第三十四話 悪役令嬢へ至る道。それはきっと、自らを守る為のもの
「ちょ、桐生! 待てよ!」
「こないで!」
運動神経抜群の桐生。女子とは思えないほどのスピードで駆け抜けて行ったが……まあ、それでも俺だって元運動部だ。なんとか追いついて、桐生の右腕を掴まえた。
「離して!」
「離せるか!」
「大声、出すわよ!」
「おま、それはマジで勘弁」
校舎裏で涙目の女の子ウィズ冴えない男子が右腕を握りしめる。完全にアウトです、どうもありがとうございました。
「そうよ! 私が此処で大声出したら、貴方、最悪停学まであるわよ! 私がある事ない事言ったらね! それがイヤなら離しなさい!」
「イヤに決まってんだろうが! 停学なんて勘弁だよ!」
「じゃあ!」
「でもこの手を離すのもイヤなんだよっ!」
「だからなんでよ! 関係ないでしょ! 放っておいて!」
「関係ないって……あのな? 俺とお前、許嫁だろ? 関係ない訳無いだろうが」
「そうだけど……所詮、形だけよ!」
「そっか」
……そっか。形だけ、か。そんな事言うんだな、お前?
「……お前さ? 俺と『楽しく』やって行きたいって言ってたよな?」
「……」
「図書館にも行ったよな? 散歩にも一緒に行ったよな? お祭りだって行ったし……あれ、『楽しく』無かったか?」
「……」
「俺はすげー楽しかったぞ? いや、まあ……祭りなんかは正直ちょっと困ったけど……でも、すげー楽しかった。また行きたいって思う程、凄く、凄く楽しかったんだ。それって、どういう事だと思う?」
「……知らない」
「……俺はさ? きっと、お前の事が『気に入ってる』んだよ。まあ、恋愛感情抜きにして『好き』なんだよな。そんじゃさ? そんな『好き』な子が泣いていて……ああ、そっか。この言い方は若干、自意識過剰かも知れんし……まあ、ズルいとは思うけどさ?」
一息、言葉を溜めて。
「――お前さ? 俺が泣いてて、放っておく?」
「……」
「……」
「……ズルいよ、東九条君。そんなの……ズルいよ」
「そっか。やっぱりズルい?」
「ズルい。放っておけるワケ、無いもん」
「だろ? だからまあ……こうして手を掴んでるわけです。なんで、大声とか出さないでいてくれると助かる」
「……」
俺の言葉にコクン、と頷いて見せる桐生。と、同時、お昼休みの終了を告げる鐘が鳴った。
「……お昼休み、終わっちゃった」
「だな。どうする? お前、そんなウサギみたいな目で教室帰れないだろ? 折角だ。五時間目はサボって行こうぜ」
「そ、そんなのダメよ! サボりなんて……それに、貴方は大丈夫でしょ? 私は目の腫れが引いたら戻るから」
「……あのな? さっきも言ったけど、放っておけると思うか? 此処じゃ目立つから……そうだな、こっち」
手を掴んだまま、桐生を引きずって校舎裏へ。『ちょ、ちょっと!』と抗議の声が上がるがフル無視を決め込み、辿り着いた校舎裏で戸惑う桐生をよそに、俺は壁を背にして座り込む。
「……汚れるわよ?」
「いいよ、別に」
「良く無いわよ。掃除、誰がすると思ってるの?」
「交代制だろ? ほれ、お前も座れ。共犯だ、共犯」
俺の言葉に呆れた様にため息を吐いた後、桐生は俺の隣に腰を降ろした。
「……近くね?」
「……イヤ?」
肩と肩が触れ合う程の距離。なんか、ちょっと緊張するぞ、おい。
「……」
「……」
そのまま、しばしの無言。流石に少し気まずいと思い何かしゃべろうと口を開き掛けて。
「――あの、ね?」
「……おう」
桐生の方から口を開いた。
「……さっきの、聞いてたよね?」
「聞いてたな。たぶん、がっつり最初から」
「その……軽蔑、した?」
「軽蔑?」
「……あんな事、言って。その……人を馬鹿にするようなことを言ってるのを聞いて……き、嫌いになった?」
「……」
軽蔑、ね。
「……いや、軽蔑はしてないぞ」
「……ホント?」
「嘘ついてどうする。まあ、言い方……というか、別に煽る必要はなくね? とは思ったよ。思ったけど……そうだな、別に軽蔑はしてない」
なんていうか……もし桐生が『学園の聖女様』とかいう渾名だったら、軽蔑までは行かなくても凄く驚いたかも知れん。
「……ちゃんと『悪役令嬢』なんだなって思った」
「……なによ、それ」
そう言って苦笑を浮かべる桐生。その後、少しだけ気まずそうに言葉を紡いだ。
「……自分でも分かってるのよ。前も言ったと思うけど、私、口が悪いし」
「……治せば? 自覚症状があるんだったら」
っていうかさ?
