第六十話 ズルい女
ベッドの上に寝ころび、俺はここ数日ですっかり見慣れた自室の天井を見上げていた。頭の中ではぐるぐる、ぐるぐると秀明の言葉が回る。
「……」
智美が、東桜女子を蹴った? 東桜女子って言えば、この辺でバスケしている女の子の憧れの学校だぞ? その学校を蹴って……それで、なんで強くもなんともない天英館に居るんだよ? バスケをマジでやる選択をするなら、絶対にありえない選択肢なのに。
「……バスケにマジじゃない?」
……いや、そんな事はない。智美は上背もあるし、本気で取り組めば東桜女子でレギュラーも取れる。それぐらいの実力は充分にある奴だ。じゃあ、なんで?
「……俺のせい、か?」
……俺のせい、だろうか? 俺のせいで、智美は自らの可能性を閉ざして、それで――
「……東九条君? 起きてる?」
不意に、コンコンコンとノックされる扉。その音に現実に戻される様、俺は視線をそちらに向ける。
「……起きてるぞ」
「……ちょっと、良いかしら?」
「……どうぞ」
俺の言葉に、遠慮がちに部屋のドアが開けられる。なんだか気まずそうな表情を浮かべる桐生の姿に、知らず知らずの内に苦笑が漏れた。
「……どうした?」
「どうしたって……その……貴方、夕食の時も元気なかったし……ちょっと心配で」
「自殺でもしそうだったか?」
「……そこまでは……でも、そうね。どこかに居なくなっちゃうんじゃないかと思ったわ」
「……わりぃな。迷惑掛けないって言って、いきなり迷惑掛けてるんだもんな。びっくりしたろ?」
「……そうね。びっくりはしたわね」
「秀明の告白か? 俺もびっくりしたわ、アレ」
「それもだけど……貴方があんなに感情を露わにするのも初めて見たわ。あそこまで怒るなんて」
ちょっとびっくりした、と笑い桐生はベッドまで歩を進めると俺の隣にポスンと座る。
「……近くね?」
「ダメ?」
「ダメじゃねーけど」
なんとなく、落ち着かない。そんな俺の微妙な表情を見て桐生はクスリと笑って見せた。
「……お疲れだったわね、今日も」
「……だな。なんか、最近疲れるイベントが多い気がする。それもこれも茜のせいだな」
全く。あいつ、流石に爆弾ぶっこみ過ぎだろ?
「……嘘ばっかり」
「……」
「……少しだけ、『ほっ』とした顔してるわよ、今」
「……別にほっとはしてないぞ? 問題山積みだし」
本当に。全然、ほっとはしてない。
「……そう?」
「まあな。でも……これで、良くも悪くも進まなくちゃいけないしな」
秀明の想いは本物だろう。ならば、俺は俺で答えを出さなくちゃいけない。じゃないと秀明も智美も、皆不幸になるから。
「……茜の言ってた事ってこれだったんだな」
「なにを言っていたの?」
「『おにい達が前に進まないと誰も幸せにならない』って」
「……」
「……きっと茜は分かってたんだろうな」
ボスンとベッドに寝転がり天井を見つめる。茜はきっと分かっていたんだろう。分かっていて、だからこそこんな爆弾を放り込んだんだろう。
「……恨んでいる?」
「茜をか? んー……どうだろう?」
「……」
「……恨んではいないかな。むしろ、至らない兄に色々教えてくれて感謝すらしている」
「……そう」
「まあ、やり方、もうちょっと考えてくれれば良かったのに……とは思うけど……」
でも、きっとこれぐらいの『劇薬』じゃないと俺らは動けなかっただろう。何も見ず、何も聞かずにそのまま過ごしていたんじゃないかと思う。そして、抜き差し出来ない状況に追い詰められていた様な気すらしている。
「……ある意味で、早めに気付かせて貰ったのかもな」
「……出来た妹さんね」
「知ってるか? 兄妹のどっちかが不出来だと、どっちかは優秀らしいぞ?」
「その理論で言うと妹さんの方が優秀?」
「まあ、間違いなくな」
出来た妹だぜ、全く。
「……」
「……」
しばし、流れる沈黙。少しだけ冷静になれる様なそんな時間の中で、口を開いたのは俺だった。
「……なあ」
「……なに?」
「俺……間違ってたのかな?」
「なにが?」
「智美との」
いいや。
「三人の関係」
俺たちはずっと一緒だった。
