第百三十三話 男を見せてよ、浩之君!
「……ええっと……」
桐生が何を言い出したか、一瞬理解出来なかった。一秒、二秒経ち、ようやく頭が回りだした所で。
「ぎゅ、ぎゅー?」
なんか変な声が俺の喉から漏れた。例えるなら未知なる生物の鳴き声の様な無様な俺の声に、桐生が顔を真っ赤にして胸の前で手をわちゃわちゃと振って見せる。
「そ、その! ち、違うの! ち、違わないんだけど……あ、有森さんがね? 『藤田先輩にぎゅってされると、胸がきゅーって切なくなって、温かくなるんです』って惚気るの!」
「あ、ああ」
「だ、だから! わ、私達も『それ』が分かれば……も、もうちょっと……そ、その!」
「……」
「そ、それに恋人っぽい事でしょ!? だって、『ぎゅー』よ、『ぎゅー』! 友達じゃ絶対しないでしょ!」
「……たまに智美が涼子にしてるが」
「それは同性だからでしょ! 異性はしないの! っていうか、そもそも友達のいない私には同性でもした事無いもん!」
……なんかごめん。
「……にしても……『ぎゅー』ね」
……いや、流石にハードル高くね? だってぎゅーってアレだろ? ハグって事で……まあ、桐生を抱きしめるって事だよな?
「……」
「……」
「……わ、私だって恥ずかしいわよ!! でも……そ、それぐらいしないと、貴方、全然前に進もうとしないじゃない!!」
「……そ、それは……」
いや、そういわれるとそうかも知れんが……でも、抱きしめるって。そんな事しても前向きに進む気はしないんだが。
「な、なによ! い、嫌なの!?」
「……」
「……え? ほ、本当にイヤ……?」
不安そうな桐生の瞳。その瞳に、しっかり視線を合わせて、俺は首を左右に振って見せる。
「……正直に言おう。役得だと思う」
「や、役得って……言い方、もうちょっとなんか無かったの?」
「すまん。ただまあ……お前がどれ程自覚してるか知らんが、お前って……こう、ちょっと見ないぐらいの美少女な訳じゃん?」
二年生の三大美女の一人だし、桐生。正直、見た目は抜群に良い。いや、最近では性格も良いとは思うんだが……まあ、ともかく。
「……そんな美少女に『ぎゅってして?』とか言われるなんて、どんなご褒美だよ、とは思う。冗談抜きで」
宝くじが当たったぐらいの幸運だろう、マジで。
「そ、そこまで褒めて貰うと……う、嬉しいけど……じゃ、じゃあ!」
「……だからな? よく考えて見ろ」
そんな美少女桐生をハグするんだぞ? しかも、誰の邪魔も入らない、二人で同棲しているマンションで。
「……ごめん。理性が持つ気がしない」
正直、我慢できる気がしない。だってお前、よく考えて見ろ!? こんだけ美少女の桐生に『抱きしめて?』って言われて、ぎゅってして終わりって、どんな賢者だよ、俺! 辛抱利くワケねーだろうが! 男子高校生の理性舐めんな! 紙より薄いぞ!
