたのだろう。
そのとき、受験生がおもむろに腕を持ち上げ、隠れていた時計が見えた。
「11:30」、それは伊藤くんの予想よりもあまりに進みが早く、彼はほんの少し視線を戻すのに遅れてしまう。その結果、今まさに解答を書き込まんと腕を下し始めた、例の受験生の持つシャープペンシルの先に視線が吸い込まれ、そのまま記入されていく解答を目撃してしまった。
「(a)」
彼は素早く視線を戻した。
だが、それだけでは見なかったことにはなるまい。生真面目な彼は、解答を見てしまったことをどれだけ後悔したことだろうか。今や彼は、「(a)」という解答を見た罪悪感によって胸いっぱいに不安が込み上げてきたことで吐き気を催すまでになっていた。
しかし、歩みを止めることは死に直結する。ましてや、すでに試験時間の半分が過ぎてしまっている状況だ。最初の五分で解けた問題の他は手を付けてすらいない以上、計画を修正して、まずは簡単に解ける問題のみに集中していくことを、息も絶え絶えとなりつつも、彼は決めた。
腕時計を直感的に“11:30”に素早く設定し、放置されっぱなしだった鉛筆を入念に、かつ素早く削り上げ、手に持った。真っ二つになっただけあり、心もとない長さであるが、筆記にはなんとか耐えうるだろう。
腹は、試験前に飲んだ栄養剤に耐えきれずに、切実な痛みを訴えかけてくるが、頭にかかる負荷もあいまって、何が原因で頭がぼうっとするのかを知らんぷりさせてくれる。
腕は自動解答機が如きスピードで鉛筆を走らせ、頭はどの問題をやっているか定かではないほどの回転速度で酷使され、文字の羅列が目から入力されては消えていくが、「(a)」という解答が頭から離れてはくれない。指は止め跳ね払いの連続運動によって攣りそうになり、危うく鉛筆を手放しかけた彼だが唇をギュっと噛みしめることでその暴走を抑え、再び解答を記入していった。
そうして文章を読み解かなくても分かる問題をすべて終え、あとは文章問題だけというところまでどうにか漕ぎ着けた。
ここでやっと彼の手が止まる。
しかしそれはひと段落ついたことによる安堵によるものではなく、先ほどから延々と脳裏をよぎる「(a)」という文字が、文章問題を解かせることへの妨げとなったのだ。
例えば、彼が文章問題を解いた結果、「(a)」という解答が正しいと考えるとしよう。
しかし、はたしてその考えは、先ほど盗み見てしまった、隣の受験生の成果である「(a)」に由来するものではないと言い切れるものなのだろうか?それは自分が目撃したことによりバイアスを発生させ、ある決断を下す際の重要な資料として提供され、それにより導かれた答えなのではないだろうか?そうであれば自分はカンニングをして、試験の規定に違反したことになる。
彼にとってカンニングとは「問題の答えを不当な手段で知りえること」であり、時計に表示される時間を知ることはカンニングとは呼ばないのだ。たとえその論理が試験官に通用するものではないとしても、彼の論理の上で合法である限りはあらゆる行動は許容されるのだ。だがここでその「問題の答えを不当な手段で知りえること」を実行してしまったら、“総理”はどうするのだろうか?もちろん彼は全速でこれから起き得るであろう可能性を計算し始め、最悪の方向に進むであろうという絶望的な見積もりのもと、負のスパイラルを自ら作り出し、ウォータースライダーに乗る小学生のような大胆さと覚悟をもって、勢いよく間違った方向へ飛び込んでいくのだ。
その結果“総理”が選ぶことの出来る選択肢は「(a)」以外のものに限定されることとなる。
彼はこう考えだす。
一見「(a)」という解答が正しそうに思えるが、これは嘘で「(a)」ではない。この問題もどう考えても「(a)」であるが、それは完全なる罠で「(a)」ではない選択肢こそ正しい。「(a)」ともう一つで迷うことがあれば、確実に「(a)」でないと言い切れる。
そこで起こってはならない奇跡が起きてしまう。「(a)」という言葉を頭の中で反芻しながら別の答えを記入しようとしたのだが、あまりにも「(a)」について考えていたがゆえに、彼の鉛筆は自然と「(a)」というマークを塗りつぶしてしまったのだ。普通の人間であればなんとも思わないような些細なミスだが、伊藤くんにとってはマークを消し去る時間すら致命的で、心の中で盛大に舌打ちしつつ、これまで一度も触れずに済んでいた消しごむを素早く手に取った。
一瞬で憎き答案マークを消し去り、正しい解答を記入し、試験問題を解こう。そうすればなんとか遅れも取り戻し、ギリギリではあるが、試験終了までの時間に全ての解答を終えることが出来るだろう。
今までのところ、大きなトラブルが立て続けに起きていたにせよ、どうにかこうして乗り越えられたし、この躓きにも絶望せずにすむような余裕を“総理”は得つつあった。いや、結果を考えれば、それは余裕ではなく、慢心だったのだろう。
当初、彼が鉛筆を折ってしまった時のことを覚えているだろうか?
