第百五十三話 買い出しデートに行く前に。
今回はプロローグ的な話
目が覚めると直ぐにリビングに向かい、軽めの朝食。カラオケボックスの予約は一時からだから、朝一で買い物を済ましておきたい。昨晩の俺の言葉を覚えていたのか、桐生はお行儀よくリビングで待っていた。
「……別にお前が朝食作っても良いんだぞ?」
「そうだけど……今日は賀茂さんが料理を作ってくれるんでしょ? なら、私が調理をしてキッチンが使用不可能になったら困るし」
「キッチンが使用不能になる程の失敗ってなんだよ」
漫画でしか見た事ねーよ。なんなの? キッチン爆発すんの?
「それは冗談だけど……汚いと使いにくいでしょ?」
「汚すのは前提なのな」
「……そういう訳じゃないけど……でも、賀茂さんに――」
「ストップ」
言い掛けた桐生を手で制して。
「『賀茂』さん?」
「……りょ、涼子……さん」
「はい、良くできました」
「……なによ……馬鹿にして……は、恥ずかしいでしょ? いきなり『名前』で呼ぶのは」
そっぽを向きながら恥ずかしそうに――それでいて、嬉しそうにはにかむ桐生。
「良かったな、『友達』出来て」
「……うん」
こくりと頷く桐生。そんな桐生に、昨日の昼食の光景が脳裏に浮かぶ。
「……」
『私達、友達じゃん?』という智美の言葉を聞いた桐生は、しばし茫然とした後、つーっと一筋涙を流した。慌てる智美と涼子と俺に、絞り出す様に一言。
『……ごめんなさい……う、嬉しくて……』
……ああ見えて智美も女の子。可愛いモノ大好きであり……まあ、そんな桐生の姿に絆されるものがあったのか、一気に距離を詰めた。具体的にはアレだ。涼子も巻き込んで『名前呼び』という、ある種親密度を測る上では結構上位にランクインするような所業をしてみせたのである。
「……まさか泣くとはな」
「……私だってびっくりしたわよ。泣くつもりは無かったんだけど……気づいたら涙が出ていたわ」
「……友達とかいらないとか言ってた癖に」
「……そう思ってたんだけど……」
そう言って、ため息一つ。
「……私もまだまだという事ね。友達なんていらない、必要ないと言いながら……ああして、『友達じゃん?』となんのてらいも無く言って貰うとあんなに嬉しいなんて」
「……まあ、アイツは距離の詰め方がちょっとおかしいヤツだしな」
「そんな事言わないの。私は……うん、嬉しかったわ」
「……さよけ」
「うん! でも、確かにすず――と、智美さんだからというのもあるわね。良い人だし」
「まあ、悪いヤツでは無いな」
若干、我儘の気質はあるが……それは俺ら幼馴染に対するものだけだし、同級生、後輩にそんな事はない。瑞穂? あいつも幼馴染の括りだろ?
「にしても……お前、明美の事は『明美様』って普通に名前を呼んで無かったか?」
「……社交界での名前呼びは殆ど『記号』みたいなものだし。私達、まだ高校生でしょ? 明美様は知らないけど……私が出るのは大体、保護者同伴のパーティーですもの。そうなれば必然、『桐生様』と呼ぶと父か母か私か区別が付かないから」
「……なるほど」
「……っていうか、東九条君はパーティーとかには出て無いの? 貴方のお家の家格で、しかも分家でもそれなりの地位にあるのであれば、普通は参加すると思うのだけど? 私だって『東九条』の分家の方にお逢いした事はあるけど……正直、血の濃さで言えば貴方の方が断然上よ?」
「……殆ど参加してない、かな? なんつうか、親父があんまり乗り気じゃ無かったし……俺も忙しかったしな」
小学校、中学校はバスケばっかだったし……高校になるとなんだか面倒くさくなって参加してないな、うん。精々、明美の誕生日パーティーぐらいだし。
「そうなのね。妹さんも?」
「あー……そう言えばアイツはちょくちょく参加してた気がする。明美のお気に入りだしな、アイツ」
まあ、同性という気軽さもあるか、明美はよく『茜さんも一緒にパーティーに参加しましょう』って誘っていた。茜は智美並みのコミュ力モンスターでもあるし、所作自体は綺麗だしな。狂犬だけど。
「そうなの……お逢いした事がないけど」
「言っても知れてるからな。たぶん、東九条の身内の多いパーティーが多いんじゃね?」
まあ、詳しくは知らんが。
「まあ、それは良いよ。ともかく、さっさと朝食食って買い出し行こうぜ」
「そうね。かも――涼子さん、何を作るって?」
「カレーって言ってたかな?」
「……カレー、ね」
俺の言葉に、少しだけ微妙な表情を浮かべる桐生。そんな桐生に苦笑を浮かべ、俺は首を左右に振って見せる。
「がっかりしたか?」
「が、がっかりは……その、ご馳走になるんだから思って無いけど……涼子さん、料理上手でしょ? だ、だから……こう、なんというか、め、珍しい料理とかかなって!」
まあ、気持ちは分からんでは無いが。確かに、折角料理上手の涼子が作るのに、『カレー』だと若干残念な気はするわな。でもな?
「心配すんな。お前が想像している様な『カレー』……まあ、我が家で出て来るようなルーを溶かして作るカレーじゃねーよ」
「……そうなの?」
「買ってきて欲しい材料リスト見れば分かる。香辛料からだから……たぶん、今日のカレーは期待して良いぞ」
「……ほ、本当に?」
「アイツのカレーはマジで旨い。まあ、今回は人数も多いし作る料理と言えばカレーか鍋かだが……今回はカレーにしたみたいだな。しかも初日に食えるなんて……幸せだな」
「初日?」
「あいつ、凝ったら五月蠅いからな。初日でも充分旨いのに『カレーは一晩寝かせてからだよ?』とか言って作った日は食わしてくれねーんだよ。たまに俺んちで作ってくれるんだが……旨そうな匂いを漂わせながら食えないって、ある意味拷問だぞ?」
本当に。あの匂いだけで腹が減るのに。
「……そ、それじゃ本当に楽しみね」
「まあな。しかも分量見れば結構な買い出しの量だし……こりゃ、明日も食える量だな。買い出しは大変だけど、その価値は充分あるぞ?」
俺の言葉にプルプルと拳を握りしめて震える桐生。
「東九条君! は、はやく! 早く買い出しに行きましょう!」
……落ち着けよ。買い出し早く行っても早くは食えねーぞ?