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ヒューマンドラマに恋愛を添えて

ずるいずるいの妹を溺愛して幸せになった姉妹の話

作者: きたかが

 私の家の玄関に、小さな天使が舞い込んだ。


 天使はうららかな春の日差しを背負っていた。お日様の光を集めたような金の巻き毛と空色の瞳を持つキラキラした女の子の登場に、11歳の私は「ああ、私にもやっとお迎えが来たのね」って本気で思った。


 だから、

「あなたは天使様?」

 そう聞いたら、女の子は美しい瞳を零れ落ちそうなほど見開いて、

「いいえ。わ……わたしはイザベラ。これから……あなたの妹になります」

 って精一杯のたどたどしいご挨拶をしてくれた。

 その可愛らしさに胸を撃ち抜かれていると、遅れて入ってきたお父様の横にはイザベラそっくりの新しいお母様がいた。私たちは姉妹になるのだと教えてもらうと、私は喜びで「まあ! まあ! まあ!」としか言えなくなってしまったのを覚えている。


 そして私はその日から、この小さくて新しい妹にすっかり夢中になってしまったの。



 私の家は古くから続く子爵の家柄で、2年前までは家族3人で仲良く暮らしてきた。けれど流行り病でお母様が亡くなってからというもの、ずっと寂しさを引きずった生活をしていたの。

 お父様が連れてきた新しいお母様は平民出身。二人の新しい家族を迎えて、毎日が以前のように、いいえ、お母様が生きていた頃よりも賑やかに変わっていったわ。


 朝の日差しの差し込んだ食堂でキラキラ輝くイザベラとお母様とお喋りをしながら取る食事はとてもおいしかった。

 ――――前はお父様と二人無言で食べてた。味なんてしたかも覚えてない。ただの時間通りの習慣の一つ。


 昼下がりにイザベラに屋敷中を案内してあげるのは楽しかった。

 ――――前は一人きり、庭で日が暮れるまでずっと刺繍をしていた。一日の時間を終わらせるのにひどく苦労した。


 5才年下の妹イザベラは甘えたがりで、よく私の物をねだったわ。


「お姉さま、ずるいわ。わたし、そっちがいい」「お姉さま、ずるいわ。わたしが先にやりたかったのに」「お姉さま、ずるいわ。わたしも赤いリボンのくまちゃんがいいのに!」


 『ずるい』それが彼女の口癖。


 私はその度に「どうぞ」って全部イザベラにあげたわ。

 でもそれを心配したのが両親。


「アンジェリカ、イザベラになんでもあげることはないんだよ? 自分の大切なものはきちんと自分でとっておきなさい」

「ごめんなさい。アンジェリカ。私の教育が行き届かないばかりに、あんなわがままな子になってしまって……。ここに来る前までは私たちは貧乏であの子が欲しがるものを買ってあげれなくて、そしたらいつの間にかあの子は自分で他人様ひとさまにものをねだるようになってしまったの……。自分のかわいらしさを利用するなんて、間違ってると何度も諭しているのだけど……」


 お父様と新しいお母様はそう言っていたけれど、私『ずるい』って言われるのがちっとも嫌じゃなかったのよ?

 だって、わたしの持っているものが、やっていることが『羨ましい』ってことなの。『素敵』って言われているのだもの。

 こんな、空っぽな私のことが――――



 ――――お母様が亡くなったのは冷たい雨の降りしきる日のことだった。

 突然やってきた大切な人の死に、小さな私の頭は置いてけぼりだった。涙を流す大人たちの中で、お葬式の間中、私はお母様のお気に入りの小花刺繍のショールの縫い目をただじっと見つめていたわ。

 悲しい、もよくわからなかったの。だって、ずっと一緒だったお母様がいなくなってしまったの。ぽっかりと心に穴が空いて、それをどうしたらいいのかわからなかったのだもの。


 お葬式が終わっても私の日常は続いた。

 晴れた昼下がり、いつものようにお庭に出て私はガーデンチェアに座ったの。

 とてものどかだった。庭のバラは満開でミルラの香りがしたし、爽やかな風はサワサワと木の葉を揺らして、遠くからひばりのさえずりも聞こえたわ。いつも通りの私のお家。なのにお母様だけがぽっかりといなかったの。

