第百三十一話 『許嫁』から始まった僕たちだから。
第四章、スタートです!
「……久しぶりに正座なんかしたわ」
足をさすりさすり、そんな事を言う桐生。そんな姿に苦笑を浮かべ、俺は自宅のダイニングでコーヒーを淹れると、そのカップをソファに座りながら足をさすり続ける桐生に手渡した。
「飲むか?」
「ありがとう、頂くわ。貴方は大丈夫だったの、正座?」
「慣れて……はいないけど、まあな」
然程しんどいとは思わなかったし。まあ、流石に高校生が公園の砂場で正座というのは精神的にクるものがあったが。あれ、もし子供たちが居たら立ち直れないかも知れんぞ。
「……まあ、俺らが悪いしな」
「……そうね。ちょっとテンションが上がって……やり過ぎたわ」
「珍し――くもないか。お前、結構テンション振り切るもんな」
恋愛事もだけど……図書館とか。
「……一応言っておくけど、私は今までこんなにテンションが上がる事は無かったわよ?」
「そうなの?」
「当たり前でしょう? 考えてもごらんなさいよ。もし、私が図書館でニヤニヤしてたらどう思う? 一人で」
「……頭が可哀想になったのかと思う」
「でしょ?」
まあ、確かに。
「だから……これだけテンションが上がるのは貴方がいるせいね」
「せいって」
「お陰、にしておきましょうか?」
そう言ってクスクスと笑う桐生に肩を竦めて見せる。と、桐生がちょいちょいと手招きしてみせた。
「どうした?」
「ちょっと、隣に座ってくれない?」
「いいけど……?」
首を傾げながら桐生の隣に腰掛ける。と、急に桐生が俺の肩に頭を乗せた。
「き、桐生さん!?」
「ちょっとだけ、こうさせて」
肩から頭を上げて、上目遣いで。
「――ダメ?」
「ダメ」
「……ホントに? ちょっとだけだよ? そんなに長い事しないよ? ねー、だめぇ?」
「……ダメ」
「……」
「……じゃ、ない」
「……やった」
小さくガッツポーズを決めて、桐生は俺の肩に再び頭を乗せる。そんな桐生に苦笑を浮かべていると、『ん』っとばかりに桐生が頭を差し出して来た。
「……なんだよ」
「撫でて」
「撫でてって……どうした?」
「今日の私、ちょっとだけ甘えん坊さんなの」
「甘えん坊さんって……どっちかっていうと今日のお前はポンコツだったけどな?」
「……んじゃ、ポンコツで良い。良いから、撫でて」
ん、んっ! と頭を擦りつけて来る桐生。まるで猫の様なその仕草に、苦笑を浮かべながら俺は桐生の頭を撫でる。
「あ……ん……ふふふ……これ、すきぃ」
「……さよけ」
「うん! 貴方に頭を撫でて貰っていると、凄く安心するのよね」
「……おい、本当にどうした? お前今日、変じゃね?」
いや、最近スキンシップは激しく……もないが、ちょっとあったけど! こんなベッタベタに甘えて来る桐生なんて初めてなんだが!
「……ちょっと、アてられたのよ」
「桐生?」
「有森さん、凄く幸せそうだったでしょ? 人を愛して、人に愛されるって、あんなに幸せなんだって思って……そう思うと、ね? ちょっと羨ましくなっちゃって」
「……許嫁が居るから、恋愛が出来ないことが?」
「……本気で言っているなら、『ぐー』で殴ってやろうかしら?」
「……わりぃ」
「もう……」
そう言って不満そうに頬を膨らまして俺を軽く睨んだ後、桐生はもう一度俺の肩に頭を乗せる。
「……昔、言ったの覚えてる?」
「昔?」
「最初は私、貴方と『上手く』やって行こうと思ってたの」
「……ああ。言ってたな」
「でも、一緒に暮らすことが決まって、その間に貴方の事を色々知れて……私は貴方と『楽しく』やって行きたいと思ったの」
「それも聞いた」
「でも……今は違うのよね」
「違う?」
「違う、と言うのは語弊があるのだけど……そ、その……上手くもやって行くのよ? 楽しくもやって行くんだけど……そ、そのね? そ、それだけじゃなくて、そ、その……」
肩に乗せた頭のまま、桐生は上目遣いでこちらを見やる。此処から先、どんな言葉が飛び出すか、期待半分、不安半分で桐生の言葉を待って。
「――そ、その……あ、貴方と! っ! ……あ、あう……だ、だから……」
潤んだ瞳をこちらに向けたまま。
「――な……『仲良く』……そう! 仲良くやって行きたいのよ!!」
……。
………。
…………え、ええ~…………
「……えっと」
「……待って。言わないで。私も今、結構自己嫌悪。貴方の事、ヘタレって言ったけど、私も人の事言えないわ……」
ずーんっと俺の肩で落ち込んで見せる桐生。い、いや、まあ……確かにあんだけ溜めて『それかよ!』とも思ったけど……
「……まあ、良いじゃねーか」
「……東九条君?」
「その……藤田も言ってただろ? こういうことは男から言うもんだ、って」
「……うん」
「……ごめん。そんな期待に染まった瞳でこっちを見られても、今すぐにはちょっと言えそうにない」
桐生の瞳にあからさまな『がっかり』が浮かぶ。い、いや、違うんだよ!!
