第百七十四話 この気持ちが、偽物な訳がない
今回ちょっと長いです。いつもの二話分くらい?
何処を通って、どう帰って来たか定かじゃない。気が付けば俺は床に座り込み自室のベッドに背中を預けて茫然と天井を見上げてた。
「……東九条君? その……もう、七時よ?」
トントントンと三度、ノックの音が響く。ドアの向こうから聞こえる桐生の声に、俺は緩慢な動作で視線をドアに向けた。
「その……は、入っても良い?」
「……良いぞ」
ガチャリと音を立てて桐生が俺の部屋に入って来る。少しだけキョロキョロと辺りを見回し、ベッドに背中を預けている俺の姿を見て唇を噛みしめた。
「……隣に座っても……良い?」
「……ああ」
俺の言葉に少しだけ安心したのか、俺の隣にちょこんと腰掛ける桐生。何かを言いたげで、それでも何も言わずに視線を俺同様に天井に固定する。
「……悪かったな、桐生」
「……」
「……十位以内に入る、なんて大口叩いておいて……十八位なんて半端な順位で」
「……」
「……ごめんな。約束、守れなくて」
「……」
「……桐生?」
俺の言葉に反応を示さない桐生。そんな桐生に視線を向けて。
「――っ」
俺は息を呑む。
「――そうね」
こちらに向けた桐生の視線が、物凄く冷たいモノだったから。
「……」
「貴方は……私としてくれた約束を破ったわ。十位以内に入るって、そう言っていたのに……」
「……すまん」
「謝罪が聞きたいんじゃないわ。百五十番前後だった貴方が、一気に二十位以内に入った。ええ、ええ。それは凄い事よ? その努力は認めるわ」
でも、と。
「……その努力は、意味を為さない」
「……その、通りだ」
……返す言葉もねーよ。
「……それで?」
「……それで、とは?」
「約束を破った貴方は、私にどうやって償ってくれるの?」
逸らしていた視線を桐生に向ける。そこには相変わらずの冷めた視線を向ける桐生の姿があった。
「……どうなの?」
「……」
「貴方は、これで良いの? 約束を果たせなくて、それで……それで、良いの? もう、何もしてくれないの? もう、もう――」
――私の事なんて、どうでも良いの、と。
「――っ!! そんな訳あるかっ!!」
「じゃあ!! 約束を破って御免なんて言わないでよ!! 確かに、貴方は十番以内に入れなかった。その約束は破った! でも……でも!!」
拗ねたように。
「……ずっと……ずっと、傍に居てくれるって……言ったじゃない……」
涙を流しながら。
「……あれは……嘘?」
「嘘じゃない!! 俺だって、お前と一緒に居てーよ! ずっと、ずっと一緒に居たいよ!!」
そんな俺の言葉に、桐生は涙を拭って笑顔を見せて。
「……嬉しい」
綺麗な、綺麗な微笑みを浮かべて。
「……私も、ずっとずーっと、貴方と一緒に居たい。これからも、この先も、何年、何十年経って、おじいちゃんとおばあちゃんになっても……私は、ずっと一緒に居たい」
そう言って、俺の肩に頭を乗せる桐生。その頭をゆっくり撫でると、気持ちよさそうに目を細めながら桐生は俺にすり寄って来る。
「……もっと」
「……こうか?」
「……うん……あ……それ、すきぃ……てぐしぃ……」
「……子供かよ」
『もっと、もっと!』と言わんばかりに頭を擦りつけてくる桐生。その仕草がおかしくて――可愛くて、俺は心持優しく桐生の頭を撫でる。
「……ふふふ」
「……どうした?」
「ん……これって、凄く気持ちいいなって……なんか……凄く、幸せ」
「……そっか」
「うん……なんかね? 頭がぽわーってなって、東九条君に全部委ねたくなっちゃう様な、そんな気分になって……すきぃ……」
「……良かったよ」
「うん……私ね? 好きなの」
「知ってるよ。お前、頭撫でられたらいっつもそんな感じじゃんか」
「そうじゃなくて」
苦笑をして、桐生は首を左右に振って。
「――私はね? 東九条浩之君の事が……好きなの。大好きなの」
「っ! き、桐生?」
「ふふふ……言っちゃった~」
そう言って桐生は俺の肩に頭を付けて、猫が匂い付けをするかの如くぐりぐりと頭を擦りつけて来る。いや、ちょ、待って!