 いつもならお母様が二人掛けの椅子の左側に座って刺繍をして、私は右側で絵本を読んだり庭で素敵なものを見つけてご報告したりしていたのよ? なのに肝心のお母様がいないだなんて。

 つまらなくてお庭をブラブラして、お屋敷の中もたくさん歩き回ったわ。そしたらお母様のお部屋の引き出しの中に刺しかけの刺繍を見つけたの。

 刺繍枠にはまったままの未完成の黄色い春の花。毎年お庭の花が一つ咲くごとにお母様の指先からも色とりどりの花が生まれていたんだった。

 もう二度とあの魔法は起こらないと思うと、胸がズンと重くなったわ。


 だから私、お母様の代わりに刺繍をすることにしたの。


 お母様はとても几帳面な方で詳しい設計図を書いてから仕事を始めていたから、私も設計図通りに針を刺していった。

 何度も何度もやり直して何日も何日も同じことを繰り返したら、ついには春の花が四隅で咲き誇る白いハンカチが出来上がってしまった。そしたらまた胸がズンと重くなった。


 これからどうしよう。

 もうすることが何もなくなってしまった。


 途方に暮れてお母様の部屋の中を引っ掻き回すとお母様の刺繍がたくさん出てきたから、それを全部新しい布に写し刺すことにした。

 お母様の針目と設計図と照らし合わせながら刺していると、お母様が何を考えていたのかがだんだん分かってきたわ。このお花は一番最初に春を告げるお花、だから新年の壁掛けにしていたのね。この模様は幸運の模様、だからお父様の持ち物には必ず入っていたのね。これは魔除けの模様、だから私の小さい時の服に必ず入っていたのだわ。……そんな風にね。

 でも出来上がったものには興味が湧かなくて、もうどこにやってしまったのかも覚えていない。ただお母様のことを思い出して恋しがっているだけの日々だったのね。それでも貴族の趣味として刺繍はありふれたものだったし、誰も私を止めたりなんてしなかった……。




 そんな生活をずっと続けてきた私のどこが羨ましいのかしら? でも、無邪気なイザベラがそう言うなら、そうなのかしら? そうなのかもしれない。……そうだといいな。そういう風に思ったの。


 だから私は新しくて可愛い妹になんでもあげた。

 ケーキも、お花も、くまのぬいぐるみも、全部全部イザベラにあげた。そしたらイザベラはお礼に天使みたいに可愛い笑顔をくれたの。

 それから金色の巻き毛を私に触らせてくれもしたの。私の髪は黒髪ブルネットで、しかも真っすぐだから触り心地が全然違っていた。ふわふわで、お日様のにおいがして、高く結っても下ろしても編み込んでも全部可愛いの。赤いリボンも青いリボンも、私の瞳と同じ萌黄色のリボンもとても良く似合った。イザベラが笑ってくれるなら物なんて私、なんにもいらないの。




「『ずるい』……かあ……」

 その日、私は庭でいつものようにガーデンチェアに座って手慰みの刺繍をしてイザベラのことを考えていた。白布をレースの形に切り抜いて白糸で縁をかがっていく。透かした模様が涼し気でこれから来る夏にぴったり。


 あんなに素直に人のものを欲しがる言葉が言えるなんて、イザベラは本当に素敵。


 お母様が亡くなってから……私は甘える言葉が言えたかしら?

 寂しそうなお父様の背中。

 亡きお母様の部屋で一人で肩を震わせていたのだって知ってる。

 なのに私に気づくといつも優しく微笑んでくれた。

 「大丈夫?」って聞いたら、「なんでもない」って頭をなでてくれた。

 なんでもないわけないのに。なのに私は「そう」って頷いてしまって。


 私もイザベラのように素直に言ってみれば良かったのかしら?

