第百三十七話 カレシのお仕事と、名前呼び
「……と、いうことで……本当に申し訳ございませんでした!!」
放課後、藤田と有森に連れられてファミレスに来た俺と桐生は席に着くなり頭を下げる有森に目を丸くする。
「……頭上げろよ、有森」
「そうよ、有森さん。貴方が謝る事じゃないでしょ?」
『どうしてもお詫びをさせて下さい!』という有森の言葉にのこのこついて来たものの……正直、ちょっと後悔中。だってほら、視線が痛いし! 『あら? あんな男女の高校生、女の子に頭下げさせてるわよ?』なんて声がちらほら聞こえるし!
「……でも、ご迷惑お掛けしたので」
そう言って頭をちょこっと上げて上目遣いでこちらをうかがうに見やる有森。そんな有森の仕草に、ため息を吐きつつ俺は藤田に視線を向ける。
「……おい、彼氏」
「……まあ、有森の謝罪を受け入れてやってくれ」
「いや……だからな? さっき桐生も言ったけど、別に有森のせいじゃねーだろ?」
「……まあな。試合を観に来たのは有森のツレの勝手だし……観られてきゃーきゃー言われてたのは浩之だし」
「……いや、俺も悪く無くね?」
「だな。ぶっちゃけ、誰も悪く無いんじゃね? と思ってる。これだって有森の自己満足だし」
そう言ってじとーっとした目を有森に向ける。
「……言っただろ? 絶対迷惑するって。だから、止めとけって言ったんだ」
「う……で、でも……どうしても謝りたいっていうか……」
「だからそれが自己満足なの。誰かに罰して貰って、誰かに許して貰えば気は楽になるからな。でもそれだってお前の都合だろ? そんなお前の勝手に、浩之と桐生を巻き込むな」
そう言って冷たい視線を向ける藤田。その姿に、有森が落ち込んだ様にしゅんと肩を落とす。ちょ、藤田!
「お、おい、藤田! 言いすぎだろ! あ、有森? 気にしなくていいぞ? うん、謝罪は受け入れたから! 大丈夫、気にして無いから!」
「そ、そうよ! 藤田君、そこまで言う事は無いんじゃないの!? 有森さん、貴方の彼女でしょ! もうちょっと甘やかしてあげなさいよね!」
流石に言い過ぎだろう。そう思い、じとーっとした目を向ける俺と桐生の視線を受けて、藤田がため息を吐いた。
「あんな、お前ら……甘やかすだけが彼氏の役目じゃないだろ? 間違ってることは間違ってることだし、それを全て許したり、肯定してやるつもりは無いの、俺は。今回は完全に有森の自己満足だろ? それにお前らを付き合わせたんだから、反省しないと」
「いや、そりゃそうだろうけど……」
にしたって言い方があるだろうが。流石にあんな突き放す様な言い方じゃ、有森が可哀想だ。そう思って視線を向ける俺と桐生に、藤田がもう一度盛大にため息を吐いた。
「……やっぱりお前ら、良いヤツだよな。ほら、有森。許してくれるってよ」
「……その、本当に済みません。試合もですけど……こんな自分勝手に許して貰いたいが為に、お時間頂いた事も……」
「……気にすんな。な、桐生?」
「そうよ。別に私も東九条君も怒ってないわよ。だからね? そんなに落ち込まないで?」
そう言って優しく有森の頭を撫でる桐生。そんな桐生に、有森が照れくさそうな、それでいてちょっと嬉しそうな表情を浮かべて見せる。
「……でも、本当に申し訳ございませんでした」
「はい、謝罪はお終い。それより、折角ファミレスに来たんだもの。何か食べて帰りましょう? 良いでしょ、東九条君?」
「そりゃ構わんが……」
……ん?
