第百六十六話 疲労のその先で
「……東九条君?」
「あれ? 桐生? どうした? 早いな?」
「早いなって……もう五時よ? 貴方は……っていうか、お昼を食べに行ったんじゃ無かったの?」
昼飯を喰ってすぐ、『勉強のお邪魔をしているのは重々承知していますが……少しだけ、街を案内して貰えませんか?』という明美の申し出に少しだけ悩むも、『……折角来たのに相手して貰ってません』なんて、寂しそうに言う明美に絆されて街中を案内。そうは言っても地方都市、明美の実家のある京都に比べるべくもない田舎町でも、それなりに明美は楽しんでくれた。
「……わりぃな。勉強もせずに」
「ううん、それは良いのよ? こっちだって遊んできた訳だし……それに、明美様にも申し訳ないと思っていたのよね。ずっと東九条君独り占めだったし……少しぐらい遊びに行くのは良いんだけど」
そう言って桐生は俺を――より正確には、俺の背中ですーすーと心地よい寝息を立てる明美を見やり、首を捻る。
「ええっと……どういう状況?」
「……だよな」
『むにゃむにゃ……浩之さん……えへへ』なんて幸せそうな寝言を言いながら、それでも起きようとしない明美にため息。
「……こいつ、昨日学校帰りにそのままこっちに来ただろ? 生徒会執行部も忙しいらしいし、ともかく疲れが溜まってたらしい。なんとか電車に乗せたまでは良いんだけど……電車の中で居眠りしだしてな」
「……駅からそのまま此処まで来たの?」
「いや、流石に駅前の人通りの多い所は頑張ったんだが……あっちにふらふら、こっちにふらふらと歩きまわってな? 流石に危なそうなんで、肩を貸そうとしたんだが……」
「……そのまま寝ちゃった、と?」
「……まあ、ざっくり言えばそんな感じだ」
流石にそのままそこに置いて置く訳にも行かず、さりとて起こして歩かせると道路に飛び出しそうな危険もあり……妥協案で今に至る、という感じではある。
「……そう」
「……びっくりするだろ? こいつ、『男性の前で欠伸なんてはしたない』とか言ってたんだぞ? 今のこの状況の方が充分はしたないぞ」
「ひ、否定できないけど……でも、色々大変だったんでしょ? 寝かしてあげなさいよ」
「それは全然良いんだけど……」
さして重い訳でも……まあ、人一人おんぶしてる訳だし、羽の様に軽いとは言わんがそれでもコイツ、だいぶ軽いしな。
「……よっぽど楽しかったのね、明美様。幸せそうな寝顔をしているもの」
「……そうか?」
「そうよ。私だって明美様の気持ちが分からないでは無いわ。ちょっと羨ましいし」
「なにが?」
「東九条君とデートに行ったこと!」
「デートって……」
「男女の二人が遊びに行けば、それは充分デートよ?」
「そりゃそうかも知れんが……」
どっちかっていうと道案内だったけどな、今回。
「お前としたマッピングとさして変わらんぞ?」
「気持ちが違うじゃない、今とあの時じゃ。それに……きっと、明美様も今の私と同じ気持ちですもの」
きっと、楽しいわ、と。
「……全部終わったらな?」
「……約束よ?」
「指切りでもするか?」
「そんなことしたら明美様、落ちちゃうじゃない」
そう言っておかしそうに笑う桐生。
「……それに、そんな事しなくても大丈夫。貴方は約束を破らないから」
「……そうか?」
「そうよ。私と出逢ってから、貴方は一度も私との約束を破った事がないもの」
「……分かった。それじゃ、楽しみにしておけ」
「うん。楽しみにしておく」
嬉しそうにそう言って笑った後、桐生が眉を八の字にして見せる。どうした?
「どうした? そんな顔して」
「いえ……折角買って来たのにと思って」
そう言って桐生が手に持った箱を掲げて見せる。大きさ的には……
「ケーキ?」
「明美様、モンブラン好きなのでしょう? 折角だからと思って買って来たのだけど……あ、東九条君のもあるわよ?」
「さんきゅ。賞味期限は?」
「一応、明日は食べられるでしょうけど……味、落ちるでしょ?」
「まあ、それはしょうがないだろ? 明日、三人で食うか? こいつ、夕方まではこっちにいるらしいし」
「……それが」
「……なんだよ?」
「と、智美さんがね? その……私の行動を聞いて」
「行動?」
「ひ、東九条君に構い過ぎというか……」
「……ああ」
あの、パソコンとか打ってる時に膝の上に乗って来る猫みたいな行動?
「……『そんなんじゃヒロ、集中して勉強できないじゃん! 彩音はヒロに十番以内に入って欲しいの? 欲しく無いの? どっち!!』って……」
「……」
「……私が家に居たら東九条君の勉強の邪魔になるから明日も連れ出すって……ちなみに明日は朝からカラオケらしいわ」
「……そ、そうか」
いや……まあ、確かに助かると言えば助かるんだが……
「……んじゃまあ、行って来い」
「……本当にごめんね?」
「気にするな」
いや、マジで。むしろそんだけ連れ回されて疲れないか、それだけが心配なんだが。
「大丈夫か? 体の方は」
「それは全然。むしろちょっと楽しみではあるんだけど……なんだか申し訳なくて」
心持しょんぼりした顔を浮かべてそういう桐生に俺は苦笑を返す。
「……気にするな」
頭でも撫でてやろうか、と思うも両手がふさがってる状態ではそれも叶わず。なるべく優しめの声でそう声を掛けると、桐生はゆっくりと微笑みを浮かべて見せた。
「……うん。それじゃ東九条君? 明日、お昼にでも持って行ってあげてくれない?」
「良いのか?」
「本当はあんまり良く無いけど……仕方ないわ。認めます」
「ははー。有り難き幸せ」
俺の言葉にクスっと桐生は笑い、それに釣られる様に俺も笑顔を浮かべた。
◇◆◇
「……もう昼か」
んー、と背を伸ばしながら机の上の時計に視線を飛ばす。昨日同様、天頂部を指す短針を視界に入れながら俺は椅子から立ち上がりキッチンを目指す。冷蔵庫を開けた所でド真ん中にでーん、と鎮座ましましているケーキの箱を見つけて思い出す。
「……ケーキ持ってけって言ってたな、桐生」
昨日、家に辿り着いた俺らは取り敢えず明美を起こし、寝ぼけ眼を擦りながら『んー……』とか言う明美を部屋に放り込んだ。オートロックだし心配は無いだろうが、一応『カチャ』というカギを閉める音だけ確認し、家に帰ったんだ。
「……丁度いい、昼飯でも一緒に食うか」
昨日は揶揄いも出来なかったしな。悔しそうに顔を真っ赤にして、『ち、違うんです!!』と主張する明美の顔を見るのも一興か、なんて碌でも無い事を考えながら、俺は冷蔵庫のケーキの箱を持って明美の家へ。
「……留守か?」
チャイムを鳴らすも全く反応が無い。予定が変わってもう京都に帰ったのかな、なんて思いながらなにげなくドアノブに手を掛けて。
「……開いてる?」
簡単にドアが開いた。流石に新築物件、『ギー』なんて無粋な音はさせずに、するっと開いたドアに『不用心だな』なんて思いつつ室内を見渡して。
「? ……!? 明美!!」
玄関で倒れている明美の姿があった。