マードック商会へ行こう
「うーん、今日はどうするかなあ」
昨日は色々あって疲れた。商人仕事は相手の機微を読まないといけないから精神的に疲れるんだよな。人付き合いってのは人生において一番面倒だと俺は思う。だが、人は一人で生きていくのも難しい。
世捨て人にでもなって山の中で一人で暮らせば、人付き合いという煩わしさからは解放される。でもそんな生活では俺の心は満たされない。自分一人で出来る事なんて限りがある。服や食料など、欲しいものは全て自分で用意しなければならない。それもまた面倒である。
そういうわけだから、人付き合いが面倒であったとしても、適度に人と付き合っていかなければならないってことだな。というか、契約で魔王と月に一度は顔を併せなきゃならないから、世捨て人になるのは俺には不可能だな。
「今日はトレント狩りするか?それとも休みにするか?」
昨日、一昨日と仕事はしている。人のためではなく魔族のための仕事だけどな。だから一勤一休という生活リズムは崩れているわけだ。今日休んで乱れた生活を正すべきだろうか。それとも本来ならば昨日行うべきはずだったトレント狩りを行うべきか。うーん、悩ましい。
とりあえずマードック商会にでも顔を出すかな。あそこは高級なお酒を置いているので、月に一回は行っておきたいしな。
マードック商会は街の中心部に近い大通りに店を構えている。ダンジョンを中心に街づくりを始めたこのギャナンは、街の真ん中にダンジョンがある。そのためダンジョンを管理する冒険者ギルドや、ダンジョンから手に入った素材を扱う商会などは街の中心部にある。マードック商会もその一つだな。
「こんちゃー」
「おや、これはグレン様。本日はどういったご用件で?」
店に入ると出迎えてくれたのは商会長のマードック。普段は店の奥にいる事が多いが、トレントの事も聞きたかったしちょうどいいな。
「いや、いつもなら一日おきに売ってるトレントだが昨日は売ってないだろ」
「それで態々私の店の方まで。ですがお気になさらず。グレン様が狩りたいときに狩って、私たちのところにお売りいただければ。グレン様のご都合もあるわけですしね」
まあ、トレントハンターって言われるくらいトレントを狩って売ってるわけだからなあ。一日くらい売らなくても問題ないってことかな。
「すまんね。別件でたまに街の外に出る必要があるから、そこから数日はトレント狩れないんだ」
「そういえば以前もそんなことがありましたね。わかりました、心にとどめておきます」
これでとりあえずは用件の一つは完了だな。特に気にしてないってことだしよかったよ。あとは珍しいお酒があるかどうか確認したらここでの用事は終わりだな。
「あと何か珍しい酒は入ってる?あるなら買いたいんだけど」
「ええ、最近入荷した珍しいお酒が何点かありますよ。用意いたしますので、奥の部屋へどうぞ」
おお、ただの冒険者を部屋に招くとは。やはりここ最近はトレント材を全てマードック商会に売却しているからそのおかげかな。
部屋に通された俺は、丁稚が用意してくれたお茶とお茶菓子を頂きながらしばらくの間待つ。うーん、どっちも美味しい。いいのを使ってそうだな。まあ、俺はそこまで繊細な味はわからないから、なんとなくだけど。まあ、美味しければなんだっていいのだ。
「お待たせしました、こちらになります」
部屋に入って来たマードックは、丁稚と一緒に何本かのガラス瓶を持ってきた。
「ガラス瓶に酒ってマジか。普通は樽だろうに」
「ふふっ、実際に販売する際は樽ですよ。こちらは貴族様に売る際のものです。あと我が商会では、味を確認したい方へお試しいただく際に使っています」
「お、ということは味見をさせてくれるのか?」
「はい、グレン様には日頃からお世話になっておりますので」
そういってマードックは自ら酒をコップに注いでくれた。これはうれしい話だ。俺はコップに注がれた黄金色に輝く酒を受け取り、そのまま飲んだ。甘みが強く、ジュースみたいな酒だな。ただよくよく味わうと確かに酒だ。深みもあり、スイスイと飲んでしまいそうだ。
「うん、美味い!この酒は何の酒なんだ?」
「こちらはミードとなります」
「ミード?俺も何回か飲んだことはあるけど、ここまでの甘みと飲みやすさはなかったはずだけど」
ミードは確か蜂蜜を原料にしたお酒だったはずだ。以前飲んだミードは甘みはあったが、ここまでではなかった。蜂蜜を使ったお酒といえど、蜂蜜のような甘さはない。さらに酸味もあったはずで、こんなに飲みやすくはなかった。エールよりは美味かった気がするが、値段も高めであり、継続的に買って飲もうとは思わなかった。
「ええ、こちらのミードはハニービーの蜜を使った特別なものとなっています」
「ハニービーってあの蜂型の魔物の?」
「そうです。ハニービーが作る蜜は高級品で貴族様方からもよく求められます。そのハニービーの蜜をお酒にした新商品です」
ハニービーの蜜はそのまま舐めてもよし、お菓子に使ってもよし。非常に高級な甘味として有名だ。それを使って酒を造るとは。確かに蜂蜜から作るミードという酒があるから、ハニービーの蜜で作っても大丈夫と思ったのかな。
「これはいい酒だな。ただ、材料が材料なだけに、結構な値段がすると思うけど」
「ええ、一樽で金貨一枚となっています」
「やっぱそれくらいするか」
