第百六十九話 看病の代償
電話を掛けて来た桐生はそのまま涼子、智美を引き連れて自宅――の隣である明美の家までやって来た。涼子特製、『風邪の時に食べると一発で熱が下がる鍋』や、栄養が一番大事という事で智美が買って来た栄養ドリンクセット、桐生購入のゼリーやプリンなどの食べやすいモノを貰って目をうるうるさせた明美だが……智美の『良かったね。バカは風邪を引かないっていうから、明美はバカじゃない事が科学的に証明されたよ』なんて、非科学的一直線の言葉に明美の額に青筋が浮かんだりした、翌日。
「東九条君? もう七時半よ? 早く起きないと遅刻するわよ?」
部屋のドアの前から桐生の声と、ドアがノックされる音に俺はゆっくりと瞑っていた目を開ける。昨日は結構早く寝たんだが……なんだかまだ眠い。アレか、寝すぎて眠いってヤツか。
「東九条君?」
「ん……今、起きる」
……あれ? なんだろう、今の違和感?
「……東九条君?」
「ん……なんでもない。起きる、起きる」
そう言ってベッドの上から体を起こそうとして……あれ?
「……桐生?」
「ちょ、ちょっと、東九条君!? だ、大丈夫?」
「……俺の部屋の時計、二個あったっけ?」
しかも、同じ形の時計が二つ。いや、別に同じ形の時計が二つあっても良いんだろうが……普通、隣に置くこと無いよな? なんの意味もない……あれ?
「……あれ?」
「ひ、東九条君!! 開けるわよ!!」
時計どころか……机の上に置いてあるライトも二つある。つうか、なんだか机も煙が掛かった様にぼやっと見えるし……って、開ける?
「ちょ、待て! 待ってくれ!」
いや、だってお前、俺だって健康な男子高校生な訳じゃん? そりゃ、朝はその……ちょっと……ねぇ!
「そんな事言ってる場合じゃないわよ! 貴方、声!!」
がちゃっとドアが開く音に俺は慌てて立ち上がろうとして……失敗。掛け布団に足が絡まり、そのままベッドの下に落下。さして高い訳でもないベッド、痛みこそ無いもそこそこ派手な音が部屋中に響き渡った。
「東九条君!!」
慌てて俺に駆け寄る桐生。そんな桐生の姿が二人に見えて……ああ、そっか。
「……良かったよ、桐生」
「なにが!!」
「……俺が馬鹿じゃない事が、科学的に証明された」
「馬鹿な事言いながら何言ってるのよ!! 貴方、声、ガラガラじゃない! 顔も真っ赤だし……って、熱い! た、体温計! 体温計持ってくるから!!」
俺の額に手を当てて直ぐに手を引っ込める桐生。『布団に入ってなさい!』という言葉を残してパタパタと走っていく桐生の後姿を眺めながら。
「……うつったか、風邪」
朦朧とする意識の中で、もそもそとベッドに潜り込んで俺は瞳を閉じた。
◇◆◇
「……三十八度七分。結構な高熱ね」
「……すまん」
「……謝らないでよ。今日は私も休むから……良かったわ。昨日涼子さんから『風邪の時に食べると一発で熱が下がる鍋』のレシピを聞いて置いて。まさかこんなに早く披露する事になるとは思わなかったけど」
「……あー……なんだ? ただの風邪だと思うし、家で寝てれば治るぞ? お前、学校に行って来いよ?」
「……あのね? 貴方が部屋でうんうん唸っているのに放っておいて学校になんて行ける訳ないでしょ?」
「……学生の本分は勉強だろうが」
「おあいにく様。私、本分は充分こなしているわ」
……確かに。入学からずっと学年主席だもんな、コイツ。
「……そもそも、貴方だって私が風邪引いた時に学校休んで看病してくれたじゃない」
「……俺のはアレだ。看病じゃなくて介護だ」
「……どういう意味よ?」
「だってお前、あの時のお前だったらお粥だってまともにつくれねーだろうが」
「うぐぅ……い、痛いところを……で、でも! 今なら普通に作れるわよ!」
「そうかも知れんが……でもぶっちゃっけ、俺が作った方が上手い気がする」
いや、最近の桐生は料理も上手になっては来たが……こう、手際的な事はまだまだ俺の方が一日の長があるし。
「そ、そうかも知れないけど! でも、私だって……」
そう言ってもじもじとベッドの横でスカートをの端をぎゅっと握る。
「……心配、なんだもん……」
「……心配は」
「心配、するに決まってるじゃない。こんな状況で学校に行っても集中できないし……そ、それに」
貴方の看病を、したいんだもん、と。
「……」
「……だ、だめ?」
「……はぁ。好きにしろ」
「!! う、うん! 好きにする!!」
そう言って嬉しそうにぱぁっと顔を輝かせる桐生。看病するって結構手間なのに、こんな嬉しそうな顔をされたら……こう、なんだ? 不謹慎かも知れんが……風邪引いて良かったなんて、ちょっと思って――
「そ、それじゃ東九条君!! ふ、ふきゅ……こほん。ふ、服を脱いでくだひゃい!!」
「……はい?」
――思っちゃ、いけなかった。頬を真っ赤に染めながらチラチラとこちらを見る桐生……って、え、ええ~……
「さ、さあ! は、早く!!」
「あ、ああ――じゃなくて!! なんで服脱ぐ必要があるんだ――ゴホ、ゴホォ!」
「お、大きな声出しちゃだめ! ふ、服を脱がないと汗が拭けないじゃない! それに、体が冷えるから熱が出た時はこまめに体を拭いた方が良いって!!」
「そりゃそうだけど……いや、大丈夫!! 自分でやるから!」
「遠慮しないで!」
「遠慮するわ!! 何言ってんだよ、お前!!」
俺が何の為に昨日瑞穂を呼んだと思ってるんだよ!! 異性の俺じゃ明美の体なんて拭けないから同性の瑞穂呼んだんだよ! なのにお前に体拭いて貰ったら昨日の俺の努力はなんだったんだよ!
「そ、それはアレでしょ!? 男性が女性の体を拭くから問題なワケで、女性が男性の体を拭くのは大丈夫なはずよ! 恋愛小説とか冒険小説で良くある展開だもの!!」
「ねーよ!」
……いや、あるのか? 確かに怪我した騎士とかを甲斐甲斐しく介抱する村娘のアニメとか見た事ある気もするが……と、ともかく!
「異性の体を拭くのは禁止!! 俺は取り敢えず着替えるから、お前はあっち行ってろ!」
「え、ええ……」
「ええじゃないの! それがイヤなら学校に行け!」
「う……わ、分かったわ。折角、精一杯看病しようと思ったのに……」
心持、しょんぼりして部屋を後にする桐生。なんだろう? 悪気はきっと無いし、性格上ふざけている訳でもなさそうだが……
「……大丈夫かよ、これ」
なんだろう? 全然、風邪が治る気がしないんだが。