第八十八話 『君の価値はそれだけじゃない』と言ってくれる人が居るという事
瑞穂の怪我から一日。何とも言えない無力感に包まれた俺は、何をするでも無く、ただベットの上で寝転がっていた。昨日、前十字靭帯について少しネットで調べた。瑞穂の言ったとおり、靭帯の怪我は長期間に渡るリハビリが必要らしい。
「……くそ!」
何度になるか……俺は部屋の壁を殴る。理不尽だ。この上なく……理不尽だ。
俺は日本人で、そもそも神様なんか信じちゃいねぇ。『貴方は神を信じますか?』なんて駅前で言われても苦笑して通り過ぎるぐらいに。それでも、今回ばかりは神様を怨んだ。誰よりもバスケが好きで、誰よりも真剣に練習に取組んでいる子から、バスケを奪うなんて……性格が悪すぎるぞ、畜生め。
「……」
そして――その一端は、間違いなく俺にもある。
「……練習、させ過ぎたか……?」
もし、あの時、練習を止めていれば。
そんな、考えてもどうしようも無い事が浮かんでは消える。あの時、俺が練習を止めていれば、もうちょっとセーブさせていれば、そうすれば瑞穂は――
「……くそ……」
もう一度、壁を殴ろうとした時だった。
「……電話か……って茜?」
机の上のスマホが鳴る。着信を見ると、そこには茜の名前があった。
「……なんだ?」
『おにい? おはよ』
「……おう」
『その……聞いた。瑞穂のこと。理沙から』
「……そっか」
『……責めてない、おにい? 自分のこと』
「……エスパーかよ」
『……分かるよ。でもね? おにいのせいじゃないよ。ううん、誰のせいでも無い』
「……」
『……こんな事言っても慰めだよね? ごめん』
「……いや」
『それでさ? その……理沙から電話貰ったって言ったじゃん? それで……理沙と雫がおにいに逢いたいらしいんだ』
「藤原と……誰だ?」
『雫だよ。有森雫。私たちの代のセンターだった子!』
「……ああ。あの大きいヤツか」
身長は高いし、どっかのスクールで小学校からバスケしてたらしいから上手かったけど、いまいち印象にない。どっちかと言えば内気なヤツだったイメージだし。
『言っちゃダメだよ? 雫、気にしてるんだから。それでね? 今、実家の近くの公園に居るって。その……もしよければ、行って貰えない? 瑞穂の事で話したい事があるって』
「……実家の近くの……ああ、あそこか」
『……いける?』
「……そうだな。ちょっと時間が掛かるけど、良いか?」
『うん、それは大丈夫だと思う。一応、電話はしとくね?』
「分かった。それじゃ、俺も直ぐに出る」
電話を切り、俺は部屋の外へ。と、廊下では心配そうにこちらを見やる桐生の姿があった。
「……東九条君」
「……ちょっと出て来る」
「……うん。気を付けてね?」
「ありがと。それと、ごめんな? うるさかったろ?」
「……ううん、良いの。その……あんまり、思いつめないでね?」
そんな桐生に苦笑を浮かべ、俺は家を出て駅に向かう。電車を乗り継いで、実家の最寄り駅に着いた俺は、一路公園を目指す。
「……よう。悪い、待たせたな」
「あ! 先輩……急にすみません」
「すみませんでした!」
公園内のベンチに腰掛ける女子二人に声を掛けると、昨日もあった藤原と、久しぶりの再会となる有森が、ぴょこんと立ち上がって礼をする。その二人に目線だけで座る様に促し、俺も二人の隣に腰を降ろす。
「その……すみません、急に」
「いいさ。藤原は昨日ぶりで……有森は久しぶりだな。天英館だったのか?」
「ご無沙汰してます、東九条先輩! そうですよ、天英館です」
そう言ってにっこり笑う有森。なんだか昔の姿とかけ離れた明るい笑顔に少しだけびっくりして……そして、その姿がなんだか懐かしくて、昨日からしかめっ面しか浮かべて無かった俺の顔にも笑みが浮かぶ。そんな俺にもう一度笑顔を返して、有森は口を開いた。
「今日、瑞穂のお見舞いに行ってきました」
