第百一話 恋に落ちる音がした。
今回長いです。
「……あれ?」
「どうしたの、東九条君?」
土曜日の朝。先日から女子バスケ部の好意により、朝に体育館を使わせて貰えることになった俺は『少し朝練でもしましょう?』という桐生の言葉を受けて二人で学校の体育館に向かっていた。と、そこではダムダムというバスケットボールをドリブルする音が聞こえて来た。その音に気付いた桐生も首を傾げて見せる。
「……誰か練習しているのかしら?」
「……まだ八時だぞ? 一番かと思ったんだが……」
そう思いながら体育館のドアを開ける。ぎーっと立て付けの悪いドアの音を立てながら開いたドアの内側では、一人の男子生徒がシュート練習をしている姿があった。藤田だ。
「……藤田?」
「はあ、はあ……お? 浩之と桐生さんじゃん。おはよ」
「あ、先輩方! おはようございます!」
ゴール下でボールを拾っていた有森が俺らに気付いてペコリと頭を下げて来た。そんな二人に片手をあげて応えながら俺は藤田の傍に向かう。その姿は汗だくであり、練習の激しさを感じさせる。
「……早いな。結構やってるのか?」
「朝六時からだから……二時間くらいか――っと」
俺との話の最中にも配球されるボール。そのボールを難なくキャッチすると藤田はとても初心者とは思えない綺麗なシュートフォームでボールを放つ。そのボールはリングに掠ることなくネットに吸い込まれた……って、すげー!
「……凄い。藤田君、凄く上手くなってるじゃない!」
「へへへ、そっか? まあ、結構練習したからな」
少しだけ照れ臭そうに鼻の下を掻く藤田。いや、マジでびっくりしたぞ、おい。
「……どれぐらい練習したんだ? 正直、驚いたんだが」
「朝、学校に行く前に二百本だろ? 放課後は練習した後に、家の近くのリングで百本くらい?」
「……毎日三百本か」
そりゃ、上手くなるわな。つうか、家の近くにリングあんのか。いいな、それ。
「まあ、最初はどーしようも無かったですけどね、藤田先輩。シュートフォームなんて……くくく……」
「……笑うな、有森」
「有森も手伝ってくれたのか、藤田の練習?」
「『シュートフォームとかわかんねーから教えてくれ』って言われたので……スマホで撮った動画見ます? 傑作ですよ、あれ」
「素人だから仕方ねーだろうが! つうか、消せ! 恥ずかしい過去なんだよ、それ!」
「いいじゃないですか。あ! 今度この動画、サイトにアップして良いですか?」
「なにその公開凌辱! 良いワケねーだろ! なに鬼畜な事言ってんだ、お前!」
そんな馬鹿話をしながらも、配球されたボールを次々とシュートしていく藤田。
「……っち。外した。もう一本!」
「はーい。これで……二百! ちゃんと決めて下さいよ!」
「任せろ! 左手は添えるだけシュート!」
そう言って放った藤田のシュートはガン、ガンと二度ほどリングを跳ねた後、舐める様にリングを回りネットを揺らした。
「よっしゃー! 入った!」
「はいはい、んじゃ次の練習行きますよ? 体力、有り余ってるんでしょ、どうせ」
「おうよ! 次はなんだ? 『カニ』か?」
「んー……カニも良いですけど、次はパス練習しましょうか。あ、パス練習って言ってもパスをする練習じゃなくて、パスを受ける練習です。折角東九条先輩も居られますし。今の藤田先輩なら、十分戦力になるでしょ、東九条先輩?」
「……そうだな」
今の藤田なら、パスを出せば……上手くフリーの時に出せば、シュートを決める事も出来るだろ。まあ、マッチアップの相手が結構背の高いパワーフォワードだし、流石にマークに付かれたら厳しいだろうが。
「……問題は巧くフリーになる方法だが……」
正直、その辺りが問題に――
「フリーになる方法? 任せろ!」
――なに?
「……あんの?」
「ふっふっふ……あるんだよ、必殺技が。なあ、有森?」
「はい! 東九条先輩、きっとびっくりしますよ?」
そう言って二人して含み笑いを浮かべて見せる。なんだ?
「……そうだ! 折角だから桐生先輩、マークに付いて貰えません?」
「私?」
「ええ! 私と藤田先輩が考えた必殺技、受けてみてください!」
そんな有森の言葉に、こちらを窺うように視線を向ける桐生。そうだな……
「……やって貰えるか、桐生?」
「良いけど……必殺技でしょ? 『必ず殺す』と書いて必殺なんだけど……大丈夫? 主に、私の安全とか」
「……藤田?」
「大丈夫! 俺、女の子を傷つけたり出来ないし!」
「私の心は傷つけましたけどね、藤田先輩。デカいって。デカいって!!」
「……そういえば私も悪役令嬢って言われたわね」
「……その節は申し訳ございませんでした」
二人のジト目に頭を下げる藤田。ま、まあ二人とも? コイツ、デリカシーは無いけど、悪い奴じゃないし。
「……まあ、良いわ。それじゃ見せて貰いましょうか、その必殺技とやらを」
そう言ってゴールを背にする様に藤田の前に相対する桐生。その姿を見やり、藤田と有森はニヤリと笑う……んだけど、なんだその笑顔。ワルイ笑顔になってんぞ?
「それじゃ、私がボールを入れて東九条先輩が取ったらスタートって事で!」
「オッケー!」
「分かったわ」
「それじゃ……用意、はじめ!」
そう言って有森がゴール下から俺にボールをパスする。そのボールをキャッチして。
「来なさい、ふじ――って、え?」
瞬間、藤田が右サイドに向かって走る。呆気にとられた様な顔をする桐生だが――流石、桐生というべきか、その藤田の動きに合わせて自分も右に走り。
「甘いわ――って、ええ!?」
ピタッと、その動きを止めると藤田は切り返して逆サイドに走る。ワタワタと足を止めた桐生が再び藤田を追って――って、おい! 今度はこっちに突っ込んで来たんだが!
