第百四十四話 乙女心の分からない男が珍しい行動する時は大体、下心がある。
家からの最寄り駅から降りて、目の前にあるケーキ屋さんへ足を運ぶ。目当てのケーキをひとつと……まあ、そんなに甘いものが好きでは無いが流石に一人で食わすのもと思いもう一つケーキを買って店を出る。そのまま家路を急ぎ、エレベーターに乗って最上階へ。チン、と機械的な音を立てて止まったエレベーターから降りると、廊下を歩いて部屋の前のインターホンを鳴らす。
『……はい? どちら様でしょうか』
「俺。浩之」
インターンホン越しに『ガタガタ!』という何かをひっくり返した様な音が聞こえて来た。なにしてんだよ、アイツ。
『ひ、浩之さん!? え? え? な、なんで?』
「なんでって……お隣さんだろ? ちょっと挨拶を兼ねてな。家、上げてくれるか?」
『ちょ、ちょっと待って下さい!!』
もう一度『ガタガタ!』と物音を響かせてインターホンが切れる。待つことしばし、ドアが開くとそこには目当ての――
「いや、どんな格好だよ、お前」
そこには割烹着にほっかむりをした明美の姿があった。俺の言葉に、自身の姿を確認して慌てた様にほっかむりを取る。
「こ、これは……そ、その、引っ越しの片づけをしておりまして……」
「……ああ」
昨日だもんな、越して来たの……って、ん?
「お前、週末だけこっちに来るって言って無かった?」
「今日は木曜日でしょう? 今日、明日とお休みして片付けてしまおうと思いまして」
「……いいの?」
生徒会役員がサボりって。
「普段、真面目にしておりますから。それより……玄関先でもなんですから、部屋に――」
そこまで喋り、明美が口を閉じる。なんとも言い難そうに口ごもり、こちらをチラチラと見やる。
「……迷惑か? 悪い、配慮が足りなかった」
……殆ど兄妹同然に育ったとはいえ、明美だって年頃の女の子だし、一人暮らしの男を自身の部屋に上げるのに抵抗があるのかも知れん。そう思い、帰ろうかと背を向き掛けて俺に慌てた声が掛かった。
「ち、違います! 迷惑なんて思う訳がありません! あ、ありませんが……そ、その、引っ越してきたばかりでしょう? 部屋が……」
「ああ、汚れてるってか?」
「汚れてる、と言われると少しばかり反論したい所ではありますが……まあ、散らかってはいます」
「気にしないぞ? 引っ越し直ぐならそうなるだろうが?」
「……私が気にするんです。浩之さんに散らかった部屋なんか見て欲しくないですもの」
「帰った方が良い?」
「……それはそれでなんだか勿体ない気がしますので……あの、部屋が散らかってても幻滅しません?」
「しねーよ」
「……それでは」
どうぞ、と言われ背中を向けて歩き出す明美の背を追うように俺も室内へ。最上階、二部屋しか無い部屋の一室であり、広さも間取りも今暮らしている部屋にそっくりなそれに既視感を覚えながら明美に続き廊下を歩く。
「……散らかってねーじゃん」
リビングに着いた俺は予想以上に整頓された部屋に少しだけ驚く。明美の言葉を信じるなら、流石にもうちょっと荷物が散乱している風景を思い浮かべていたのだが……これで散らかってるの?
