第百七十三話 長い長い、『夢』の終わり
「……浩之、大丈夫か?」
「……大丈夫じゃない」
土、日と桐生と一緒に遊んで……まあ、デートだ、デート。デートして迎えた月曜日。昼休みに机で突っ伏した俺に藤田の声が掛かる。
「……ウチの教師陣ってなんでこう……勤勉なんだろうな?」
「……今までお前から聞いた事もない感想だが……勤勉なのか、ウチの教師陣?」
「勤勉だろう? 土・日使って成績集計して昼休みには張り出すって……流石にやり過ぎじゃねーか?」
休めよ! なんだよ、天英館高校。意外にブラック企業なのか?
「……本当に聞いた事ない感想が飛び出したな。アレか? 上位三十番ってヤツか?」
「……それだよ」
ウチの高校では未だに成績優秀者上位三十番を張り出す風習がある。今までは百五十番辺りをウロウロしていたのでさして興味も無かったが……流石に今回のテストでは緊張するなという方が無理だ。
「……ちなみに手応えの方はどうなんだ?」
「……今まで一番いい。正直、上位三十番以内に名前は入ってる自信はある。午前中の四教科、八十点以下は無かったし」
「……すげーな、それ。百番以上順位上げたってことだろ?」
「……それじゃ意味無いんだよ」
マジで。正直、十番以内じゃないんだったら百番も百五十番も変わらん。
「……なあ」
「……なんだ?」
「精々、張り出されるくらいの順位にしておけば良かったんじゃね?」
「……」
……だよね。何考えて俺、十番以内とか見栄張ったんだろう?
「……まあ、言っても仕方ないからな。十番以内に入っている事を祈る」
「……おう。祈っておいてくれ」
机に突っ伏したまま、藤田にひらひらと手を振る。そんな俺に呆れた様に藤田が声を掛けて来た。
「にしても……まあ、お前も良く頑張ったな? なんだ? そんなに桐生と離れたくなかったのか? ついにあのふらふらした浩之にも春が来た――違うな。お前、年がら年中春が大挙して押し寄せてたわ」
「……んな事ねーよ」
「あんの。鈴木と賀茂だけかと思ってたけど……川北とか又従姉妹とか出て来たのに、それで最後に選ぶのが桐生ってのが、ある意味スゲーよな」
「……なにがスゲーんだよ?」
「だってお前、そうそうたるメンツだぞ? まあ、桐生だって美人だとは思うけど……そんな中で一番付き合いの浅い桐生を選ぶとは」
「……そうか?」
「まあ、別に顔だけが全てじゃねーとは思うけどさ? 正直、レベルは全員似たようなもんだろ? 高い位置で」
「……まあな」
タイプこそ違えど、全員容姿が整っているのは間違いない。
「賀茂は……まあ、最近強キャラっぽい所が見えて来たけど基本は儚い文学少女だろ? 鈴木は友達みたいな感覚で付き合えるし、川北は可愛い後輩じゃん。又従姉妹は詳しく知らんが……まあ、清楚系お嬢様だろ?」
「……まあな」
「そんな中で桐生って云えば……こう、なんだろう? 『悪役令嬢』っていうか」
「……お前、今の桐生にそんな感情持ってる?」
「持ってない。なんだろう? 懐く前の野良猫みたいな感じ。気を許すまではシャーシャー言ってるけど、気を許したら一気に喉を鳴らしてる、みたいな」
「……分からんではない」
猫っぽいもんな、アイツ。
「……付き合いが浅いって言ったらお前と有森はどうなんだよ」
「俺らはお互いしか選択肢が無かったの。ああ、勘違いするなよ? 妥協で選んだんじゃなくて、一点物買った感じ」
「……あいつらは大量生産か?」
「悪い風に捉えるな~、お前も。そうじゃねーよ。言い方悪いけど、お前はさっきの女性陣だったら誰選んでも幸せになれると思うんだよな、俺」
「……」
まあ……うん、否定はしない。皆、良い奴だしな。
「それでもそんな中で桐生を選んだんだろう? 一番付き合いの浅い桐生を」
「……」
「……あれ?」
「いや……」
「……お前、まさか『まだ選んでない』とか言うつもりじゃねーだろうな? なんだ? ハーレム展開でも繰り広げるつもりか?」
「そ、そうじゃねーよ! そ、そうじゃなくて!」
藤田の顔が阿修羅の様になってた。こえーよ!
