第百八話 ロマンスのかみさーー違う、これ、ラブコメの神様だ!
流石に智美相手では分が悪いと思ったのか、シューティングガードになった『香織先輩』はオールコートを辞めて自陣に戻った。そんな相手を見やりながら、俺はボールを智美に回す。
「智美」
「ん? なーに」
「基本的なボール運びは俺がする。お前はシューティングガードだし、ガンガン打って行け」
「いいの? 藤田とか桐生さんを試すつもりだったんじゃないの?」
「あれ? バレてる?」
「そりゃあね。私にボール回せばさっさと点取って上げるのに。香織先輩ならミスマッチだし、点取り屋として頑張るのはやぶさかでは無いけど……」
いいの? という顔をして見せる智美に首肯で返す。
「藤田にパスを供給するのは俺がする。お前はどんどん打って外を広げてくれれば良い。藤田が中でどれだけ活きるかみたい」
「……なるほどね。まあ、藤田にロングレンジは無理か」
「そこまで藤田に求めるのは酷すぎるだろう。今日も点取ってくれてるし、さっきの子と違って有森ならしっかりマークに付くだろうしな」
「……了解。ま、雨宮先輩もその辺分かってるだろうし……ほら?」
そう言って智美が視線を向けた先に俺も視線を向ける。と、そこには四人がゴール下に四角に配置され、その周りを一人、藤田に相対する形で守る有森の姿があった。
「……ボックスワンか。あんまり見ないな、あれ」
「ウチでもあんまり使わないけどね。それにあれ、ボックスワンって言うより藤田対雫の為に全員が距離あけて待ってるだけだし」
「……雨宮先輩に感謝、だな」
わざわざ舞台をお膳立てしてくれてるのは助かるな。それじゃ、遠慮なしに……
「藤田! 『犬』!」
「おう! 任せろ!」
俺の言葉に、藤田がパスを受けるために有森を振り切る様に走り出す。
「甘いですよ、藤田先輩!」
「へん! どっちが甘いか、分からせてやんよっ!」
右へ、左へ。
相手を振り切る様に走る藤田に、ぴったりとマークに付く有森。藤田は体力こそあるが、『バスケ的』な動きではまだ有森に一日の長がある。中々振り切れずに、焦れた様子が伺える。
「ゆっくりでいい! 焦るな!」
「おう!」
そんな俺の言葉に反応した藤田は一瞬、その動きを止める。上手い! っていうか、あの焦った様子も演技か?
「なっ!」
急ブレーキを踏まれた有森は思わずたたらを踏む。その隙を見逃さず――にやっと笑って、藤田がゴール下に走り込んだ。
「雫!」
「済みません! フォローを!」
「っく!」
センターの選手が藤田のパスコースを塞ぐように走り込む。
「……それは愚策だよな?」
気持ちは分からんでも無いが。その隙を見逃さず、走り込んだ秀明にパスを入れると、フリーになった秀明は難なくシュートを決めて見せた。
「ナイスだ、秀明!」
「いえ、これは藤田先輩の手柄っすよ!」
ゴール下でハイタッチを交わす二人。うん、良いコンビだな、あの二人。
「……あそこでパスをセンターの子に入れるんだね~」
「……まあ、あの状態だったらそうするでしょ?」
「まーねー。流石にあれだけ『どフリー』ならそうするか。にしてもあんなに簡単に釣られるなんて……これは後で猛特訓だね~、桜」
少しだけ楽しそうにセンターの選手……たぶん、『桜さん』を見やる雨宮先輩。その目は少しだけ楽しそうで……っていうか、もしかしてこの人、Sか?
「……ほどほどでお願いします」
「ま、それは良いよ。でも彼、良い動きしてるね? 体力もありそうだ――って、え?」
驚いた様にコートを見やる雨宮先輩。その視線の先に居たのは藤田と……有森。
「っく! 藤田先輩! 邪魔です!」
「見よう見まねディフェンス! パスは出させないぞ!」
有森の傍で有森にパスを出させない様にディフェンスをする藤田。有森は厄介そうな顔を浮かべている。
「……ディナイしてるじゃん。東九条君の指示?」
「……いえ。きっと、さっきのオールコート見て真似してるんだと思います」
「ひゅー。やーるー。試合中に成長してるじゃん、カレ」
「……そうっすね。ちょっと驚きです」
ディナイとはディフェンスの一種で、自分のマークしてる選手にパスを出させない様にする方法の事だ。意外と言ってはなんだが……結構、様になってる。なっているが。
「……まあ、パワーフォワードに相手陣内でディナイ仕掛けてもあんまり意味無いけどね?」
……ですよね~。俺にそう言い残し、雨宮先輩はパスを受けるために俺から距離を取ってボールを受け取る。
「あー! 浩之! 手抜くな! ちゃんと守れよ! ホレ、ぴったりマーク!」
「煩いですよ、藤田先輩! アレはアレで良いんです! っていうか、なんでこの場所でぴったりマークしてるんですか! 私、パワーフォワードですよ!!」
「なに! なんか問題あるのか?」
「ボール運びは私の仕事じゃないんですよ! するんだったらもう少しゴール前で! 無意味とまでは言いませんが、私が一番活躍するポジションでして下さい!」
「む……分かった!」
そう言って有森からマークを外して自陣に戻って来る藤田。そうしてこちらのコートに入って来た有森に再びぴったりマーク。
「そうです! それぐらいでマークされたらこっちはやりにくいんですから! パスが貰えない様にするのがディナイの基本です!」
「おう!」
「……なにしてるんだよ、アイツら」
「……本当にね~。雫もまあ、藤田君を構って構って……愛だね、アレ。試合中にイチャイチャするな! って言いたいね~」
「……」
「ん? なんか違う?」
「……暇なんですか、雨宮先輩?」
ボールをスモールフォワードに回してこちらに話掛けて来る雨宮先輩。なに? この人、なんでこんなに絡んでくんの? 暇なの?