「散らかってますよ。ほら、あそこ。食器の類がまだ全部出ておりませんので」
そう言って明美が指差した先には、確かに段ボール箱が二箱並べて置いてあった。
「誤差の範囲じゃね?」
「……折角想い人が来てくださった以上、綺麗な部屋で迎え入れたいと思うのが乙女心ですよ? 浩之さんはもう少し、乙女心を学んでください」
「……面目ない」
「冗談です。乙女心を勉強されてこれ以上ライバルを増やして貰っても困りますから」
そう言ってクスクスと笑った後、『お掛け下さい』とテーブルを指す明美。その言葉に従い、リビングの椅子に腰を降ろした俺はテーブルの上に持って来たケーキ屋の箱を置く。
「先ほどから気になっておりましたが……それは?」
「ケーキ。嫌いじゃないだろ、モンブラン」
「買ってきて下さったのですか?」
「まあ……お邪魔するなら手土産くらいは、と思って」
「ふふふ。嬉しいです。しかも私の一番好きなモンブランを買ってきて下さるなんて……訂正しますね? 乙女心、分かっているじゃないですか」
「……昔っからお前、ケーキ買いに行ったらモンブランばっかりじゃねーか」
誕生日ケーキもモンブランだったからな。流石に今はそんな事も無いんだろうが……誕生日ケーキと言えば『白くて丸い』が定番だった俺的にはとても驚いた記憶があるし。
「どちらかと言えば和菓子の方が好きですが……モンブランだけは大好きなのですよね。やっぱり栗の味がするからでしょうか?」
「いや、それは流石に知らんが……食いなれてるってのもあるんじゃね?」
「そうですね。最近、ケーキも食べておりませんでしたし……ありがとうございます、浩之さん。久しぶりのケーキで、しかも浩之さんが買って来て下さったのなら」
きっと、とても美味しいでしょうね、と。
「……誰が買ってきても一緒だろうが。作ったの、俺じゃないし」
「好きな人に買ってきて貰った、というのが重要なのですよ」
嬉しそうにそう笑って『コーヒーで良いですか?』と尋ねる明美に小さく頷く。
「ああ、浩之さん? 申し訳ないですけど、ケーキをこちらまで持ってきて下さいませんか? ケーキ皿、出しますので」
「おっけー」
机の上に置いたままのケーキを持ってキッチンの明美に元に向かう。既に出してあったのか食器棚から出した食器が二つ、シンクの上に並んでいた。
「あれ? ジノリ?」
「はい。なんとなく、今日はこのお皿の気分なので。浩之さんも好きでしょ、ジノリ」
「まあな」
「私がモンブランを頂くとして……浩之さんはショートケーキで良いのですか?」
「おう。ああ、持って行くぞ?」
「宜しいですか? それではコーヒーを持って行きますので、ケーキをお願いします」
皿とフォークを持ってテーブルに戻る。自身の目の前にショートケーキ、対面にモンブランを置いて待つことしばし。お盆にコーヒーカップを二つ乗せた明美が俺の前にコーヒーを置いた。
「ブラックで宜しいですよね? 浩之さん、ケーキの時はブラックですし」
「ああ。お前はミルクと砂糖だろ? 良くもまあ、こんだけ甘いモノ食って砂糖とミルク入れれるよな?」
「ブラックは苦いですから。さて、それでは頂きましょうか」
両手を合わせて『頂きます』と言った後、フォークですくってモンブランを口に運ぶ。
「んー!! 美味しいです!」
右手で持ったフォークを咥えたまま、左手を頬に持って行きうっとりとした表情を浮かべる明美。その姿に苦笑を浮かべながら、俺もショートケーキを口に運ぶ。うん、美味い。
「これ、どこのケーキです?」
「駅前のケーキ屋。最寄り駅の……って、分かんねーか」
「そうですね。今度、案内して下さいませんか?」
「見る所もさしてないけど……まあ、店とかは知ってた方が良いか」
「ええ。買い物も行かないといけませんし」
そう言ってケーキをもう一口。嬉しそうに顔を綻ばした後、明美はフォークを置いてコーヒーにミルクと砂糖を入れる。スプーンでかき混ぜ、十分に混ざったであろう所でティースプーンを置くとこちらに視線を向ける。
「それで?」
「……なにが?」
「惚けないで下さい。『あの』乙女心が分からない事で定評がある浩之さんが、わざわざ私の大好きなモンブランまで買った上で、私の部屋に来てくださったのです」
「……待て。色々言いたいことがあるが……乙女心が分からない事で定評あんの、俺?」
「当然です。言いましょうか? 涼子さんや智美さんが――」
「……良いです」
「……まあ、そんな浩之さんが手土産を持ってまで私の部屋に来てくださったのです。なにかしら、依頼事項があるのだろう事ぐらいすぐに分かりますよ」
俺の目をじっと見つめて。
「それで? どういう『頼み事』を持って来られたのですか?」