第百十二話 幕間。或いは愛されている少女。
「……試合じゃなかったっけ? 今日」
「ん? 試合だよ?」
「……行かなくて良いの、理沙?」
「大丈夫、大丈夫。どうせ私の出番は一試合目無いし? 二試合目も別に私が居なくてもなんとかなるだろうし」
天英館高校女子バスケ部のジャージを着たまま、私の部屋のベッドで寝転がって雑誌を読む理沙に、私はそう問いかけながらため息を吐く。別に何時まで居てくれても良いと言えば良いのだが……というか、なんで此処で貴方は雑誌を読んでるんですかね?
「……理沙?」
「なーに?」
「……もしかして、試合を観に行こうって誘うつもり?」
「逆にそれ以外の何が考えられるの? わざわざ試合の日に瑞穂の家のベッドで寝ころびながら雑誌を読んでるのって」
隠す気はさらさら無いのだろう。そう言うと理沙は雑誌から視線を上げて私の瞳をじっと見つめる。
「……試合、観に行こうよ?」
懇願するような、諭すような、それでいて何処か物悲しい色を湛えたままそういう理沙に私は黙って首を左右に振る。
「……行かない」
「……」
「……どっちになっても、多分辛いから」
「どっちになっても?」
「もし、私が居なくて試合に勝ったら……きっと私は、『ああ、此処に私の居場所は無いんだな』って悲しくなる。私が居なくて負けたら、『私が居れば勝てたのに』って根拠のない自信と……それと、罪悪感を感じそうで」
「……罪悪感なんて感じなくても良いのに。怪我は瑞穂のせいじゃないじゃん」
理沙のその言葉に、私は苦笑を浮かべて首を左右に振る。
「……私さ、ちっちゃい人間なんだ」
「見れば分かる」
「身長じゃなくて! その……凄い最低な事言っていい?」
こくりと頷く理沙。少しだけ緊張を覚えながら……それでも私は口を開く。
「……勿論、チームに迷惑を掛けたって罪悪感はある。あるけど……それ以上にね? きっと私は皆の事を、心の底から応援出来ない気がするんだ」
「……」
「最初はきっと『勝って!』って思って応援できると思うよ? でも、実際に勝って、皆が笑いながら肩を叩きあう姿を見ると」
――きっと、私は嫉妬する。
「……私は嫉妬するし、皆が勝つことを素直に喜べない気がするんだ。もう、私の居場所はそこに無いって突き付けられる気がして……」
「……それは」
「……でもね?」
でも、だ。それはまだ良い。勝つことを喜べないのは、まだ良いのだ。それよりも怖いのは。
「――私はきっと、心の何処かで『負ければ良い』って思うと思うんだ」
きっと、器の小さな私は願うだろう。『私がいないチームなんて、負ければ良い』と。
「……」
「負けて、『やっぱり瑞穂がいないと』って言って貰いたい自分がいるんだ。迷惑を掛けた罪悪感を感じながら、それでもそう言って貰いたい、必要とされたい自分も居るんだよ」
なんと矮小な考えだろう。自分で言ってて情けなくなる。
「……理沙や雫、同級生の皆や先輩方が一生懸命練習している姿を知っているのに、頑張っているのを知っているのに……それなのに、同じチームだった私がそんな皆の敗戦を望むんだ。そう、自分が考えているのが……溜らなくイヤで……怖くて」
私の告白を理沙は黙って聞いてくれた。呆れたかな? それとも怒ったかな? そう思う私に、理沙は苦笑交じりに口を開いた。
「……難しく考えすぎだよ、瑞穂は」
「……そうかな?」
「試合に出たいのに出れないんだもん。そう思うのは普通じゃないかな?」
「……理沙も?」
「私だって嫉妬しないって言えば嘘になるよ? コートの中でキラキラと輝いてる皆を見ていると、その輪の中に入れない自分がイヤになるもん。『理沙がいれば!』って言って貰いたい気持ちもあるし……そうだね。『負けて欲しい』と思ったこともあったよ?」
「……」
「まあ、私の場合は単純に練習不足だからそんな事思う資格は本当は無いんだけどね? でも、瑞穂は思っても良いと思うよ? だって、レギュラーに手が届きそうだったのに怪我をして、練習する事すら奪われたんだもん。どんなに頑張っても、瑞穂の力じゃどうしようもない事態じゃん? そりゃ、嫉妬や負けろ! って思ってもバチは当たらないと思うな」
「……そっかな?」
「そうそう。だから別に良いんじゃない? そう思って――」
不意に、理沙のスマホが鳴る。視線を私からスマホのディスプレイに落とした理沙が、少しだけ怪訝な表情を浮かべたのち、私に『ごめん』と謝って電話を取った。
「もしもし――うん……え!? 言って無いの!? あちゃー……うん……うん……分かった。それじゃ、伝えるね。うん……はーい」
電話を切って、少しだけ疲れた表情を見せる理沙。なんぞ?
