第三十八話 幕間。或いは、東九条君がただただ幸せなだけな話
レビュー、ありがとうございました。最近糖分過多なんで今回は甘さ抑えめです。
「ふわー……おはよ」
「あら、おはよう。ふふふ、お寝坊さんね?」
「土曜日くらい、ゆっくり寝かせてくれ」
「そうね。いつも貴方に早起きさせてるものね。土曜日くらい、ゆっくりしてくれれば良いわ。コーヒー淹れましょうか?」
「んー……さんきゅ。貰うー」
「はいはい。ちょっと待ってね」
リビングで読書をしていた桐生は未だに寝ぼけまなこな俺に苦笑を浮かべながらコーヒーを淹れる。部屋中に漂うコーヒーの豊潤な香りで、俺の意識も少しだけ覚醒しだした。
「はい。どうぞ」
「ありがと」
「ミルクと砂糖は?」
「ブラックで良いや。シャキっとしたいし」
「そう。良く飲めるわね、ブラック」
「無理なのか?」
「ミルクと砂糖が必須ね。そもそも私、紅茶派だし」
「流石、お嬢様」
「なんでよ」
「いや、なんかお嬢様って優雅に紅茶飲んでるイメージない? 茶葉に拘るというか」
「まあ、人に寄ってはそうかもね。でも私、本当にそこまで拘りは無いのよね。紅茶派って言ったけど、別にコーヒーよりは、って感じだし」
そう言って桐生は手元のカップに一口口をつける。なるほど、そう言われて見れば桐生がコーヒー飲んでるの見た事無い気がする。
「……それはそうと東九条君」
「どうした?」
「今日のご予定は?」
「今日?」
今日の予定か。特段することは無いが……
「まあ、家でゴロゴロかな?」
「そう」
「あ、なんか買うものがある? 荷物持ち必要なら一緒に行くけど?」
「いえ……ああ、そうね。荷物持ちと言えば荷物持ちだけど」
そう言って手元の本を上げてみせる桐生。ああ、なるほど。
「全部読んだってか?」
「そうね。この一冊で終わりよ」
「そっか。それじゃ――」
……あれ?
「なあ、前回本借りたの、三週間前じゃね?」
「正確には先々週の火曜日ね。二週間と四日かしら?」
「……お前、二週間で二十冊読むって言ってたような気がするんだが」
遅くね、読むペース? いや、それにしたって十分早いんだろうが。そんな事を思いながら桐生の顔を見る。そこには少しだけ困った様な表情を浮かべる桐生の姿があった。
「そうなのよね……最近、読むペースが遅くなって来てるのよ」
「そうなの? なに? 具合が悪いとか?」
「いえ、そうじゃなくて……なんか、勿体ないなって」
「勿体ない? ああ、アレか。読み終わるのが勿体ない的な?」
分かる。俺も集めてる漫画の最終巻とか、『これ読んだらこの物語も終わりか~』って感慨深いものがあるからな。結局、最終巻読み終わるのに一か月も掛かったし。
「ううん。そうじゃなくて」
「そうじゃない?」
「うん、そうじゃなくて……その……」
そう言って、少しだけもじもじとして。
「……い、家では東九条君が居てくれるでしょ? そ、その……い、いっぱい、お喋りしたいな~って」
「……」
「も、もちろん、読書は好きよ? で、でもね、でもね? 読書って基本、一人で完結しちゃうじゃない? い、今まではそれで良かったんだけど……そ、その……今は、それじゃちょっと勿体ないし……さ、寂しいから」
頬を染め、上目遣いでもじもじしながらそんな事を宣う桐生さん。
「そ、そっか! そりゃ、光栄だな!」
……鼻血出るかと思った。
「……うん。私ね? この世の中で一番好きな事は読書なんだって思ってたんだ。自分一人で出来るし、読んでる間はワクワクも、ドキドキも出来るし。これ以上、好きな事は無いな~って思ってたのに」
――もっと、好きなモノが出来るなんて、と。
「貴方と一緒に居ると……本を読むよりももっと、ワクワクも、ドキドキも出来るから……」
「あ、あはは」
「ふ、ふふふ」
「……」
「……」
「……」
「……ま、まあ! それはともかく! ねえ、東九条君! 図書館! いこ!」
「お、おう! まあ暇だしな! 付き合うぜ!」
……なにこの甘酸っぱい感じ。いや、嫌じゃないよ? 嫌じゃないけど。
「そ、それじゃ私! 着替えて来るね!」
そう言って慌てた様に立ち上がると桐生はリビングのドアを勢いよく開けて室外に飛び出す。そんな桐生の背中を見つめて。
「……辛抱利くのか、俺」
社会的に殺されるのだけは――ああ、違う。万が一があったら豪之介さんに樹海に送られるんだった。
◆◇◆
「着いたー!」
「……なんだかんだ言ってやっぱり本好きは本好きなんだよな」
「そうね。やっぱり本は好きよ?」
にこやかに笑ってそういう桐生。別にジェラシーを感じる訳じゃないけど、ちょっとだけもにょっとしてしまう自分の器の小ささに呆れながら、図書館に目を――
「……あれ? あれって藤堂さん?」
「あら? 本当ね? なにしてるのかしら、香澄さん?」
図書館の隣にある大きな花壇の前でしゃがみ込み、何やら作業をしている藤堂さんがその手を止めて腰に手をやって『んー』っとばかりに伸びをする。と、俺らと目があった。
「あれー? 彩音ちゃんとカレシじゃん。なに? また図書館デート?」
大声でそんな事を叫びながら、軍手を付けた手をこちらにブンブンと振る藤堂さん。やめて。周囲の視線が痛いから!