「……危なかったな、浩之。一瞬、殺意の波動が溢れ出したぞ?」
「……お前、彼女持ちだろうが」
「そういう問題じゃないの。全員、友人だろうが、俺にとっても。んじゃお前、そんな皆が不幸になる展開、俺が許せると思うか?」
「……すみません、許せないと思います」
「分かれば良い。まあ、お前の事だからそういう不義理な事はせんと思うが……んで? どういうことだよ?」
「……」
「俺には話せないか?」
「……いや」
うん、『いや』だ。コイツなら彼女持ちだし、聞いても良いだろう。
「その……なんだ? 俺は桐生の事を好ましく思ってる」
「好きなんだろう?」
「えっと……まあ、そうだな。そうだが……こう、ちょっと思う所もあるんだよ」
「思う所だ?」
「……俺がさ? 桐生と付き合って、それで結婚して……こう、本当に幸せにしてやれるのかなって……まあ、そうは思うんだよ」
「……なんでさ? 少なくとも俺には桐生、お前と話してる時は楽しそうに見えたぞ?」
「そりゃ……そうかもだけど。でもな? 俺らって……こう、関係性が『許嫁』から始まったんだよ。別にお互いに好きでもなんでもない、そんな時から始まった関係性で……こう、だから……」
「本当に好きかどうか分からない、ってところか?」
「……まあ」
俺の言葉に藤田が『やれやれ』と言った風に首を振る。その後、物凄く冷たい視線を俺に向けて来た。
「……なんだよ?」
「いや……乙女か」
「……桐生にも言われた、それ。面倒くさいって」
「いや、マジでそう思う。あのな、浩之? 真剣に考えて恋愛に取り組む姿勢自体は良い事だと思う。思うけどお前、それは流石に考えすぎじゃねーか?」
「……俺は良いんだよ」
「なにが?」
「……俺は確かに桐生と居て楽しいと思うんだ」
「桐生もだろ?」
「アイツの考えは分かんねーだろうが。だってお前、無理矢理押し付けられた許嫁関係だぞ? そう考えたらお前、本当に俺の事が好きかどうかなんて分かんねーじゃねえか。もしかしたら、アイツは俺と一緒に居る事を、無理矢理『楽しい』と思おうとしてるかも――」
「ストップ」
「――しれ……ストップ?」
「お前が何言ってるのかよく分からなくなった」
「……分からなくなったって……」
「ああ、いや、正確には分かるんだが……アレだろ? お前が言いたいのって、桐生が浩之の事が好きなのは嘘……というか、状況に流されているだけじゃねーか、って話だろ? 他ならぬ許嫁の関係で」
「……そうだよ」
藤田の言葉にこくりと頷く俺。そんな俺に藤田は。
「……それのさ? 何がいけねーの?」
「……は?」
「いや……個人的にはそうじゃないと思うが……もし仮にさ? 桐生がお前の事を『好き』だと思う気持ちが偽物……つうか、雰囲気に流されたものだとするじゃん? でもさ? 別にそれはそれで良くね?」
「い、いや……良くねって……よ、良くはねーだろうが」
「なんで?」
「な、なんでって……」
「スタートがそうだったからって、別にそれはそれで良いんじゃねーか? なんだ? お前、相手の事分かって、それで完全に好きにならないと付き合ったらダメだと思ってんの? 一目惚れ全否定か?」
「そ、そうじゃねーけど……」
「だろ? 一目惚れって最初は顔しか見てねーわけじゃん。それで付き合ってみて、そっから相手を知っていくパターンもあるんじゃね?」
「……」
