第八十七話 その努力は、報われず。そして、努力をする事すら、取り上げられる。
瑞穂の収容された病院は、市立の総合病院だ。スポーツ医学ではそこそこ有名で、俺自身も何度か世話になった病院だ。
「……靭帯?」
「……ええ。前十字靭帯損傷」
病室の前の廊下では、智美が疲れたように顔を伏せている。瑞穂が体育館で倒れてから、既に七時間。時刻は午後六時を指している。他の部員たちは心配そうな顔をしながらも帰っていき、部外者たる俺に最後の面会が回ってきたってわけだ。隣では桐生も心配そうな顔を浮かべている。
「……その……治るのか?」
「……解るでしょ? 不治の病ってわけじゃない。全治まで一年。それだけやったら、普通の生活は出来るわ。でも……今みたいに、競技レベルのバスケをしようとすれば……手術しなくちゃいけない」
言葉を失くす。バスケットに限らず、スポーツ選手って奴は多かれ少なかれ『持病』って奴を持ってる。身体ケアもスポーツ選手にとって重要な練習の一つ。一つだが……
「……ヒロ」
今にも泣き出しそうな表情で、智美が俺を見やる。
「……どうしよう……瑞穂……瑞穂……」
「智美」
「私が……私がもっとちゃんと見てあげれば……そうすれば……」
「……智美」
智美の肩にそっと手を置くと、智美の体がびくっと一瞬震えた。一杯に開いた目には涙が溜まり、ゆっくりと頬を伝って落ちていった。
「ヒロ……ヒロ……」
智美は俺の胸にすがり付いて泣き出した。俺は背中をポンポンと叩く。
「……ごめん、ヒロ」
「気にするな」
十分ほどそうしてただろうか? 智美は顔を上げる。
「……本当につらいのは瑞穂だもんね。行ってあげて」
智美の言葉に首肯。隣に居る桐生に視線を向けると、黙って横に首を振った。
「……私は鈴木さんと一緒に居るわ。貴方が行ってあげた方が……きっと、川北さんも喜ぶだろうし。私が隣に居るよりも、ね?」
その言葉に小さく頷き、俺は病室のドアを開けた。
「……誰?」
「……俺。浩之」
「……ああ。浩之先輩ですか~」
薄暗い病室で、瑞穂の居るだろう辺りに声をかける。
「……電気ぐらいつけろよな?」
そう言って、病室の電気をつける。病室の奥にはベットがあり、テレビ、小型の冷蔵庫なんかが備え付けてある。個室だ。
「……具合はどうだ?」
なんとも言えない俺の問いかけに、瑞穂は苦笑しながら自身の足を指差して見せる。
「どうだ……と言われましても……見てたでしょ?」
そう言って苦笑を返す瑞穂。それにつられて俺も苦笑を返す。良かった。思ったより元気そうだ。
「派手に転んだな?」
「ええ。相当派手に転んじゃいました。浩之先輩……見てましたよね?」
「ああ。しっかりくっきり見させてもらったぞ」
「うう……恥ずかしすぎる」
そう言って布団を口元まで上げ、目だけでこちらを見る瑞穂。その愛らしい姿に苦笑を微笑みに変え、俺も近場の椅子に腰を掛ける。
「途中までは凄く調子良かったんですよ? もう、スリーポイントとかバシバシ決まって!」
「見てた。惜しかったな。つうかびっくりしたぞ。お前、上手くなったな?」
「今日は神懸ってましたんで! もう、もの凄く調子よくて! 相手のガードの選手とか置いてけぼり! みたいな感じで!」
「すげー悔しそうな顔してたもんな、相手」
「そうなんですよね~。くそー! 残念だー!」
「……まあ、ゆっくり養生しろ」
「……はーい」
「スポーツしてりゃ、怪我なんてつきもんだ」
「……」
「智美も言ってたろ? 瑞穂は少し頑張り過ぎだって。まあしっかり休んで、復帰第一戦でしっかり俺にプレイを見せてくれ。今日並みの、スーパープレイをな?」
きっと――俺は、考え違いをしていたんだろう。
「……んですか?」
瑞穂があまりにも元気に笑うから。