 『一緒に泣きましょう』って。

 ――――――いいえ、ダメね。私たち父子にはそういう適性がないのだわ。


 ついため息が出てしまった。

 ため息をつくと幸せが逃げてしまうっていうのに。


「お・ね・え・さ・ま!」


「きゃっ! びっくりしたわ、イザベラ! もう、いたずらっ子さんなんだから!」

 急に横からひょっこりと顔を出したイザベラにびっくりして心臓がドキドキした。

 赤いサテンのリボンでハーフアップにした金色の巻き毛がふわふわと揺れて、今日も天使のように可愛いいわ。この可愛さと人懐こさがあればどんないたずらだって許せてしまうのよね。

 イザベラは嬉しそうに笑いながら私の手元をのぞき込んだ。


「刺繍をしていたんですの?」

 貴族になったのだから、と頑張ってなじもうとして使い出した丁寧語が可愛らしい。無理することないってみんな言ったのだけれど、形から入りたいのですって。

 『お姉さま』と呼ばれるのにもまだ慣れなくて胸がくすぐったい。

「ええ」

「素敵な刺繍……お姉さまばっかりずるいー」

 ふふ……、また『ずるい』だわ。かわい。

 私は笑って作りかけの刺繍を差し出す。


「イザベラもやってみる?」

「でもわたし不器用だから……」

 意外に自分に自信がないイザベラが一歩引いてしまったから、私はイザベラの手をとって隣に座らせた。

 隣に座ってもじもじするイザベラは小動物みたいに可愛い。

「最初はだれもがそうよ。大丈夫、こういうのは慣れだから。一針一針丁寧にやっていけば必ず上手になるわ」

「えー? 本当かしら?」

 イザベラの手をとってチクチクと布に針を通していく。

 そうしたら、お母様に刺繍を教えてもらっていた頃をふっと思い出したの。

 イザベラの小さな手をとって丁寧に教えてあげると、緩やかに時間が流れていく気がしたわ。もう一人ぼっちの寂しい時間じゃないの。お母様との思い出をイザベラと分かち合っている気がして、私の心は温かいもので満たされていったわ……。



 その日からイザベラは晴れた日は私と庭で過ごすようになった。

 けれど、イザベラは刺繍を何回かしただけですぐに飽きてしまったの。

「わたしやっぱり向いていないんですー。こういう決まった繰り返しって全然ワクワクしない」

 投げ出された基本のステッチは針目も整っていない無残なもの。

「そう……」

 少し残念。これからはイザベラと一緒に楽しめると思ったのに。

「お姉さまは上手でずるいー。ずるいー」

 頬を膨らませるのもリスみたいで可愛くて私の顔も緩んでしまう。


「私も最初は上手じゃなかったのよ? 繰り返しするごとに上手になっていったの」

 私だってお母様に教えてもらっていた時はイザベラのようにぐちゃぐちゃだったもの。……こんなに上手になったのはお母様が亡くなってから。こんなに上手になったのよって、お母様に今なら自信を持って見せれるのに……。もう二度と会えなくなってから見てほしいだなんて、私ってすごくおかしいわ……。

「それができるのも才能ですわー。ずるいー。才能ずるいー」

 ぶーぶー言いながらイザベラはテーブルに上げていた図案の紙を見たの。

「大体、こういうのって全然心が躍らないんですもの。もうちょっと、このあたりにお花があったり色糸使ったりすればいいのに……」

 ブツブツ言いながら紙にスラスラと絵を描くイザベラ。


 亡きお母様の図案に描き加えられた薔薇の花はイザベラのように可憐で、私はびっくりしてしまったの。手を加えて素敵にするなんて私、考えもしなかったのだもの!

 私はイザベラが描く絵に目が釘付けになって胸がドキドキしたわ。

 ああ、なんて素晴らしいのかしら! 私のイザベラは!


「お姉さま?」

「イザベラ、ねえ、やってみましょうよ!」

「え?」

「あなたが描いた絵を私が刺繍にするの! それって、すごく素敵じゃない!?」


「でも……わたし、才能ないし……」

 戸惑って線を消そうとする手を私は慌てて止めたわ。もったいないもの。

「そんなの私だってないわ。私はお母様の刺繍を真似ていただけ。新しいものを作り出そうなんて思ったこともなかったわ。でもイザベラ、あなたは新しいものを作り出すのが得意な子なんだわ! まあすごい! すごい発見よ!」

 この子には『ずるい』の先があるのだわ! 素敵なものを見つけて羨ましがるだけじゃないの! ちゃんと自分の『こうしたい』があるのよ!

