第百十七話 上げられた、反撃の狼煙
第三クオーター開始。俺らのボールから始まったこのクオーターはハーフタイムで話した通り、ボール運びを桐生に任せる。
「……頼んだ」
「任せなさい」
桐生に託した瞬間、力強く頷かれる。少しだけ面映ゆさを覚えながら、俺は相手コート陣内へ走る。
「……ボール運び、止めたんですか?」
「黙ってみてろ」
すれ違いざまに俺に声を掛けて来る水杉に一声返し、俺は藤田の様にコート内を縦横無尽に走る。
「なっ!」
少しだけ驚いた様な水杉の声が遠くから聞こえる。俺のマークに付こうと走り込んで来た中西を嘲笑うよう、秀明が中西の進路を邪魔するように体を入れた。
「っち! 邪魔だ! どけ!」
「どくかよ、バーカ」
中西同様、決して口が良いとは言えない秀明のそんな声。なんか悲しくなる。昔はもうちょっと可愛げあったのに……秀明、哀れ。
「東九条君!」
秀明のお陰で空いたスペースに走り込んだ所で、桐生から絶妙のパスが来る。やっぱバスケIQ高いな、アイツ。ナイスパスだ。
「不味い! フリーだ! 小林、フォロー!」
水杉の声が響くが、もう遅い。反対サイドの小林が慌ててこちらにチェックを掛けて来る姿を見ながら、そのままパスを受け取った俺はゴールに向かってドリブルを――
「……え?」
――しない。後ろにドリブルで下がると、目に入ったスリーポイントラインに両足を揃えてぐっと膝に力を込めて飛ぶ。
「……よし」
力の入れ方、指のかかり、ボールの軌道。俺が思い描くスリーポイントの完成形であろう、イメージ通りに放たれたボールはそのままリングに掠る事なくネットを揺らした。
「ナイスシュート、東九条君!!」
俺のシュートを見届けて、飛び上がって喜ぶ桐生。
「戻るぞ! 直ぐに来る!」
「うん!」
小さく上げた桐生の右掌にハイタッチ。そのまま自陣スリーポイントラインでボールを運ぶ水杉を待つ。
「……まさかスリーを打って来るとは思いませんでしたよ。古川の動きも意外でしたし……ゴール下、捨てるつもりですか?」
俺の前でボールをドリブルしながら、そんな声を掛けて来る水杉。そんな水杉に鼻でふんっと笑って俺は応える。
「わざわざ戦略を教えてやる馬鹿はいねーよ……と、言いたいところだが、教えてやる」
「……傾聴します」
ボールを木場に回した後、わざわざそう言って俺の前で立ち止まる水杉。向こうでワン・オン・ワンを繰り広げる木場と桐生を横目で見ながら、俺はもう一度ふんっと、鼻を鳴らす。
「……ゴール下、捨てるワケじゃねーよ。そもそも前提条件が違うんだよ」
「……前提条件?」
「ああ」
そう言って、俺は胸を張り。
「――捨てるんじゃねーよ。俺が全部、スリーを決めてやるんだよ。だから、捨てるんじゃねえ。オフェンスリバウンドは、そもそもいらねーんだよ。分かったか?」
少しでも、尊大に見える様に。
少しでも、自信があふれてる様に見える様に。
技術で勝てないなら、気持ちでは負けない。そんな俺の姿に、少しだけ唖然とした表情を見せながら、それでも水杉は鼻で笑う。
「……出来るわけ、無いでしょう?」
「さて、それはどうだろうな? お前、俺が誰だか分かって言ってるのか?」
「萩原さんに聞きました。県の選抜メンバーに選ばれた東九条浩之、でしょう? 昔は巧かったかも知れませんが……中三でバスケを辞めたくせに、なんでそんな大口叩けるんですか?」
「なんだ、知ってるのか。それじゃ――」
水杉の向こう、桐生が木場からスティールした姿が見えた同時に走り出す。背中越しで二人の攻防が見えなかった水杉は一瞬、反応が遅れる。一歩、二歩、走り出しは俺の方が早い。
「東九条君!」
走る俺にボールが投げられる。後ろから、『なにやってんだよ!』という中西の罵声が聞こえて来た。おいおい、中西君? 女の子には優しくしろよ?
