えくすとら! その百十六 浩之の『一番』
「どうしたもんかね」
佐島の突然の襲来――って訳じゃ無いけど『お願い事』を聞いた後、なんとなくバスケを継続する空気じゃ無くなってなし崩し的に解散になった俺ら。
「……貴方はどうしたいの? はい、コーヒー」
「さんきゅ」
家のリビングでぼーっと番組垂れ流しのテレビを眺めていると、テーブルに桐生がコーヒーカップを置いて俺の隣に座った。礼を言ってそのコーヒーカップを手に取り口に運び――うん、美味い。
「どうしたいか、ねー」
「悩み中?」
「悩み中って言うか……」
まあ……正直、ああいって誘ってくれるのは嬉しくないと言えば嘘になる。バスケットは俺が一生懸命やって来たものだし、その頑張りを認めてくれてスカウトしてくれたのはこう……まあ、純粋に嬉しいのは嬉しいんだよ。
「バスケは楽しいしな」
「そうね」
「でもまあ……流石に部活に入ってまでどーよ、ってのもあるんだよ」
「……その……これは聞いても良いかしら?」
「少なくとも急に怒り出すことは無いと思う」
「そう? それじゃ……その、やっぱり気になる? 人間関係」
ポツリと、言い難そうにそう言った桐生に少しだけ驚く。
「あー……いや、別にそこはそんなに気にしてねーかな」
「え? そうなの? 私としてはそれが一番かと思ったんだけど……貴方も言ってたじゃない。『他の人が良い顔しない』って。佐島君が心配無いって言ったから?」
あー……まあ、言ってたけど。
「それはあんまり関係ない、かな? 別に良い顔されようがされまいが、知ったこっちゃねーとは思ってる」
「……」
「んで……まあ、これは桐生の――彩音の影響で」
「え? って、あ、彩音って……」
俺の言葉に驚いた様に彩音が大きな目をこちらに向けて来る。あー……急な名前呼びだが、アレだ。これは、その。
「……俺、今までいろんなことから逃げがちだったろ? でもまあ、彩音と出逢って、色々経験して……思ったんだよ。やっぱり、自分のやりたい事、好きな事から逃げちゃ駄目だなってな。だからまあ……勿論、配意は必要だと思うぞ? 人間関係の基本だし。でもまあ、忖度までする必要は……ないんじゃないかなーってな」
「……」
「だからまあ……誰かの顔色見て一々躊躇うのはもうやめようって思うんだよ。好きな事だから一生懸命やりたいってな」
「……では、バスケ部に入部すればいいんじゃないの? 貴方、バスケ好きなんでしょう?」
「あー……まあ、そうなんだけど……」
でもな? バスケ部に入るだろ? ならまあ、練習とか試合とかもある訳じゃん? 佐島の話じゃ今までのエンジョイバスケじゃなくて、部活ガチ勢になるんだろ? んじゃそれって。
「その……彩音と一緒に居る時間、減るじゃん」
「――あ」
「その……まあ、俺は今の生活が結構気に入ってるしな? 学校帰りにお前が笑顔で『おかえり』って言ってくれると嬉しくなるし、俺が早い時に『ただいま!』って笑顔をくれるお前がこう……愛らしいと言いましょうか」
「……あぅ……」
「休日だってもっと一杯遊びに行きたいし、こう、一緒にもっと色んな事をしたいんだよ。映画とか、ショッピングとか、そういう事もしたいし、そう考えたら部活に割く時間はもったいな――」
最後まで、喋れなかった。
言葉を放ち続ける俺の唇に、彩音の唇が優しく乗せられたから。
「……喋りが不快か? 物理で黙らせるほど」
「……ばかぁ。私をこれ以上幸せにするなぁ。嬉しくて死んじゃいそうだから、防御本能よ」
「そっか。そりゃよかった」
「うん……本当に嬉しいよ」
そう言って俺の胸に顔を埋めてぎゅっと抱きしめてくる彩音を、俺も優しく抱きしめ返す。
「……本当はね?」
「うん?」
「その……バスケをしている浩之を見たい、って気持ちもあるの」
「……入ろうか、バスケ部?」
彩音が望むんならやぶさかじゃないけど?