 私はその小さな芽吹きを育てたくなったわ。それこそ使命のようなものを感じたの。

 興奮して見つめる私にイザベラは照れたように笑って、それから真剣に図面と向き合ったの。

「そ……そうかしら……、じゃあ、ちょっと待ってね。ここをこうして、こう……、ああ、でもやっぱりここは色を変えて……」



 そこから二人の楽しい刺繍遊びが始まったの。

 イザベラが絵を描いて図案に起こした。そして、二人で刺繍していったの。最初は私だけが刺していたけれど、自分で考えた図案はイザベラもやりたくて仕方なかったみたいで二人で力を合わせて作っていった。

 最初は小さなハンカチから。次に小物入れ、ティーコゼ、クッションカバー、テーブルクロス……。屋敷中が色とりどりの刺繍で彩られていったわ。

 お父様の上着の内側にこっそりスターチスの花を刺繍するいたずらもしたし、お母様のお誕生日には花の刺繍がたっぷり入ったストールを二人で贈ったの。

 1年経つ頃にはイザベラの刺繍の腕も見違えるほど上がっていたわ。



「お姉さまずるいわー。このお花の縁飾りわたしも欲しいわ?」

 イザベラの『ずるい』は『素敵』と同じ。

 すっかり刺繍の魅力の虜になってしまったイザベラは他の人のものを持っていくことはなくなったの。だって、自分でもうなんだって作れるのだもの。それもより自分好みに、素敵にね?

「これはね、東洋の刺繍なの。針で編んでいくのよ。さ、一緒にやってみましょう?」


 イザベラは時には私に内緒で刺繍をすることもあったわ。

「まあ、イザベラ。ずるいわ! 私がお勉強している間にこんなに素敵なものを作ったの?」

 それはピンクの花の刺繍のイヤリングで、イザベラは嬉しそうに笑って私にプレゼントしてくれた。

 イザベラはとっても発想が豊かで、私が考えもつかないものをたくさんたくさん作っては私にくれたの。もちろんもらったものは全部宝箱に入れて大切にしているわ。宝箱の中身を一日の終わりに見ると、幸せな気持ちで眠りにつくことができるの。人参がどっさり入った料理を出す叔母様の家に行った後とかでもね。


「次はもっと大きなものを刺しましょう? もっと色糸を使って、金糸も使って豪華にするの!ビーズを縫い付けるのもいいわね!」

「それすごくずるいわ! いいわ! いいわ!」

 二人の楽しい時間はこうしてどんどんと過ぎていった。



 楽しい時間はあっという間。私はデビュタントを迎える齢になりイザベラと過ごす時間も減ってしまって、いつかはイザベラと離れて行かなくてはならない寂しい未来を予感した。

 実は私にも縁談は何件かきていたの。でもそれを受けてしまうとイザベラと過ごすことができなくなるのだと思うと、どうしても気乗りがしなくてすべて断ってしまった。

 でも私だって分かっていたのよ。ずっとイザベラと一緒にはいられないなんて。でも自分からこの可愛い妹と離れるなんて、どうしてもできなかったの……。

 イザベラがついに15歳になって、美しい薄紅色のドレス姿でデビュタントを迎えた時、私は嬉しさと共に胸がまたズンと重くなった。だってこの可愛い私だけの天使にはきっと結婚の話がたくさん来るでしょうから。私たちの別れももうすぐということなの。

 だから、私も次くる縁談は絶対に断らないと心に決めたの。ここで妹離れをしなくてはいけないのだと……。



 そしてある日ついにイザベラにも縁談が来たの。

「クラウス子爵家?」

 聞き返す私にお父様はうれしそうに頷いた。

「そうだ。それも兄弟二人と結婚できる姉妹を探しているという話なんだ。あの家はそういうしきたりのある家でね、何よりも一族の結束を大事にするんだ。それに、この前の王城での舞踏会でお前たちをご子息が見初められたとのことでね。――私もお前たち姉妹を引き離すのは忍びなかったから、これはいい話だと思っているんだが……」

「お姉さまと同じお家に嫁げるんですか!?」

「ああ」

「……!」

 私たちは手を取り合って喜んだ。

 イザベラと離れなくてもいいなんて! 私はこの時ほど神に感謝したことはなかったわ!