「いや……ちょ、き、桐生?」
「……貴方は昔言ったわよね? 私の気持ちは偽物じゃないかって」
「……言った、けど……」
「貴方と一緒に居て、ドキドキする気持ちも、嫉妬する気持ちも、嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも、全部偽物、なのかしら?」
「……それは……」
「もし、ね? この気持ちが偽物だと言うなら」
――きっと、この世界に本物なんて、ない、と。
「……だから、この気持ちも……きっと、本物よ?」
そう言って桐生は目を閉じて俺に顔を近づけて来る。ちょ、き、桐生!!
「き、桐生!!」
「いや……?」
「いや、嫌じゃないよ!? イヤじゃないけど!!」
あ、これ知ってる!! アレだよね? こう、良い雰囲気になって、顔が近づいて来るけど、結局電話が鳴ったり誰かが来たりで――
「――ん……むぅ……」
――……。
………………。
……………………。
「……しちゃった」
「ききききききききき桐生さーん!!!!!!!」
唇を押さえて慌てて後退る。し、しちゃったじゃないよ、桐生!! お前、もっと自分の唇を大事にだな!!
「……ファーストキス、だから」
照れ臭そうに頬を染めてチラチラとこちらを見る桐生。なにそれ、超かわいい……いや、そうじゃなくて!!
「おま、ファーストキスならもうちょっと大事にだな!! なに勢いに任せてかましてんだよ!!」
「そう? 私的には結構いい雰囲気って思ったんだけど……ダメだった?」
「だ、ダメだったっていうか……その……こう……ほれ、これからどうなるか、分かんねーだろうが」
「……なによ? 諦めるってこと?」
「そ、そうじゃねーよ! 足掻くつもりだ! つもりだけど……!」
正直、少しばかり自信がない。
「なに? 十位以内に入れなかったから、自信でも喪失してるの?」
「それは……まあ……それもある」
今のままで許嫁関係の継続、ってなると流石に明美も認めてくれないだろうしな。十位以内って約束は約束だし。
「……なるほど。それじゃ……東九条君、私の考えを聞いてくれる?」
「……考え? そりゃ、聞くけど……」
なんだ?
「……まず、この後明美様から婚約の破棄が言い渡されるでしょう。明美様のお話なら、東九条の分家筋から誰かを許嫁として推薦される……此処までは良い?」
「……ああ」
「私はそのお話を断る。大学を卒業するまでは、許嫁もお見合いもしません、ときちんと父に話すわ」
「……認められるのか、それ?」
そもそも豪之介さん、一遍無理矢理許嫁にしたんだぞ? 直ぐに次の許嫁相手がーって話にならないの?
「意外に父も甘い所があるから。一度目はともかく、それで私が『傷付いた。大学卒業までは考えたくない』と言えば、きっと聞いてくれるわ。本当に傷付いたし」
「……すまん」
「……さっきはああ言ったけど……貴方の今までの成績考えれば、凄い事よ、十八位なんて。ちょっと感動したもの」
「甘やかすなよ」
「甘やかしてるつもりはないけど……まあ良いわ。それでお互いに大学に通って、卒業したら」
そう言って桐生はにっこり笑い。
「駆け落ち、しましょう!」
「……はい?」
「一度約束を守れなかった東九条君を明美様が逃がすと思えないもの。立場的にはこちらの方が『弱い』し、桐生の家から東九条本家に抗議も出来ない。つまり、私と東九条君は結婚出来ない。それでも一緒に居たいってなると……この方法しか無いもの」
「……」
「本当は今すぐ駆け落ちも考えて、奨学金で通える大学とかも探したんだけど……何をするにも親権者の同意がいる未成年の間よりは、大学卒業までバレない様にこっそり付き合って、そのまま大学卒業と同時に逃げるのが無難だと思うのよね」
「いや……桐生?」
「……お父様には申し訳ないけど、私は桐生の家と東九条君を天秤にかけるなら」
東九条君を取る、と。
「……それだけ……東九条君が大切です」
真剣な目をする桐生に。
「……っく……くくく……」
なぜか、無性に笑いが込み上げて来た。
「な、なに? なんで笑うの!?」
「いや……女ってスゲーなって思って」
だってそうだろう? 俺が茫然自失で天井見上げてる時に桐生はこんな事考えてたんだろ? なんというか……非常時ってやっぱり女の方が冷静なんだなって。
「……ありがとう。俺との事をそこまで考えてくれて……マジで嬉しい」
「どういたしまして。じゃあ」
「でも、駆け落ちは無しだ。っていうか、常識で考えて無理だろう? お前、桐生の家を捨てて後悔しないのか?」
「……しない」
「嘘だな」
「でも! それじゃ方法が――!」
「――俺が、もっと頑張る」
「――ない……え?」