「そっか……部活の合間にか?」
「いいえ。昨日あんな事があったので……まあ、今日と明日と明後日、部活は休みです。なんか安全対策がーとかで」
「……試合中の怪我だろ?」
「ウチ、そうは言っても進学校ですしね。そういうとこ、結構煩いんです。屋上の出入りは自由な癖に」
そう言って肩を竦める有森。
「……今日のお見舞いで瑞穂の所に行って来たんですが……瑞穂、バスケ部を辞めるって言ってました」
「ちょ、ちょっと雫!」
「回りくどい事をしてもしょうがないでしょ、理沙?」
「そ、そうだけど! でも、順序とかあるでしょ! す、済みません、東九条先輩!」
「いいさ。いいけど」
それを、なんで俺に言う? そんな俺の疑問を受け取ったのか、有森はにっこりと笑って。
「単刀直入に言います。東九条先輩、何とかしてください」
有森の言葉に、俺どころか藤原までも目を丸くする。
「雫! いきなり何言ってんのよ!」
「理沙、ちょっと黙ってて」
有森はそう言うと、視線を俺に固定する。
「先輩、瑞穂とは浅からぬ仲でしょう?」
「浅からぬって……そりゃ、まあ……浅くは無いけど」
「中学時代から瑞穂と東九条先輩を見てますからね。あの子、昔っから東九条先輩に懐いてましたし……知ってます? 最近、あの子のプレイスタイルが変わったの?」
「智美の真似をしてたとか言うヤツか?」
「そうです」
そう言って溜息。
「あの子、どれだけ智美先輩とか同期の私たちが言っても聞かなかったのに……それがどうです? ここ数日足らずの間で、瑞穂のプレイは劇的に変化しました。まあ、正確には元に戻ったと言う意味ですが……先輩、瑞穂と練習してたんですよね?」
「……ああ」
「私らがあれだけ言ったのに聞かなかったあの子が、先輩の一言でコロリとプレイスタイルを変えたのには若干嫉妬しましたが……まあ、それはいいです。ここで重要なのは『瑞穂は東九条先輩の意見なら素直に聞く』と言う一点です」
「……バスケの時だけだろ?」
「他ならぬそのバスケの怪我で、彼女はバスケ生命を絶とうとしています。聞く余地は……少なくとも、話してみる価値はあるんじゃないですかね?」
そう言って、有森はもう一度大きく溜息をついた。
「はっきり言うと、私は瑞穂がバスケを続けても、辞めてもどちらでもいいと思います。そんな事で瑞穂の価値は変わらないし、私達は彼女の友人ですから」
「……」
「ああ、誤解しないで下さい。私個人としては、瑞穂のプレイは好きだし、あれだけ真面目に練習に取組む姿勢には好感を持ってます。三年の最後の時まで、瑞穂と一緒にコートに立っていたい、そういう気持ちはあります。ありますが……」
そう言って、寂しそうに微笑む。
「……リハビリ、結構辛いんですよ」
「……お前もやったのか?」
「小五の時に。私は靭帯じゃなくて半月板の方ですが」
「……そうか」
「手術して、一年間リハビリしました。リハビリ中は辛くて辛くて……体力的にも勿論ですが、特に精神的に。ちゃんと練習出来るんだろうか? 試合には出れるんだろうか? チームメイトとはどれぐらい差が開いてるんだろうか? そもそもバスケは出来るんだろうか? ……辛くて、苦しくて、何度枕を濡らしたかわかりません」
「……でも……お前は復帰したじゃないか。その事を、瑞穂に話してやれば……」
俺の言葉に、有森は静かに首を振る。
「無理ですよ。私とあの子では身長が違いすぎます」
「……」
「事実、リハビリから復帰して私は直ぐにレギュラーに戻りました。チームの中でも私はずば抜けて身長が高かったですから。バスケは身長じゃない、とよく言われますが、それは、『身長差は技術で補える』って意味であって、『身長はいらない』って意味じゃないです。先輩にこう言う事を言うのは失礼でしょうが……全く同じ実力の選手なら、当然背の高い選手を使うでしょ?」
「……ああ。その通りだ」