「……ちょっと待て。今日の当番、お前じゃね?」
「……何の事かしらね?」
「……さてはお前、作るのが面倒くさくなったな?」
俺の視線から避ける様に視線をずらし、口笛を吹いて見せる桐生。誤魔化し方、昭和か。
「……」
「……なんだよ?」
そんな俺らのやり取りを見ていた藤田の呆れた様な、それでいて何処か微笑ましい様な視線に気付く。なんだよ?
「いや……中々楽しそうにやってるなって思ってな」
「……そうか?」
「料理当番がどうとか、微妙に所帯じみててグッドな感じ。俺らもああなりたいもんだ」
な、雫? と問いかける藤田に、有森が少しだけ頬を染めてコクリと頷いて、少しだけ羨望の眼差しを向けて来る。こう、なんだか照れ臭い――
「……待って」
――気が……桐生?
「……藤田君? 貴方、今……有森さんの事、なんて呼んだの? 下の名前で呼んで無かった?」
「え? 俺、下の名前で呼んでた?」
「ええ、『雫』と、しっかりはっきり有森さんの下の名前を呼んでいたわ!」
くわっと目を見開いて藤田に詰め寄る桐生。その仕草に、少しだけ驚いた様な――つうか、ひいた様に藤田が口を開いた。
「あ、ああ。二人っきりの時は下の名前で呼んでんだよ。人前ではしず――有森が恥ずかしいって言うから」
「……」
「……き、桐生?」
「……な、なにそれ……」
「……は、はい?」
そう言って桐生は藤田と有森を見やり。
「……う、羨ましいじゃない……」
……え、ええ~……
「ん? なんだよ、浩之? お前、桐生の事下の名前で呼んでねーの? 許嫁なのに?」
「……悪いかよ」
「いや、別に悪くはないけど……なんで?」
な、なんで?
「なんでが、なんで?」
「いや……だってお前、賀茂の事は涼子って呼ぶだろ? 鈴木の事は智美だし、川北の事は瑞穂って呼ぶじゃん。女の子を下の名前で呼ぶの、抵抗ないタイプなのかと思ってた」
「た、確かに……東九条君、皆下の名前で呼ぶわね」
「皆じゃねーよ。藤原や有森は名字呼びだろうが」
「そりゃ当たり前だろ? なんで唯の後輩やツレの彼女を名前呼びするんだよ」
うぐ……そりゃそうだけど。
「だから浩之は別に名前呼びに抵抗ないタイプだと思ってた。桐生は許嫁だろ? 何時かは桐生も……浩之が、か? ともかく同じ名字になるんだし、名前呼びぐらいしたらいいんじゃね?」
「……夫婦別姓とかいう選択肢も出来るかも知れないじゃん」
「まあ、そういう選択肢もあるかも知れないけど……でもさ? 別に別姓でも良いだろうけど、家の中で『桐生』『東九条君』って呼んでみろよ? 子供が絶対混乱するだろ?」
「……そんな先の事まで考えられねーよ」
本当に。明日の当番である晩御飯だってまだ決めてねーのに。つうか。
「……お前はそこまで考えてんの? 有森と」
「なにが?」
「その……結婚、とか」
「高校生から重いって思われるかも知れんが、まあな。少なくとも遊び感覚で付き合っているつもりはない。じゃねーと厳しい事なんて言わねーよ。ただ甘やかして、甘やかされとるわ」
「……すげーな、お前」
「そうか? 俺から言わせたら婚約者がいるお前の方がよっぽど凄いと思うけど?」
……確かに。そう言われればそうかも知れん。
「ま、別に急かすつもりは無いけどさ? でもちょっと桐生も名前呼びしてやれよ」
「……なんでだよ。別に良いじゃねーか」
現状、名字呼びで困って無いんだし。別に――
「……だってお前」
そう言って藤田が親指で桐生を指差して。
「あんな期待の籠った目、してるんだぞ? 呼んでやれよ、名前ぐらい」
……そこには目をキラキラさせてこちらを見やる桐生の姿があった。