「くそ!」
打たせまいと水杉が追いかけて来るのが分かる。そもそもの速力では向こうの方が早いのだろう。このままゴール下まで走れば、きっと追いつかれる。
「……ゴール下まで走れば、な?」
スリーポイントラインで急ブレーキ。キュっとバッシュが音を立ててその場に止まると、俺はそのままシュートモーションに入る。
「なっ! ショットが早い! 入る訳ない!」
「……黙ってみてろよ」
水杉の言葉を背中で聞き流し、俺はそのままボールを放つ。うん、今回も完璧だ。つうか、今までの試合でも此処までイメージ通りに投げられたこと、無いかも知れん。
「……嘘、だろう……?」
綺麗な放物線を描いてゴールに吸い込まれたボールを茫然と見送る水杉。そんな水杉に視線を向けて。
「後学の為に、教えて置いてやろう。『東九条浩之』じゃねえーんだよ」
「は?」
何を言われてるのか分からない。そんな水杉に、一言。
「――先輩には『さん』を付けろよ、後輩?」
◇◆◇
第三クオーター開始早々、スリーポイント二本。点数は逆転したが、その後は取っては取られの点取り合戦になったが……第二クオーターとは違い、リズムは完全にこちら側だった。
「ナイスシュート、ヒロ!」
「さんきゅ」
肩で息をしながら、本日四本目のスリーを決めた俺に智美がハイタッチを求めて来る。今日の俺、四の四、スリーポイント成功率百パーセントだ。
「神懸ってるじゃん、今日のヒロ! スリー、外して無いもん!」
「……だな。実力以上が出てる」
マジで。現役の時でも四の四なんて出した事無い。つうか練習でもこんなに決まった事無いのに。
「だが……ラッキーだな。あいつら、相当俺のスリーを警戒してる」
第二クオーターで散々封じ込められた藤田の『犬』作戦だが、外から打って来る俺が手が付けられない以上、どうしたって水杉が俺のマークに付かざるをえない。そうなれば、藤田と秀明、二人を相手にしなくちゃならない中西は骨が折れる。小林をゴール下から出したい処だろうが。
「……俺のスリーが落ちだしたら、折角ゴール下でリバウンド取り放題のアドバンテージ捨てる事になるからな」
「実際、一回出て来た時に私のシュートが落ちたら藤田がリバウンド取ったもんね」
「あれもラッキーだよな」
スクリーンもなんにも出来て無かったのに、たまたま藤田の真上にボールが跳ねただけだ。それでも、一度そうなってしまったら勿体なくて中々外に出せれないのが人情ってモンだしな。アウトレンジのシュートがバシバシ決まる訳なんてないって常識では思うし……運も味方したよ、うん。
「くそ! 萩原、ちゃんとやれよ!」
「やってるわよ! 中西君こそ、きちんと守りなさいよね!」
「なんだと!」
「なによ!」
……加えて向こうさん、仲間割れまでしてやがる。萩原と中西は同じ中学という事で、他の皆よりは知らない仲では無いのだろうが……それが裏目に出たな。小林と木場はおろおろしてるし、本来チームを纏めるハズのポイントガードである水杉はさっきから肩で息をして俺を睨んでるし。おうおう。怖い、怖い。
「……勝てそうね?」
「……どうだろうな? 流石にそんなに簡単には行かないとは思うが……」
なんといっても地力は向こうの方が上だ。もう一度、なにかやって来る可能性は高い。そうじゃなくても、このまま続けば。
「……体力的な問題もあるしな」
正直、桐生の疲労が心配ではある。藤田は体力お化けだし、智美と秀明は現役で体力があるが、桐生は別だ。
「……大丈夫か、桐生?」
「……私は平気。前の二試合は『流し』て試合が出来たし、今の試合も然程動いて無いもの」
桐生の傍に行ってそう問いかけると、肩で息をしながらそれでも笑顔を浮かべる桐生。ふむ……まだまだ大丈夫そうだな。
「……私の事より貴方はどうなの?」
「俺?」
「ええ。前半は自分より身長の高い相手とマッチアップしてたし、それじゃ無くても水杉君の相手は疲れるでしょう? 一試合目も二試合目もフルで走ってたし……今は今で、シュートも決めてるし」
「あー……」
……まあ、正直、俺の体力が一番心配ではある。桐生の言う通り、マッチアップ相手も楽じゃないし、疲労は溜まってはいるが。
「……ま、大丈夫だろう」
んな事、言ってる場合じゃないからな。
「……貴方がそう言うのなら、騙されておいてあげる」
「……さんきゅ。取り敢えず、これからも俺にガンガンパス、回せよ?」
「ええ。そのつもりよ? 貴方が言ったんじゃない? ちゃんと俺を見て置けって。フリーになったらパス出すから……お願いするわよ?」
「任せろ。俺の格好いい姿を見て惚れるなよ?」
そう言って冗談交じりに笑って見せる。そんな俺に、微妙な顔をしながら、曖昧に桐生が頷いた。
「……あれ? 面白く無かった?」
「いえ……ええ、そうね。面白くは無かったわ。そもそも、惚れるなって……って、ちょっと思った。惚れる訳ないじゃない」
……ええ~……
「……なに? そんなに俺が嫌い?」
「そうじゃないわよ。ただ……『惚れる』って言うよりは、どちらかというと……」
「どちらかというと……?」
「……ううん、なんでもないわ。取り敢えず、この試合は必ず勝ちましょう! さあ、来るわよ!」
そう言って俺の傍から離れてディフェンスに向かう桐生。え、ええ~。気になるじゃん。
「……随分、余裕ですね?」
ボール運びを木場に任せて、俺の前で立ち止まる水杉。その顔には怒りと疲労がありありと浮かんでいた。
「……よう、水杉? 前半とは立場が逆だな? どうした? 疲れてるように見えるけど?」
「っ――! ちょっとスリーが決まってるからって偉そうに……!」
「四の四だからな。そりゃ、偉そうにもなるさ。な? 言った通りだろ? オフェンスリバウンドなんていらねーんだよ」
ここぞとばかりに煽る。俺のその言葉に、作戦通りに逆上した様に顔を真っ赤にする水杉。さあ、冷静さを欠いたプレイ、してくれよ?