その時にあちこちへと飛び散った鉛芯の滓は、今までのところ鳴りを潜めていたそれが、今まさに接地しようとしている消しごむの真下にいるが、“総理”はそれに気付かない。彼はのっぺりと消しごむを動かしたが、綺麗に白くなった答案用紙など姿を見せず、代わりに黒い影がマークごと紙を塗りつぶした。
“総理”は喉元まで来た溜息だか叫び声だかを飲み込むと、こめかみを揉みながら息を吐き出して自分を抑えながら、ゆっくりと消しごむをひっくり返す。書道における筆のように静かに消しごむを下ろす彼の姿は、弘法大師の姿がダブつくようであり、川のせせらぎのような穏やかさであった。
そしていざ消そうと力を籠める一瞬手前、ついに腹の限界が来て、思わず左腕で腹を擦ろうと動かしてしまう。それに釣られ、自分の左腕のあの憎き腕時計が、きらきらと鎮座しているのを視線が捕える。シナプスの連鎖は渋滞し、怒りが沸騰する時間すら感じさせずに爆発した。あらん限りの力で押し付けられた消しごむの首がぐにゃりと曲がると、閃光となって、左腕の支えがズレた答案用紙の上を駆け抜けた。
彼は自身の答案用紙を見た。
マークの余白が残された紙は、マークが終わった問題にしろ、終わっていない問題にしろ、分け隔てなく「問題、みな兄弟」という主張のもと、極めて平等に引き裂かれ、それが答案用紙の右斜め上から半ばまで続いていた。そのしわしわに歪んだ白い陸地の領岸は、まるで“総理”の生き様を表してるかのようで、フィヨルドが如くそこに伝わる重さをありありと映し出し、その間に見える景色から立体感を消し去った。
鉛筆から、腕時計、マークまでの全ての流れが奇跡のようにつながったことで、まるでピタゴラスイッチのような一体感をもって、“総理”の全てを破壊してしまった。
それは要すれば、彼の全人生の失敗を意味したのだ。
“総理”の大失敗エピソードは、娯楽に飢えた部員たちへの格好の餌となった。
それが呼び水となり“総理”を知る後輩たちによる口語伝承が、あちらこちらから引っ張り出され、部員たちは染み出てくるようなブロック塀の冷たさを無視することが出来た。
しかし、みんなが夢中になって記憶の底から彼の記憶を掘り出すなか、“総理”の話を持ち出した本人であるところの後輩くんが、申し訳程度の微小な笑いで誤魔化そうとしていたことに僕は気付いた。
しばらくすると、粗末な部室には不釣り合いに重い扉が開くと、くたびれた様子の部長が姿を見せた。彼の精魂尽き果てたといわんばかりの顔は、話題の“総理”の姿の生き写しのようで、「総理じゃん…」という誰かの呟きがくすくす笑いを引き起こし、とんと知らぬ話で笑われた部長はぷりぷりと怒りだした。
予想はついていたが、どうやら部長の嘆願虚しく、梃子ですら動かないような学校側の指示により、部活は遭えなく中止とせざるを得ないらしい。それでも元気を残した部員たちが童心にかえり、一面の銀世界で合戦を繰り広げようと部室の外へと駆けだすなか、僕と件の後輩くんはこっそりと姿を隠し、こんな寒々しいところではなく愛しの我が家で温まることを選んだ。
車の通ったあとだけを残す雪道を、僕は後輩くんと二人きりで歩く。
彼とは特段仲が良いというわけではなかったが、他の部員のノリに合わない者同士で気が合い、たまにこうして連れだって帰ることもあるのだが、そんな距離感だからこそ、彼が先ほど見せた浮かない顔に引っかかりを覚え、そのことについて僕は無遠慮にも彼に尋ねてみた。
彼が少しだけ困ったように目を逸らしたので、マズい質問をしたな、と自分でも感じ、答えを聞く前に後悔したものの、後輩くんはその歩みを止めることなくこう言った。
「先輩は…。そうですね、絶対に遅刻したくない予定がある朝に、寝坊して遅れたことはありますか?例えば目覚まし時計をセットし忘れたりなんかして」
よほど慎重な人でもない限り、誰でも一度はあるのではないか、と思わせる質問に、“総理”の姿が浮かんできた。
「それはもちろんあるよ。“伊藤くん”もそうだったって言いたいの?」
