第百七話 エンジョイバスケは別に悪い事ではない。
第二クオーター開始四分経過。点差は二十二対二十となんとか二点差で勝ってはいるものの、第一クオーターほどの勢いが無いのは誰の目にも明らか。戦術の立て直しを含めて俺はタイムアウトと呼ばれる一分間の小休止を取った。
「はぁ……はぁ……」
椅子に腰かけて項垂れる桐生。四分間、藤原のしつこいディフェンスに寄ってぴったりマークされた桐生は既に疲労困憊だ。藤原のディフェンスのプレッシャーで思うようにプレイできないストレスもあるのだろう、これだけ疲れた桐生は初めて見た。
「大丈夫か、桐生」
「……ええ……その……ごめんなさい。私がミスばっかりしたせいで……」
「お前のせいじゃない。俺を含め、フォローに回らなければいけない人間がフォロー出来て無いからだ」
「でも……」
「それに、お前がそれだけ疲労してるってことは、あっちはもっと疲弊してるぞ? 分かるだろ?」
「……ええ。我慢比べよね、今は」
「その通りだ。見ろよ」
そう言って指差した先では頭にタオルを掛けたまま、しんどそうに下を向く藤原の姿があった。
「オールコートプレスは仕掛けた方が絶対にしんどいに決まってんだよ。これからは藤原も今まで通りの動きは出来ないし、そうすれば活路も見いだせる。今はしんどいだろうが、もう少し頑張れ」
「……ええ。分かったわ。そうね! 落ち込んでいても仕方ないもんね!」
そう言って桐生は顔を上げて微笑んで見せる。その笑顔に俺も笑顔を返して、視線を智美と秀明に向けた。
「やってくれましたね~、雨宮先輩。第二クオーターからオールコートって」
「だな。流石に想定外だったし……上手い方法だとも思ったよ」
「でも、いい経験にはなりましたね、桐生先輩。本人はちょっと……可哀想でしたけど。その辺は後で浩之さんが上手い事慰めてあげて下さい。許嫁として」
「……りょーかい」
まあ、慰めいらねーだろうけどな、アイツなら。そう思っていると審判が笛を吹く音が聞こえた。タイムアウト終了、さあ、試合再開だ。
「…………え?」
コートに戻った桐生が少しだけ唖然とした声を上げる。その姿に、何事かと視線を向けた先に、椅子に座ったままの藤原と、元気一杯な笑顔を浮かべてストレッチをする十三番のビブスを付けた女の子が立っていた。
「選手交代するね~。理沙がアウトで、香織がイン! ポジションはそのままで~」
「……マジかよ」
今まで疲労困憊でも桐生が耐えて来られたのは、藤原が自分以上に疲労がある事を知っていたからだ。要は、我慢比べすれば最後に自分が勝つと信じていたからで。
「ひ、東九条君!? ど、どうすれば良いの!?」
その前提条件が崩されれば、心も折れる。
「智美、あの人は?」
「芝香織先輩。本職はスモールフォワードだけど、ガードもイケる」
「藤原とどっちが上手い?」
「ガードとしては理沙だけど、総合力なら香織先輩かな? チームでもシックスマンだし」
バスケットというスポーツは運動量が激しいスポーツであり、スタメンで出た五人が最後まで変わらない、という事はあんまり無い。その為、『シックスマン』と呼ばれるサブメンバーが絶対的に必要であり、とどのつまり交代要員の多い選手層の厚いチームが強い、という図式が出来上がるのだ。
「……智美、桐生と交代だ」
「ヒロと私でダブルガード、ってこと?」
「そうだ。桐生、お前は智美と交代してスモールフォワードに入れ。残りの四分はそんなに動かなくて良い。ディフェンスも最低限、シュートも入りそうだと思えば打て」
「そ、そんなので良いの? それじゃ、負けちゃうんじゃ……」
「……この四分間をしのげば、ハーフタイムで十分間休憩がある。都合十四分間、休んでおけ。心配するな。お前のシュート力が必要な時が必ず来る。その時にガス欠してました、なんていう事無いように、しっかり休んでおけよ? じゃないと許さないぞ?」
少しだけ挑発的にそう言って見せると、桐生は驚いた様な顔を浮かべながら、それでもニヤリと笑って見せる。
「……そう。それじゃ、貴方のその安い演技に騙されてあげる。私が休憩している間に、点差を離されない様にしなさいよ?」
「誰に言ってんだよ、誰に」
「決まってるじゃない」
頼れるキャプテンによ、と。
「……ごめんね、東九条君」
「任せろ」
桐生が俺から離れ、スモールフォワードとのマッチアップに入る。と、入れ替わりで雨宮先輩が俺に近付いて来た。
「……やられましたよ」
「そう? 想像できなかったワケじゃないでしょ?」
「……まあ、そうっすね」
「ウチのチームは確かにそんなに強く無いけど、一個だけ言えることがあるんだ。聞く?」
「拝聴します」
「選手層が厚いんだよね、ウチ」
