第百三十六話 雨降って、地固まる
「……」
「……」
なんとなく、重い空気が漂う玄関先。目の前には夜叉を背負う桐生という、なんだかよく分からない構図の中。俺は少しだけ愛想笑いを浮かべて見せる。
「た、ただいま」
「……お帰りなさい」
「……」
「……」
「……そんな所に突っ立ってないで、上がったら?」
「……はい」
靴を抜ぎ、家に上がる。その姿をじっと見つめた後、桐生は俺に背を向けてリビングに続く廊下を歩く。
「……来なさい」
「……はい」
リビングのドアを開けて室内へ。それに続いて入った俺をジト目でねめつけると、桐生は顎でソファを指した。
「……座りなさい」
「……はい」
もう既に逆らう気すらない。言われるがまま、俺はソファに座る。と、桐生から舌打ちが聞こえて来た。き、桐生さん? お、女の子が舌打ちはダメですよ?
「……そうじゃないでしょ?」
「……はい」
そうですね。こういう時は正座ですよね? そう思いなおし、正座に座りなおす。
「……っち」
……再び桐生から舌打ちが聞こえて来た。え? え? な、なに? 正座じゃねーの?
「……そうじゃないでしょ? 昨日、言ったわよね?」
「き、昨日?」
「これから毎日『これ』やってって。なに? 貴方、忘れたの?」
「これ? これって……! あ、ああ。あれ?」
「……そうよ」
ぷいっとそっぽを向く桐生。少しだけ唖然としながらも、俺はソファの上で正座から胡坐に変える。そっぽを向いていた桐生がチラリと俺の方に視線を向けて俺が胡坐をかいたのを確かめると、黙って俺の膝の上にすっぽりとその体を沈めた。
「……」
「……」
「……有森さんに聞いた。モテモテらしいわね、貴方?」
「……ええっと……べ、別にモテモテなワケじゃ……」
「……言い訳しない」
「……はい」
「……」
「……」
「……その……ごめんなさい」
不意に桐生が俺の足の上でしょんぼりと俯く。先程までの怒気はどこへやら、沈んだ面持ちの桐生に思わず焦ってしまう。
「な、なんで桐生が謝るんだよ? わ、悪いのは――」
「悪いのは貴方なの?」
「――……いや……まあ……うん」
……だよな。別に、俺悪くないよな?
「……分かっているのよ。別に貴方が悪い訳じゃないって。だって別に貴方が誰かに告白した訳でもないし、誰かと過度なスキンシップを取った訳でもない。貴方はただ、校舎裏に呼びだされて告白されただけだものね。そんなもの、貴方に怒っても仕方ないって、そう思うわ。そう思うんだけど……」
止められなかったの、と。
「……桐生」
「……有森さんに『東九条先輩、今、一年女子の中で人気です』って聞いて……最初はちょっと嬉しかったのよ? 私の……す、す、す……い、許嫁は! 許嫁はこんなに凄い人なんだって、皆に認めて貰ったんだ! って、凄く誇らしかったの」
「……」
「……でも……貴方に人気が出て、告白されるって分かったら……物凄く、イヤな気分になったの。バカにするなって思ったの」
「バカにする?」
なにが?
「……貴方の今の人気って、あのバスケットの大会の時のプレイを見ての人気でしょ? そりゃ……確かにあの時の貴方は格好良かったけど!」
そう言って、お腹に回した俺の手をぎゅーっと握る。
「……貴方の良さは、それだけじゃないもん。そんな、上辺だけ見て貴方に告白するなんて……そんなの、イヤだもん」
俺の手を、痣が付くんじゃないかと云うぐらい強く握る桐生。気付けば少しだけ震えるその手をゆっくりと解し、俺は桐生の手を握りなおす。
「その……ごめんな?」
「……貴方が悪い訳じゃないわ」
「そうかもだけど……不安? 不満? そう思わせた事に対して」
「……」
「……」
「……どれだけプレイボーイなセリフよ?」
「……うん。自分でもそう思った」
キザ過ぎるだろ、俺。
「……ふふふ。その……ごめんなさい。本当に貴方が悪いとは私も思って無いのよ? でも、ちょっとどうしても止まらなかったの。感じ悪いのは百も承知してるんだけど……むかーってして。貴方がとられたらどうしようって、イライラして。私の傍から離れて行って、可愛い後輩の元にいったらどうしようって悲しくなって……つい」
「……それって」
それって、アレか?
「……嫉妬?」
「……」
俺の言葉に、ツンっと顔を逸らして。
「……そうよ。嫉妬よ、嫉妬。ごめんなさいね、嫉妬深い女で」
頬を真っ赤に染めて、そういう桐生がなんだか愛らしい。
「……」
「……嫉妬深い女は嫌い?」
嫉妬深い女、ね。そうだな、控えめに言って。
「……最高」
「……変態? 縛られるのが好きなの?」
「……」
「……」
「……今ここで、そんな事言う?」
「……ごめんなさい。ちょっと恥ずかしかったのよ、私も」
後ろから抱きしめてる体勢だから顔は見えんが……耳が赤い所をみると、照れているのであろうことは分かる。そんな桐生に苦笑を浮かべて、俺はお腹に回した手に少しだけ力をこめる。
「……あ」
「……その、な? マジでちょっと嬉しかったんだよ。こう、嫉妬して貰える……貰えるって言い方変か。ともかく、それだけ大事に思って貰えてるんだなって言うのは……こう、純粋に嬉しい」
女の子に嫉妬させて嬉しいって、字面だけ見たら最低な事を言っているが……でもまあ、それは俺の本心でもある。別に嫉妬させたいワケじゃないが、『告白されたの? 良かったじゃない』と言われたら、それはそれで悲しいし……なんだろう? それだけ大事に思って貰えてる、少なくとも手放したくないって思って貰えてるっていうのは……まあ、嬉しいと言えば嬉しいし。
「……我儘な女の子は嫌いじゃない? 怒りっぽい女の子は?」
「こういう我儘は大歓迎です。こういう怒られ方も……まあ、悪い気はしない」
「……そう」
「……気持ちは分からんでもないしな。俺だって……その、なんだ。お前が告白とかされたらヤキモキすると思うし」
「……ヤキモキするの?」
「するだろ、そりゃ」
「……」
「……なんだよ?」
「ううん。その……貴方の気持ちがちょっと分かった」
「俺の気持ち?」
「うん。その、貴方が嫉妬してくれるんだ、って思ったら……その、う、嬉しい……」
「……独占欲の強い男は嫌いか?」
「……そうね。よく、小説とかもであるじゃない? 漫画やドラマでも良いのだけれど……『コイツは俺のモノだ』みたいなセリフ」
「あるな」
「私、アレ嫌いなのよね。女の子は別にモノじゃないし、アクセサリーでもない。一個の人格として扱いなさいよね! って常々思ってたの」
「……そうだな」
「でもね、でもね? 貴方が独占したいって……『コイツは俺のモノだ』って、所有権を主張するって考えたら……ちょっと胸の奥がきゅーってなった」
「……宗旨替えか?」
「いえ。やっぱり、女の子をモノ扱いする男の子は許せないわね。でも……自分で、『誰かのモノ』って思うのは……悪い気はしないわ」
そう言ってコテンと俺の胸に後頭部を預ける桐生。上目遣いで照れた様に……それでも、潤んだ瞳で俺を見つめて。
「……手放しちゃ、イヤだよ?」
「……手放すかよ」
「……うん。ずっと手元に置いておいてね?」
「……ああ」
心持、両の手の力を強めるとそれに合せるよう、桐生の手の力も少しだけ、強くなった。