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第百六十八話 ライバル認定


「……」

「……」

「……ないわー。浩之先輩、ないわー」

「……す、済まん」

 明美の家のリビングで俺にじとーっとした目をこちらに向けて来る瑞穂に、俺は体を小さくする。あの絶叫の後、『いますぐ行きます!!』と電話を切った瑞穂がこの家に訪ねて来るまで三十分。瑞穂の家からだと電車で二駅離れてるのにこのスピードって結構異常だ。駅から此処まで走ってくれば間に合うが……お前、靭帯切れてたんじゃないんかい。

「わざわざ、お母さんに送って貰ってまで此処まで来たのに……」

「……済まん」

 そう言う事ね。なら、むしろ瑞穂のお母さんに謝りたい。本当に、申し訳ない……

「……まあ良いです。それより明美ちゃんですよね? 熱、大丈夫なんですか?」

「ええっと……さっき計ったら三十八度五分あった。今は薬飲んで寝ているけど……」

「それじゃ汗も掻いてるでしょうし……あれ? 体拭いたりは?」

「……俺がそれしたら事案だと思うが? だからお前に来てもらったんだろうが」

「……」

「……なんだよ?」

「……そうですかね? むしろ明美ちゃんの事だから『乙女の柔肌を観たんです。責任を取って婚姻を!』ぐらい言いそうじゃないですか?」

「……おお」

 その発想は無かった。でも、確かに言いそうだ、あいつ。

「……小学校の低学年ぐらいまで一緒に風呂に入ってたんだけどな」

「その時はその時、今は今でしょう。ただまあ、ナイス判断と言っておきましょうか。良くやりました、浩之先輩!」

「……あんがとよ」

 なにこれ? 俺、なんでこんなことで後輩にお褒めの言葉を頂いてんの?

「まあ、ともかく明美ちゃんの部屋、案内して下さい。いきなり私が居たら明美ちゃんもびっくりするでしょうし……ちょっと可哀想でしょうけど、起こして体拭かないと良くならないでしょうし」

 瑞穂に促されるまま、俺は明美の部屋に足を向ける。トントントンと扉をノックすると、中からくぐもった声で『……はい』という返事があった。

「入るぞ」

「……浩之さん……え? 瑞穂さん?」

「ご無沙汰です、明美ちゃん。元気……な訳ないですね、大丈夫ですかー?」

「……え? え? ひ、浩之さん? なんで?」

「お前、汗掻きっ放しで寝てただろ? 流石に体ぐらい拭いた方が良いかと思ったんだが……男の俺じゃ出来ねーだろうが」

「……既成事実を作るチャンスが……」

「……そのネタはもうやった」

 あれ? こいつ結構、余裕あるんじゃね?

「まあ、体拭くのもですけど同性の方が出来る事もあるでしょう? 明美ちゃん、浩之先輩に下着とか着替え、手伝って貰いたいです? それともべたべたに汗かいた服、着ていたいです? 浩之先輩に『汗臭いな、明美』とか言われたいんですか? 言っておきますけどこの人、デリカシー無いんで絶対言いますよ?」

「……」

 ……酷い言われようだな、おい。まあ……うん、自分でも言いそうだとは思ったけど。

「……流石ですね、瑞穂さん。浩之さんの事も、私の事も良く分かっていらっしゃる。間違いなく傷付きます、それ」

「長い付き合いですしね~。まあ、そういう事でちゃっちゃと体、拭いちゃいましょう。さあ、浩之先輩? さっさと出てってくれません?」

「……汗の匂いが届かない場所でなら見ていても構いませんが? むしろ扉の隙間から覗いて頂いても……」

「……本当に余裕がありますね、明美ちゃん。もう! 浩之先輩はとっとと部屋から出る!」

 流し目を向ける明美と鬼の形相の瑞穂の視線を肩を竦めて受け流し、俺は明美の部屋を後にした。


◇◆◇


「……お疲れ様。ケーキ、モンブランとショートがあるけどどっちが良い?」

「ありがとうございます。それじゃ、モンブランで」

「コーヒーと紅茶だったら?」

「浩之先輩と同じ方で良いです」

「んじゃコーヒーね」

 明美の体を拭いたり、着替えを手伝ったり、汗でぐっしょりの明美の服を洗濯機に放り込んだり……ついでに、茜に『風邪を引いたから今日は京都に帰れない』という連絡を入れたり……まあ、やってくれたのは全部瑞穂だが……ともかく、そういう事をしていたら二時間弱経過。丁度三時のおやつの時間になったので、昨日桐生が買って来たケーキを瑞穂の前に出す。本当は明美のヤツだけど……まあ、別に文句は言われないだろう。明美にも桐生にも。

