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第三十五話 たとえ、世界中の誰からも間違っていると言われたとしても


「……昔話? 東九条君の?」

「ああ。まあ、情けない話だが……聞くか?」

「……いいの?」

「良いに決まってんじゃん」

 そもそも、俺から聞いてくれって言ったんだし。そんな俺の言葉にコクンと頷く桐生に、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……俺が昔、バスケットをしてたのは言ったよな?」

「……川北さんが言ってたわね。凄く上手かったって」

「凄く上手かったかどうかはともかく……まあ、そこそこ上手かったのは確かだな」

「国体選抜候補でしょ? 上手かったに決まってるじゃない」

「そっか。まあ、少なくとも通ってた中学校では一番上手かったかな? エースって呼ばれてたし……一年からレギュラーで、試合でも活躍してた」

「……」

「……俺が初めてバスケットボールってスポーツを見たのは小学校一年の頃だ。今でも、あの日の光景は鮮明に思い出せる。その日、俺らは暗くなるまで遊び呆けてたんだ」

 小学校に上がり、ようやく新たな友達とも仲良くなった夏休み前。日が高い夏の日に俺達はすっかり時間を忘れて校庭で遊び呆けて、気が付けば辺りはすっかり薄暗くなっていた。そうは云っても小学校一年生。暗闇が迫る恐怖と、こんな時間まで子供だけ遊んでいたことをきっと親に叱られるという恐怖から俺も俺のツレもすっかり涙目になって。

「……泣きべそを掻いていた俺と友達の前で、急に体育館の電気が煌々と灯ったんだ。何事か、と思った俺らが慌てて体育館のドアを覗いたら」

 そこで、今まで見た事のないスポーツに興じている人々を見た。

「小学生からしたら広い体育館の中を所狭しと走り回る、自分と同じぐらいの年齢の子供たち。最初こそ何をしているんだろうと訝しんだけど……」

 そこで一人の少年のプレイに目を奪われた。

「俺よりは少し年上のその少年が、自分の頭ほどあるオレンジ色のボールを、まるで自分の手足かの様に器用に操り、自分よりも年上だろう少年を置き去りにし、やすやすとゴールを決めたんだ」


 その姿のなんと華麗で、美しい事か。


「……結局、心配した俺の母親が俺を見つけるまで俺はその場で立ち尽くし、ずっとその少年のプレイを目に焼き付けていたんだよ。心臓がずっとバクバクいって、うるさいぐらいに興奮した」

「……」

「俺の憧れの人だな。川北誠司さんって言うんだが」

「川北さんって……」

「瑞穂の兄貴。誠司さん。今も大学でバスケやってる」

 そのプレイが頭から離れなかった俺は直ぐに母親に直訴して誠司さんの所属するミニバスのチームに入れて貰った。

「誠司さん、無茶苦茶上手くてな。ポジションこそ違うけど、ずっと憧れで一緒に練習させて貰ってた。それから暫くして智美も入って来て、一年経ったら瑞穂も入って来て……最初、瑞穂の事を川北って呼んでたら、誠司さんに『紛らわしいから浩之は瑞穂って呼べ』って言われてな」

少しだけその時を思い出し微笑む。

「……毎日、凄く楽しくてな。自分がちょっとずつ、でも確実に上手くなっていくのが実感できて。そうなると、スポーツ……に限らねーか。なんでもそうだけど、出来ないことが出来る様になったら楽しいじゃん?」

「……そうね」

「だからな? 俺は毎日練習してた。苦しい練習とかもそりゃあったけど……でも、凄く楽しい日々だったんだ」

 メキメキと実力を付けて行った俺は地元の中学校に進学する。普通の公立中学校、まあぶっちゃけさして強くもなく……俺は当然の様にレギュラーになった。

「俺が中学校二年に上がってすぐの時かな? 俺は国体選抜候補に選ばれた。すげー嬉しかったよ。涼子も智美も瑞穂も、それに誠司さんも喜んでくれた。中学校のチームメイトも、凄く喜んでくれたんだ。『これで全国大会に行けるな!』なんて気の早い事も言い出すヤツもいて……俺もすっかりその気になってさ? 練習もそれまで以上に頑張って」


 そして――壊れた。


「……浮きこぼれ、って知ってるか?」

「……ええ」

「感じが悪いのは百も承知で言うが……ああ、そうだな。もう、誤魔化しは無しだ。俺は上手かったんだよ。その中学校では圧倒的に、誰よりも――先輩達よりも」

「……そうなの?」

「俺の通ってたミニバスのチームの連中はさ? 俺と智美以外、みんな別の中学校に進学したんだよ。だから、先輩たちも皆中学校からバスケをはじめた人ばっかだったから。経験値が違うさ」

