第百三十八話 お願いだから、名前で呼んで!!
今回ちょっと長いです。
有森の詫びと言う名のファミレス食事会を終えた俺と桐生は電車に乗って最寄り駅へ。そのまま、家までの道のりを急ぐ。ちなみに『今日は私が奢ります!』という有森の申し出は丁重に断った。だってねえ? 流石に有森に奢って貰うのもおかしいし……なんとなく、後輩の女の子に奢って貰うのは格好悪い気もするし。
「……美味しいわね、ファミレスも」
「まあな。奢りだったら特に」
……まあ、藤田に奢って貰ったが。不意な振りでも『仕方ねぇな。こいつの不始末だし』って奢ってくれる藤田、マジイケメン。まあ、有森のポイントアップも果たしたようだし、藤田的にも収穫はあったのだろうが。
「もう……でも、予想以上に美味しかったわ」
「ファミレス、行ったこと無いの?」
「あるわよ。前に川北さんの勉強会で行ったじゃない」
「……ああ」
あったな、そんな事も。
「まあ、あの時はドリンクバーだけだったから、そういう意味ではファミレスの料理は『デビュー』ね。普通のレストランは流石に行ったことがあるけど」
「普通のレストランの方が旨いんじゃね?」
「味に関してはそうかも知れないけど……でも、やっぱりコストを考えるとね。あの値段であのクオリティの料理が出るなら、充分だと思うわよ?」
「なるほど。コスパ考えれば良いのか?」
個人的にはファミレスって店にも寄るけど高いイメージはあるが。ファーストフードとかうどん屋と比べれば、だが。
「それに……やっぱり良いじゃない? こう……と、友達と一緒にご飯を食べに行くって」
「……」
……不憫な。友達いなかったもんな、お前。
「……また行くか? ファミレスぐらいで良かったら、たまに食べに行っても良いんじゃね?」
桐生曰く、コスパも良いらしいし。まあ、流石に毎日はしんどいが、たまにはいいんじゃね?
「……二人で?」
「あー……二人じゃない方が良いか?」
「……そうね。東九条君と二人で行くのは友達とご飯を食べに行ってる気はしないわね」
「……そうかい」
まあ、確かに。
「でも……それはそれとして、二人でも行きたいわ」
だって、デートっぽいじゃない、と。
「……デートがファミレスってどうよ?」
「私たちのデートなんてそんなもんでしょ? 図書館デートとか、お散歩デートとか」
「あれ、荷物持ちとマッピングな気もせんでもないが」
「まあ、そういえばそうだけど……でもね?」
きょろきょろと左右を見回して、周りに人が居ない事を確認して。
「――貴方と一緒なら、なんでも嬉しいわよ」
つま先立ちになって、俺の耳元に唇を寄せてそう囁く桐生。
「……さよけ」
「うん。だから、別に面白い場所とか、高価な食事とかじゃなくて良いわ。一緒に居てくれたら、それで満足だもの」
楽しそうにそう言って笑う桐生の頬が少しだけ赤い。まあ、心配するな。俺も負けずにあけーから。
「……それで? どうするの?」
「どうするって……なにを?」
「だ、だから……そ、その……さ、さっき有森さんと藤田君と話したでしょ? そ、その……な、名前を……」
もじもじと言い淀みながら、チラチラとこっちを見やる桐生。少しだけ照れた様に頬を染めてそんな仕草を見せる桐生は。
「……くそ可愛いかよ」
「え?」
「なんでもない」
ちょっとヤバいぐらいに可愛いです、ハイ。
「な、なんでもないって……ちょっと気になるけど……と、ともかく! そ、その……」
名前を、呼んで、と。
潤んだ瞳でこちらを見やりそういう桐生。その姿に、俺も微笑みを返して。
「……やだ」
「なんでよ!」
先ほどまでのモジモジは何処に行ったのか、うがーっと気炎を上げて俺に突っかかる桐生。お、落ち着け!
