第二十一話 それはきっと、素材以上に大切なものだから。
最終回!!
……っぽいけど、違います。もうちょっとだけ続くのじゃ!
「さて……行くか」
バッグパックに一つと親父から貰ったスーツケースに制服一式を詰めて、俺は自宅を出る。十七年暮らした家とおさらばと思えば、ある程度感傷的な気分に浸れるのだろうか、と思っていたが……さにあらず。
「ま、出て行くって言っても近いしな」
帰ろうと思えば電車で二十分の距離だ。ぶっちゃけ、感傷的になんてなりようもない。いつでも帰れるしな。そう思ってか、親父も母さんも見送りにすら来ない。
「……」
街中をゴロゴロとスーツケースを転がしながら歩く。日曜日の夕方、なんだかそこはかとなくいい匂いがする街中で、俺は今日の夕ご飯を……桐生の手料理に想いを馳せる。いい意味じゃなく、悪い意味で。
「……マジで大丈夫かよ」
そう言えばアイツ、最後に『胃薬も持ってこい』って言ってたよな? 大丈夫か、マジで。
「と、風邪薬とひんやりシート……と、体温計か」
見かけたドラッグストアで頼まれた買い物を思い出し、そのまま入店。目当てのモノを買うとそのまま駅まで行って電車に乗る。やがて二駅ほどでマンションのある新津に着いた。ここいらは閑静な住宅街だし、日曜の夕方の出歩きは比較的少ないのか駅前はどちらかと言えば閑散としていた。
「ま、遊ぶところも無いしな」
これから学校に行くにも電車通学か。ま、ちょっと憧れる所もあったので良いちゃ良いんだが……朝、起きれるだろうか?
「……さて」
ようやく着いたマンションのエントランスを潜りエレベーターホールへ。流石にでかさにも慣れたエレベーターに乗って三十二階を目指す。
「……」
ドアの前に立って少し悩んだ。鍵は貰ってるし、普通に開けても良いんだが……なんとなく、照れ臭い感じがしてインターホーンを鳴らす。
『……はい?』
「あー……俺。東九条」
『鍵を忘れたの? なんでインターホンを鳴らすのよ?』
「あー……ちょっとな」
恥ずかしくて言えんだろ、『なんだか照れ臭い』って。
『ああ、荷物? ちょっと待って? すぐ行くわ』
「ん? あ、ああ、まあそんな感じ」
さして持っていないんだけどね、荷物。それでも開けてくれるなら甘えようかと思って、ドアの前で待つことしばし。ガチャっと音がして、ドアが開いた。
「……」
「……」
料理中だったのだろう、猫のイラストの付いたエプロンを纏った桐生がそこに立っていた。長い髪は料理の邪魔になるのだろう、ポニーテールに結んだその姿は……その、なんだ。ちょっと『ぐっ』と来るものがあった。なんだろう? こう……若妻感というか、新妻感というか。
「……い、いらっしゃ――じゃ、無かった……そ、その……」
お、おかえりなさい、と。
はにかみながら、囁くようにそう言う桐生に、一瞬でフリーズする。
「……」
「え、ええっと……東九条君?」
「……? ……っ!? あ、ああ。すまん。その……た、ただいま……」
「……」
「……」
「……その……照れ臭い、わね」
「……本当に」
なんとなく、苦笑。それで少しだけ緊張が取れたのか、桐生が綺麗な笑顔を浮かべて見せた。それで、俺の緊張も取れて。
「さあ、上がって頂戴? 丁度ご飯が出来たところだったの。タイミング、バッチリね!」
――別の意味で緊張して来た。本当に大丈夫か、俺?