金貨一枚あったら平民一家四人が半年は食っていける値段だ。ちなみにトレント材は大きさにもよるが一本当たり大体で銀貨十枚。銀貨百枚で金貨一枚と同じ価値になるから、このミード一樽はトレント材十本分の価値があるってわけだな。
まあだからこそ俺にこのミードを紹介したのかもしれない。下手な冒険者の稼ぎじゃ買えない代物だが、俺なら買おうと思えば買える値段だからな。もしくは今は買えなくとも、その分トレントを狩りまくればすぐに購入代金は稼げると思われたのだろう。
「この商品は最近生まれたばかりのものでして、数があまりないのです。作った者は実験で少量だけ作ったと言っていました」
「まあ、高級なハニービーを使うわけだし当然だよなあ」
「そのため、グレン様といえども今回お売りできるのは一樽だけとなります。今後量産されれば、売れる量も値段も変わってくるかと思います」
「この味で希少価値もある。なら買わざるを得ないな」
「ありがとうございます」
今後量産されるのに期待だな。だけどこの酒はどうしよう。自分一人で飲むか、それともシェリーザに土産として渡すか。これ、絶対シェリーザが好きそうな酒なんだよなあ。一人で飲んで後でばれたら、俺のことを本気で殺しにかかってくるかもしれん。そんなのがきっかけで勇者と魔王の戦いが始まるとか馬鹿馬鹿しい。おとなしく来月の土産として渡そう。それが世界の平和につながる。
「続いてですが、これらのお酒の原料は全て火酒です。その火酒に果物を漬けて、さらに味を調整したものとなります」
「へぇ、火酒に手を加えたのか」
「はい、いくつか種類がありますのでご確認ください」
そう言われていくつかのコップに酒が注がれる。きつい酒精が鼻まで漂ってくる。だがそれに反して飲みやすい。これは漬けた果物の味かな。果物を漬けるとその酒精がまろやかになって飲みやすく感じる。これはいいな。正直なところ、俺は火酒はあまり好きではなかったのだが、これはいい。
「うーん、これも全部美味い!一樽辺りいくらになる?」
「一樽辺り銀貨五十枚です。こちらも先程のミードと同じく試しに作って見た実験品でして……」
「数は少なくて希少だからか。今後安くなるのに期待だな。全種類、買えるだけ貰えるか?」
「はい、ありがとうございます。ですが、全てお買い上げになられますと、お持ち帰りの方はいかがなされますか?」
確かにその問題があるな。収納スキルのことは絶対言えないし……。仕方ない、一つ札を切るか。マードックは信頼できそうな人物だしな。
「実は先日、ダンジョンでアイテムバッグを手に入れたんだ。それにいれれば持ち帰られると思う」
「おお、それでしたら大丈夫そうですね!ですが普段のトレント狩りでトレントを入れていないという事は……」
「ああ、トレントが入るくらい容量が大きくないんだ」
ということにしておかないと、何故普段使わないのかと言われかねない。加えて、トレント材を欲している奴らから、アイテムバッグに入るだけ狩れという圧力がかかりかねない。主に貴族とかいう連中だな。というか、アイテムバッグは俺のじゃないから、普段使いにするのは気が引けるんだよなあ。俺は収納使えば問題ないし。
「それに、低ランクの冒険者がアイテムバッグを持っているとうるさく言ってくるやつもいるからなあ」
「なるほど、仰ることはわかります。それでしたら、グレン様がアイテムバッグをお持ちとのことはここだけの話とさせていただきます」
「悪いね」
アイテムバッグは物によって入る量が違ってくる。アイテムバッグはその容量によって値段も大きく変わるが、アイテムバッグ自体が希少なものだ。
冒険者が持っていれば一種のステータスにもなる。そのなかに食糧やポーション類を入れられれば身軽になり、冒険もしやすくなるからな。
だからこそ、ソロであり低ランクの俺が持っていることが知れ渡れば、面倒事に巻き込まれるのは必然だろう。だから、持っていることは明かさない。
「それではお手数ですが、お酒を保管している倉庫まで一緒に来ていただけますか?アイテムバッグを私めにお預けになるのは不安でしょうし、あまり人目につかない方がいいでしょうから」
「わかった。気遣い感謝するよ」
俺はそのまま倉庫まで案内され、ミードと果物が付けられた火酒の樽を購入できるだけ購入した。金貨が十枚ほどなくなったが、今までの魔物素材の販売額はまだまだある。それに、これらをシェリーザに飲ませれば、金などいくらでもかき集めてくるだろうし。
「お買い上げまことにありがとうございました」
「こちらもいい買い物が出来たよ。またトレントは明日にでも納品するよ」
「はい、お待ちしております」
店の前まで見送ってくれるマードックを背にして歩き出す。流石に飲酒した今からダンジョンに潜る気はない。うん、今日は休暇だな。このまま酒場にでも繰り出したいところだが、あれだけ良い酒を試飲させてもらったからなあ。エールとかの安酒の気分じゃない。
ちょっとお高い料理店にでも行ってみようかな。そこならいいワインの一つでも置いてあるだろうし。よし、そうと決まれば今日は『富尾阿蔵』にしよう。
ここは内臓や尻尾など本来は捨てられる部位をメインの素材とした料理店だ。レバーなどの内臓は丁寧に処理して素晴らしい料理に変える。内臓類は料理人の腕で大きく味が変わるが、ここの料理は粗野じゃなく優雅で気品がある味わいなのだ。
よし、そうと決まれば早速行こう。うーん、今日もいい日だな。