「……その、な」
「なに?」
「……情けない話だが……聞く?」
「……聞く」
「その……なんだ。俺的にはだな? お前と、その……そ、そういう関係になるのがイヤとか、そうじゃないんだ。こう、むしろ……望ましいと申しましょうか……」
「……え?」
「……え? えって何?」
予想外の反応なんだが。
「……そう、なの?」
「……え?」
「いや……貴方の事だから、賀茂さんとか鈴木さんとか……それこそ川北さんに未練があるのかと」
「……どんだけ気が多いんだよ、俺」
「でも、川北さんを抱きしめたんでしょ?」
「いや、抱きしめたっていうか……」
あれは……ほれ、アレだよ。試合後のテンションでハグするヤツあるじゃん。あの流れだよ。
「そうじゃなくて……その、なんだ。俺らってさ。このまま行けば、結婚するわけじゃん?」
「そうね」
「その……それって、良いのかなって」
「……許嫁はイヤってこと?」
「いや、そうじゃなくて……こう、ゴールが決まってる中で……藤田とか有森みたいに? こう……まあ、なんだ。そういう関係になるのって……俺らが成れるのかな、って」
「……どうしたのよ、急に」
「……たぶん、お前と一緒。俺もアてられたんだよ、きっと」
藤田や有森の二人を見てな。
「……ゴールが決まっている中での恋愛は……そうね、出来レースっぽい、ってこと?」
「それが近いが……」
どうせ、俺がどう思おうが俺たちは結婚する。そこで、例えば桐生と『そういう』関係になったとして。
「それって……なんというか、本物? 本物って言えば良いのか? 本物の関係、なのかな~って」
そして、それは桐生にしてもそうだ。確かに桐生は俺に好意を寄せてくれているのだろう。んなこと、誰がどう見ても分かる。分かるが。
「お前から寄せて貰ってる、こう――な、仲良くしたいって気持ちもさ? 『仲良くしなくちゃいけない』って考えから来てないって……胸張って言えるか?」
「……馬鹿にしてるの、貴方? 私の気持ち。そもそも言ったでしょ? 私は元々、貴方と仲良くしたいなんて思って無かったの。出逢った時に言ってるのならともかく、今更こんな事言うと思う?」
「そ、そうじゃねえよ! そうじゃねーけど……たぶんな、桐生? 俺らって、許嫁じゃなかったら出逢って……は居たかも知れないけど、多分こんな関係になってはいなかったと思うんだ」
「……まあ、それはそうね」
「だから……こう、俺やお前が相手に抱いている感情ってきっと、状況に左右されてる所が大きいと思うんだよ」
そう言う意味では俺たちは藤田や有森ほど、『純粋』ではない。いわば、仕組まれた関係であり、それを少しでも良い風に出来るよう……まあ、有体に言えば無理して好きになっているんじゃないかって、そう思う。俺も、勿論、桐生も。好きじゃないといけないという強迫観念に晒されているというか。結婚するんだからどう考えても一緒だろう、という意見もあるだろうが……なんとなく、俺がイヤなの。
「……貴方の考えは分からないでも無いわ。面倒くさい事を、と思うけど。卵が先か、鶏が先かって話ではないの、それ?」
「……だよな。理屈っぽいこと言ってんな~と思うよ、自分でも」
「……恋愛って、そんなに難しいモノなのかしら? 相手をちょっとでも『良いな』と思って、その『良いな』が沢山になったら……それって『好き』って事じゃないの?」
「その『良いな』がそもそも無理矢理見つけた『良いな』かも知れないって話だよ」
「……」
「……」
「……面倒くさい男」
「……だな」
桐生のジト目に俺、苦笑。尚もそんな俺をジト目で見やりながら、呆れた様に桐生は苦笑を浮かべて見せた。
「……分かったわ」
「……分かってくれたか」
俺の言葉に、桐生は微笑み。
「東九条君、私と恋人になりましょう」
「……分かってくれて無かったか」
「分かったって言ったでしょ。貴方の言う事は分かるわ。でもね? 私自身は、最初は嘘の関係だとしても、そこから想いを育てて行けば良いと思ってる。貴方の言葉を借りるなら、ゴールは一緒でしょ?」
「……まあ」
「その上で、貴方の考えを一言で纏めると」
そう言って桐生は人差し指をピンと立てて。
「――少女漫画のヒロインね」
「……少女漫画のヒロインって」
……ひどくね?
「『真実の愛が~』って言ってる所がそっくりよ? まあ、気持ちも分からないでは無いから、そこは譲歩して……最初から、『偽物の恋人』になりましょう?」
「……偽物の恋人?」
「そう。貴方、私と仲を深める事には反対しないんでしょ?」
「まあ、そりゃそうだけど」
一緒に暮らすんだから、そりゃそうだろう。
「なら、最初からお互いに期待しないの。『本物』になる事を目標としないの。そうすれば、貴方も納得いくんじゃない? 『これは強制された感情だ』って思うなら、それはそれでも良いわ。その上で、それでも恋人らしく振舞うの。いつか、貴方が『これは本物だ』って思えたら……その時は、私にその気持ちを教えてくれたら嬉しいわ」
「……それって」
「良いじゃない、それで。そんなに難しく考えなくて……二人で、楽しい事、嬉しい事、いっぱいしましょう?」
俺の目をじっと見て。
「――恋人っぽいこと、沢山しましょ?」
綺麗な笑顔を浮かべる桐生に――桐生の優しさに、俺は黙って頷いた。