えくすとら! その百五 自分に過信は駄目だけど、自信は持とう。
腕を組み、鬼の形相でこちらを睨みつける茜に震え上がった俺達だが、そんな荒ぶる茜を抑え込んでくれたのは秀明だった。曰く、『皆も心配してくれたんだから』との事。そんな秀明の言葉にじとーっとした視線を向けた後、ため息を吐いて茜は許してくれた。うん……御免、秀明。どっちかって言うと興味八割です。特にラブ警察の警視総監殿が。
「……怖かったですね、茜さん」
「……だな。流石、狂犬だよ。良かった、トップブリーダーがしっかり手綱を握ってくれそうで」
「もう……浩之さん、失礼ですよ?」
そう言って会場内を歩くウエイターさんからシャンパングラスを二つ受け取ると、そちらの一つをこちらに差し出してくれる明美。
「……おい、未成年」
「大丈夫、これはジュースですから」
そう言ってぐいっとシャンパングラスをこちらに差し出す明美。
「何に乾杯?」
「茜さんの想い成就記念と……ようやく、二人きりになれた事に、でしょうか?」
あの後、茜と秀明は二人で仲睦まじくパーティーに戻り、『それでも、ずっと一人にさせては失礼だから』と桐生は輝久おじさんの元へ。北大路は北大路で『流石に何時までも妹一人で会場に残してたら後で悪く言われますんで。あ、今度こそバスケしましょ! 浩之さんの街まで行きますんで!』とこれまたパートナーの元へ帰っていった。
「……不満そうだな?」
「ええ、それはもう。今回は浩之さんを独り占め出来ると思っていたのに……とんだ邪魔が入りました」
不満そうに唇を尖らせてグラスを差し出す明美に苦笑を浮かべて俺もそのグラスに自身のグラスを当てる。チン、という乾いた音が響き、そのまま明美はぐいっとシャンパングラスを呷る。
「……本当はやけ酒と洒落込みたかったのですが」
「……初めて聞いたよ、やけ酒に『洒落込む』って単語くっつけるヤツ」
「そんな気分ですので。あーあ! 折角浩之さんを独り占め出来ると思ってたのに! 私、ずっと楽しみにしてたんですよ?」
拗ねた様にこちらに視線を向ける明美。そんな視線から目を逸らし、俺はシャンパングラスの中のジュースに口を付ける……って、なにこれ、うまっ! なに? パーティーで出て来る葡萄ジュースってこんな美味いの!?
「? どうしたんですか?」
「いや……葡萄ジュースがびっくりするくらい美味かった。なんだろう、流石東九条のパーティーだな」
まじまじとグラスを見詰める俺に、呆れた様に明美がため息を吐く。
「……なんだよ?」
「いえ……こっちも真面目に話をしていたのに、イヤに誤魔化し方が雑だな、と」
「いや、別に誤魔化した訳じゃ……」
「ない、と?」
「……無いとも言えないが」
いや、だってさ? 流石にどんな回答しても事故にしかならんだろ、あれ。まあ、でも明美の言っている事は分かるし……
「……わりぃ」
「……何に対する謝罪ですか、それは?」
「話を逸らした事と……まあ、折角楽しみにしてくれてるのにあんまり、その、なんだ。二人で居られなかった事……かな?」
そんな俺の言葉に、少しだけ驚いた様に明美が目を瞬かせて。
「……結婚式場、抑えておきましょうか? 私、ドレスと和装、どっちも着たいです」
「おい! なんでそうなる!!」
「いえ、だって私と二人で居られなかった事を申し訳ないと思って下さったんでしょ? てっきりもう彩音様に飽きられたのかと」
「んな訳ねーだろうが! 悪いけどそのつもりは一切ない!!」
「じゃあさっきのはなんですか! 期待させるだけさせたんですか! 流石に底意地が悪いですよ、浩之さん!!」
そう言って不満そうに頬をぷくっと膨らます明美に俺はガシガシと頭を掻く。
「その……言い方が不味かったのは認める。認めるけど、そういう意味じゃねーんだよ。その……なんだ? これは桐生も認めた事だろ? エスコートしても良いって」
「……そうですね。不満そうでしたけど」
「……まあ、お互いに色々と話をして腹落ちはしてるんだよ。だからまあ、その役割というか役目というか……なんだ? 『パートナー』として振舞って無かったのは申し訳無かったなって。それも、楽しみにしてくれてたんなら余計にっていうか……」
「……」
「明美?」
「……やっぱり式場、予約します?」
「おい! だからそんなつもりはねー!」
「冗談ですよ」
そう言ってクスクスと笑う明美。
「……今日は楽しみにしていましたが……まあ、私にも多少罪悪感もありましたし、今日の所はこれで良いかなと思います」
シャンパングラスにもう一口。
「……浩之さんが彩音様の事を大事になさっているのも分かりますしね。今日はその言葉が聞けただけで十分です」
そう言ってにこやかに笑う明美。その姿に、少しだけ。
「……すまん、明美」
否、とても、心が痛む。
「……お前の気持ちが嬉しく無いって言えば嘘になる。嘘になるけど……俺は、それでも――」
「ストップ」
「きりゅ――うぷ!」
喋りかけた俺の唇を明美が人差し指で抑える。『しー』のポーズだ。
「パーティー会場で、仮とは云えパートナー役にそれを言うのは流石に無しなのでは? 私、立つ瀬が無いのですが?」
