第百四十五話 お願いだから、貴方の本音を聞かせてよ
「……頼み事って」
「あら? 違うのですか? それでは純粋に私に逢いに来てくださったと? それはそれで嬉しいですが」
そう言って楽しそうにモンブランを口に運び『ん?』という表情を浮かべて見せる明美。その姿にため息をひとつ、俺は口を開いた。
「……あるよ、頼み事」
「でしょう? 浩之さんがこうやって私のご機嫌を取ろうとする時は謝る時かお願いする時ですからね」
「……その言い方だと俺がモノで釣ろうとしている気がするんだが?」
「違いますよ。私がモノで釣られてるだけです。正確には『物を使ってでも私の機嫌を取ろうとしている』という行為が嬉しいのですが……まあ、それはどちらでも構いません」
そう言ってコーヒーを一口。
「――桐生彩音との許嫁を認めろ」
「……」
「これですよね?」
「……まあな」
「正直な話、私情は思いっきり挟んではいますよ? ええ、それは認めます。だって、浩之さんを盗られたくないですし」
「……ありがとう、って言えば良いの?」
「どういたしまして。ともかく、私情は挟んではいます。挟んではいますが……そこまで、間違ったことを言っているつもりもまた、ありません」
「……まあ……それは、分かる」
「分かっていませんよ」
「……」
「東九条の家は確かに名家です。そして、名家にはその『名』に利用価値があります。私もそうですし、父もそうです。おじ様も、おじ様以外の分家の方々も『東九条』の名で随分と得をすることもありましたし……今後は浩之さん、貴方にもその『名』で得に働くことだってあるでしょう」
「……あんの?」
「先日申した通り、東九条は幾つかの上場会社の株主です。今後、浩之さんがどういった職を選ばれるかは分かりかねますが……それでも、何処かのタイミングで、ウチが株主である会社とお付き合いをすることだってあるかも知れない。直接その会社との取引が無くても、子会社、孫会社でお付き合いをすることだってあるかも知れない。その際に、東九条の名を上手く利用する事だって出来るんですよ?」
「……全く想像が付かんのだが」
本当に。年齢的な事もあるし……そもそも、そんな大手の企業と俺がお付き合いする事があるとは思えんのだが。
「では言い方を変えましょう。浩之さんが望めば、『そういう人々』とお付き合い出来る環境を整える事も出来ます。具体的には誰もが知っている一流企業に縁故で採用して貰う事も可能です。実際、東九条の分家の方々の推薦もさせて頂いています」
「……」
「分かりますか? それを可能にしているのは、株主という事実と『東九条』の名です。ほら、このケーキのお皿と一緒ですよ」
「……ブランドイメージ、ってヤツか?」
株主であるウチの本家の意向もあるし、今までの推薦で箸にも棒にも掛からない様なポンコツは推薦していないという実績。その二つの事だろう。
「有体に言えばそうです。桐生のお家は急激に成長した企業ですが、実業界で一定の地位を築いているのは確かです。そんな家に『東九条』の名を持つものが飛び込み、業績を傾けさせたとなれば事は浩之さんだけのお話ではすみません。先日も申した通り、味方ばかりではありませんので。他の分家の方々の名誉にも傷をつけ、実利の面でマイナスに働きます。わかりますか?」
「……まあな」
ぶっちゃけ、俺は他の分家の面々なんて逢ったこと……ぐらいはあるが、中身どころか顔と名前も一致しないヤツが大半だ。それでも……例えば天英館高校の生徒が何か事件を起こせば、関係ない俺らでも『天英館の生徒は』とレッテル張りされるだろう事は想像に難くない。
「ですから……次期東九条本家の当主としてはその様なリスキーな選択は取れません。他の分家の方々の生活を守るのも、本家の大事な仕事ですので」
そう言って懐紙で丁寧に口元を拭う明美。その姿を見つめながら、俺は口を開く。
「それじゃ……俺が、『桐生の許嫁』に相応しい人間ならば問題無いのか?」
口元を拭っていた明美の手が止まった。
「……具体的には?」
「来月、定期テストがある。その定期テストで」
両手をパーの形で出して。
「――十位以内だ。十位以内に入る。それで、どうだ?」
「……」
「……」
「……ちなみに浩之さん、前回の定期テストの順位は?」
「百五十二位だ」
「……」
「……」
「……はぁ」
やれやれ、と言った風に頭を左右に振って見せる明美。な、なんだよ!