「だ、だってお前、今更お前の名前、呼べるか!?」
「なんでよ! 賀茂さんや鈴木さん、川北さんは呼んでるじゃない! そう考えたらなんかイライラして来たんだけど! なんで許嫁の私が名字呼びで、鈴木さんとか賀茂さんが名前呼びなのよ! おかしくない!?」
「お、おかしく無いだろ、別に! 涼子とか智美は幼馴染だし! ずっと名前で呼んでたから、今更名字呼びした方がおかしいだろうが!」
本当に。小学校、中学校、高校とずっと名前で呼び続けてるし、今更あいつら名字で呼んだら、すわ、何事か、って事態になるぞ。
「……ま、まあ確かに……ちょっとした事件になりそうね。学校を巻き込んだ」
「そこまではどうだろうか……でもまあ、ツレ周りは皆驚くと思う」
そしてそれは桐生に関しても言える事だ。
「今までずっと桐生、桐生って呼んでたお前の事を、いきなり名前で呼んでみろ? それだって充分話題になるだろうが」
恋愛事大好きだしな、高校生。絶対に勘繰られるのは……まあ、具体的には『桐生さんと東九条君って付き合ってるの?』という噂になるのは間違いがない気がする。残念ながら俺は別に陽気なキャラって訳でもないしな。ちょっと仲良くなったら直ぐに下の名前で女の子呼ぶようなリア充じゃないし。
「前も話したけど、俺らの今の関係って特殊だろ?」
「……まあね」
「どこからどう伝わるかわかんねーんだ。許嫁や同棲の話がバレたら、面倒じゃないか?」
「……」
「……え? 違う?」
「……違わないけど……結構、今更な気はするわね」
「……まあ」
学校でもそこそこ仲良くしてるしな。バスケの試合の時は衆人の前で頭撫でたりしてるけど。
「……ともかく、そういう理由であんまり名前呼びはしたくない……かも」
「……」
「……」
「……分かった」
「……分かってくれたか」
「じゃ、じゃあさ? 二人きりの時はどう? 二人きりの時なら、名前呼びでも良いんじゃない?」
「ふ、二人きりの時だ?」
「そ、そう! それなら問題ないでしょ? だって貴方の話だったら、周りにバレたら面倒だって話なら……ま、周りにバレない時なら良いじゃない」
「……」
いや、まあ一理あるが……
「……は、恥ずかしくないか?」
「は、恥ずかしいわよ? 恥ずかしいけど……」
もっと、仲良くなりたいし、と。
「……名前呼びだけが全てじゃないってのは分かるの。分かるけど……でも、やっぱり羨ましいのよ」
「……」
「賀茂さんや鈴木さん、川北さんは名前で呼んでいるのに、私だけ名字呼びっていうのは……ちょっと、悲しいもん。差を見せつけられてるみたいで……あんまり、嬉しく無いわ」
「……そんなつもりは無いぞ?」
「……うん、分かってる。分かってるけど……これは私の気持ちの問題なの」
そう言って心持しょぼんとする桐生の姿に、胸にクルものがある。あー……まあ、その気持ちは……分からんでも無い、か。
「……ふ、二人の時だけだから。だから……」
――『彩音』って、呼んで? と。
「――……あー……ふ、二人の時な? 二人の時なら、まあ……」
「う、うん! そ、それで良いから!」
「……その、情けない事言うようだけど、流石にちょっと恥ずかしいから……そ、外では言わないぞ?」
「そ、それで良いわ! わ、私も恥ずかしいから……」
「い、家!」
「え?」
「と、取り敢えず家の中だけにしよう!」
「そ、そうね! それが良いわ!」
二人して若干あわあわしながらそう言った後――不意に、どちらからともなく笑いあう。
「……なにテンパってんだろうな、俺ら」
「……本当に。もうちょっとスマートに行きたかったのに」
「……悪かったな」
「……ううん、私も格好悪かったから」
そう言って苦笑を浮かべた後、桐生が楽しそうに俺の隣に並んで歩く。