「……すみません、脱線しましたね。話を戻します。先程も言いましたが、私は別に瑞穂がバスケを辞めるなら辞めてもいいと思っています。うちのバスケ部は実力も伯仲していますし、帰ってきて必ずレギュラーの座がある、という保証はありません。それならば辛いリハビリに耐えろ、と言うのは経験者として……何より友人として、口が裂けても言えません」
ああ、と思った。こいつは……有森は、藤原は、本当に瑞穂の事を心配しているんだな、と。同時に何でだか分からないけど、俺の胸に暖かいモノが溢れた。
「瑞穂がバスケを辞めるか、それとも手術を受けて続けるか。それは瑞穂の考えを尊重します。それでも……あの子が、瑞穂がそのどちらを選んだとしても、後悔をしないようにしてあげて欲しいんです」
有森はそう言ってこちらに視線を向ける。言い辛そうに、口をもごもごとさせて。
「……どうした? 言いたい事あったら言えよ?」
「その……失礼かも知れないんですけど……」
「いいぞ」
「……その……東九条先輩、バスケを止められたじゃないですか?」
藤原が『ちょっと雫!』と慌てた様に声を上げる。そんな藤原を、俺は手で制した。
「構わねーよ」
「そ、そうですか? その……先輩もだと思うんですけど、瑞穂も……バスケ大好きな子で、ずっとバスケばっかりしてたじゃないですか? 止めるのは彼女の自由なんですけど……その……」
「……経験者として止めた後のケアをしろ、と」
「……です。その、東九条先輩、今は……その、そんなに辛そうじゃないと言いましょうか……上手く言えないんですけど……楽しそうに、見えるので」
「大丈夫だ。言いたいことは大体分かるから」
「そうですか? 良かったです。それで、その、こんな事頼めた義理じゃないのは百も承知ですけど……」
そう言って有森は頭を下げる。つられて藤原も。
「お願いします!!」
「お、お願いします!!」
二人揃って、深々と。
「頭を上げろよ」
「聞いてくれます?」
「……」
「聞いてくれるまで、頭を上げません」
「……分かった」
俺の言葉に、二人とも弾かれたように頭を上げる。全く……お前、幸せものだぞ、瑞穂。
「なんとかしてみようとは思ってたんだ。どこまで出来るか分かんねーけど……どのみち、俺もこのままでいいなんて思っていなかったしな。それと、お前らが頭を下げる必要はねー。お前らに言われるまでもなく、アイツは俺の可愛い妹分だしな」
そんな俺の言い様に、二人は目を見合わせてきょとんとした後、こちらに視線を向ける。なんだよ?
「いえ……瑞穂、可哀想にって」
「は?」
「なんでも無いです! とにかく、よろしくお願いします!」
「任せとけ……と、言いたいところだが……どこまで出来るかは未知数だぞ?」
「分かってます。先輩が動かれて無駄なら、その時は別の手を考えます」
「……あるのか?」
俺の問いかけに、有森はにっこり笑ってサムズアップ。
「甘いお菓子と、カッコいい男の子が居れば、バスケの事なんて直ぐ忘れられますよ! あの子だって女の子ですし!!」
そう言って茶目っ気たっぷりに笑う有森。全く……
「藤原の時も思ったが……お前、そんなキャラだったか?」
昔はもうちょっと大人しいヤツだと思ってたんだが……
「女は変わるんですよ、先輩?」
「……全くな」
「でも、いい成長でしょ?」
「……ああ」
「惚れました?」
「いや、そこまでは……」
「でも! 私、身長が百八十センチ以上ない人とは付き合わないって決めてるんです! ごめんなさい!」
「人の話を聞け!」
全く……女子バスケ部は話を聞かない集団か?
そう思いながら俺は苦笑して……
……なあ、瑞穂。お前、神様に感謝しろよ? こんな素晴らしい友人を二人も与えてくれたこと。
そんな、さっきまでと正反対の事を考えたりしていた。
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