「聞いて。でもね? それ以上に浩之と一緒に居たい気持ちもあるの」
「……前言ってたヤツか?」
「うん。私の事なんて気にせず高みを目指す格好いい貴方を見たい気持ちもあるし、全てを放り出して私だけを見て欲しい気持ちも、両方あるの。厄介な事に……どっちも本心なのよ、これ」
「……」
「でも……浩之が、自分で選んで私を選んでくれるなら、これ以上嬉しい事は無いわ。だって……その、言い方があれかもだけど……バスケより、私の方が良いって事でしょ?」
「あー……まあな」
「それってもう、完全に浩之の『一番』って事じゃない」
「……誤解の無い様に言っておくけど、俺の中での一番は結構前からお前だぞ?」
「うん! 私自身もそう思っていたけど……でも、やっぱり再確認! だから、凄く嬉しい!」
そう言って胸から顔を上げて花のような笑顔を見せる彩音。うん、まあ……この笑顔を見れたんなら、俺の選択もあながち間違いじゃねーんだろうな。
「……佐島には明日断り入れるわ」
「うん」
「ちょっと申し訳ないけどな。勝ちたい気持ちも分からんでも無いし」
「……そうね。ちょっと雫さんが可哀想な気もするけど」
「有森?」
「貴方が入らないって言ったら、きっと藤田君は入らないでしょ?」
「あー……」
まあ、そうかも知れん。いや、藤田の事だから意外に『困ってんのか? 仕方ねーな』とか言って入りそうな気もするが……
「……なに? 有森、藤田に入って欲しかったのか?」
なに? 部活ラブとか目論んでるの? やだぁー有森さん。肉食系女子ぃー。
「入って欲しいって言うか……これ、言っても良いのかしら?」
「……なんだよ? 気になるから言えよ」
俺の言葉にしばし悩み。
「……まあ、良いかしら? その……最近、藤田君、後輩の女の子と遊びに行ってるらしいの」
「……は?」
……は? なにその事案? っていうか!
「おま、それ大丈夫なのかよっ!」
「大丈夫よ。雫さんも許可ず――」
「独裁警察の警視総監だろ、お前!! そんな事案見逃して良いのかよっ!!」
「――み……貴方ね? 私の事なんだと思ってるのよ? ラブ警察もしっかり裏取りしてからせいさ――じゃなかった、追及するわよ」
いや、貴方の捜査、結構冤罪率高いですからね? あと、今『制裁』って言い掛けませんでした?
「藤田君が遊びに行っているのは、雫さんの友人よ。勿論、二人きりみたいな事は無いし、遊びに行っているというか、どちらかと言えば面接に近いというか……取り調べというか」
「……なんか一気にきな臭くなってきた気がするんだけど」
「その……雫さん、顔立ちは整っているじゃない? でも、『可愛い』というかどちらかと言えば『ハンサム』な感じでしょう? 藤田君とお付き合いするまでは浮いた噂も無かったし」
「……まあ、智美系統だしな、あいつ」
「でも……雫さんの内面って、こう……可愛らしいというか……乙女と言うか」
「……ああ」
「そんな外見と内面のギャップで雫さん、同性の間でも人気なのよね。そんな雫さんが完全に乙女な顔で藤田君の事を惚気るから……友達も心配になって。なまじ、浮いた噂の一つも無かったから」
「……騙されてるんじゃないかって?」
「『藤田先輩は良い人って言ってるのに、誰も信用してくれないんです!』って愚痴ってた」
「……まあ、騙されてる人間は騙されているって言わないわな」
「『実際に逢って確かめる!!』って友達三人が遊びに誘ったらしいのよね。雫さん抜きで」
「……大丈夫なのか、それ?」
「個人的には灰色だと思うけど……雫さんも、そこまで言うんなら! みたいな感じで許可出したらしいわ」
「……聞いて無いんだけど、俺」
いや、別に報告義務があるって訳じゃねーんだろうけど……なんだろう? 親友って言ってるんだし、ちょっとくらい相談してくれても……
「藤田君に取っては些末事だったんじゃないの? 実際、苦笑しながらも『面接ね。オッケー』って言ったらしいし。それで……まあ、あれよ。藤田君でしょ?」
「……ああ」
発動したんだろ? 『いいひと』が。
「……ええ。持ち前の聖人スキルを発動したらしくて……今度は逆に雫さんの友人に心配されたらしいわ。『あんなに優しくていい人、見た事無い。雫、ちゃんと繋ぎとめておきなさい! それじゃなくても貴方、女子力低いんだから!!』って……」
「……」
「それで、心配になったらしくて……部活に入れば、目の届く所にいるでしょう?」
「まさかの監視目的だった件」
いや、有森もそこまでガチで思ってる訳じゃねーんだろうけど……でもまあ、そういう発想もあるかも。
「……聞かなかった事にする」
「そうしなさい。まあ、でも雫さんの気持ちも分からないでもないわよ」
「……え?」
な、なに? 監視するの、お前も!?
「……監視、じゃないけど……やっぱり、他の子に人気になるのは面白くないし……不安にもなるの」
そう言って、もう一度口付けをして。
「――やっぱり、浩之は部活禁止ね! 貴方の格好いい姿、他の誰にも見せたくないもん!! 嫉妬しちゃうじゃない!」
茶目っ気たっぷり、そう笑んで見せた。