 丁度学区の境目だからな、俺と智美の家は。

「だからまあ……そんな先輩たちは俺にムカついてて……ある時、部室で先輩に殴られたさ。『お前のせいでレギュラーから落ちた』ってな」

「……本当に、唾棄すべき人間ね、その人。私がその頃貴方に出逢ってたら、引っ叩いてやったわ!」

 憤慨した様に赤い顔をして怒る桐生。その姿がなんだか嬉しくて、俺は先ほどよりも優しく桐生の頭を撫でる。

「……あんがとよ。でも、大丈夫。それは智美がやってくれた。涼子も怒ったし、瑞穂もな。それに、誠司さんもわざわざ注意しに来てくれたんだが……それが余計に癪に障ったみたいでな?」

「……胸糞悪い話ね」

「女の子が糞とか言うな。まあ、癪に障った諸先輩方からちょこちょこ嫌がらせはされたが」

「……だから、バスケットを止めたの?」

 桐生の言葉に俺は小さく首を振る。

「……違うの?」

 横に。

「別に、先輩方なんて知ったこっちゃねーと思ってたんだよ。俺らの代で頑張ればいい、どうせこの人たちは夏でいなくなる。そうなれば、俺らの時代だって……そう思ってたんだ」

「……」

「チームの雰囲気は最悪だったが、それでもバスケは楽しかったから続けた。夏の大会が終わり、先輩たちがチームを去って俺がキャプテンになった」

 今考えると最悪な人選だと思う。顧問はきっと俺のバスケの実力だけ見て決めたんだろうけど……まあ、見る目が無かったんだろうな。バスケ、素人だし。

「……俺はキャプテンになって自分で練習メニューを組み立てたんだ。どんなチームと当たっても勝てるよう、全国制覇とは言わないまでも……せめて、全国大会に出場できるぐらいのチームにはしたいって……笑う?」

「……聞いて見ないと分からないわよ」

「だよな。自分でも相当ナルシストだとは思うんだが……当時の俺は『俺が五人居れば、全国ぐらいは行ける』って思ってたんだ」

「……笑わないわ。貴方は、そう思っていい実力があったんでしょうから」

「さんきゅ。だから、練習メニューは俺がいつもやってるメニューにした。シュート練習もランも持久走も……俺は試合に勝つためのメニューを選んだ。スポーツってさ? やっぱり勝ってなんぼだと思うんだよ」

「レクリエーションで無いのなら、答えは是ね」

「部活レベルではきっと、勝つ方が良いと思ってたんだよ、俺も。だって、そうじゃないと『楽しく』無いから。そう、思ってたんだけど」

「……」

「……チームメイトに言われた。『お前と一緒にするな。ちょっと才能があるからって、皆が皆、お前と同じ様に出来ると思うなよ』ってな」

「……」

「……正直、ショックだった。俺はバスケが好きで、頑張って来た。皆もバスケは楽しいって言ってた。なのに、同級生に……『仲間』にそんな事、言われるんだって。じゃあ、今まで楽しいって言ってたのはなんだったんだよって……そういう風に思ったんだ」

「……そう」

「でもな? それでも俺はこのチームで頑張りたいって、そう思ったんだ。バスケは好きだったし、そう言われても……基本、気の良い奴らだったからな」

「そうかしら? 気が良い人間は努力している人間をそんな風に言わないんじゃない?」

「俺にも悪い所があったんだよ。練習メニュー、確かに厳しかったし。後輩には『東九条先輩、鬼っす』って言われてたしな。だから、同期は後輩の言い分を俺に伝えてくれたんだよ、きっと」

「……貴方がそう言うなら、何も言わないけど」

「……それで、俺は練習メニューを少し変えた。具体的には『楽』にしたんだ。シュート練習も、ランや持久走のメニューも減らして、毎日ミニゲーム入れてな。皆、喜んだよ。『バスケはやっぱり楽しい』って、サボりがちだったヤツも徐々に練習に出て来る様になった」

「……」

「……迎えた新チームになっての初めての公式戦である新人戦で、俺らは負けた。人の事は言えないけど、相手は聞いた事もない弱小校に、だ。そら、そうだろ? 持久走してないから後半は俺らのチームはバテバテだし、シュートも入らねー。勝てる訳ないんだよな。俺は悔しくて悔しくて……泣きそうになるのを必死に堪えたんだよ」

