えくすとら! その七 私だけの執事様
「それで? 藤田の働いている執事喫茶ってどこにあるの?」
「学校から二駅の所ですよ」
「ふーん。でも、『執事喫茶』でしょ? お値段、割合高めなんじゃないの?」
「あー……まあ、ファミレスでお喋りするよりはちょっと割高なんですけど、その分ゆっくり出来ますし。お勧めと言えばお勧めですよ? それに、従業員のその……こ、恋人には割引もありますし」
頬を赤く染めてそんな事を言う有森――雫さんに、智美さん、涼子さん、瑞穂さん、理沙さんと私は少しだけほっこりした視線を向ける。なにこの子? 凄く可愛いんだけど。
「……そう。それでも不安にならないかしら? 執事喫茶でしょ?」
「……まあ、私も最初は『藤田先輩がホストの真似事を!』って思って泣きそうになったんですけど……どちらかと言えば、常連さんの多いお店ですから、そこまで心配する事はないってオーナーの人が」
「オーナー?」
「女子大生で私たちの先輩らしいです。北川結衣さんって云うんですけど……凄い人ですよ? 漫画家で、実業家ですから」
「……小説の中にでも出て来そうね」
女子大生実業家で漫画家なんて。思わず唸る私に、智美さんがじとっとした目を向けて来た。なに?
「……彩音がそれ、言う? 文武両道、才色兼備のお嬢様なんて、まさに漫画やアニメの世界じゃん」
「……そうかしら?」
私にとってはさして珍しい話ではない。中学校はお嬢様学校だったし、周りには沢山、『そういう』子がいたからだ。そんな私の説明に、智美さんは小さく息を吐いた。
「なるほど。そりゃ、そういう子が多いか。あんまり彩音が『お嬢様!』感出さないのってその辺りが原因だったりする?」
「……そうね。普通、という感覚と……後はまあ、我が家は成金だから。真正のお嬢様じゃないって、何処かで自覚しているのはあるわ」
「……ごめん、無神経だった?」
「全然気にしてないわ」
正直、これっぽっちも気にはしていない。正確には昔は結構気にしていて、だからこそ東九条の血を欲したりしたが……今は、そ、その……浩之が居ればそれで良いし。
「……なんで彩音が顔を真っ赤にしたか想像が出来るけど、突っ込むのは止めておく。それで? 雫、藤田の執事姿、どうなのよ? 『きゃー、格好いい!!』ってなるの?」
少しだけ揶揄う様な智美さんの言葉に、雫さんは真剣な眼差しを智美さんに向けて。
「――控えめに言って……最高です」
真顔で返した。はい?
「さ、最高?」
「はい。最高です。そもそも、藤田先輩は厨房スタッフなんであんまり表には出てこないんですが……たまに、フロアのスタッフとして出て来るんです。その時の執事姿が」
一息。
「……正直、たまりません」
「「「…………」」」
全員無言。ええっと……し、雫さん?
「……は! ち、違うんです! ふ、藤田先輩って頼りがいがあって格好良いんですけど……執事服姿の藤田先輩、少しだけ照れるんですよね! そ、それがこう、か、可愛いんですよ!! で、でも! ちょっとだけおねだりしたら、『仕方ないな……雫お嬢様?』とか言って、ゆっくり頭撫でてくれちゃったりするんですよ!!」
「「「…………」」」
再び、全員無言。そんな中、智美さんが雫さんに半眼を向ける。
「……何言ってるんだか、藤田……なに? あいつ、そんな臭い事言ってんの?」
「く、臭い事ってなんですか!! 格好良いんですよ、藤田先輩!?」
「……あばたもえくぼ、ってヤツだね~」
「うぐぅ……で、でも! 智美先輩だって分かると思います!!」
「私?」
「どっちかって言うと智美先輩、私よりでしょ!! ガサツだし、男っぽいし!」
「……おい、後輩。失礼な事を言うな」
「そんな智美先輩に! 東九条先輩が、『可愛いね、智美お嬢様』とか言ったらどうですか!! あそこの喫茶店の執事服、凄くしっかりした造りになっていて、本当の執事さんが着ても大丈夫な縫製なんですよ! そんなパリッとした東九条先輩にそんな事言われたら、智美先輩ならどう思うんですか!」
「執事姿のヒロに? 『可愛いね、智美お嬢様』って言われても……苦笑いしかない気がするんだけど? なに言ってるの、ヒロ? 頭打った? ぐらいな感覚だけど……」
「ううう! なんですか!! そんな強がり言って! 本当に凄いんですよ、あのクオリティ! 絶対、智美先輩だってメロメロになるに決まってます!!」
「そうかな~? ま、もしそんな事になったら雫にごめんって謝って上げるよ。それじゃまあ、藤田のコスプレでも観に行こうか~」
そう言って智美さんはにっこりと笑って――