「……どうしたの?」
「ああ、いや……その、な?」
「……まさか貴方、此処に来て私の料理が不安になったとか言うんじゃないでしょうね?」
「……」
無言は肯定。そんな俺の姿に、わざとらしく盛大にため息を吐いて見せる桐生。
「はあ。貴方ね? 言ったでしょ? ちゃんと味見もしたし、お父様の太鼓判も貰ったって」
「ちなみに聞くけど、お前の親父さんってお前に甘い?」
「そうね……結構、甘い方だとは思うわ。一人娘だし、娘は可愛いって言うでしょ? その範疇からは――」
そこまで喋り、なにかに気付いたかの様に半眼で俺を睨む桐生。
「……ああ。お父様が美味しいって言っても信用が無いって話ね?」
「……端的に言うと、まあ」
「まあ、その懸念は確かに分からないでも無いわ。でもね? お父様は私の事が可愛くても『そういう嘘』は一切言わないの。努力は認めてくれるけど、その努力の量で結果を左右する事はしないわ」
「例えば?」
「テスト勉強を頑張れば、その『頑張った』事に対しては褒めてくれるけど、結果に関しては悪ければ普通に怒られるわよ? プロセスとリザルトはまた別のモノだってね」
「……へー。良い親父さんじゃん」
「基本的には甘いけど、結構厳しい事も言う人よ。少なくとも、『マズイ』料理を美味しいなんて嘘を吐かない人だから」
そう言って胸を張る桐生。いや、考え方はしっかりしてそうな人だとは思うんだよ? 経営者として成功もしているし、その辺りのバランス感覚は優れてる気がするんだけど……
「……信用無いわね。わかった。それじゃ、私が最初に作った料理の評価を教えてあげる」
「親父さんの? 拝聴しよう」
「肉じゃが、作ったのよね。一昨日かしら? それをお父様に食べて貰ったのよ。ほら、言うでしょ? 『男を落とす料理』って」
「……まあ、言うな」
「だから作ったのよ。簡単って聞いてたしね? その肉じゃがの評価が――」
……溜めるなよ。怖いだろうが。
「――『肉じゃがは別に、男を地獄に落とす料理ではないぞ?』だったわ」
「……」
「まあ、最初の料理だったし、失敗は想定内よ」
「そうだろうけど……味見は?」
「してなかった。後でお父様に凄く怒られたわ。『せめて人に出す前に自分で味見ぐらいはしなさい!』って。その後に食べてみたけど……凄かったわね」
「……具体的には?」
「食材に対する冒涜としか思えなかったわ」
「……」
「決して食べられない訳ではないのよ? でも、じゃがいもも人参もきちんと火が通って無かったしお肉はパサパサしてたし……ともかく、俗に言う『マズイ』がまるでハーモニーを奏でるようだったわ」
「地獄のハーモニーじゃねえか、ソレ」
「まったくね。大失敗だったわ」
少しだけ肩を落とす桐生。が、それも一瞬、自信満々に顔を上げる。
「でも! 今日の料理はお父様が『美味い! これは金がとれる!』って言った料理よ! だから、大丈夫!」
「……ええ~」
絶対嘘だろ、ソレ。食材に対する冒涜としか思えない料理作ったヤツが、三日やそこらで美味いものが作れるようになるとは思えんのだが。
「だ、大丈夫よ! さあ! 行きましょう!」
そう言って玄関で立ち尽くす俺を引っ張る桐生。ちょ、まて! く、靴!
「ちょっと待て! 靴! 靴脱ぐから!」
「早くしなさい! 行くわよ!」
その一瞬すら惜しいのか、靴を脱いだ俺の腕を引く。だから! ちょっと待てって!
「さあ、東九条君! 見なさい!」
バーンとリビングのドアを開ける。と、香ばしい肉の匂いと、ニンニクの香りが部屋中に充満していた。そして、テーブルの真ん中に鎮座しているのは。
「…………ステーキ?」
「……そうよ! 今日は同棲記念日という事でステーキにしてみたの!」
「……」
「……」
「……これが、お前の親父さんが『金がとれる』って言った料理?」
「……そうよ」
「……ちなみにお肉は?」
「……神戸牛のA5ランク」
「……」
「……」
「……あ、アレか! ソースがオリジナルとか?」
「……有名店のお取り寄せステーキソースよ」
……そりゃ、金取れるだろう。A5ランクの肉に有名店のソースだろ?
「……付け合わせの野菜とかは別皿? あれ、皿の上に肉しか乗ってない様に見えるんだけど?」
「……ウサギや青虫じゃあるまいし、別に毎日野菜を食べなくても良いでしょ?」
「……」
「……」
「……ええっと……桐生は……焼いただけ?」
「な、なによ! ステーキは料理じゃないとでもいうつもり!? 立派な料理でしょうが!」
「い、いや、そんな事を言うつもりはない! 良いお肉なんだろ? 嬉しいって! 作って貰って感謝しかない!」
いや、マジで。作って貰って文句を言うつもりは無いんだよ? 無いんだけど、こう、なんか……ええぇ~……
「……私だってもうちょっと『料理!』っぽい料理、したかったわよ。でも、仕方ないでしょ! 時間、無かったんだもん! 主に私の訓練の!」
「……そうだな。ごめん、今のは俺が悪い。文句を言うつもりは無いんだ」