「……すまん」
「……まあ、それだけ彩音様が大事だという事なのでしょうね。あーあ。最初に出逢った……のは涼子さんですか。それでも二番目に浩之さんにお逢いしたのは私だったハズですのにね」
苦笑を浮かべて、もう一口。
「……やっぱり遠距離は負けフラグなのでしょうか? それとも近すぎると云うのも問題かも知れませんね」
「……悪い」
「謝らないで下さいな」
そう言って明美は綺麗に微笑んで。
「――言っておきますけど、私も諦めるつもりはありません。涼子さんや智美さん、それに瑞穂さん同様に」
「……知ってる。つうかお前ら、俺なんかで良いのかよ? 無駄な青春じゃないか、これ? お前ら美人だし、もっといい相手が見つかるんじゃないのか?」
「あら? それは私達を遠ざけようとしていますか?」
「そうじゃなくて! ああ、いや、そうじゃないって訳じゃ無いけど……」
言い淀み、宙を睨んで。
「……俺は桐生と――彩音と別れるつもりはない。だから……どれだけ想って貰っても、その気持ちに答える事は出来ない」
それは、明美との決別の言葉。
どう取り繕っても、どう言い訳をしても――それは厳然たる事実で。
そんな気持ちを込めて、俺は頭を下げる。泣かれるか、呆然とされるか、それとも『立つ瀬が無いと言ったではありませんか』と怒られるか、そう思う俺の頭上に。
「……顔を上げてください、浩之さん」
その言葉に俺は恐る恐る顔を上げて――あれ?
「……なんで笑顔?」
「いえ……なんというか、一周回って清々しいなと思いまして」
「……清々しい?」
「そこまで言われたら勝ち目が無いな、と思ってしまうでは無いですか」
そう言って綺麗に笑んで。
「……まあ、浩之さんの気持ちはどっちでも良いんですけどね?」
「……はい? おま、俺の気持ちはどうでもいいって!」
「ああ、別に無理やり……とかではありません。そうではなく、そうではなくて」
一息。
「――浩之さんの気持ちは分かりましたけど、彩音様はどうなんでしょうね?」
……は?
「いや、だって今、浩之さんが自分で言ったじゃないですか。『俺なんかよりもっといい男がいる』って。でもそれって彩音様にも当てはまりません?」
「……」
……た、確かに。
「で、でも! きりゅう――彩音は!」
「ああ、今の段階で彩音様の想いを疑うつもりはありませんよ? ありませんけど……」
浩之さん、結構、ぐーたらじゃないですか、と。
「……ひ、否定出来ない……」
ぐぅ! た、確かに俺、結構ぐーたらだけども!
「そりゃ、テスト勉強は頑張っていましたけど……それでも彩音様に敵うほどの成績じゃ無いですよね? 確かにバスケをしている時は格好いいですけど、それも今では手遊び程度。それが悪いとは言いませんが……」
「……お、俺の人間性にとか、そういう可能性も!」
「勿論、あるでしょう。ですが、浩之さんが優しいからとかという理由なら、他にもっと優しい人がいると思いません? 某製薬会社の頭痛薬みたいに半分は優しさで出来ている人とか、探せばいますよ、きっと」
「……」
「血筋云々は然程気にしては居ないかも知れませんが……それでも彩音様くらいの美貌なら、我が家と同程度の家格の人間ならば引く手数多だと思いますよ?」
「……」
……どうしよう。彩音、なんで俺と付き合ってくれてるんだろ?
「……まあ、それを言えば私達もそうでしょうけど。浩之さん曰く、『俺なんかより』なんでしょう?」
「……」
「これからは金輪際、そんな言葉を言わないで下さいませ? それは彩音様にも……そして、私達に対しても失礼です」
「……はい」
俺の言葉に宜しい、と一つ頷き明美は笑顔を浮かべる。
「まあ、色々言いましたが浩之さんが彩音様に捨てられる可能性も十二分にありますので。でしたら此処で簡単に諦めるより、浩之さんのだらしない姿に彩音様が幻滅するのを待っていた方が良いかな、と。その後ゆっくり、敗者復活戦を制する様にしようかという戦略です」
「……敗者復活戦が来なかったらどうするんだよ?」
「それはそれで別に構いません。無論、悔しいですが……その時はきっと、浩之さんは今よりもっと素敵な男性になっているという事でしょうし。見る目があった、と誇りにしますわ」
にっこりと。
「なので……浩之さん? 精々、彩音様に捨てられない様に頑張りなさいませ。まあ、捨てられたら捨てられたで、貴方の隣にはとっても可愛くて綺麗で優しい、大事な大事な又従兄妹がいますから」
「……はいはい。頑張るよ」
「……ええ。頑張りなさい」
明美の笑顔に、俺も笑顔を返す。ったく……こいつ、今のわざと煽りやがったな? ほんと……優しいヤツだよ、お前も。そんな感謝の念を込める俺の視線が照れ臭いのか、明美は手に持ったグラスに口を付けようとして……
「……あれ? 先ほど浩之さんの唇を私の人差し指が抑えた……あれ? あれあれ? そ、それではこの人差し指を私が舐めれば……か、間接キス!?」
「……手、洗って来い。今すぐ!」
……なんで此処で残念になるんだよ、お前は。