――この言葉が盛大なフラグだった事は、喫茶店に入って直ぐに判明する事になった。
◆◇◆
「……お茶のお替りは如何ですか?」
「は、はひぃ! い、頂き……ま……す」
にっこりと微笑みかける、見目麗しい青年に、顏を真っ赤にしたまま智美さんが縮こまる。それでいてチラチラと向ける視線の先にいる青年に対する好意は隠しきれていない。対する青年はにっこり笑いながら――それでも頬をひくひくと引き攣らせている。
「……」
まあ、お察しの事と思うが……居たのだ、東九条君が。なぜか、この執事喫茶『エリタージュ』に。双方唖然とする中、最初に動いたのは瑞穂さんだった。
『……浩之先輩……ですよね?』
『……なんだ』
『……え? な、なんですか、これ? 浩之先輩、こんなイケメンでしたっけ? あれ? 人違いですか?』
瑞穂さんの仰る通り。人は見た目が九割、なんて言葉があるが、執事姿の東九条君は……その……こう……端的に言って、物凄く似合っていた。勿論、顏や体型が変わった訳ではない。ないがこう、普段少しだけ長い前髪をオールバックにして、きちんとサイズのあった執事服を着て、伊達メガネをかけている東九条君は……その……こう、とんでもないくらい格好良かった。
『どうした、ひろ――え? なんで居るの、お前ら?』
入口で大騒ぎしていた私達の声に気付いたのか、裏から出て来た藤田君。コック服にコック帽姿の藤田君にもう一度驚くと、更にその後ろからもう一人、綺麗な女性が出て来た。
『どうした、藤田?』
『あー……その……さっき言ってた浩之ラバーズが勢ぞろいです』
『マジか! なんという幸運! 藤田、店は閉めろ! 貸し切りだ!! ん? 雫ちゃんも居るのか! よし、藤田! 執事モード!!』
『……はいはい』
以上、回想終了。奥の大き目のテーブルに通されて今に至る、という訳だ。
「……智美ちゃん、有森さんにごめんなさいしなくちゃだね?」
顔を真っ赤にしたままの智美さんに、涼子さんがそんな事を言う。そんな涼子さんの言葉に、智美さんはしっかりと視線を雫さんに固定して。
「……はい。申し訳ございませんでした、雫さん。サイコーです」
「いいですよ~。あ! 藤田先輩! お茶のお替り、お願いできますか~?」
「はいはい」
「もうー。ちゃんと言って下さいよ!」
「……恥ずかしいんだが……お茶のお替りは如何ですか、雫お嬢様?」
「きゃー!」
頬に手を当てて『やんやん』と体を振って見せる雫さん。心底嬉しそうなその表情は見ていてほっこりするものがあるのだが……こう、なんだろう? 藤田君の顔が明らかに引き攣っているのが気にはなる。
「……彩音先輩」
「……どうしたの、瑞穂さん」
「……ヤバいっすね、浩之先輩」
「……ええ」
「……あんな浩之先輩、私見た事無いですよ? なんですか、あの人。あんなしっかりした格好も出来るんですね……」
「……同感ね」
一緒に暮らしているからというのもあるのだろうが、どちらかと言えば東九条君はラフな服装を好みがちだ。家でも殆どジーパンにティーシャツ姿だし、この姿がちょっと新鮮で……まあ、うん。格好いい。
「……瑞穂さんも見た事ないの?」
「ありませんよ。基本、ジャージとか運動しやすい格好で逢う事多いですし。智美先輩なんて私よりももっとそうでしょうから……」
ああなるのか。
「その点、涼子さんは普通そうね?」
「そんな事無いですよ。涼子先輩もほら、よく見たらカタカタ震えてますもん。アレ、『きゃー! 浩之ちゃん、格好いい!!』って叫びだしたいの押さえてるんですよ」
「……そうなの?」
「智美先輩よりも付き合い長いですし、お姉ちゃんポジですからね、涼子先輩。なんとなく、今の浩之先輩、年齢よりも上に見えるでしょう?」
「……確かに」
服装もあるが、髪型や伊達メガネが一層大人っぽさを引き出している。
「……あ」
と、そんな東九条君と目が合った。少しだけ気まずそうに、それでもはにかむ様に笑う東九条君に私の胸がトクン、と一つ高鳴った。
「……よう」
「……どうも。こんな所で逢うとは思わなかったわ」
「……俺もだよ」
「それで? こんな所で何してるのよ?」
気を利かせてくれたのか、瑞穂さんをはじめ全員が席を離してくれた。さして広くない空間、それでも二人っきりという事もあって少しの気安さが生まれた私はもう一度マジマジと東九条君を見やる。改めて見ても、やっぱり格好いい。
「その……なんだ? ちょっとバイトでもしようかなっておもって。それで、藤田に紹介して貰――」
「……格好いい」
「――ってって……へ?」
「え?」
あ、あれ? 私、口から漏れてた!?
