えくすとら! その七十二 双丘のおもひで
「ただいま帰りました~」
「……お邪魔します」
『豪邸』と呼んでも差し支えない屋敷の……まあ、歩き慣れた庭を茜の後ろに続いて歩く。ここ数年、こっちに顔を出してはないが数年前と変わる事なく、それでも古臭さは一切感じさせない庭園を突っ切って辿り着いた玄関の引き戸を勢いよく開ける茜。
「お帰りなさいませ、茜お嬢様。それに……ご無沙汰しております、浩之坊ちゃま」
「……坊ちゃまは止めてよ。もう高校生だし……それより、元気だった、梅さん?」
「ええ、ええ。梅は元気ですよ。坊ちゃまの結婚式を見届けるまでは当分、お迎えは来そうに御座いませんから」
玄関先で正座し、割烹着に身を包んで上品そうに笑う女性に俺も笑顔を返す。この人は『梅さん』といって、東九条本家に勤めてくれている女中頭さんだ。親父やおじさんが子供の頃からずっと東九条本家で働いているらしいので、親父やおじさんに取っては母親か年の離れた姉、俺らにとっても……まあ、女性にこういうのは失礼だろうが、『お祖母ちゃん』みたいな存在である。親戚周りで男が一人ということもあって昔から随分俺の事を可愛がってくれたし、俺に取っても大事な存在だ。
「それにしても……お久しぶりですね、浩之坊ちゃん。大きくなられて……」
「……義理を欠いた事は謝るよ、梅さん」
「いえいえ。便りの無いのは良い知らせ、坊ちゃんがお元気でおられるのであれば、梅はそれだけで幸せです。さあ、長旅お疲れ様でした。旦那様と奥様、明美お嬢様がお待ちですよ? 早く中へ」
梅さんにそう促されて、俺は梅さんの後に続いて応接間を目指す。茜? 『それじゃ私は着替えてくる~』と自分の部屋だ。久々の再会、積もる話もあるだろうと茜なりに気を使ったのか、それとも面倒くさいからかは分からないが……まあ、良いだろう。
「旦那様、奥様。浩之坊ちゃんをお連れしましたよ」
ドアまでコンコンコンとノックを三度。部屋の中から『お通しして』という明香さんの言葉に、少しだけ緊張しながら部屋のドアを開けて。
「――浩之ぃ~!!」
ふいに、『ふにょん』という感触に顔が包まれる。目の前の視界が真っ暗となった事と――鼻をくすぐる香しい匂いに慌てて俺は視界を取り戻そうと後ろに一歩引くも、その後頭部をがっしりと掴まれる。
「浩之ぃ! 久しぶり~。逢いたかったわ~。元気? 元気にしていた?」
そのまま、『ふにょん』に――ああ、もういいか。胸ね、胸。胸の間に顔を挟まれたままの俺。つうか、この体勢は色んな意味でヤバい!!
「お母様!? 何をしているのですかっ!!」
ジタバタと胸の中でもがいていた俺の体が、強い力で後ろに引っ張られた。ようやく取り戻した視界の先には、とても十七歳の娘がいるとは思えないほど若々しくて……まあ、その、なんだ。『ふにょん』で大体理解できると思うが、見事な双丘をお持ちの女性が不満そうに人差し指を咥えてこちらを見ていた。
「……何しているんですか、明香さん」
「ん~? 不足していた浩之分の補給~。浩之、全然こっちに帰って来てくれないからさ~。寂しくなってつい」
「いや、ついじゃなくて」
「そうです! 『つい』じゃありません!! 大体、私だってまだそんなうらやま――じゃなかった、そんな破廉恥な事をしたことは無いのに!!」
「それは明美が『チョロい』だけでしょ? チャンスはいーっぱいあったのに」
「う、うぐぅ……」
「それに……浩之は昔から、私の胸好きだもんね? 『明香さん、だっこ!』って良く言ってたじゃない?」
「ちょ、なにさらっと記憶を捏造してるんですか!! そんな事は無いですよ!!」
「あらやだ。忘れちゃったの? 保育園まではよく抱っこしてたのよ、私が。一緒にお風呂にも入ったし」
「いや、保育園の頃の話って!?」
覚えてねーよ!! いやまあ、そういう意味では確かに明香さんには良く抱っこして貰ってはいたが!
「……少なくとも、胸が好きだった訳ではありません」
「あら、嫌いなの?」
「……」
こ、答えにくい質問を……いや、別に、き、嫌いじゃないよ? 嫌いじゃないけ――
「……まあ、嫌いかも知れませんね、浩之さんは。だって彩音様、まな板――じゃなかった、壁――でも無かった、ともかく、貧しいですものね?」
「――って、おい! 何言ってんだ、明美!!」
おま、それはあかんって! 駄目なやつ! それって絶対に戦争になるから!! ああ見えて……というか、見たまんまだけどあいつ結構気にしてるんだから!! それは言ったらあかんやつだって!!
「あら、そうなの? 桐生家の一人娘さんはそんなに貧しい体つきをしているの?」
「ええ。体中の凹凸をきっと、お母様の体の中に忘れて来たのでしょう。お可哀想な事です」
そう言ってふんすと胸を張る明美。まあ、その……明香さんの娘なだけあって、明美もまあ立派な物をお持ちである。比べるべくもなく、桐生との戦力差は歴然で……な、泣いて無いよ? あまりに桐生が不憫で泣いたりしてないからねっ!!
「……」
「……なんですか? 何か言いたい事があるのですか、お母様?」
「いや……別に明美がそれでいいなら良いけど……お母様に見事のプロポーションで産んで貰ったのに、貧相な体つきの子に浩之盗られたって、そっちの方が可哀想だな~って」
「ぐふぅ!」
「やめて、明香さん! それは明美に効く!」
「良いのよ。人の本質は顔や体じゃないんだから。そんな事も分からずに天と親から貰ったもので自慢するようなバカ娘には良い薬よ」
そう言って冷めた視線を明美に向ける明香さん。そんな明美を見ていられずに、慌てて視線を逸らして――
「――…………なにやってんの、輝久おじさん」
――なぜか視線の先には、冷たい床の上で正座をする東九条本家現当主、東九条輝久の姿がそこにあった。
「……久しぶりだな、浩之」
「いや、その体勢のままで話出すのは無理がない!?」
……なにこのカオス。