僕はわざと“伊藤くん”と呼んだ。
空には未だにいちめん雲が覆っていて、そのどんよりとした明るさで、雪景色をいっそう白く見せていた。
「それは彼だから起きたんですかね?俺はそうとは思えないんですよ」
後輩くんは、雪の積もった土手に覗く、早咲きのすみれを眺めている。
試験終了の合図のあと、試験開始直前ぶりに後ろのライバルの顔を見た。
特に感情を見せない彼から答案用紙が手渡され、それに、雑な消し痕が残る自分の答案用紙を重ねて前へと手渡す。後輩くんは緊張で手汗の滲むなか、手ごたえのある試験を終え、午後に備えて友人と昼食を取ろうと周囲を見回した。
すると、彼の視線の先に“総理”の背中がちらりと見えた。
試験前を、勉学の神様や鉛筆の神様だのに縋るように祈っていた後輩くんを尻目に、地蔵菩薩のように屹然としていた“総理”の後ろ姿が思い出され、さぞかしうまくいったであろうその出来栄えを聞き出すことにより、友人との昼食での話のタネにしようと考え、そちらへ歩みを進める。後輩くんはキュウリの浅漬けに手を付けていた“総理”へ声をかけた。
「どうだったね、伊藤くん」
弁当に視線を落としていた彼は顔をあげた。
ぼうっとしていたようで、口を開けていた“総理”だが、笑ったように口角を歪ませると、「失敗だね」とだけ言って、そのまま何事もなかったように、再び視線を弁当へと戻した。
あからさまに話したくないと言いたげな態度に、後輩くんは些かの苛立ちを感じたようだが、それ以上に“総理”の様子が気になり、その場を後にしつつも視線は彼を追っていた。そうしていると、ふいに“総理”の箸からポロリと浅漬けが落ちていくのが見えた。
彼は慌てるでもなくゆっくりと、ティッシュでそれをつまんでポケットに入れ、そしておもむろに立ち上がると、幽鬼のような静けさで教室から出ていった。
机には蓋が開いたままの弁当が残されていた。
午後の試験が始まっても、彼の机には開きっぱなしの弁当が鎮座したままで、誰も“総理”の行方を知らないことだけが確認された後、時間通りに試験が開始された。
全ての答案用紙が提出され、帰宅のための片付けをみんながする中で、誰かが彼の荷物をどうするか、という、誰しも頭によぎりつつも、迷惑を被らないために思考の底に押し込めていた問題を浮上させてしまった。もちろん、同じ出身中学で、同じクラスのやつが持ってくのが筋だろうということになり、かくして、女子よりも同じ男子だからという理由で、運悪く後輩くんはその任をありがたく拝命する運びとなった。
後輩くんは学校に行き住所を聞く、という手間をかけて自宅から絶妙に遠い経路を経て彼の家へと赴いたが、似ても似つかないような“総理”の弟が出てくると、彼は未だ帰宅していないということを告げられ、当事者不在のまま彼の荷物が引き渡された。
集中力と気力を使い果たした試験の帰りに、たまたま試験会場が彼と同じだっただけにずるずると歩かされ、あげく何の疑問も解決できずに帰ることになった後輩くんは、くたびれて何も聞く気にならなかったのだ。
後輩くんが帰宅し始めるころには、もう夕日が沈み切っており、群青の帳が下りる手前の最後の黄色いグラデーションを残すばかりで、電灯や窓からの光が爛々と建物から逃げ出していた。
そして普段の通学路とは違って新鮮ではあるが、散策する気すら起きない帰路を、ケータイの地図を頼りに歩いていると、通りかかった公園の石段に、同じ中学の制服姿の生徒が項垂れているのが見えた。
それは“総理”だった。
一瞬、散々歩かされたことに対して文句を言おうかと考えたが、彼の手のひらに乗っている包まれたティッシュを目にすると、昼の、くたびれた顔で笑顔を作ろうとしていた“総理”の顔がフラッシュバックし、喉まで込み上げていた苛立ちがあっさり消えてしまった。彼の落ち込む姿など、とうに見慣れたはずだったが、目の前にいる彼は、あまりにも気力を感じられない。
いったい、彼が何をしたというのだろう?