「――なら、オフェンスで黙らせる! 貴方が何点取っても、それ以上に点を取れば負けない!」
「そう簡単に行かすかよ!」
俺のマークを外そうと躍起になって走る水杉。そんな水杉を追い詰める様にライン際に誘導していく。と、急に水杉が体を反転させて、逆サイドに走り込む。
「木場さん!」
「させない!」
木場がパスを出すと同時、桐生がそのボールに軽く触れる。少しだけ軌道が逸れたボールは丁度水杉と桐生の中間地点に落ちる。落ちる……けど!
「追うな、桐生!」
「――え? って、きゃああ!」
「っぐ!」
反転した勢いそのまま、走り込んだ水杉とボールを追っていた桐生が接触。体格差、男女差もあって桐生が勢いよく押し倒された。
「桐生!」
「桐生さん!?」
ピーっと笛が鳴り、試合が中断。慌てて駆け寄る俺達に、少しだけ顔を顰めながら水杉が、次いで桐生が立ち上がって見せる。
「……大丈夫。怪我は無いわ」
その場でピョンピョンと飛び跳ねて見せた桐生にほっと胸を撫でおろす。試合もそうだが、こんな所で怪我なんかさせたら俺は一生悔やむ。
「――おい、お前! 謝れよ! 桐生突き飛ばしといて詫びの一つも無いのかよ!」
ファールはオフェンスファール、つまり水杉のファールだ。まあ、桐生がボールを触った後に完全に突っ込んだ形だから、当然と言えば当然だが。
「落ち着いて、藤田!」
「離せ、鈴木! 悪いの、アイツだろう! 一言謝るのが筋ってもんだろうが!」
ヒートアップする藤田を必死に羽交い絞めにする智美。そんな二人をチラリとみて、水杉はふんっと鼻を鳴らす。
「……ファール取られたんだから良いでしょ、別に。バスケじゃあれぐらいの接触、普通にありますよ」
「なんだと!?」
「藤田君! ダメ!」
尚も言い募ろうとする藤田を桐生が優しく押し留める。
「……私は大丈夫。ありがとう、怒ってくれて」
「……桐生がそう言うなら」
しぶしぶそう言って水杉を一睨み。そのまま、オフェンスに戻る藤田。
「……大丈夫か?」
「大丈夫よ。上手く受け身も取れたから、怪我は無いわ」
「……無理、すんなよ?」
「だから大丈夫。それに、私が抜けたら試合が出来ないでしょ? 良いの?」
「……」
「……東九条君?」
「……瑞穂には悪いが、それならそれで仕方ない。誰かの為に、誰かが犠牲になるのは違う」
「……ありがと。でも、大丈夫。本当に平気だから」
そう言って『むん』っと力を入れて見せる桐生。やめれ、可愛いから。
「……それより、東九条君? 今、ウチのチーム、良い感じよね?」
「……だな」
五十三対四十二、点差は十一点。まずまず良い展開と言えよう。
「でも、このまま行くとは思えない。少なくとも、私はそう思う。好事、魔多しとも言うし」
「……まあな」
確かに、このまま行くとは思えない。いや、行けば良いとは思うんだが……
「だから、東九条君? ちょっと試させてくれないかしら?」
「試す? 何を?」
「私が考えた『作戦』」
ちょいちょい、と俺を手招きする桐生。なんだ?
「ちょっと耳を貸して」
「耳?」
「しゃがんでってコト」
何が言いたいか知らんが……取り敢えず、桐生の言う通り耳を桐生の近くに近付ける。女の子特有の、汗臭さではない良い香りが鼻腔を擽って――
「…………マジ?」
――桐生の出した『作戦』に、そんな甘い考えは吹っ飛んだ。