「……どうしたの?」
「んー……ちょっと色々あって整理中。なんていうか……凄い格好悪いな~って」
「誰が?」
「東九条先輩」
「浩之先輩?」
なんで浩之先輩が格好悪いの?
「……今日の試合ね? 男子の部と女子の部、それに男女混合の部があるんだよ」
「? うん。それは知ってるけど……」
それがどうした? そう思う私に、理沙は一息。
「その男女混合の部にね? 東九条先輩、出るんだ」
……。
………。
…………はい?
「……え? ひ、浩之先輩が!? な、なんで!?」
「まあ、元々は私らが頼んだんだけどね? 瑞穂が部活止めそうなんで、なんとかして下さいって。そしたら東九条先輩、メンバー集めて試合に出るって」
「……で、出るってって……で、でも、ブランクあるし! そ、それにメンバーは!」
「東九条先輩に、智美先輩。桐生先輩に、瑞穂の幼馴染の古川君。それに……雫の想い人の藤田先輩。この五人で此処一か月、練習してたんだ。私たちも手伝ってね?」
「と、智美先輩も!? で、でもそれって、ウチのチームは……」
智美先輩はウチのチームのエースだ。抜ければ戦力ダウンは間違いないはず。なのに、男女混合に出るなんて……
「雨宮先輩、言ってた。『試合で勝つよりも大事な事がある。無理強いはしないけど、瑞穂が戻ってきたいと思えるんなら、智美は貸し出す』って」
「……」
「古川君だって、そうだよ? 他校からわざわざ毎日ウチの体育館に練習に来てさ? 東九条先輩だって、桐生先輩だって、藤田先輩……はどうか分からないけど、皆貴方の為に一生懸命練習してたんだ」
「……」
「ああ、勘違いしないでね? だから恩に着ろ、っていうつもりはないんだよ? なんだかんだ云ったところで、皆勝手にやっただけだから。だから、私に言えることは一個だけ。前も言ったと思うけど――」
そう言って、優しい笑みを浮かべて。
「――愛されてるね~、瑞穂?」
「……あ」
胸の中が、温かくなる感覚。
「居場所が無いとか、色々考えるかもしれないけど……でも、こんだけ愛されてる瑞穂ならさ? 別に居場所が無い訳じゃないんじゃない? どうよ、瑞穂? 嬉しくないの?」
「……」
そんなの――嬉しいに、決まってる。
「……さあ、瑞穂? どうする? 東九条先輩をはじめとした皆さんの頑張り。その目に焼き付けて置かなくて良いの? 後悔、するんじゃないの?」
少しだけ、挑発的な理沙の言葉。その言葉に、私は。
「……ま」
「ん?」
「……車、出して貰う! 理沙も乗って行って!」
そう言って、私は部屋から飛び出すと階下の母に向かって市民体育館までの送迎を願う声を叫んだ。