えくすとら! その二十二 桐生彩音のダイエット大作戦 ~終章~
「……んんん……」
目を覚まし、最初に見たのは……見慣れない天井。
「……保健室?」
あれ? 私、どうしたんだろう? 確か、智美さん達と話していて、それで……
「気が付いたか、桐生?」
不意に、横合いからかかる声にびくっと体が震える。
「……東九条君……」
そこに居たのは今朝振りに見る東九条君の顔。心配そうな顔で――
「……って……なんで居るの?」
「居ちゃ悪いのか?」
「わ、悪いなんて言ってないわよ。言って無いけど……っていうか今、時間は?」
「放課後。お前、昼休みに倒れたんだろ?」
「倒れた?」
「智美と涼子が慌てて教室に駆けて来たから何事かと思ったぞ?」
……ああ、そうか。なんだか少しずつ、思い出して来た。
「……悪かったわね?」
「別に謝って貰いたいワケじゃないけど……でもまあ、心配はしたな? どうした? 体調でも悪かったのか?」
「どうしたって……」
心配そうな顔でそう問う東九条君に……不謹慎な事は百も承知ながら、ちょっと嬉しい。そうやって心配してくれているのは、なんだか大事にされている様で嬉しくて仕方がない……のだが、なんだか自身のしでかしたポンコツ具合のせいでこうなっていると思うと申し訳なさが先に立つ。
「え、えっと……そ、その、大丈夫よ? ちょっと立ち眩みがしただけで、大した事は無いわ!」
「本当かよ?」
「ほ、本当よ! げ、元気だもん、私!」
心配そうな顔から一転、訝し気な表情で私を見つめる東九条君。まあ、なんの理由も無しに倒れたと聞けば焦るのは分かるが……だからと言って、『ダイエット中』なんて、言える訳がない。
「だ、大丈夫! 本当に大丈夫だから! 心配しないで!!」
「心配しないでって……おい、桐生。お前、本当に……」
きゅぅーー、っと。
とても可愛らしい音が、聞こえてきた。
……私の……お腹から。
……この状況で。
……神は悪魔か。
「……お腹……空いてるのか?」
……もうね……ホントに、殺して? 何処の世界に、心配して来てくれた……そ、その、好きな男の前でお腹を鳴らす女の子が居るのよ?
「……」
でも……食欲に勝てず。
何より、もう一度鳴った日にはとてもじゃないけど東九条君に逢わせる顔が無いので。
……せめて、可愛らしく見える様に、コクンと頷いて見せた。
◆◇◆
「……んで? 結局、智美に太ったって言われたのが嫌で、食事を抜いていたと」
「……」
「しかも睡眠を削って」
「……」
「……前々から少しだけ、思っていた事ではあるが」
東九条君はそう言って呆れた様にため息を吐いて。
「……アホか、お前は。たまにガチのポンコツになるよな、桐生」
「あ、アホって何よ!」
「いや……アホだろう」
「……」
反論出来ない。確かに……決して褒められた事じゃないのは分かるが……で、でも。
「東九条君には分からないわよ」
そう……東九条君には分からない。
「……東九条君の周りの子は、皆可愛い子ばっかりじゃない」
「あー……まあ、容姿が整ってるヤツが多いのは事実だな」
「そうよ。皆、容姿が整っている子ばっかりで……その上で、皆貴方の事が好きで」
――そして、東九条君との距離はきっと、私より近い。私の知らない東九条君を、皆は沢山知っている。
「そんな子達の所に居たら……太った私なんて、見劣りしちゃうじゃない」
……自分で言って自己嫌悪。何を言ってるんだろう? 私は。睡眠不足と空腹で、若干、情緒不安定になっているのかもしれない。
「……そんな子達が傍に居たら……いつか、貴方は私の元から離れて行くかも知れないじゃない?」
「……」
「どうせ私は胸だって小さいし、どうせ私は太っているわ。ど、どうせ私は……」
息が、詰まる。
「……皆より東九条君との思い出が少ないわ」
頬を伝って……涙が流れる。
……もうヤダ。こんな自分、大嫌い。
「……きりゅ――彩音?」
不意に下の名前で呼ばれ、胸が高鳴る。
「な、なによ! 慰めなんていらないんだから!」
だって云うのに、素直じゃない私の口から出たそんな言葉に、東九条君――浩之が、苦笑を浮かべるのが見て取れた。
「……まあ、確かに彩音との思い出が一番少ないのは事実だが……だからって、離れて行く、行かないの話にはならんだろう?」
「……でも」
「……まあ……確かに、ふらふらしてた前科はあるから不安にさせているのもあるのかも知れんが……心配するな。俺はお前から離れて行かないよ、彩音」
よしよしって。
寝具の傍によって、私の頭を撫でてくれる浩之。思わず、目を細めたくなるほど、気持ちいい。
「……浩之……」
……ああ。私も、単純だ。
「……その……私の事……好き?」
「好きだぞ?」
「……胸が無くても?」
「貧乳はステータスだ」
「……なにそれ?」
「魅力的って事」
「……太っても?」
「彩音は太って無いぞ? むしろ、もっと太れ」
「……皆より……思い出が少なくても?」
「これから増やせば良いだろう? 時間は沢山あるから……ゆっくりと」
そう言って笑う――浩之。
「……浩之は……本当に、私の事、好き?」
「ああ。大好きだ」
「……私は……私の事が、嫌いなのに?」
自分は……自分だけは、浩之との思い出が無くて。
他の誰よりも、『女』として優れた魅力があると信じられなくて。
浩之に……選んで貰える、自信が無くて。
「……彩音」
「……こんなに面倒くさい私でも……好き?」
「……例え、彩音が彩音の事を嫌いだとしても……俺は、彩音の事が……大好きだ」
……体中が……満たされる様な、喜び。
私が嫌いな私を、私以外の人が愛してくれる。
それも……自分が最も愛して欲しい、その人が。
「……彩音らしくないな? どうした? 『悪役令嬢』だろ、お前は? もっと堂々としてろよ」
「う、五月蠅いわね! わ、私だってそういう時もあるわよ!」
照れ隠しに、浩之の胸に顔を埋める。暖かい、浩之の胸。もう……このままずっとこうしていたい様な――
きゅぅぅーーーー。
「……」
「……」
「……」
……本当に……勘弁して下さい。
「……くっ……くくく」
「わ、笑わないでよ!!」
「い、いや……すまん……くく……」
「も、もう! 笑わないでってば!」
それでも、浩之の喉から笑い声は漏れっぱなし。もう、本当にこの人は!
……でも、まあいいか。
「……ねえ」
「くくく……な、なんだ?」
「……こんな場面で、お腹が鳴る様な女の子でも……好き?」
返事は無かった。
代わりに浩之の腕が強く強く、私を抱きしめてくれたから。