「……」
「……」
「……そ、そこは……東九条君が……が、我慢するという事で」
「……どんな地獄だ、それは」
イジメか。
「と、ともかく! 女の子に此処まで言わせたのよ!! 恥かかせないで! 後の事は後で考える! 取り敢えず、レッツ・ハグ!」
「……なんだよ、レッツ・ハグって……」
そう言って桐生は目を閉じて両手を広げて『待て』の姿勢。気付けば、肩も小刻みに震えてるし、唇も青い。
「……」
……そう、だよな。こいつ、俺の為に前に進もうとしてくれてるんだよな。
「……後悔しないな?」
「す、するワケないでしょ! 女に二言は無いの! 女は度胸!」
「……愛嬌だろう」
目をぎゅっと瞑ったまま、そういう桐生。そんな桐生がなんだか可愛らしくて、少しだけ苦笑を浮かべたまま、俺は桐生の肩に手を置く。
「――っ!!」
「……怖いか? それなら――」
「いい! 良いから、早く! だ、抱きしめなさい!!」
未だに目をつぶったままの桐生。ぎゅっと唇を噛みしめたままの桐生を抱きしめる様に、俺は桐生の背中に手を回して。
「――や、やっぱり、ダメーーーー!!」
「ぎゃん!!」
不意に頭を上げた桐生の後頭部が俺の顎にクリーンヒットした。脳が……揺れる……
「いたっ! ~~!? ひ、東九条君!? だ、大丈夫!?」
俺の目に映った最後の光景は、驚いた様に目を白黒させる桐生の姿だった。
◇◆◇
「……」
「……」
「……ひどくね?」
「……ごめんなさい。もう……ごめんなさいとしか言いようが無いわ。本当に……ごめんなさい」
「……」
顎に氷嚢を当ててソファに座る俺。そんな俺を見下ろす様に、桐生はしょぼんと俯いて頭を下げる。
「……そ、そのね? ほ、本当に『ぎゅ』ってされたいのよ? で、でも……や、やっぱり恥ずかしいって言うか……そ、その、今、目を開けたら東九条君が目の前に居るんだって思ったら、急に……こう、頭に血がかーって昇って……」
ごめんなさい、と謝る桐生。
「……い、痛い?」
「……まあ」
痛くないと嘘は付けん。顎にクリーンヒットだったしな。
「……ごめんなさい。怒ってる……わよね?」
「あー……まあ、痛いのは痛いが、別に怒ってる訳じゃねーよ」
「……ホント?」
「まあ、恥ずかしい気持ちは分かるしな」
今まで許嫁として、二人で暮らして来た訳だが……いきなり前進って云うのも無理があったんだろう。気持ちは痛いほど分かる。まあ、顎はガチで痛いが。
「……で、でも……それじゃ……」
そう言ってまた唇を噛みしめる桐生。そうは言ってもこのままでは前に進めないと思っているのだろう。
「……」
そして、それを思わせてるのが俺だという事実に、自身を殴りたくもなる。
「……立ってないで、座れば?」
「う、うん」
そう言って俺の隣に腰を降ろそうとする桐生。そんな桐生を手で制し。
「――ここに」
自身の膝の上を指差す。一瞬、きょとんとした後、桐生の顔が瞬間湯沸かし沸騰器よろしく一瞬で真っ赤に染まる。
「こ、こここここここ!?」
「鶏か。いや、正面向いて抱き合うから恥ずかしいんだろ? なら、座椅子よろしく俺の上に座れば、目を合わせなくて済むじゃん。それなら恥ずかしくないんじゃないか?」
「は、恥ずかしいに決まってるでしょ!? ど、どうしたのよ、東九条君!? やっぱり、打ちどころが悪かったの!?」
「……そんな頭の心配のされ方はイヤすぎる」
そうじゃなくて。
「お前……俺との関係を進めたいって、思ってくれたんだろ?」
「……うん」
「言い方悪いけど……別に許嫁、楽しくも上手くもやって行く必要はない。普通に結婚して……まあ、致す事致して子供だけつくりゃそれで誰にも文句言われない、そんな関係でも良いのに……それじゃイヤだ、って思ってくれたんだろ?」
「……うん」
「……なら、俺もそれに協力したいって……そう思っただけだ」
「……うん」
そう言って頷いた後、慌てた様に桐生が声を上げる。
「で、でも! そ、それは……私の我儘で! わ、私が……た、ただ、東九条君と……も、もっと仲良くしたいって……そ、そう思っただけで……」
小さくなる声音。そんな声に、苦笑を浮かべて。
「――俺もだよ。俺も……もっと、桐生と仲良くしたい」
「……あ」
「感謝もしてるけど……そんなん、関係ない。単純に……ただ、俺がもっと桐生と仲良くしたいんだよ」
「……」
「……」
「……ねえ?」
「なんだ?」
「……踊っても良い?」
「……嬉しいと小躍りするってヤツ?」
「そう。ダメかしら?」
「ダメだな?」
「なんでよ?」
「お前の定位置は此処なの」
そう言って膝を指差す俺。そんな俺の仕草にもう一度耳まで顔を真っ赤に染めて、桐生がにっこり笑う。
「そう――それじゃ……お、お邪魔するわね?」