 ため息、一つ。

「――でも、チームメイトはそうじゃなかった」

「……でしょうね」

「分かるか? そうだ。俺らのチームメイトは笑ってたんだ。『善戦だった』『よく頑張った』って。その姿見て……なんだろうな? これ、俺の好きなバスケットじゃないって思ったんだよな」

「……」

「……その姿を見て違和感を覚えながらもバスケを続けたんだけど……どうしても、自分の中でしっくり来なかったんだ」

「勝てないから? 勝てない練習をしているから?」

「そうじゃない。そうじゃなくて」

 そうじゃなくて。



「『本気』を『手抜き』している、から」



「……」

「俺が大好きだったバスケットを、俺は裏切り続けてる気がしたんだ。それでも、チームメイトは毎日楽しく練習してる。試合になれば頑張るし、勝てば喜び、負ければ悔しがる……違うな、悔しがる『ふり』をする。俺、なんだか自分が何をしているか分からなくなってきて……だから、中三に上がる前にバスケ部止めたんだ。このままじゃ、俺が俺じゃなくなる気がしてさ」

 そこまで喋り、ゆるゆると息を吐く。



「……結局俺はな? 桐生みたいに出来なかったんだよ。頑張る事を……誰にじゃなく、自分自身で頑張る事を――諦めたんだ。俺は、弱い人間だから」



 ――きっと、俺たちはよく似ている。


 全方位に努力をし続け、高みを目指す桐生と。


 一方位に努力をし続け、高みを諦めた俺と。


 進み方は違えども、歩む道は、同じ。


「俺はお前の生き方が、純粋に凄いと思う。格好いいと、そうも思う」



 きっと、その姿は――誰にも慮る事なく、自身が求める道を突き進むその姿は、俺がかつて諦めた、道だから。



「だから――最初の質問に戻るな、桐生?」


 そう言って、俺は瞳を揺らす桐生と目を合わして。


「――お前の事を軽蔑することなんて、有り得ない。胸を張れ、桐生彩音。お前の生き方は絶対に間違っていない。誰にも気を遣う必要なんてない。お前はお前の、好きなように生きろ。やりたいように生きろ」

 それでも。

「それでももし、お前がその生き方が疲れると、もう無理だと言うのなら」

 その時は。



「俺がお前を、全力で支えてやる。許嫁として」



 ――もしかしたらそれは、代償行為なのかも知れない。

 自身が諦めた道を突き進む桐生に、もっともっと進んで欲しいと願う、我儘なのかも知れない。



「……たぶんな、桐生。俺はお前に憧れてたんだよ」



 たまに、思う。

 もし、あそこで誰にも迎合することなく、生きて行けたらと。バスケットを続けていたら、もしかしたら俺はもっと高みを目指させていたかも知れない、と。そして、その道を突き進む桐生の手助けをしてやりたいと、そう思う。俺に何が出来るかなんか、分かんないが……それでも、疲れた時に寄り掛かる事の出来る存在にはなりたいと思う。

「……いいの?」

「いいよ」

「私は……私は、このままで……良いの?」

「ああ」

「東九条君は……東九条君は!」

 そんな私を見て。


「――嫌いに……ならない?」


 お願いだから、と。


「離れて……いかないで」


 潤んだ瞳でこちらを見つめる桐生。俺は、精一杯の優しさを込めて、桐生の頭を撫でる。




「――例え、世界中の皆がお前を間違っていると、認めないと言っても――俺は、お前の味方だ、桐生」




 涙腺が決壊したのは、すぐだった。


「ぐす……ひく……」

「……泣くなよ」

「だっ、だって……ぜ、絶対、嫌われたと思ったんだもん……あんなキツイ子、絶対東九条君が離れて行くって……そ、そう……ひっく……思ったんだもん……」

「離れて行かねーよ。心配すんな。そもそも、許嫁だろ?」

「そ、そんなの……か、形だけじゃん! ……ひっく……よ、良かったよ……」

 心から安堵した様に笑みを作り――失敗。泣き笑いのままの顔でこちらを見上げる桐生に、俺も微笑みを返す。

「ほれ。泣き止め、桐生」

「う、うん……ぐす」

「だー! もう、泣くなよ?」

「だ、だって……わ、私、ずっと頑張って来て……で、でも、その努力は誰にも認めて貰えなくて……ずっと、嫉妬されて、悪意にさらされて、馬鹿にされて……そ、それでも頑張って来て!」