「ん?」
そうだ。
「――復帰戦なんて、何時になるって言うんですか!」
――平気なハズ、なんて無いのに。
突如病室に響く怒号。怒号の主……瑞穂に視線を向ければ、そこには目に涙を溜めた瑞穂の姿があった。
「先生に聞きました! 手術しなければ、二度とバスケは出来ないって! それでも、一年から二年は見てくれって! 二年ですよ? もう、高校でバスケは出来ないんです! ううん、手術しても絶対バスケが出来るわけじゃない! もしかしたら、一生バスケは出来ないかもしれない! バスケが出来たとしても……今みたいにプレイ出来るかどうか、わかんないですよ!」
「みず……ほ?」
「仮に出来るようになっても、二年間のブランクがあるんです! 下手くそな……練習ぐらいしか取り柄の無い私が……二年間も練習が出来ないんです! 二年間ですよ? 浩之先輩、覚えてますか? 小学校の頃のコーチが言ってました! 『一日練習をサボれば、取り返すのに三日いる』って! それじゃ、私は? 二年練習をサボれば、取り返すのに六年かかるんですか!? そんなの……そんなの!!」
「……」
「――もう、私はバスケが出来ません! 復帰戦なんてものは無いんです!」
そう言って、布団をぎゅっと握り締め、瞳から涙を流す瑞穂。掛ける言葉なんか……俺にあるわけが無い。
「……浩之先輩?」
どれくらい、そうして居ただろうか。
「……どうした?」
瞳に涙を湛えたまま、瑞穂はこちらに視線を向ける。顔に浮かべた笑顔は、とてもとても儚げで。
「浩之先輩、私の事、嫌いですか?」
「……突然なんだ?」
「嫌い……ですか?」
「……嫌いじゃねえよ」
「良かった。嫌われてたら、どうしようかと思いました」
「……嫌いなヤツのバスケ練習に付きあうほど、暇じゃねーよ」
ですよね~と、笑って。
「じゃあ……浩之先輩? 私を、抱いて貰えませんか?」
室内の温度が一気に下がった気がした。
「お前……何、言ってんだ?」
「抱いてください、って言ったんです。先輩、私と男と女のイイコトして下さい」
「……冗談はそれぐらいにしろ」
「いいじゃ無いですか。浩之先輩、私の事嫌いじゃないんでしょ? なら、私を抱いてくださいよ。私、経験も無いし下手くそかも知れないですけど、一生懸命頑張りますから。だから――」
「瑞穂!」
俺の怒号にも、瑞穂は怯まず俺を睨みつけてきた。
「……私は……何をしたらいいんですか?」
「……」
「今まで生きてきた中の大部分の時間をバスケに使ってきました。その私から、バスケを取り上げて……私には、何が残るんですか? なにも残らないじゃないですかっ! 私に、価値なんて無いじゃないですかっ! だから、抱いて下さいよ! 私に価値があるって、浩之先輩が教えて下さいよっ!!」
「……瑞穂! 少し落ち着け!」
首を左右に振る瑞穂の肩に手を置こうとして、その手を振り払われる。
「……努力が私を裏切ったとしても、私は努力を裏切りたくないのに! その為に、今までずっと頑張って来たのに! 苦しくても、悲しくても、辛くても、私は努力をし続けて来たのに! 試合に出られなくても、頑張って来たのに!」
「……」
「努力だけが私の取り柄だったのに! 努力しか私には無かったのにっ! そんな……そんな努力を取り上げられて……」
――努力を裏切った私に、一体、何が残るのか、と。
「……瑞穂」
「……帰って下さい」
「いや、だが!」
「帰って下さい!」
瑞穂の怒声が、部屋に響く。
「……帰って……くだ……さい。今は……誰の顔も、見たくないっ!!」
後に響くのは……瑞穂の泣き声だけだった。
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