「……ウチの女子バスケ部って弱小じゃなかったでしたっけ?」
「……はっきり言うね?」
「すみません」
「ま、その通りなんだけどね? 確かにウチの女バスは決して強くはないよ? 強くは無いんだけど、アベレージはそんなに低く無いと思ってる。とんがった才能のある選手は……まあ、智美ぐらい? 後は皆似たり寄ったり、誰が出ても試合に影響が無いぐらいには仕上がってる。それって結構有利だと思わない?」
「……まあ」
繰り言になるが、バスケは走りっぱなしのスポーツであり加えて試合中の交代は比較的自由なスポーツだ。選手層が厚ければ厚いほど有利に進むし、極端な話、ベンチメンバー十五人が同じレベルの選手であればクオーター毎に選手を変える、なんて戦略も取れる。相手が疲労困憊の第四クオーターに、こっちは元気溌剌なメンバーが参加、なんてことになれば相手の心を折るって意味でも結構良い戦略だ。良い戦略だが。
「……勝てるんですか、それ?」
確かにアベレージは低くは無いかも知れんが、それって皆六十点って事だろ? 百点満点を五人揃えたチームにはけちょんけちょんにされると思うんだが……
「んー……一回戦や二回戦ぐらいはなんとかって所かな? まあ、正直全国を目指して日々精進してます! ってクラブでも無いしね? エンジョイバスケだよ、ウチなんて」
「……そうっすか」
「そうそう。でもまあ、どうせするなら試合にも勝ちたいし、出来れば三年全員試合にも出したいじゃん? んで行きついたスタイルがコレってワケ。全員を底上げして、全員でバスケを楽しみつつ、その上で勝つ。一人一人の負荷が少ないから、そこまで練習をしんどくしなくても良いしね。スタミナ切れたら変えれば良いだけだし」
「……なるほど」
正直、『勝ち』に拘ってた俺からしてみればちょっと考えられないやり方ではあるが……まあ、理解は出来るし、そこまで悪いとは思わない。
「……んで、なんで私がこんな事を君に喋ってるか分かる?」
「俺を動揺させようと思って?」
「馬鹿だな~。そんな無意味な事はしません。だって君、全然動揺しないでしょ?」
「……まあ」
確かに、然程動揺はしていない。そりゃ、びっくりはしたが……
「『練習』試合ですしね。負けても得るものがあれば、それで良いですし」
桐生は……まあ、性格的な事もあるのだろうが、若干『負けたら終わり』と言わんばかりにプレイをしているが、別に此処で負けても問題はない。練習試合は練習試合、此処で負けたらそれを次に活かせば良いだけだ。
「……負けるつもりない癖に」
「……まあ、はい」
第一クオーターでパスを桐生と藤田に集めたのは実戦経験を積んで貰う為だ。秀明や智美には全然パスを回してないし、もっと言えば俺はまだシュートも打ってない。究極、ヤバくなったら秀明や智美にパスを回しつつ、俺も全力でシュート狙いに行けば良いし、くらいな感覚はあるのはある。負けるの、イヤだし。
「ズルいよね~。結局、能力ある選手が集まったチームと戦うと、どんだけ底上げしてもコテンパンだもん」
「それは……すみません?」
「じょーだんだよ、じょーだん。瑞穂見てたら分かるもん。貴方達は才能の上に胡坐掻いてるだけじゃないのは」
「……」
「……だからまあ、瑞穂にも分かって欲しい……っていうか、思い出して欲しいんだよね。確かに勝ちを目指す姿勢は悪くないとは思う。思うけど、それだけじゃないし……もっと言えば、またバスケ部に帰って来てくれたら、レギュラーはともかく、試合には出れると思うんだ。ウチのチームが今のままの戦略を取れば」
「……まあ、そうでしょうね」
あいつ、上手いしな。スタメンは無理でもベンチ入りは確実に出来るだろうし、ベンチメンバー全員使うって方針のチームなら試合には出れるだろう。
「ただ、それで瑞穂が納得するかは……」
「別の問題だとは私も思うよ。でもまあ、あの子もバスケ好きだしね? 辞めるのは勿体ないかな、とは思うんだ。『試合に出たい』っていうのが優先されるなら、ウチはそういうチームだよ、って教えてあげて欲しいんだよね」
「……俺が、ですか?」
「適任だよ、東九条君が。女バスの私らが言ったらちょっと感じ悪くない? 控えだけど出るチャンスはあるから、って、レギュラーメンバーが言ったらさ?」
「……確かに」
そこまでアイツが思い至るかはともかく、あんまり感じは良く無いだろうな。
「それも含めて瑞穂が決める事だけどね。ま、それは良いや! それで? 次はどうするの? 何処使って攻める?」
楽しそうにそう笑う雨宮先輩に、俺は苦笑を浮かべて見せる。なるほど、確かに練習相手になってくれてるな。
「――分かってるでしょ? 使うのは当然、藤田ですよ」