 だから、と。

「東九条君が、私を……ひっく……み、認めてくれて!」

 それが。

 そのことが。



「とっても……とっても……嬉しいもん。涙だって……出るよぉ……」



「……そうだな。お前、頑張って来たもんな。えらい、えらい」

「子供扱いするなぁ……」

「あー……わりぃ。そうだな。それじゃ」

「撫でるの、やめるなぁ! もっと撫でろぉ!」

「……どないせいと」

 我儘姫となった桐生さん、下を向いたまま俺の手に頭をぐいぐいと押し付けてくる。なんだか猫がすり寄って来るようなそんな仕草を眺める事しばし、桐生は袖口でぐいっと涙を拭いた。

「……ん! もう大丈夫!」

「……随分と男前な涙の拭き方だな。もう良いのか?」

「うん、もう平気。その……東九条君のおかげで」

「……そうかい」

 そりゃ良かったよ。元気が出たなら、慰めた甲斐もあったってもんだ。そんな事を思っていると、丁度五時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。

「……まるまる五時間目、サボっちゃったね」

「そうだな。このまま六時間目もサボるか。どうせ数学だし」

「数学だしって……」

「なんか今日は面倒くさくなったしな。ホームルームだけ出て帰ろうぜ?」

「……なんか、ごめんね?」

「いいさ。丁度サボりたい気分だったし」

 にしても……座りっぱなしで腰が痛い。背もたれがコンクリートという事もあって、体中がバキバキいってる。少しだけ体を解そうかと思い立ち上がった所で。

「東九条君」

「ん? どうした?」

「さっき、貴方は私に言ってくれたわよね? 自分は弱い人間だ、と」

「……まあな。そうだろ? 俺は弱くて……そして、お前は強い。自分自身を貫けるお前は――」

「そうじゃない、と私は思うわ」

「――そうじゃない?」

 ええ、と一つ頷き。

「貴方はバスケをずっと頑張って来たんでしょ? 辛い練習を耐えて、厳しい環境でチームを纏めようと、努力したんでしょ?」

「……まあな。失敗したけど」

「ううん。失敗じゃない」

「失敗だよ。だって、練習を手抜きして、『楽』な方に逃げたんだぞ?」

 努力する事を止めた俺は、きっと弱い人間で――



「――それは『弱い』んじゃないの。貴方のは『優しさ』よ」



「……」

「きっと、苦悩もあったでしょ。このままで良いのかとも思ったでしょう。だって、そうでしょ? 貴方は言ったわよね? 『本気』を『手抜き』するって。私だって分かるわ。本気を手抜きすることは、どれほど辛い事か。でも、貴方は皆の為に練習を『楽』にしたのではなくて? 楽しそうに練習する姿を見て――本気を手抜きして、自分を押し殺してまで、貴方は皆の事を考えてたんじゃないの?」

「……」

「私にはきっと、その決断は出来ない」

「それは……桐生が強いから」

「いいえ。私が一人だからよ」

「……」

「自らの事を押し殺してまで、人の為に尽くす事の出来る貴方は、弱い人間なんかじゃない。貴方は優しい人間で――そんな、貴方の優しさが、私をも救ってくれた、そんな貴方の優しさが」




 私は、大好き、と。




「だから――胸を張りなさい、東九条浩之。貴方は決して、間違ってなんかない。逃げたなんて、卑屈になる必要はない。貴方は貴方で良い。後悔なんてしなくていい。だから――これだけは言わせて? なによりも、貴方の優しさに救われた、私に」


 そう言って、桐生は胸を張って。




「――例え、世界中の皆が貴方を間違っていると、認めないと言っても――私は、貴方の味方よ、東九条君!」




「……真似すんなよな」

「ふふふ。真似しちゃった」

 目を赤く腫らしたまま、それでも悪戯っ子の様な『にしし』という笑みを浮かべて見せる桐生に。


 ――少しだけ、救われた気がした。


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[気になる点] 彼は同じ仕事(練習)をしても同じ賃金(成果,フィードバック)が得られる訳ではないと言う人間として当たり前の理不尽に目を向けることができなかったんだろうなと思った 『凡人は成功者が積…
[気になる点] 「……俺が昔、バスケットをしてたのは言ったよな?」 「……川北さんが言ってたわね。凄く上手かったって」 「凄く上手かったかどうかはともかく……まあ、そこそこ上手かったのは確かだな」 「…
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