えくすとら! その十 欲望に忠実な人々!
「不公平だと思うのですよ」
「……何が?」
日曜日。家に来た明美はお茶を飲みながら不意にそんな事を言って見せる。同じく遊びに来ていた涼子、智美、瑞穂とお茶を淹れていた桐生がきょとんとした表情を見せる中、明美は言葉を継いだ。
「……お聞きしましたが……先日、浩之さんは執事喫茶でバイトをしていたらしいですね?」
「……どっからその情報を仕入れたんだ、お前は」
「瑞穂さんから。正確には、瑞穂さんが電話した茜さんから、ですが」
そう言って明美はスマホをちょいちょいと操作して一枚の写真を映し出すと、どっかの黄門様の印籠の様にこっちに向けて差し出す。
「瑞穂さんから茜さんに送られた画像です」
そこに映っていたのは執事姿の俺だった。いや、これって盗撮じゃね? そう思い、じとっとした目を瑞穂に向ける。と、慌てた様に瑞穂が両手をブンブンと振って見せた。
「ち、違います! 誤解です! これは、茜にも見せて上げようという一心で! べ、別に盗撮した……のはしたんですが! 一人で楽しむ観賞用にしようと……も、ちょっと思いましたが!」
「……何が言いたいんだ、お前は」
マジで。いや、まあ別にさして怒る程の事ではないが……拡散されたらいやだけど、まあここで止まるなら別に良い。
「……それで? 何が不公平なんだ?」
「分かりませんか?」
そう言って明美はスマホを静かにおいて、ゆっくりと立ち上がると。
「――私も、執事姿の浩之さんにお世話されたいです」
「「「……」」」
「『今日もお綺麗ですよ、明美お嬢様』とか言われたいです。切実に。ご心配なく。衣装はこちらで用意しますので」
「……欲望に忠実になって来たわね、明美」
「そりゃ、智美さんは良いですよ? 既にこの姿の浩之さんに給仕をして貰ったんでしょう?」
「給仕って……まあ、お茶を淹れて貰ったけど……別に、『今日も可愛いですね』とかは言われてないわよ?」
「では、言われたくありませんか? 浩之さんにお姫様扱い、されたくないですか?」
明美の言葉に、しばし黙考。何かを考え込むかのように下を向いて。
「…………あぅ…………」
智美のボキャブラリーが死滅した。いや、智美さん? なんで耳まで真っ赤にしてるんだよ、お前?
「瑞穂さん? 貴方は?」
「そ、そりゃ……そ、そうですね。私ももう一回、あの浩之先輩は見たいと思いますけど……」
そう言ってチラチラとこちらを見やる瑞穂。いや、もう一回って。
「涼子さんは? 涼子さんだってあの浩之さんにお姫様扱い、されたいですよね?」
勢い付いた明美の言葉に、人差し指を顎に当てて『んー』と考え込む涼子。
「私は別に良いかな~」
「え!? な、なんでですか! 執事モードの浩之さんですよ!!」
「執事モードって」
なんだ、その謎モードは。
「だって……浩之ちゃん、いつも私には優しいし。重たい荷物とかも持ってくれるし、気も使ってくれるから……お姫様扱いは別に良いかな~って」
ね? と笑って見せる涼子。エエ子や。
「……だ、だから、私としては執事モードの浩之ちゃんにはちょっと……ら、乱暴に扱って欲しいかも」
「……はい?」
……おい。エエ子、仕事しろ。
「……それは……どういう意味でしょうか? 暴力、という事ですか?」
「そ、そうじゃなくて……こ、こう……ちょっと乱暴に、『お前、俺のモノだからな? 余所見するなよ?』とか……こう、壁ドンとか顎クイとかされたいな~って」
「……」
「……」
「……」
「…………採用で!!」
「明美ちゃん!! 分かってくれた?」
「いい! 良いですよ、涼子さん! 所謂、『オラついた』というヤツですね! 確かに……確かに、それはとても素晴らしいアイデアだと思います!! そうですね!! 確かにあの執事モードの浩之さんには、それも似合うと思いますね!!」
「……おい」
なんだよ、壁ドンに顎クイって。いや、しないよ? つうかお前ら、ちょっとは俺の話を聞け。
「あの~……」
きゃっきゃと盛り上がる二人を半眼で睨んでいると視界の隅で手が上がった。瑞穂だ。
「……それでしたら私も……あの、ですね! こう、お姫様扱いも良いんですけど、それってちょっと壁がある気がしませんか!!」
「……ほう。興味深いご意見ですね。続きを」
「はい! えっと、尽くされるってのも憧れるんですけど……こう、もうちょっと、あ、甘えさせてくれると嬉しいかな~って!」
「ふむ……つまり、設定ではなくシチュエーションでという事ですね? 執事と姫の禁断の恋、という感じの」
「ですです! 普段は壁があるのに不意に優しくされたり、熱っぽい視線をくれたりしたら……」
「……ドキドキしますね。正直、鼻血が出そうです」
「……輝久おじさんが悲しむぞ、お前」
いや、マジで。東九条の本家の一人娘だろうが、お前。今のお前はどっからどう見ても唯の欲望に忠実な変態だ。
「さあ、智美さん! 智美さんにも憧れのシチュエーションがあるのではないですか!! この際です! 欲望を吐き出して下さい!!」
「いや、マジでお前なに言ってんの?」
まだ昼間だぞ!? いや、夜だったら良いってワケじゃないけど……にしてもだな――
「……ぜんぶぅ」
――……智美?
「……ぜんぶ……いい……ひろにぜんぶ、してもらいたい……」
とろんとした瞳を潤ませてそんな事を言う智美。頬は上気して、なんだか息遣いも少しだけ荒く……まあ、端的に言って色っぽい仕草で智美は俺に視線を向ける。
「……おひめさま扱い、して。乱暴にも、扱って。それで……とろとろになるくらい、甘やかしてぇ」
思わず生唾を飲み込みそうになる程になるほどの色気を醸し出しながら、そんな事を言う智美。そんな智美の姿に、俺も――
「……いや、盛り上がってる所悪いけど……しないからね?」
――まあ、しないけどね。
「なんでですかぁ! こんな智美さんを見て可哀想だと思いませんか! もうアレ、完全にメスの顔ですよ!!」
「言葉のチョイスが酷い! なんだよ、メスの顔って! 東九条のお嬢様だろうが、お前は!」
「お嬢様の前に私だって一人の女です! 欲望だってあります!!」
「うわ、コイツ、ついに欲望って言い切りやがった」
「して下さいよ! っていうか、しろ! 執事モードの浩之さん、見せろ!!」
「ついに遠慮まで無くなって来ただと……」
戦慄を覚えた。尚もぎゃーぎゃー言う明美に肩を竦め、俺は空になったコップを持ってキッチンに向かう。
「……ねえ」
そんな俺のあとをトコトコと着いてくる桐生。どうした?
「なんだ?」
「その……皆、色々言っているじゃない?」
「……勝手に言わしとけ。ああ、心配するな。するつもりはない」
「す、するつもりは無いの?」
「……なに? 皆にしろって事か?」
いや、流石にそれは無いだろう? そう思う俺に、桐生は慌てて首を振って。
「そ、そうじゃなくて! そ、その……」
窺うようにきょろきょろと見回して、つま先立ちで俺の耳元に唇を寄せて。
「……み、皆が帰ったら……わ、私だけには……し、シてくれないかなぁ?」
……皆が帰った後、無茶苦茶執事した。