「お前、言うほど口悪いか?」
俺、そんな事思った事無いんだが?
「……東九条君に口が悪い……というか、別に喧嘩腰になる必要ないもん」
「許嫁だから?」
「東九条君、私の事嫌い?」
「嫌いじゃねーよ」
どっちかって言うと好きな部類だ。
「ありがと。私の口が悪くなるのは、私に悪意を向けて来る人と対峙するときよ。私も……そうね、煽ってる自覚はあるの。あるんだけど……」
「ブリが付いて止まらない?」
俺の言葉に少しだけ悩んだように俯く桐生。その後、首を左右に振って見せた。
「ううん。そもそも、止める気が無いの」
「……止める気がない?」
「だって……私に向かう悪意って私の容姿であったり、成績であったり、運動神経だったり……後はまあ、家が多少裕福であることに起因する事だもの」
「……」
「家が多少裕福なのはともかく……美しくないより、美しい方が良いと思って私は体型維持の為の努力は欠かさないし、成績だって頑張って勉強した結果よ。運動神経だって……私、正直どんくさい方だから。練習は欠かさないわ」
「そうなの?」
「幼稚園の運動会のかけっこではビリだったわ。それから毎朝六時に起きて、お父様と一緒にランニングして……次の年はかけっこ、一位だったわよ?」
「……昭和のスポ根みたいな話だな」
っていうか、一番すげーのは豪之介さんじゃね? 毎朝六時に起きて娘とランニングって。
「……そんな私の努力を見ようともせずに、結果にのみ嫉妬する人間に対して優しく接する事が出来る程、私は人間が出来ていないの。なんで、なんで、努力した私が、努力をしていない人間の側まで降りて、迎合して、自分を曲げてまで……ヘラヘラと笑って悪意を受け入れなければならないの?」
「悪意を受け入れるって……でもまあ、ヘラヘラはともかく、人付き合いの基本ではあるかな、とは思う。ああ、これは別に説教とかじゃなくて」
「分かる。言い方をオブラートに包んで接した方が人間関係が円滑に進むって事でしょ?」
「そうだな」
「でもね、東九条君」
俺の目を、じっと見つめて。
「『楽』と『楽しい』は違うのよ」
「……」
「確かに、東九条君の言う様に接すれば人間関係は『楽』になるでしょう。受けた嫉妬に対して『そんな事ないです、自分なんて』と謙遜すれば、それ以上の攻撃は無くて『楽』かも知れない。ひょっとしたら、友達だって出来るかも知れない。でもね? そうやって自分を偽って生きて行くのは」
――全然、楽しくない、と。
「……だから……私は口が悪いの。私自身が私自身である事を守る盾なの。そうじゃないと……『私』はきっと、『私』じゃなくなるから」
そう言って、少しだけ不安そうに俺の顔を覗き込む桐生。そんな桐生の表情に俺は。
「――ふぇ? え!? ひ、東九条君!? な、なにを!?」
知らず知らず、俺は桐生の頭を撫でていた。驚いた様に目を丸くし、その後耳まで真っ赤に染める桐生。
「な、なんで頭を撫でるのよ! こ、子供扱い!? それとも『頑張ったね、よしよし』みたいな感じなの!?」
「そうじゃ――ああ、まあそれもある。若い女の子が肩肘張って生きて来たのか~という……なんだろう? 単純に頭が撫でたくなった」
「た、単純にって」
「セクハラ?」
「訴えたら勝つわね」
「訴える?」
「訴えないけど……ま、まだ撫でる?」
「そうだな。もうちょっと良いか?」
「い、良いけど……」
そう言って頬を赤く染めて、そっぽを向く桐生。頬が膨らんでいるのは別に怒っている訳では無いんだろう事は俺の手をどけない事で分かる。そんな桐生の姿をにこやかに眺めて。
「……そっか」
ああ、と。
なるほど、と。
「東九条君?」
訝しむ表情を浮かべる桐生に、俺はようやく。
「――お前、凄いな」
悪役令嬢、と呼ばれ。
初対面で罵られ。
それでもなんで、俺はコイツの事をそこまで嫌いになれなかったのか、その理由にようやく思い至る。途中から仲良くなったとか、ちゃんと謝罪してくれたとか、そんな事じゃなくて。
「……別に凄くなんて無いわよ」
「いや、凄い」
「凄いって……何がよ?」
きょとんとした顔で、こちらに視線を向ける桐生。その視線に、俺は胸中で少しだけため息を吐く。情けないし、格好悪いが……でも、今の俺には桐生にどうしても伝えたい事がある。
「――なあ? ちょっと俺の昔話を聞いてくれないか?」
――さあ、話そう。俺の盛大に情けない『思い出』を。
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