「ええっと……あ、ありがとう?」
「~~~っ!!」
きっと、私の顔は真っ赤だろう。だってしょうがないじゃないか。格好良かったんだもん!!
「……あー……その、なんだ? 似合ってるか?」
「……はぁ」
もう、仕方ない。正直になろう。
「……とっても似合ってる。悔しいけど……惚れ直したわ」
恥ずかしいから、視線を逸らして、少しだけ拗ねた様に言って見せる。それでも、反応を知りたくて横目でちらっと彼を見て。
「……さんきゅ」
……反則だろう。なんだ、この、心底嬉しそうな笑顔は。どっちかって言うと苦笑とか、バスケの時は勝気なとか、そんな笑顔ばっかり見て来た私にとって、嬉しそうに微笑む東九条君は結構なレアショットだ。
「……」
と、同時に――少しだけ、不安になる。
「……ねえ」
「ん? なんだ?」
「その……此処でずっとバイト続けるつもり?」
「あー……まあ、ちょっと悩み中。時給は良いし、待遇も悪くはないしな。藤田もいるから、やり易い気もしてるし……」
「……」
胸の辺りがもやもやする。
だって、そうだろう?
今の東九条君は本当に格好いい。無論、恋人の贔屓目はあるにはあるが、智美さんや涼子さんのあの姿を見るとやっぱり『良いな』と思う人は少なく無い筈だ。
「……イヤか?」
「……うん。さっきも言ったけど……今の東九条君、とっても素敵だもん。そんな風に他の子に笑い掛けたりとかしたら……イヤかも」
醜い嫉妬だと、自分でも思う。思うがしかし、止められるものでもまた、ない。
「……そうか」
……困った様な東九条君の表情に、なんだか私も泣きたくなってくる。
「……でも、バイトしたいんだよね? なにか欲しいモノでもあるの?」
でも、それは私の我儘だ。だから、こんな気持ちにはそっと蓋をして、私は東九条君に微笑みかけて。
「――え?」
東九条君の手が、頭の上に乗せられた。くすぐったい様な、温かい様なその感覚に、思わず顔を上げると、そこには優しい笑顔で私の頭に手を乗せている東九条君の姿があった。
「……んじゃ、此処でのバイトは止めとこうかな」
「……え? で、でも! 条件面も待遇も良いんでしょ? や、やり易いって言ってたし」
「でも、お前は此処で働いて欲しく無いんだろう?」
「そ、そうだけど……でも、それは……わ、私の我儘だし……」
言い淀む私に、いつも通りの苦笑を浮かべて。
「良いんだよ。お前に嫌な想いをさせてまでしても、意味ないしな?」
……ああ、不味い。好きが止まらない。
「……あ、ありがとう」
「どう致しまして、彩音お嬢様」
いつも通りのその表情に、胸がきゅっとなる。彩音お嬢様、か。
「……ねえ?」
「ん? どうした?」
少しだけ恥ずかしいけど……
「そ、その……その執事服って……買取とかしてないの? 私、買い取るけど?」
「…………お前な?」
「だ、だって! 人に見せるのはイヤだけど、私の前ではして欲しいもん!! 私だけの執事様とか……よ、良くない?」
『このポンコツが』って声が聞こえて来たけど……ごめんなさい、東九条君。これはポンコツではなく強欲です。