「失礼な。折角だし、桐生さんに一対一の経験を積んで貰おうかと思って詩織に任せたんだよ? あ、詩織はスモールフォワードの子ね? 三年生」
「さいですか。でもまあ、無駄っすよ? ディフェンスは最低限で良いって言ってますよ、桐生には」
「……ま、それで『はい、そうですか』って納得できるんだったらあの子、『悪役令嬢』なんて呼ばれて無いんじゃない?」
ホラ、という雨宮先輩の言葉にそちらに視線を送ると……必死に行かせまいとディフェンスしている桐生の姿があった。おい!
「……説教だな、後で」
「ま、体力回復したんでしょ。そもそも彼女、負けず嫌いっぽいし? にしてもディフェンスも様になってるね~。詩織には遠慮なく抜いちゃって、って言ってきたけど……抜けそうにないもん」
「……まあ、確かに」
腰を落とした良いディフェンスをしているのは認めるが。後は地味に藤田の動きも良い。有森にパスが入れられないからか、攻めあぐねているのがよく分かる。智美のマーク相手にも、秀明のマーク相手にもボール入れられ無いだろうしな。
「助けに行かなくて良いんですか?」
「ま、ワン・オン・ワンを楽しんで貰おうかと。それに、私にボールが回って来て東九条君とワン・オン・ワンしても君の特訓にはならないでしょ? 私が無残に敗退する未来が見えるだけだもん」
「……そんなことは」
……無いとは言わんが。
「だから――って、お?」
「まずっ!」
「取った!」
そんな話をしていると、桐生がボールを奪う姿が見えた。上手いじゃん。
「速攻!」
「任せろ!」
桐生の言葉に一番に反応したのは藤田。そのまま、ゴール下まで走り込む藤田に慌てた様に有森がそれに続く。
「行かせません!」
「止められるものなら止めて見ろ!」
そう言いつつも、流石にトップスピードでパスを受ける事は出来ないのか、少しだけスピードを落とす藤田。その隙をついて有森はゴールを背にする様に藤田の前に回り込む。
「来い!」
「はん! 止められるものなら止めて見ろ!」
ワンドリブル、ツードリブル。少しだけ距離をつめて、自身の一番得意な距離まで走り込むと、そのままシュートモーションに入った。ちょ、藤田! それは不味い!
「甘い!」
案の定、そのモーションに合わせる様に有森が飛ぶ。完璧に止められたと思ったタイミング――なのだが。
「――え?」
「フェイクだよ、有森?」
そんな有森にニヤリと笑う藤田。そのまま、重力に引きずられる様に地面に降りて来る有森を見やりながら、藤田が悠々と宙を舞う。おま、そんなのも出来るのかよ!?
「っく! させない!」
「馬鹿! 雫、飛ばない!」
……流石、バスケ部。一度地面に降り立った有森は悔しさを滲ませたまま、もう一度その足に力を込めて飛ぶ……も、遅い。
「って、うお!?」
「きゃっ!?」
完全にシュートモーションに入った藤田に無理矢理割り込んだ有森。空中で衝突した形になった二人は、そのまま体育館の床に叩きつけられた。
「藤田!」
「雫!」
双方のチームメイトが心配そうに二人に駆け寄る。
「大丈夫か、藤田!」
「つつ……ああ、俺は大丈夫。有森、だいじょ――」
藤田の声が、途中で止まった。そのまま、藤田の視線が下に向かう。その視線に合わせるよう、俺も視線を下に下げて。
「…………わお」
間抜けな声が俺の口から漏れた。
「……」
有森に覆い被さる形の藤田の右手の先にあったのは。
「……」
有森の左胸だった。
「……」
左胸を、鷲掴みだった。
「――っ!! す、すまん、有森!? わ、悪い!!」
慌てた様にずさーっと後ずさる藤田。そんな姿に、有森がきょとんとした表情を浮かべて見せる。
「? なんで藤田先輩が謝るんですか? 今のは完全に私のファールですよ? こっちこそ、済みませんでした」
「な、なんでって……い、いま、そ、その、お、おれ……」
「……ああ。胸を触った事ですか?」
「っ! あ、ああ! そ、その……す、すまん!」
「……だから、なんで謝るんですか? 試合中の事故みたいなものでしょ? 別にわざと触ったワケじゃないんですし……えっと、わざとじゃないんですよね?」
「あ、当たり前だ! わざとなワケ無いだろうが!?」
「まあ、あの態勢からわざと触ったんならそれはそれである種、尊敬にも値しますけど……ま、そういう事なら仕方ないじゃないですか。さ、藤田先輩のフリースローからですよ?」
そう言ってコートに転がるボールを藤田にポーンと放ると、有森はそのまま背を向けて歩き出す。
「……大丈夫か、藤田?」
受け取ったボールを持ったまま、ぼーっと立ち尽くす藤田にそう声を掛ける。と、藤田が泣きそうな顔でこちらを見やった。
「ど、どうしよう、浩之? 俺、やっぱ責任取った方が良いよな?」
「……はい?」
「だ、だって俺、有森の胸、触ったんだぞ!? せ、責任を……」
「……」
「お、俺なんかじゃ有森もイヤだろうけど……で、でも、やっぱり男としてだな!?」
「……少し落ち着け、お前は」
なんだよ、責任取るって。いや、見上げた心がけだとは思うが……つうか、有森、スキップして喜ぶぞ、多分。
煩悩の数らしい話だと自負。ラッキースケベ!