後輩くんは彼の身に何が起きたかということを一つも知り得ないが、彼の様子からして、いつもの失敗、いや、それ以上の大失敗が起きてしまったことは見て取れる。炭酸の抜けたコーラのような伊藤くんが、キュウリの浅漬けを手に取る姿は、見慣れたものであった。しかし、それ以外の状況証拠が、見慣れたいつもの失敗に留まるものではないことを物語っているのだ。
気付かないふりをしていたズボンの破れから冷たい空気がなだれ込むのを感じた。
後輩くんは彼に声をかけようか逡巡したが、声をかけるとして、なんと言ったら良いものか、必死になって辞書をめくっても見当たらない。
「どうしたんだ?話してくれよ」話してくれるものかな?
「元気出せよ、次があるじゃないか!」それで彼の口が軽くなるとでも?
公園の灯りに照らされた伊藤くんの陰と、その後ろの茂みとの境界があいまいになり、大きな塊が公園の奥で苔むしていくように見える。あれだけ自信を感じさせていた彼をこんな風にしてしまったのは、はたして今日の失敗だけが原因だったのだろうか?
何が起きたのかは知らないが、大方の予想はつく。いつものように考えては迷走し、あらぬ方向へ飛び出してしまったが故に失敗と成り果てたのは、想像に難くない。だがそれはあくまで一因であって、もっと根本的な物こそが、彼の常々の悩みの種であり、そしてそれが彼を煮凝りのように固めてしまったのではないだろうか。
思えば、彼は失敗続きの中学生活を送っていたように感じられる。というよりは全く成功することが無かったという方が正しいかもしれない。彼の心の底で溜まり続けたその失敗の欠片の重みに、今までは耐えることが出来ていたのだろう。すると、解けなかった数学の問題の定理がようやく理解できたような気がした。
そう、失敗の後でもダルマのように起きあがれた彼の心は、ここに来て大きな欠片が降り注いできて、すっかり重心が変わってしまったのだ、そうに違いない。
だが、それが分かったといって何になるというのだろうか?
雪が雪のままであることを喜んでも、春はやってくる、そういうものだろう。出来ることと言ったらせいぜい、雪が雪であったときのことを覚えておくことしかない。
だからそれを忘れぬために、僕たちは、なんでもない瞬間に雪の白さを思い出すんだ!
僕は後輩くんと別れた後、雪が溶けだしてコンクリートの黒さが滲みつつある轍に足を取られながらも、伊藤くんのことについてずっと反芻していた。
部室で膝を擦りながら聞いていた時には、呆れながらこう思っていた。
「いったいどう育ったらそんな考えが生まれるのだろうか?」
「なにを考えて生きてきたらそんなことをするのだろうか?」
だが果たしてそれは本当に、「彼だから起き得た」ことなのだろうか?
確かに多かれ少なかれ自身の思考回路が他人と異なる点を見つけるだろうが、それだけが理由なのだろうか?もし僕が彼と同じ状況にあった際に、彼と違う思考を持つことが出来ると断定しうるものなのだろうか?
思えば僕も、どうしようもなく間の悪い失態を繰り広げた過去があるし、大抵の人もそんな過去を持っているものだろうとも思う。だから彼の思考は全く正当なもので、誰にでも起こり得る可能性を秘めているともいえる。
一方で、そんな可能性がこうも立て続けに起き得るものなのかという疑問は同時に存在し、それを彼の不運と断じるにはあまりに寂しすぎるというものだろう。人の一生が、一度きりの人生が“不運”だったというだけで、こうも屈辱を味わわなければならないだなんて、そんなことは決して言い出せない…。
後輩くんが最後にこう言っていたのを思い出した。
「伊藤くんのことは、あれ以来一度も見てません。卒業式にも来ませんでしたから」
彼は、既にある足跡に触れないように、ぴょこぴょこ飛ぶように新雪を踏みしめていく。
「先生たちも教えてくれないので、みんな色々うわさしましたが、結局だれも結末を知らないんです」
すぐに高校が始まって、忘れていきましたけどね、と後輩くんは居心地悪そうに笑うと、彼の歯並びの隙間から白い吐息が上がっていくのが見えた。
「死んじゃったんじゃないですかね、きっと」
言葉の重さの割に、ずいぶん軽く出てきた言葉は、僕の口を一層固く閉じさせた。
「でも、こうも思っています。どこか別の街でひょっこり暮らしていて、彼の周りの人をたくさん振り回して生きているんじゃないかって」
何が言いたいのか、僕にはくっきりと分かった。
だが僕は彼の欺瞞を責められない、それはできない。
僕は後輩くんの足跡に、ひょいと足を重ねた。
「見たいものだけを見るのなら、俺の目は必要ないですよね?」