 それから、私たちはそれぞれの婚約者と対面したの。

 兄のヴィル様と私。弟のユリウス様とイザベラ。この組み合わせは年齢を考えてお父様方が決めてくださったの。でも性格が合わない場合は組み合わせを変えることも許してくださった。

 イザベラは私と離れることを不安そうにしていたけれど、物腰柔らかなユリウス様がイザベラを優しくエスコートしてくださって、見ている私もとても安心できたの。

 この人ならイザベラを幸せにしてくれるって、とても自然に信じられたのよ。


 ヴィル様は貴族には珍しくサバサバした方で、私をよく釣りに連れて行ってくださったわ。釣り糸を垂らしている時間が好きなんですって。私はその隣に座ってたくさんお話をした。でもだいたいはイザベラのことばかり。殿方を喜ばせる話題を私は一つも持っていなかったの。でもヴィル様はそんな私を可愛いって言ってくださったの。私の心に寄り添ってくれるヴィル様にすっかり私はほだされてしまって、少し泣いてしまった。だってイザベラを大切にする私を認めてくれる男性がいるなんて、思ってもみなかったのだもの。

 イザベラだって、ユリウス様とお出かけして家に帰ってくるときはいつも真っ赤になってぼうっとしていて、どう見ても恋する乙女だったのよ?

 イザベラも素敵な婚約者を得たのだと思うと、私、自分の事のようにすごくうれしかった。




 でも、結婚の日取りが近づくにつれてイザベラの様子が少しずつおかしくなっていったの。

 私を避けるようにして、目が合うと泣きそうな顔をしたりするの。刺繍を一緒にすることもなくなってしまったわ……。

 それに、せっかくユリウス様とお出かけしても暗い顔をして帰ってくるの。

 これは何かあったとしか思えなくて本人に聞いてみたのだけど、何も教えてくれなくて私はすごく困ってしまった。

 お母様に相談してみても、「結婚前は気持ちが不安定になるものよ。大丈夫」と言われてしまった。でもきっと何かあったに違いないの。それも、きっと結婚に関することに決まっているわ。

 ――――だから、私、ユリウス様に直接お話を伺いに行ったの。



「イザベラの様子がおかしいんです。ユリウス様、何かご存じありませんか?」

 ユリウス様とじっくり顔をつき合わせてお話するのはこれが初めてだった。

 ユリウス様はすみれ色の瞳で私をじっと見つめて首を傾むけた。長い銀髪がさらりと揺れて、とても美しい男性だと思ったけれど、隣に座ってくれているヴィル様と違ってなんだか底知れない感じがするの。ヴィル様が温かな暖炉の火だとすると、ユリウス様はまるで氷のよう。イザベラと一緒にいる時の雰囲気とはまるで違っていて私は驚いてしまったの。


「それは私も知りたいところだよ、アンジェリカ嬢。私にもイザベラは何も言ってくれないんだ。君こそ事情を知っているものだと思ったのだけどね」

 冷たい声音と怜悧な瞳が私を威嚇しているようで、私は身を固くさせてしまった。だって男の方が怒っている前に立つなんて初めてのことだったもの。


「ユリウス、そんな怖い顔をするな。アンジェのせいじゃないと言っているだろう? アンジェ、大丈夫だから」

 ヴィル様が私の手を握って勇気づけてくださると心がほどけていきそうになって、私は慌ててその手を離した。

 改めて心を引き締めてユリウス様に立ち向かう。そう、今大切なのは私じゃなくてイザベラのこと。


「ユリウス様がイザベラに何かなさったわけじゃないんですね?」

「当たり前だ。――――私は、彼女のことを愛している。そんな私が彼女の顔を曇らせるようなことをするわけがないだろう?」

 不快そうな眼差しを向けられる。……きっとその言葉に嘘はないのでしょう。

 だから、私は立ち上がって彼を冷ややかに見下した。


「そうですか。――――ですが、夫としてはそれだけでは不適格です。イザベラがあなたに何も言えないというのであればあなたは信頼されていないということ。この結婚の話は考え直させてもらうよう父にお願いいたしますわ」

 見返す瞳が一瞬ひどく動揺して、次には今にも私に殴りかかりそうなほど怖い顔をしたの。


「ユリウス」

 隣から低い声で制されると、ユリウス様は私から目を逸らす。

「……この結婚は、兄弟と姉妹でという条件のつくものだ。アンジェリカ嬢、私とイザベラの結婚がなくなるということは君とヴィルの結婚もなくなるということだよ? 分かっているのか?」

