はじめてのたくはい
目覚めたときはもう昼近くになっていた。昨夜は休日前だからと遅くまでしこたま酒を飲んでいたので頭が重い。そして猛烈に腹が減っていた。出かけるのも億劫なので、俺はデリバリーサービスで昼食を注文することにした。スマホで、いつも利用する中華料理店のチャーハンと餃子のセットをオーダーする。あとは待つだけだ、30分もすれば届くだろうとごろ寝を決めた。
ピンポーンとチャイムの音で目が覚める。いつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい。時計をみるとオーダーしてから20分経っていた。おや、いつもより早いなと玄関の扉を開ける。
そこに立っていたのは四角いバッグや料理を抱えたデリバリーの人間ではなかった。こざっぱりとした格好の若い男でやけになれなれしい笑みを浮かべている。
「えー、突然失礼いたします。田所さんのお宅でよろしいでしょうか」
「はいそうですが、あなたは」
「わたくし新日本テレビの大木と申します」そういうと持っていたスマホに語りかけた。「はい、田所さんのお宅に着きました。御在宅です。はい……はい……そうですね、男性です。歳は30前後といったところでしょうか。はい……あのう、ご結婚は」
「独身ですが」
「はい、独り身です。まあ大丈夫じゃないですか。はい、了解です、では」と電話を切った。「失礼。実はですね、いま番組を収録しておりまして」
「テレビですか。いま撮ってるの」俺はカメラを探した。
「いや、まだここは撮っておりません。で、番組ですが『はじめたのおつかい』というんですがご存じでしょうか」
「はい、観たことあります」
「それを撮っております」
「はあ……でもなんでうちに」いやな予感がしてくる。
「三好拓也くんという4歳児がおりましてね。これが実にいい子なんですが。その子の父親がデリバリーサービスをやってまして。そこで父親が怪我をして配達に行けないから代わりに拓也くんが配達をする、というのが今回の設定でして」
「もしかして、俺の昼飯を」
「ご察しが早くて助かります。そのとおり。拓也くんが今、一生懸命運んでいるところです」
俺は中華料理店までの道のりを頭の中で描いた。たしか4㎞ちかくはあったはずだ。
「でも、大丈夫なんですか」
「ご安心ください、番組スタッフが万全を尽くしてお子さんの安全を確保しております」
「いや、そうじゃなくて。ええと、その子は自転車に乗れるんですか」
大木と名乗ったその男は呆れ顔になっていった。
「4歳児ですよ、自転車に乗せるわけないじゃないですか。事故にでもあったらどうするんです」
「それはそうですが、店からここまでかなりありますよ。子どもの足だとどれくらいかかるか」
「まあ、あんまり早く着かれちゃっても撮れ高がね。というわけでご協力をお願いにこうして伺ったわけでして」
どうみてもお願いに伺ったという態度ではなかったが、俺は受け入れることにした。子どもがすでに出発しているらしいし、ここで下手にごねたらテレビで悪者にされかねない。
「わかりました、いいでしょう。それで、その子は今どのあたりにいるんです」
「ちょっと待ってくださいね」大木は再び電話をかけた。「お疲れさまです、田所さんご了承いただけました。それでご質問を受けたんですが、ターゲットは今どこまで来てますか。はい……はい……なるほど、了解です。それでは」電話を切る。「ええと、現在、店のまえの公園でブランコに乗っているそうです」
「えっ。店のまえですか」
「らしいです。無邪気でかわいいですね。きっと放送でも受けますよ」
「ちょっと待ってください。それじゃ俺の飯は」
「んー、結構時間がかかりそうですね。まあ、子どもの成長に貢献すると考えて気長に待っていてください。それでは一旦失礼します」
大木は番組のロゴが印刷された安っぽいステッカーを置いて去っていった。空腹で軽いめまいがしてきたので、冷蔵庫の中でみつけた人参の切れっ端をがりがりと齧り、水道の水をがぶがぶと飲んで腹を満たしそのまま寝てしまった。
目が覚めたときは既に夕暮れになっていた。しまった、配達が届いた時に寝過ごして居留守を決めてしまったかと焦っているとチャイムがなった。大急ぎで出ると、そこに居たのは先ほどの大木だった。彼は両手に宅配用の使い捨ての皿を持っていた。
「いやあ、申し訳ない。拓也くんですが、結局店のまえの公園で駄々をこねちゃいましてね。どうしても行きたくないと泣いちゃって動かなくなっちゃったんですよ。まあリタイヤですね。この番組ではよくあるんですが」
「はあ、そうですか」
「というわけでご注文の料理は私がお持ちいたしました。こちらに置きますね。それではご協力ありがとうございました」
大木はまくし立てるようにいうと、すごい勢いで玄関を出ていった。俺は呆気にとられてうしろ姿を見送った。上がり框に置かれた皿には完全に冷めたうえ、逆さまに落としてしまったのかぺしゃんこになったチャーハンと、皮と具とがばらばらになっている餃子だったらしいものが入っていた。それをレンジで温めて掻き込むと、なんとか空腹から解放された。やっとひと心地ついた俺は、なんだかムラムラとした気分になってきた。エッチなデリバリーサービスに電話をかけ、ワクワク、ドキドキしながら到着を待った。そしてチャイムが鳴った。待ってましたとばかり玄関に飛んでいきドアスコープを覗くと、そこから見えたのは見覚えのある姿、大木がにやけ顔で立っていた。