「まあ、お前らのパターンは特殊だと思うけど……でもさ? 『恋に恋する』って言葉もあんじゃん。もし、最初が勘違いだったとしても、偽物だったとしても……その後、桐生に『恋』して貰えば良いんじゃね?」
「……」
「後な? 仮に桐生が勘違いをしていたとしても、だ。それの責任は桐生が取るべきもので、お前がそこまで気を回す必要はこれっぽちもないと思うぞ、俺」
「……気を回す必要がない?」
ああ、と藤田は頷き。
「桐生はお前のお人形かなんかか?」
「っ!」
「桐生だって人格持った一人の人間だろうが。なら、勝手に期待して、勝手に幻滅するのも全部桐生の責任だよ。浩之が背負っていいもんじゃねーよ。何様だ、お前」
「……」
「……厳しい事も言ったが、ようは桐生の気持ちなんかどうでも良いんだよ。要は浩之、お前がどうしたいか、だ」
そう言って、俺に優しい視線を向ける。
「桐生が他の男と話して、楽しそうに笑ってたらムカつかないか?」
「……ああ」
「桐生が弁当他所の男に作って行ったら?」
「……俺に出せって思う」
「桐生が誰かと下校したら? 付き合って、手を繋いだら? キスしたら? それ以上は?」
……桐生が?
あの、意地っ張りで、気高くて、誰よりも頑張り屋で。
それでいて、泣き虫で、寂しがり屋で、甘えん坊の、桐生が?
――俺以外の誰かに、その微笑みを向ける。
「……」
「な? 簡単な話だろ? 良いのかよ、お前? 『桐生の気持ちがー』なんて言って、どっかの誰かに桐生盗られても」
「……よくねーよ」
「んじゃ答えは出たじゃん」
そう言って俺の肩をポンっと叩く藤田。
「それに……最初が偽物でもさ? お前がそっから桐生に本気で惚れさせて、本物にすれば良いんじゃね?」
「……ああ」
「勉強、頑張れたんだろ? なら、スポーツも、オシャレも……良くは知らんが経営も頑張ってさ? 良い男になって桐生をメロメロにしちゃえよ、お前が」
ニカっとそう言って笑う藤田。そんな藤田に苦笑を浮かべて『メロメロって、昭和じゃねーか』と言い掛けて。
「――ヒロ!!」
智美が教室に駆けこんで来た。息を荒げ、肩を激しく上下させるその姿勢は彼女がどれほど急いで来たかがよく分かる。
「ヒロ! 渡り廊下に順位、出た!」
「……そっか」
「そ、それで……そ、その……」
苦しそうな智美のその表情。それだけで、彼女が『なに』を観たのか、俺には理解出来てしまった。
「……あ、あのね! わ、私からも明美に言ってあげる!!」
涙目になりながらそういう智美の肩にポン、と手を置いて普段は見る事のない順位表を見るために俺は渡り廊下に歩みを進めた。
「――浩之ちゃん」
「……東九条、くん……」
張り出された順位表の前で、桐生と涼子の姿があった。どちらも生気の抜けた様な、それでいて悔しそうな表情を浮かべる二人がまるで生き写しの姉妹の様に見えて少しだけ笑ってしまう。
「……」
そのまま、黙って順位表の前へ。『1』と書かれた番号の隣に桐生の、『4』と書かれた番号の隣に涼子の名前を見つける。やっぱり桐生が一位か。さすが、入学時から学年トップを走り続けるだけはあるな。涼子も……まあ、涼子はいっつもこれぐらいか。流石だな、文学系少女。
「……なるほど、な」
やがて、俺は自分の名前を表の中から見つける。真ん中より少し下、今まででは取った事の無い様な好成績に、それでも俺の心は沸き立つ事はない。
「――十八位、か」
『18』と書かれた数字の隣に、俺の名前である『東九条 浩之』の文字が書かれていた。