 抑えてもなお怒気をはらんだ声にも、私はもう怯まなかった。


「ええ――――。あの子の幸せが私の幸せ。イザベラが信頼できない相手と結婚するくらいなら、私も結婚せずとも結構ですわ。――――ヴィル様、ごめんなさいね」

 私はそうしてすぐに屋敷を後にしたの。

 これ以上話していたら、私……きっと泣いてしまっていたもの。ユリウス様が怖いからじゃない。わたしが怖いのは……ヴィル様だった。ヴィル様をどんなに傷つけただろうと思うと胸が張り裂けそうで……、ヴィル様のその時のお顔はとても見ることはできなかった……。




「イザベラ、この結婚はやめましょう。あなたが相談もできないような信頼できない相手と結婚してはいけないわ」

 イザベラの部屋でそう告げると、イザベラは泣き出してしまったの。


 可愛そうな私の妹……。

 私は隣に座ってイザベラのふわふわの髪を優しくなでてあげた。

「泣かないで、イザベラ。大丈夫、あなたはこんなに可愛いのだもの、きっといい人は他に見つかるから」

 私にはヴィル様の代わりなんていない……。それでも、イザベラだけは幸せになってほしいの……。


「違う……違うの……お姉さま……」

 私はイザベラの手を握ってあげた。

「何が違うの……? お姉さまに教えて……?」

 

「……わたし……お姉さまのことが大好きなの。なのに……わたしってずるいの。わたしがユリウス様と結婚するだなんて……」

 肩を震わせてうつむいてしまうイザベラ。

「こんなのって、お姉さまに対する裏切りではないかしら? だって、ユリウス様は一人なのよ? わたしがもらってしまってはお姉さまの分はないの。だからわたし、ユリウス様のことをお姉さまにあげようと思ったの。だって、わたし、たくさんのものをお姉さまにもらったわ……。だから、わたしだって一番素敵なものをお姉さまにあげたいって決めていたのよ?……なのに……どうしても……できないの……。わたし、ユリウス様のことを……どうしても……差し上げられないの……」

 イザベラは涙いっぱいの瞳で私を見てきた。心のせめぎ合いがそのまま溢れ出てきてしまったかのようなとても綺麗な涙。

「お姉さまはヴィル様でいいの? それはきっとわたしのためなのよね? お姉さまだってユリウス様がいいに決まっているもの! だってユリウス様は他に代わりがいないほど素敵な方ですもの!」


 私はそれを聞いてびっくりしてしまったわ。

 イザベラにとっての一番素敵なもの。私にとっての一番素敵なもの。

 それが全然一緒じゃないのだもの。

 だから私はついに笑い出してしまったの。


「まあ、イザベラ。そんなことを思っていたの?」

 笑いが止まらなくなってしまった私をイザベラはぽかんとした顔で見ていた。


 優しい子。

 私の愛しいイザベラ。


 私はイザベラの可愛らしい空色の瞳をまっすぐに見つめながら言った。


「そんなことないわ。私はヴィル様のことを真実愛していますもの。今さらユリウス様を愛しなさいなんて言われてももう遅いのよ。ユリウス様と幸せになれるのはイザベラ、あなただけなの」


「本当に?」

 疑うようなイザベラの様子にくすりと笑ってしまう。


「本当よ。私たち、驚くほど殿方の趣味が違うのね。……さあ、涙を拭いて。自信を持って? あなたが幸せでいればいるほど、私も幸せになれるのよ。相手の幸せを自分の幸せにできるなんて、私たちってなんてずるい姉妹なのかしら」