「……藤堂さん。マジ勘弁」
「およ? どうした、カレシ? 照れてる?」
「照れるって言うか……あのですね? 俺と桐生はそういう関係じゃないんですよ。だから、そんな風に言われると迷惑というか……」
「……ふーん」
「……なんですか?」
「いや、彩音ちゃんの顔を見てからもう一回、同じセリフ言ってみ?」
「桐生の?」
なに言ってるんだこの人? そう思いながら桐生の顔を見ると、『どうしたの?』とばかりにきょとんとした顔を見せている。
「……ええっと」
「……パないね、彩音ちゃん。表情変えるの早すぎじゃない?」
「なんの話です?」
「こっちの話。それで? 今日も本借りて帰るんでしょ? 私は今日はちょっと忙しいから君たちのイチャラブを拝見出来ないんだけど、まあゆっくりしていってよ!」
「いや、イチャラブなんてするつもりはないですけど……っていうか藤堂さん、何してるんですか?」
「んー? 見て分かんない? 花のお世話よ、花の」
「花のお世話って……そんな事もやるんですか、司書さんって。なんか……よく知らんのですけど、用務員さん的な人は?」
「まあ、普通はその人がしてくれるんだけどね? 今日はお休みだし、水遣りぐらいはしておこうかな~って思ったんだけど……ちょっと、元気ない子見つけちゃったから、栄養剤ぐらいはさして置こうかなって。そしたら他の所も気になりだしてさ~。結局、雑草抜きしてるところ」
「元気ない子って」
「花、好きなんだよね私。本の次くらいには好きだよ?」
「そうなんですか」
「何が良いって、愛情掛けるとちゃんと戻ってくるのが良いよね。人間と違って」
「……なんか闇が深そうな言葉なんですが」
「ん? そう? ま、良いじゃん。それじゃ私は戻るから。ごゆっくり~」
そう言って手をひらひらと振って戻って行く藤堂さん。なんか最後のセリフがそこはかとなく気になるんだが……
「……香澄さん、辛い恋愛でもしてるのかしら?」
「……触れちゃダメなやつだよ、きっと」
藤堂さんに幸あれ!
「……ま、ともかく行こうぜ?」
「……そうね。でも……花、ね。良いわね、お花。ねえ、東九条君? 帰りに花屋さんに寄って帰らない? 家の中、殺風景だと思ってたのよ」
「そりゃ良いけど……あれ? お前も好きなの、花?」
「私だって女の子ですもの。花を愛でる気持ちぐらいはあるわよ?」
「あー、まあ、確かに。お前、恋愛小説推奨派だったもんな。そりゃ、花も好きか」
「それは偏見じゃないかしら?」
「そうか?」
それになんとなく、『令嬢』っていうと花なイメージもある。
「ちなみに一番好きな花は?」
「バラかしら」
「……イメージ通りなんですが」
綺麗なバラには棘があるって言うし。桐生、棘だらけだもんな。綺麗だけど。
「……何か失礼な事を考えて無いかしら?」
「まったく」
「……本当かしら? まあ、バラって純粋に綺麗じゃない? それに、花言葉も素敵だし」
「花言葉?」
「ええ。バラの花言葉って結構特殊でね? 本数によって変わるのよ」
「へー」
そら知らんかった。そうなの?
「基本的には恋愛絡みばかりだけど」
「そうなの?」
「良くあるでしょう? 映画やドラマでプロポーズのシーンにバラを渡すの」
「ああ、あるな」
「本来は百八本のバラの花言葉なのよ、アレ。『結婚して下さい』って意味ね」
「……煩悩の数じゃん」
「……その辺りの由来は謎ね。ただ、その言い方、止めない? 一気に下世話な話になりそうだから」
「……そうだな。ちなみに一本だったら?」
「一目惚れとか……貴方しかいない、って意味もあったかしら。ちなみに、二本だとこの世界にふたりだけ、三本で愛していますの意味になるわ」
「へー。結構面白いな」
「花言葉の本とかもあるし、良かったら借りてみたら? 折角図書館に来たんだし」
「あー……でもまあ、そこまでは良いや。興味沸いたらお前に聞くし」
「……人任せね。まあ、良いけど」
そう言って少しだけ呆れた様に苦笑をして見せた後、俺の顔をじっと見る桐生。
「……なんだよ?」
「……そうね。やっぱり九本、かしら? 五本とか……あるいは八本も捨てがたいけど……うん! やっぱり九本ね!」
「九本? なにが?」
「もし、私があなたにバラを贈るとしたら、よ」
「……なんか不吉な数字なんだが……なに? 呪い殺しますとか?」
「馬鹿ね。そんな訳ないでしょ? 気になるなら、自分で調べてみれば?」
楽しそうに笑いながら『行くわよ』と先導する桐生の後姿を眺める。九本? 首を傾げながら、俺はポケットからスマホを取り出して。
「……? ――っ!」
……顔が熱いんですが。
「……調べるんじゃなかった」
なんだろう……凄く、照れ臭い。照れ臭いが……
「……まあ、悪い気はしない……かな?」
「東九条くーん! はやくー!」
図書館の入り口で手を振る桐生に『すぐ行く』と返し、俺はスマホの画面をもう一度見つめて――ちょっとだけ、ほっこりするものを胸に留め、図書館の入り口に歩みを進めた。
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