「……悪かったな、今日。折角の休みなのに」

 モンブランを口に入れた瑞穂が『おいしい!』と頬を緩ませている姿を見ながら頭を下げる。と、そんな俺の行動に瑞穂がきょとんとした顔をこちらに向けた。

「へ? 悪いって……ああ、明美ちゃんの看病ですか? 別に良いですよ~。知らない仲じゃないですし、幼馴染じゃないですか、私だって」

「いや、そりゃそうだが……」

「そもそも、浩之先輩に謝って貰う事じゃないですよ? 後で明美ちゃんにはしっかり御礼して貰いますし! スイーツ食べ放題のお店とか連れてって貰おうかな~」

「……このケーキもいるか?」

 目の前のショートケーキをスススと差し出す。そんな俺に、瑞穂は苦笑しながらフォークを左右に振って見せた。

「冗談ですよ。そんなに食べたら太っちゃうし。それに、別に見返り求めて助けたワケじゃないですし……そもそも、浩之先輩には一杯助けて貰ってますしね。バスケの件とか。それに比べたらこれぐらい、別に良いです」

「……さんきゅ」

「情けは人の為ならず、ですよね~」

「だな。いま、しみじみ感じている」

 俺も見返りを期待して瑞穂を助けた……よく考えたら助けてもないんだけど……でも、こうやって困った時に助けて貰えて、そう言って貰うとスゲー思うな、うん。

「ですです。特に明美ちゃん、こっちに知り合いって私たちぐらいでしょ? そりゃ助けますよ」

 そう言ってケーキをもう一口。そんな瑞穂に視線を向けて……なんとなく、引っ掛かった事を瑞穂に聞いて見た。

「なあ」

「はい?」

「明美『ちゃん』」

「はい? ええっと……ああ」

 俺が何を言わんとしたのか気付いたのか、苦笑を浮かべる瑞穂。

「『先輩』呼びじゃないのか、って事ですか?」

「そうだ」

「えっと……失礼ですかね、やっぱり?」

「いや、そうは思わんが……なんとなく、違和感が。お前……だけじゃなくて秀明もだけど、中学校上がったくらいから『先輩』とか『さん』付けになっただろ? 今までは『浩之くん』とか『智美ちゃん』だったのに」

「流石に部活の先輩に『くん』とか『ちゃん』はどうかなって思ったんですよ。その点、明美ちゃんは……なんでしょう? 別に部活の先輩みたいに上下関係も無いじゃないですか? なら、今までどおり『ちゃん』付けでも良いかなって。茜もちゃん付けですし」

「……なるほど」

 瑞穂の言葉に一つ頷く。そんな俺に視線を向けた後、瑞穂は言葉を継いだ。

「それに……明美ちゃんだけなんですよね」

「なにが?」

 俺の問いに、ゆっくりと微笑んで。



「――私の事を、『ライバル』と認めてくれたのが、です」



「……」

「ほら、私、浩之先輩ガチ勢じゃないですかぁ?」

「……どうも」

「いえいえ。それで、明美ちゃんも浩之先輩ガチ勢なワケで……だからまあ、昔から私の事をライバル認定してるんですよ、明美ちゃん」

「……それって仲が悪いってこと?」

「どうなんでしょう? でも、私自身は明美ちゃん大好きですよ? 智美先輩や涼子先輩も大好きですけど……なんでしょう? お二人ってきっと、私の事『妹』ぐらいにしか見て無いんじゃないかな~って」

「……」

 それは……まあ、そうかもしれんが。

「ああ、別にそれがダメってワケじゃないんです! それはそれで嬉しいんですが……やっぱり、全く歯牙にもかけて貰えないのも悔しいんですよね?」

「……その気持ちは分からんでもない」

「よかった。だからまあ、明美ちゃんが私をライバルと、浩之先輩を本気で掻っ攫おうとしている人間だと認識して、張り合ってくれるのは……こう、結構嬉しかったりするんですよ。私は認めて貰ってるって……そう、思うんです。だから明美ちゃんの看病なら、別に全然苦じゃないですよ? むしろいつでも呼んでください」

 もう一度綺麗に微笑む瑞穂。どちらかと言えば年下で、手の掛かる奴という認識だったが……

「……さんきゅ」

 ……改めないとな、こりゃ。

「どういたしまして。それより浩之先輩? 電話、なってません?」

 言われて、マナーモードにしたままのスマホがサイドテーブルで震えていることに気付く。画面に視線を送ると……桐生だ。

「もしもし?」

『もしもし!? 東九条君? 明美様、大丈夫なの!!』

 電話口で焦った様な声を上げる桐生の声に、少しだけ苦笑を浮かべて。



「……大丈夫だよ。頼りになる妹分が居てくれたから」



 受話器の向こうで『……はい?』なんで疑問符を浮かべている桐生の声を聞き流しながら視線を瑞穂に向けると。



「……むぅ。だから、妹はイヤなんですってば!」



 そう言いながら、嬉しそうに笑う瑞穂の姿があった。




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