俺、平謝り。そんな俺に怒りがさめたのか、少しだけ気まずそうに桐生が顔を逸らした。
「……分かるわよ。自信満々に『手料理振舞って上げる!』って言っておいて、お肉焼いただけかよ! って思ったんでしょ?」
「……そこまでは思わんが」
なんだろう? 謎の『がっかり感』はある。いや、本当に不満とかじゃなくて。
「……ふんだ! その内、ほっぺたが落ちる様な料理、食べさせてあげるわよ!」
「……バイオテロ的な意味で?」
「顔が崩れ落ちるって意味じゃないわよ! 美味しいの比喩表現!」
「冗談だよ」
尚も拗ねた様に頬を膨らませる桐生に頭を下げ、俺は食卓に付く。
「さ、早く食わせてくれ! 腹減った!」
「もう……ふふふ。それじゃ冷めないうちに食べて? ご飯は」
「大盛!」
「はいはい……ふふふ。なんか、良いわね。自分の作ったものを食べて貰えるのも」
そう言って嬉しそうにご飯をよそって俺の目の前に置く桐生。おお! キラキラ輝いている。
「……旨そうだな」
「お米炊くのだけは凄く上手くなったのよね。良い事なんだけど……どうせなら、別の方面に伸びて欲しかったわ」
「これからに期待、だな。それじゃ――」
「待って」
食べ始めようとする俺を制し、桐生は冷蔵庫を開けると、中からシャンパンを取り出し、食器棚からシャンパングラスを二つ取り出した。
「開けられる?」
「開けられるけど……未成年だぞ?」
「ノンアルコールよ。同棲記念日ですもの。折角なら、雰囲気ぐらいはと思って」
「乙女だな、意外に」
「あら? 悪役とはいえ『令嬢』ですもの。乙女に決まってるじゃない」
「嫌いなんだろ、そのあだ名」
「まあね」
そう言っておかしそうに笑う桐生。毒気を抜かれる様な、全く『悪役』に相応しくないその笑顔に肩を竦めて見せる。
「タオルかなんかある?」
「はい」
「それじゃ……」
力を入れてコルクを抜く。ポン、っという小気味良い音と共に、コルクがタオルの中で跳ねた。
「……では」
「ありがと……今度は私が」
トクトクとお互いにシャンパンを注ぎあう。それが終了するとシャンパングラスを胸の前に掲げて見せる桐生に倣う。
「……乾杯」
「……乾杯」
チン、と軽い音を立てるシャンパングラス。それを一息で飲み干して、俺は小さく息を漏らす。
「その……」
「……ん」
「最初はごめんなさい。色々失礼だったわね」
「気にしちゃねーよ。お互い様だしな」
「そうね。確かにそうかも」
そう言って少しだけ笑い。
「……私ね? 貴方と上手くやっていきたいと思ってたのよ、最初は」
「……過去形か?」
「そう、過去形。私は貴方と上手くやっていく……のは上手くやっていくんだけど。それ以上に」
――貴方と、『楽しく』やっていきたい、と。
「……」
「……お昼ご飯を友達と食べたの、初めてだったの。映画に行ったのも、カフェでお茶したのも、図書館で本を勧めあったのも……全部、全部初めてだった」
「……俺の功績じゃなくね?」
「でも、貴方と出逢わなかったらきっと、味わえていない感覚だったわ」
この料理だってそうだし、と笑って。
「きっと、貴方となら楽しくやっていけると、そう思うの」
「根拠は?」
「女のカン」
「……最強だな、その理論」
「でしょ? 最強なのよ、女のカンは。でも……それでも、これから色々大変だとおもうし……きっと、ままならない事とか、不満に思う事もあると思う」
「だろうな」
恋人同士の同棲だって失敗するんだ。それが、殆ど赤の他人の俺と桐生じゃ、不満が出てこない方がおかしい。そんな俺の言葉に、桐生は小さく頷いて。
「――それでも……私は貴方と前向きに『楽しく』生きていきたいと、そう思うの。恋人同士みたいにはなれなくても……お金とか、体だけの関係って貴方は言ったけど……それだけじゃ、長い人生を生きるのに、あまりに寂しすぎるから。上手くやるだけじゃなく……どうせなら、『楽しく』」
「……そうだな。俺も賛成だ」
「良かった。そう貴方も思ってくれて。それじゃ改めて……」
これからよろしくね? 許嫁さん、と。
「……ああ。お互いにな」
少しだけ照れた様に、それでも綺麗な笑みを浮かべる桐生に思わず心臓がトクン、と跳ねる。
「……さ! 食べて! 折角の料理が冷めちゃうから!」
「……ああ。頂きます」
まるで、そんな俺を見透かした――ああ、違うな。ありゃ桐生も照れてんだろ。耳まで真っ赤だし。
「……って、うま! なんだこれ!? 柔らけー! 箸で切れるんじゃね!?」
「で、でしょ! 自信料理だもん! ほら、どんどん食べて! 美味しいでしょ!」
「おお。マジで旨い!」
照れ隠しの様に大袈裟な物言いで……それでも笑顔を浮かべる桐生に。
――でもこれ、素材の勝利じゃね?
そんな事を思いながら……それでも素材の味だけではなく、この料理を忘れる事は絶対無いだろうなと思いなおし、俺は『許嫁の初手料理』に舌鼓を打った。
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