第百七十五話 一難去ってまた一難去ってまた一難
リビングに通して席に付いた明美の目の前に腰を降ろす。コーヒーを淹れた桐生が明美の前と俺の前にコーヒーを置き、その隣に自分のコーヒーを置いて腰を降ろした。隣通しに座った俺らをジトっとした目で見た後、明美がため息を吐く。
「……はぁ」
「ええっと……なに、そのため息?」
「いえ……仲が宜しいようで、と思いまして」
「……まあ」
悪くはないよな、うん。
「……智美さんから電話が有りました」
「……智美から?」
「今回のテスト、残念だったみたいですね? 抗議の電話が掛かって来ましたから」
コーヒーカップに一口口を付け、そのまま手に持ったハンカチで口元を拭う。そっか……もうバレたか。っていうか……
「……抗議?」
「『ヒロと彩音の仲を認めてあげても良いじゃない! なんで明美の勝手で別れさせようとするのよ!』と……まあ、こんな感じですかね?」
「……」
「かといって諦めた訳でも無さそうですし……本当にあの人は」
頬に手を当ててはーっとため息を吐く明美。そんな姿に、桐生が声を掛けた。
「……それでわざわざこちらにおいでになったのですか? 平日なのに?」
「そうですね。智美さんから聞いた話によれば、浩之さん、心此処にあらずだったとお聞きしましたし……このまま、二人で駆け落ちでもされたら厄介でしたので」
明美の言葉に桐生がすすっと目を逸らす。そんな桐生の姿に、呆れた様に明美はため息を吐いた。
「……やっぱり」
「ち、違います!!」
「まあ、それは良いです。それで? 結局、私との約束は守れなかった、という事で宜しいでしょうか?」
「……ああ」
……だよな。結局、十位以内に入る事、出来なかったからな。確かに明美との約束は果たせなかったさ。
「……では、約束通り、婚約は解消という事で」
明美の言葉に桐生が唇を噛む。勿論、婚約を認められなかったからと言って諦める気は毛頭ないが……それでも、やっぱり『形』が一つ無くなるのは、なんとなく喪失感があるもので――
「……と、言いたい所ですが」
「……え?」
沈んだ表情だった桐生が明美の言葉に驚いた様に顔を上げる。そんな桐生の視線から逃れるよう、明美がそっぽを向いた。
「……私、言いましたよね? 忘れましたか?」
「えっと……」
何を?
「『定期テストで良い順位を取ったら、見逃して差し上げる』」
「……言ったな。だから、十位以内に――」
言い掛けた俺を、手で制し。
「――私、十位以内なんて一言も言ってませんが?」
「……へ?」
いや、え? そ、そんな事は……
「十位以内、と言っていたのは浩之さんだけですよ? 私は『良い順位』と言っただけで、別に十位以内に入って下さいとは言ってませんが? そして今回、十八位だったのでしょう? 百三十番以上順位を上げるのは物凄く大変だっただろう事は容易に想像が付きます。それは、充分『良い順位』では?」
「……」
……言われて見れば、確かに。俺が勝手に宣言しただけな気もするが……でも!
「……まあ、浩之さんが言いだした事ですし、本来であれば十位以内に入っていなければ即、許嫁解消が正しいのでしょうが……ですがまあ、今回はこちらにも弱みがありますし」
「……弱み?」
「風邪の看病と、その後の浩之さんの風邪です」
「……ああ」
あったね、そういえば。
「個人的には二日勉強が出来ていれば十位以内に入っていた、とは思ってはいません。いませんが、まあ、借りは借りですので」
「……確かにな」
正直、あの二日勉強できたからって、更に順位が上げれていたかっていうと……ちょっと微妙な気はする。
「ですから……そうですね、今回は見逃してあげます。ですが!」
そう言ってビシッと俺を指差し。
「私は別に諦めた訳ではありませんので! 彩音様もですよ? 今回は見逃して差し上げますが、お二人次第では直ぐに浩之さんを貰い受けに行きますので!」
そう言ってギン、とした視線を桐生に向ける。そんな視線を向けられた桐生は目をパチクリとさせた後、言葉を発した。
「……そんな事はありません、明美様。ええ……あり得ません」
「……それはどうでしょうか?」
「……どういう意味でしょう?」
「彩音様はそうかも知れませんね? 確かに、浩之さんに『飽きた』という事は無いかも知れません。ですが」
そう言って視線を。
「見る限り、彩音様は女性としての魅力には乏しいように感じますが?」
桐生の――まあ、胸に当ててふんっと鼻で笑う明美。
「ど、何処を見て言ってらっしゃるのですか!!」
「正直、私と彩音様ならさしてスペックは変わらないと思うのですよね? お嬢様ですし、成績は優秀ですし、容姿だって整っておりますし。ですが……ある一部分を観れば、完全に私の勝利ですよね?」
豊満な胸を反らしながらそう宣言する明美。いや……まあ、戦力差は圧倒的だよ、うん。
「べ、別に胸部の膨らみだけが全てでは無いでしょう!?」
「あらあら。それは持つものが言うセリフですよ? 持たざる者が言うと、唯の負け犬の遠吠えですから」
額に青筋を浮かべる桐生に、余裕綽綽な表情を浮かべる明美。いや、お前ら……
「……ん?」
と、バイブにしていた俺の携帯が鳴る。珍しく、良くかかって来る日だなと思い画面を見ると。
「……親父?」
そこには普段掛けて来ることのない相手からの着信を知らせる名前が。珍しい事もあるもんだと通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『あ、浩之? 元気?』
「元気……は元気かな? なんだ? 俺の健康の心配でもして電話掛けて来たのか?」
『こないだ風邪引いたって言ってたしね。でもまあ、そうじゃないんだよ』
「……んじゃなんだよ? 俺、今結構忙しいんだけど?」
具体的には電話が掛かって来たからか、静かににらみ合う事になった桐生と明美の仲裁とかな。
『ん。それじゃ手短に話すね。あ、心配しないで? 浩之にとってイイコトだから』
「なんだ? 小遣いでも上げてくれるのか?」
『それよりももっとイイコトだよ』
そう言っておかしそうに電話口で笑って。
『――喜んで、浩之!! あれからお父さん頑張ってさ? 桐生彩音ちゃんとの婚約、解消したから!!』