第百六十五話 正しい歴史の学び方。正しいは一つじゃないけどね。
「お前、何頼む?」
「お薦めは?」
「なんでも旨いが……女の子には塩とか良いんじゃね? あっさりしてて食いやすいし」
「ちなみに浩之さんは?」
「俺は牛骨醤油。背油マシマシで」
「……なんですか、それは?」
「あれ? 牛骨って関西発祥じゃなかったっけ?」
「いえ、牛骨自体は知っていますが……背油マシマシとは……太りますよ?」
「あんまり太らないんだよな、俺。体質じゃね?」
「……貴方は今、全世界の乙女を敵に回しました」
「オーバーな」
じとっとした目を向ける明美。そんな明美に苦笑を返し、俺は販売機に千円札を突っ込んだ。食券制なんだよね、此処。
「……それでは塩を頂きますね」
「ん。俺は……そうだな、牛骨こってりの炒飯セットで」
「……本当に妬ましいです、浩之さん。私の人生で初めて、浩之さんを妬ましいと思いました……! 背油だけではなく炒飯までなんて……!」
……オーバーな。
「……まあ、いいじゃねえか。それよりホレ、食おうぜ」
食券を手渡して待つことしばし。程なくして俺らの前にラーメンどんぶりが置かれた。獣臭さはないも、濃厚でクリーミーな色合いに思わずごくりと唾を呑む。
「……美味しそうですね。カロリーは高そうですが」
「意外に低カロリー……って事も無いけどな、確かに。んじゃ、食うか」
そう言って箸を割って麺に手を付ける。細麺のそれとスープの相性はばっちりであり、やはり旨い。
「……んで? 日本史を教えてくれるのか?」
「……んむ。ええ。尤も、教えると言っても……そうですね、考え方をお教えするぐらいですが」
「考え方?」
「日本史を丸暗記と捉えておられるのなら、という話です。もう少し効率の良い方法がありますよ、という話です。まあ、これは付け焼刃的な勉強法ではなく、永続的に続けて行く方が効果があるので、今回のテストにとってはどうかとは思いますが……それでも、茜さんはこの勉強法で点数が上がっていますから」
「茜? 茜に勉強教えてるのか?」
「教えているというか……先ほども申した通り、考え方の話です」
そう言ってラーメンをもう一口。
「……『歴史』、というのは人の営みの話です。日本史でも世界史でも良いですが、そこに登場する『主役』は人間です。人間が歴史を作り、人間が歴史の中で生きているのです。年号が生きていたり、トピックが天から降って来る訳ではありません。あくまで主役は人間なのですよ」
「……どういう意味?」
「例えば……奈良時代の都は平城京ですよね? その後の都は何処ですか?」
「長岡京だろ?」
「年号は?」
「七百八十五年」
「正解です。では、長岡京の遷都を進言した人物は?」
「ええっと……」
誰だっけ? 桓武天皇だったのは覚えているんだが……
「……すまん、分からん」
「正解は藤原種継。私たちのご先祖様です」
「……はい?」
「私たちのご先祖様です」
…………。
「……マジ?」
「すみません、若干話を盛りました。正確には東九条家は北家系なので、式家である種継は直系のご先祖様では無いのですが……まあ、広い括りで親戚ではあります。テレビ番組でありませんか? 遠い親戚を探す番組」
「……あるな。結構好きだぞ、アレ」
「あの番組風に行けば充分親戚になるでしょうね。本来の意味での『親族』では無いでしょうが」
「……マジか」
流石、名家。歴史の教科書に載る人物がいるとは親父に聞いていたが……ガチな話なのか。
「遷都を進言し、それが受け入れられた……まあ、ざっくり言えば、時の権力者の『お気に入り』だった藤原種継ですが、遷都後直ぐに暗殺されています」
「そうなの!? え、やっぱり恨み買って?」
権力者のお気にいりだろ? やっぱり『こいつ、生意気な!』ってなったのか?