「……それじゃ、早く家に帰りましょ? 名前、呼んでくれるんでしょ?」
「……そんなに楽しみか?」
「当たり前じゃない。貴方に名前で呼んで貰えるのよ? 楽しみだし……嬉しいに決まってるわよ」
まるでクリスマスプレゼントを開ける前の子供の様に楽しそうに笑う桐生に肩を竦めて見せる。
「……んじゃ早めに家に帰るか。それで? お前はどうするんだ?」
「私?」
「俺だけ呼ぶのは不公平だろ? お前も俺の名前、呼んでくれるんだよな?」
「……」
「え? 違うの?」
「ううん、違わない。違わないけど……どう、呼ぼうかと」
「どう? え? なにが?」
「だって……賀茂さんは『浩之ちゃん』でしょ? 鈴木さんは『ヒロ』だし、川北さんは『浩之先輩』じゃない?」
「……まあ」
「……折角貴方の名前を呼ぶなら、他の誰かと一緒はイヤだし」
「……呼び捨てで良くない?」
「……それって、失礼じゃない? なんとなく、女性が男性を呼び捨てって。貴方のお父様とかお母様、変に思わないかしら? 特に東九条は旧家だし」
「……考えすぎだ」
本家はともかく、ウチの家は所詮中小企業の社長だからな。んな細かい事は気にしねーよ。
「そう? それじゃ……ううん……でも……」
ブツブツ言いながら、中空を見つめてうんうん唸る桐生。そんな姿に苦笑を浮かべながら、俺はマンションまで続く道を歩きながら。
「……あれ?」
マンションの前に一台のトラックが止まっていた。トラックの荷台にはこの辺りでは見慣れたマークが書いてある。
「……引っ越し業者?」
引っ越し業者だ。珍しい……とまでは言わないが、そういえば俺らが住んでからは初めて見るな。
「桐生」
「……やっぱり此処は皆と差が付くような……それでいて知的に聞こえるのが良いかしら? でも……」
「おい、桐生」
「……やっぱり……え? な、なに?」
「引っ越し業者。珍しく無いか?」
「……え? ああ、引っ越し? でもまあ、珍しいと言うほどでは無いんじゃない? 此処、人気だし」
「……まあ、そうか」
そうは言っても高級住宅街だしな。
「……挨拶しておく?」
「……そうね。どこかで逢う事もあるかも知れないし。もし居られたら挨拶ぐらいはしておきましょうか」
そこまで近所付き合いを重視している訳じゃないが、流石に素通りは愛想も無いしな。そう思い、俺はエントランスに向けて歩みを進める。と、トラックの影に隠れていた和服姿の女性の後姿が見えた。珍しいな、和服って。
「あの……済みません、このマンションに引っ越しですか? 俺らもこのマンションに住んでるんで、ご挨拶でもと思いまして……あ、最上階の東九条です」
そう言ってペコリと頭を下げる。時間にして数秒、俺の頭上から声が聞こえて来た。
「最上階、ですか? 奇遇ですね。私も最上階なんです。このマンションの最上階は二部屋しかないと聞いておりますので……お隣さん、というヤツですね」
その言葉に少しだけ驚く。逢う事はねーだろう、と思っていたが、流石にお隣さんならもうちょっとちゃんと挨拶をしなくちゃいけないだろう。そう思い、俺は顔を上げて。
「…………は?」
「……冗談ですよ、浩之さん? 勿論、お隣が浩之さんと桐生彩音様のお家と理解してましたから。ふふふ! なんですか、そのハトが豆鉄砲を食らった様な顔は」
目の前に居たのは、前髪を切り揃えた綺麗な美少女だった。腰まで届く黒髪に、黒目。和服が良く似合うその少女は。
「中々京都に遊びに来てくださらないので、『しびれ』が切れました。これからはお隣さんになるのですし、仲良くしてくださいね?」
――ねえ、浩之さん? と。
「…………明美?」
東九条本家の一人娘にして、俺の又従姉妹である東九条明美が、まるで悪戯っ子の様な笑顔を浮かべてそこに立っていた。
タイトル詐欺はお家芸。