 イザベラは涙をすみれの刺繍の入ったハンカチで拭うとやっと笑ってくれたから、私たちは固く抱きしめ合った。


「お姉さま、大好き! 大好き!」


 抱きしめた体が出会った頃よりも随分と大きくなっていたことに、私はその時ようやく気がついたの。


「私もよ、イザベラ。私もあなたのことが大好きよ。世界で一番、大好きなの――――」


 私の頬にも温かいものが伝っていった。





 そして――――



 初夏の昼下がり、すみれの花咲くクラウス家の庭で私たちは二人で刺繍をする。それは場所が変わろうともいつまでも変わらない。


「まあ、イザベラ。このお花の模様、とってもずるいわ」

「お姉さま、これはね、この間王妃様から頂いた異国の刺繍なのよ。こうやってクジャクの羽根のように花びらを重ねていくの。ふくらんで見えてとっても素敵でしょう?」

「ええ。でももしかして、この前の鳥の刺繍とあわせたらもっと素敵にならないかしら?」

「! お姉さま! 天才だわ! じゃあ早速やってみましょう!」


 二人でお喋りをしながら刺繍をしていると、屋敷の中から二人の男性がこちらに来た。

「私の可愛い奥さん。迎えに来たよ」

 ユリウス様はイザベラに真っすぐに歩み寄って、その頬に流れるような自然な動きでキスをした。

「ユリウス様……! 針を持っているときはおやめくださいと……!」

 イザベラは赤くなりながら慌てて針を置いてぷうっと膨れてみせる。


「君になら刺されたってかまわない」

「もうっ。わたくしは刺したくありませんの!」

 ユリウス様は目を細めてイザベラの手を取る。ユリウス様の甘い仕草にいつもイザベラはいつもタジタジ。

「また刺繍に夢中なのかい? まったく、君のお姉さまはずるいな。私のイザベラを独り占めしてしまうんだから。さ、そろそろ夜会の準備をしに行かなくてはね」

「……まだだいぶ時間がありますわよ?」


「いいや、もうたいして時間もないんだよ。夜会の前に色々()()()()()()()()もあるしね」

 色気が溢れ出ているすみれ色の瞳でバチンとウインクされて、顔から湯気が出そうなくらい真っ赤な顔のイザベラ。

「は……話し合いって……!」

「それじゃあアンジェリカ、君の可愛い妹は借りていくね。また夜会で」

 ユリウス様はそう告げてイザベラのことをひょいっとお姫様抱っこした。


 私も幸せそうな二人を見て、頬に手を当てて冗談っぽく大げさに嘆いてしまう。

「ええ、ユリウス様。まったくずるいわ、イザベラったらこんなに愛されていて」

「ずるくない! ずるくないですぅっ! 助けてお姉さま! これじゃまた夜会に遅刻してしまうわ!」

「いいや君はずるいよ、イザベラ。まったくこんなに僕を夢中にさせて……」

 イザベラがジタバタしながら抵抗するのだけれど、結局はユリウス様に甘くつけ入られて連れ去られていってしまった。

 幸せっていいものね……。


 ――――あの後、私はユリウス様にすぐに謝りに行った。するとユリウス様は拍子抜けするほど簡単に許して下さって、私は二度と人の恋路を邪魔しないと約束させられた。結局私の空回りでイザベラの幸せを奪ってしまうところだったのよね。だからイザベラが私に助けを求めてきてももう邪魔はしない。もうイザベラは私の小さな妹なんかじゃなくて、立派なユリウス様の奥方様なのだから。

 そして私も――――


 私の傍らに立っている夫を見ると、彼もまた二人を温かく見守っていた。

 私が見ているのに気がつくと、手を差しのべる。

「アンジェ、俺たちも行こうか」

 私も夫の手を取って立ち上がって、ついでに彼の太い腕に腕を絡ませる。

「ええ。ねえ、ヴィル様。イザベラって、あんなに愛されていてずるいわね?」

 見上げるとヴィル様はすみれ色の瞳を細めてクツクツと笑う。

「なんだ? おねだりか? アンジェ」

 頬を大きな手で包まれて、私は彼の手に自分の手を重ねる。


「ええ、そうよ。二人を見てると私も愛されたくなってしまったわ」

 クスクス笑う唇にキスが落とされて、私たちもまた白い光の中、屋敷へと歩き出した。



(END)

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― 新着の感想 ―
[良い点] イイ話だ(*´∀`*)
[良い点] 心温まる姉妹愛、とてもとても素敵でした!! 優しくまろやかな気持ちになれました 皆、末永くお幸せにっっ
[良い点] 「ずるい」と言う言葉に「素敵」と言う意味を見いだし、ねだる妹のおねだりを「分かち合いたい」と言う形に落とし込んだその感性が「ずるい」
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