笑った時も、泣いた時も、怒った時も。
楽しい事も、悲しい事も、腹が立つ事も。
三人で経験し、三人で分かち合い、三人で歩いて来た。
「……それが、正常な形では無かったのかもしれないけど」
それでも――きっと、俺は思ってたんだ。
「――もうちょっとだけ、このままで」
進みたいと。
進めなくちゃいけないと。
そう思いながら――でも、俺はこの場で留まりたいと……そうも思ってたんだ。
「……なさけねー……つうか、格好悪い話だけど」
「……まあ、否定はしないであげる。格好良さで言えば、今日の古川君の方が格好良かったと思うもん」
「……厳しいご意見、どうもありがとう。でもまあ……その通りだよな。秀明の方が大人だよ、俺より」
ため息、一つ。
「……なんで、智美は東桜女子に行かなかったのかな?」
「……」
「……秀明、言ってたよな? 『あの時の浩之さんの状況を聞くと』って。それってアレだよな? 俺が、落ち込んで誰とも喋らない様な生活を送っていたから……だから、俺の為に天英館、選んでくれたのかな?」
「……分からないわよ、そんなの」
「……だな」
「もしかしたら古川君が言う様に練習に付いていけないと鈴木さんが判断したかも知れない。貴方が言うように、貴方の事が心配だから傍に居てあげたいと思ったのかも知れない」
「……」
「……でも」
そこまで喋り、桐生は少しだけ言い淀む。その後、俺から視線を外しておずおずと口を開いた。
「……今から、ズルい事を言っても良いかしら?」
「……内容にもよるけど……いきなり怒り出す事はしないと思う」
「そう? それじゃ……これは私の考えだけど」
きっと、貴方と一緒に居たかっただけじゃないの、と。
「……」
「無論、鈴木さんに聞かなければ分からないわよ? 厳しい練習が本当に嫌だったのかも知れないし、貴方の事が心配だったのかも知れない。でも……ううん、勿論その理由もあるんでしょうけど、そういう理由を全部ひっくるめて」
鈴木さんは――ただ、貴方と一緒に居たかったんじゃないかしら? と。
「……」
「あなた方三人はいつでも一緒の幼馴染だし……一人だけ離れ離れになるのはイヤだったと、そうは考えられないかしら?」
「……そんなの」
そんなの、分からない。
「ええ、分からないわ。でもね? きっと、私ならそう思うもの」
――貴方と、離れたくない、と。
「……智美の気持ちになれば、ってこと?」
「いいえ。桐生彩音の本心よ。貴方が何処かに行ってしまうのは、とても……とても寂しいもの」
「……」
「だから……私よりも、ずっと付き合いの長い鈴木さんはそう思っても不思議では無いわ。貴方はそう思わない?」
「……」
「私はそう思う。だから――」
――別に、貴方のせいじゃない。
「貴方は悪く無いわよ」
「……慰めてくれてるのか?」
「いいえ。言ったでしょ? 『ズルい事』を言うって」
「……何処が?」
「だって私、今弱っている貴方に対して『貴方は悪く無いわ、私は貴方の味方よ?』って言ってるのよ? 例えはアレだけど……フラれた異性に優しくして好きになって貰うのと手口は一緒じゃない」
「……手口って。それ、バカ正直に言う? 黙っとけばよくねえ?」
「言うわよ。だって貴方は私の事を『優しい』と勘違いしそうだもの」
「ダメなのか?」
「ダメよ。私は優しいワケじゃないもの。欲望のまま、貴方に優しくしてるだけだから。勘違いされたまま、幻滅されるのも御免だしね?」
そう言ってにっこりと微笑む桐生。
「賽は投げられた、という言葉があるわ。既に盤上でサイコロは回っているの。でもね? そこから先、どういう目が出るかは貴方達次第よ。願わくば、皆に取って最善の選択を選んでくれることを心から願っているわ」
「……」
「……まあ、少しばかり私に慮った対応をしてくれると嬉しいけど? でも……その辺り、お任せするわ」
「……りょーかい」
微笑む桐生に苦笑を返し。
「――頑張ってみるよ。上手く、進める様に」
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