「む、無理だと思うかも知れないけどな? そ、それでも――」
「違います」
「――やって……え? 違うの?」
「違います。まあ、正直難しいとは思いますが……ですが、そうではなく」
「そうではなく?」
俺の言葉に首を傾げて。
「――別に学校の成績が良ければ会社経営が上手く行くとは限りませんよ?」
「……」
……身も蓋も無い事を……
「いや……そりゃ、そうかも知れんけどさ!」
「だってそうでしょう? 仮に学校の成績が良くて……そうですね、有名大学を卒業した人間すべてが経営者として成功していますか? 或いは、大学に行ってない方が経営者になった場合、その全ての人が経営者として成功していませんか?」
「そうだけど……でもさ? 勉強できた方が良いだろう?」
「その理論で言うと、大学の経営学の教授は優秀な経営者になりませんか? でも、実際はなっていないですよね?」
「……そうだけど」
……いや、そうだけどね。正論だよ? 正論だけどさ!
「……まあ、良いでしょう。確かに学校の勉強が出来る事イコール経営者として成功する事とはリンクしませんが、一般的に好成績を残した人間が成功する確率が高いのは事実です」
「じゃあ!」
「いえ、だから認めるという話にはなりませんよ?」
「……どないせーと」
なんだよ、それ。そう思いジト目を向ける俺に、明美はそれ以上のジト目を向けて来た。
「……なんだよ?」
「『どうしろ』? 最初から言っているではありませんか。浩之さん、私と結婚しましょうと」
「……」
まあ……うん。確かに言ってるけどさ?
「正直、浩之さんの高校の学力レベルは分かりかねますが……涼子さんが通っている高校ですよね? そうであれば、然程レベルが低いとは思いません」
「……そういう評価なの、涼子?」
「まあ、『浩之ちゃんが行くから』という可能性もゼロでは無いですが……そこの所は彼女は現実的ですので。恐らく、彼女が行くところで許される最低レベルと、浩之さんが通える最高レベルの所ではないのかと推測できます」
「……智美は?」
「智美さんは浩之さんより学力レベルは高いでしょう? 彼女の集中力は凄いですからね」
「……」
もしかしてこいつ、俺より俺の幼馴染詳しいんじゃね? ああ、待て。一応こいつらも幼馴染の括りにはいるのか? 保育園から知ってるし、お互い。
「そこから考えるに、浩之さんの高校はそこまでレベルが低いとは考えられません。その中で一気に順位を百四十位以上も上げるなど、到底考えられる事ではありません」
「……分かんねーだろうが」
俺だって努力するつもりだし。
「ええ。ですが、浩之さん? そこに至るまでに想像も出来ない苦労があるとは思いませんか?」
「……まあ」
「浩之さん、決して勉強が好きでは無いでしょう? そのレベルの高校で一気に順位を上げようと思えば本当に一か月間、勉強漬けの毎日ですよ?」
「……」
「そんな事、浩之さんに耐えられるのですか? いえ、違いますね。そんな事を何故、浩之さんが耐えなければならないのですか?」
「……なぜって」
「そこまでして浩之さんは彩音様の『許嫁』で有りたいのですか? そこまでして得られるメリットは『彩音様の許嫁として私に認められる』というだけですよ? 苦しい思いをして、辛い思いをして、そうして得られるのは……そうですね、コストとパフォーマンスは見合ってないと私は思います」
「……」
「……いえ、この言い方も正しく無いですね。もしかしたら『桐生彩音の許嫁』と云うのが、浩之さんにとっては最高のパフォーマンスなのかも知れません。だから――」
貴方は、『桐生彩音の許嫁』でいたいのですか、と。
「慕っているのですか、浩之さん? 彩音様を」
――一人の女の子として、と。
「……お答え、頂けませんか?」
怯える様に、懇願するように、そう言って明美は目を伏せた。