「真相は分かりかねますが……ですが、やはりそうなのでしょうね。例えば、藤原種継は名家の出身でもありますから、出世のスピードが速かったのです。そして、藤原種継に出世レースで負けた人物が……大伴家持。三十六歌仙の一人で、万葉集編纂に携わった歌人です」
また出て来たな、有名人。
「大伴家持は既に死去していましたが、この暗殺事件に関与していたとして貴族籍を剥奪されます。さらにその連座していた一人に桓武帝の皇太弟である早良親王も、捕まえられます」
「……」
「早良親王と種継は折り合いが悪かったのは事実らしいのですが……ですが、早良親王は無罪を主張します。『私はやっていない! 潔白だ!』と。それを証明する為に絶食し、配流……島流しですね。配流途中に憤死します」
「……それって、本当にやってなかったんじゃねーか? だって、そこまでして無実を証明しようとするって……」
「……真相は分かりかねますね。ただ、長岡遷都は所謂奈良仏教の影響力排除の側面もあります。早良親王は奈良仏教とつながりの深い方ですから、或いは……とは充分考えられます」
「……なるほど」
「さて、長岡遷都は七百八十五年ですが、その僅か十年後の七百九十四年に平安京へ遷都されることになります。理由は色々ありますが……一番の理由はこの事件で配流された早良親王の祟りを恐れ遷都した、というのが一般的な説ですね」
「……祟りって」
「千年以上前の話ですし、祟りを恐れて遷都は全然有り得る話ですよ?」
「……」
「平城京からの長岡遷都、その後に繋がる平安遷都の一連の流れはこんな感じです。平安遷都と言えば『鳴くよウグイス、平安京』など子供で知ってる語呂合わせに使われるほどの日本史上の大きな出来事ですが……どうです? そんな日本史の大イベントの一つに私たちのご先祖様、或いは親族が関わっていたとしたら……」
興味、ありませんか? と。
「……正直、ちょっとある」
ぶっちゃけ、今の話を聞いて面白かったし。藤原種継は死ぬまで忘れんかもしれん。
「年号を暗記する事も重要ではありましょうが、それは所詮テストの点数を取る為です。本来の歴史はこうやって人物や建物などと絡めて学ぶべきなんですよ」
「なるほど」
確かに。さっきの説明は分かりやすかったしな。
「……すげーな、お前」
若干、尊敬の色を含めた眼差しを向ける。そんな俺の視線に、少しばかり照れ臭そうに明美はそっぽを向いた。
「まあ、私の場合趣味もあります。京都など、そこかしこに歴史的建造物や、逸話が転がっていますから。くわえて、私たちは『東九条家』です。先程も申した通り、やはり身内……というには少し遠いですが、親族が活躍していたとなれば心躍りますからね。だから私、結構好きなんですよ、フィールドワーク。京都の街を歩くだけで、なんだかその当時の気分に浸れる気がするので」
「……」
「? なんです?」
「いや……そう言えば茜が『明美ちゃんがおにいに東九条の歴史を叩きこむって言ってる』って言ってたなって」
「……ああ。まあ、アレはデートスポット巡りでもありますけどね」
「……言っちゃうんだ」
「言っちゃいます。でもまあ、中々楽しいですよ? 今度行きません? 京の都で東九条家の歴史探索ツアー」
「……考えておく」
「ぜひ、前向きに。ああ、そうそう。先程話した様な話を纏めたノートがありますが、コピーで良ければ差し上げますよ? 要ります?」
「……あんの?」
「私も日本史選んでいますし。来年あたり、茜さんに渡そうかと思って作っていたんです」
「……頂けるのであれば」
「了解しました! では来週、お持ちしますね?」
そう言ってにっこりと笑い。
「どうです? 塩ラーメン分くらいはお役に立ちましたか?」
そんな明美に苦笑を返しながら、俺はポケットから財布を取り出す。
「……デザートも付ける。何が良い?」
『やった!』とにこやかに笑んで見せる明美に俺も笑顔を返した。