「明美になんと言われようと、東九条の家になんて言われようと……俺が、俺が頑張るんだよ」
「……」
「……そもそも、『許嫁』とか『家』とかに拘るから、話がややこしくなるんだよな。今日、藤田に言われて思ったんだよ」
「……なにを?」
「『俺』がどうしたいか、だ」
「……」
「……俺がお前と一緒に居たいなら……やっぱり、逃げちゃダメなんだよ」
「逃げる?」
「『家』の名に。『許嫁』という、その関係性に」
『東九条の分家の浩之』ではなく。
「……」
『桐生彩音の許嫁』ではなく。
――ただ。
「――ただの、『東九条浩之』として……俺は、お前の側に居たい」
「っ!!」
口に手を当てて桐生が目を見開いてこちらを見やる。そんな桐生の頭に手を乗せて、俺はゆっくり撫でる。
「……東九条の血が欲しいって理由もあるんだろうけど……明美の言った通り、『優秀』な後継者であればそれはそれでいい気もするんだよな」
この辺はちょっと想像でしか無いが……『血だけのボンクラ』よりは『優秀な後継者』な方が、豪之介さんは好みそうな気はする。本家は良い顔をしないだろうが、そもそも俺の親父だって本家にいい顔されてねーだろうし、今更感はある。
「……具体的に何を、ってなるとこれから模索って形になるが……でも、取り敢えず出来る事を全部やろうと思う。勉強も、運動も、礼儀作法も……お前の会社を継ぐ……のはお前だろうけど、そのサポートが出来る様に色々これから勉強していく」
「……う……ん……」
「助けてくれるか?」
「うん!! うん、うん!!」
「……さんきゅ」
俺の言葉に、開いた目に一杯の涙をためて桐生が頷く。その拍子に流れ落ちた雫がカーペットに小さなシミを作る。
「……でも……お父様がそれで、認めてくれなかったら……? 名家の血が欲しいって、そっぽ向かれた人間はいらないって言われたら?」
無論、その可能性はある。あるが、まあ……
「そうだな。そん時は駆け落ちしようぜ、桐生」
桐生が覚悟を決めてくれるんだったら。
「――そもそも俺、もうお前を手放す気はねーし」
……まあ、こういう事だ。そうなったらそうなった時、贅沢な暮らしは出来んかも知れんが、生きていくぐらいならなんとでもなるだろう。甘いかも知れんが……流石に桐生と東九条の力をもってしても日本中から俺らの痕跡を探すのは不可能だろうしな。こっちの方が有利だ。
「……うん……うん……嬉しい」
泣き笑いの表情でそう言って優しい視線を向けて来る桐生。そんな桐生の涙を人差し指の背で拭いながら、俺は苦笑を浮かべる。
「にしても……お前も、俺の言う事聞かねーよな?」
「……言う事って? なに? 私、なにか言いつけを破った?」
「前、言っただろうが? 『こういう事』は男から言うって」
「こういう事って――っ!! !?」
俺の言葉を思い出したか、瞬時に顔を真っ赤に染める桐生。そのままこちらをチラチラと見つめ、期待の籠った眼差しを向ける。
「……色々と順番が違うけど……桐生?」
「は、はひ!!」
「……緊張しすぎだろう」
ぴしっと背を伸ばして正座に変える桐生に苦笑の色が強くなる。それでも、その期待を込めた眼差しに応えてやりたくて、俺も居住まいを正す。
「――俺は……東九条浩之は、桐生彩音の事が、この世界の誰よりも……す――」
――ピーンポーン、と。
「……」
「……」
間抜けなチャイムの音が、部屋中に鳴り響いた。
「……」
「……」
「……」
「……」
……え、ええ……き、気まずいんですが、流石に。
「……それで? 東九条君? 私の事がなんなの? この世界の誰よりも?」
「……この状態で続けるの、お前?」
「あれだけ待ったのよ!! 今すぐ聞かないと納得いかないの!!」
「……お客さん、来たんじゃないのか?」
「こんな時間にアポなしで来るような無礼なお客さんは待たしても良いでしょ!!」
「……ええ~……」
いや……流石にそれはどうかと思うんだが……ん?
「……携帯が……明美?」
スマホの画面には『明美』からの着信を知らせるものが表示されていた。『もう!!』と憤慨する桐生に悪いと手を挙げて俺は通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
『今、どちらにいらっしゃいますか?』
「……は? ど、どちら? えっと……家、だけど」
『でしたら、居留守を使うのはやめて下さい』
「い、居留守?」
『とぼけるのですか?』
と、同時、もう一度『ピーンポーン』と気の抜けた音が響いた。
「……ってこれ……明美?」
俺の声に電話口から聞こえたのは。
『そうです。さあ、ドアを開けて下さいませんか?』
優雅にそういう、明美の声だった。