「浩之!」
「は? ぱ、パスか?」
「パスは――要らない!」
「はぁ?」
そのまま俺の傍まで来るとUターン。追いかけて来た桐生を置き去りにする様にゴール下に走って。
「浩之! パス!」
「……へ? ……っ! あ、ああ!」
そのまま、ボールを藤田にパス。ゴール下でどフリーになった藤田は先ほど同様、綺麗なフォームでシュートを決めた。
「……どうだ、有森! 完璧じゃね!?」
「オッケー、藤田先輩! 完璧です! 特訓の甲斐がありましたね!」
「有森のお陰だな! シュート練習、付き合ってくれてサンキューな!」
「藤田先輩の頑張りですよ! くぅー! やった甲斐がありましたね!」
いえーい、とゴール下でハイタッチを決める藤田と有森。って……ええ?
「さあ、次ですよ! 東九条先輩!」
再び、有森からパスが俺に放たれる。
「くっ……ちょこまかと! 見てなさい! 次こそ止めるわ!」
「止めれるモノなら止めてみな! 俺のこの必殺技――名付けて、『犬は喜び庭駆けまわる作戦』を!」
「なによ、そのネーミングセンス! もうちょっと何か無いの!?」
桐生の絶叫が体育館中に響き渡った。
◆◇◆
……十分後。
「……はぁ……はぁ……」
フリースローラインにペタンとお尻を落とす女の子座りをして息を荒げる桐生と、全く疲れた様子を見せずに腰に手を当てて涼しい顔をしている藤田の姿がそこにはあった。
「……な、なによ……あ、あれ……ちょ、ちょこまかと……動きっぱなしで……」
「……喋るな、桐生。ほれ、水飲め」
「あ、ありがと……東九条……君」
俺の渡したペットボトルに口を付けてごくごくと一気で飲み干す桐生。ようやく一息ついたのか、恨みがましい目を藤田に向けた。
「……全然、疲れて無さそうね、藤田君」
「これぐらいは全然余裕だな!」
「そーですよ! 体力お化けなんですから、藤田先輩は!」
……確かに。桐生だって大概走っているが、藤田の運動量はそれ以上だ。それなのにピンピンしているって。
「……なる程な。良い作戦かも知れん」
「ですよね! 私も折角体力お化けなのに勿体ないな、って思ってたんですよ! シュート全然決まらないから役立たずだったんですけど……此処までシュートが決まるなら、使わない手は無いと思います!」
胸を張ってそう答える有森。確かにな。
「……基本だよな~、バスケの」
まあ、バスケに限った話ではないが、基本パスを受けるスポーツはマークを振り切ってフリーになるのが一番重要だ。ただ、相手も居るスポーツで中々そんな事は出来ないから難しいだけで、豊富なスタミナのある藤田ならではの作戦と言えば作戦ではある。っていうか、意外にダイヤの原石なんじゃね、コイツ。
「……ただ、敵味方合わせて十人居るコートの中で何処まで通用するか……ああ、でも」
「お気づきになりましたか? 確かに狭いコートでは今ほど活きる事は無いかも知れませんが……それでも藤田先輩が縦横無尽にコート内を走り回ってくれたら、相手のディフェンスは混乱すると思うんですよね」
「……まあな」
特に混成チームならそうだろう。藤田のマッチアップは短気なヤツらしいし、自分の思い通りに行かないプレイを強要されるとブチ切れそうだな。
「……カードの一枚に加えさせて貰う。サンキューな、有森」
「いえいえ。私のした事なんて大した事じゃないですよ。努力したのは藤田先輩ですし」
そう言って少しだけ呆れた様な視線を藤田に向ける有森。視線を向けられた当の藤田はきょとんとした顔をして見せた。
「……っていうか、なんなんですか、藤田先輩?」
「俺? なんなんですかって……なにが?」
「普通、私達バスケ部ですらそんなに練習しないですよ? それを朝練や、放課後の練習後も練習って……やり過ぎですよ、絶対」
「そっか? でも俺、全然疲れて無いぞ?」
「そういう問題じゃなくて! 藤田先輩だってやりたい事あったんじゃないんですか? それをずーっとバスケ、バスケって……なんです? バスケ、楽しくなって来たんですか?」
「あー……まあな。確かにゲーセンでゲームとかもやりたかったけど……でもな? シュート練習は楽しかったぞ。赤髪ヤンキーの気持ちがよく分かったよ、うん」
「はぁ……まあ、良いですけど」
そう言って詰まらなそうにボールをダムダムとその場でついて見せる有森。
「……なんか不満なのか? 俺が練習するの」
「別に……不満ってワケじゃないんですけど……」
何かを言いたげに、それでも少しだけ言い淀んだ後、有森は口を開く。
「その……私、バスケ部じゃないですか?」
「そうだな」
「なのに、きっと藤田先輩より練習してないし……努力もしてないから」
……なんとなく、負けた気がして、と。
「……すみません、愚痴でした。藤田先輩、頑張って練習してるのに、水を差す様な事を言って」
そう言って胸元でボールを抱きしめて、ペコリと頭を下げる有森。そんな有森をじっと見つめた後、藤田は頭をガリガリと掻いた。
「あー……その、なんだ。すまん」
「いえ……こちらこそ」
「ただ……その、なんだ? 俺もさっき言ったけど、別に無理矢理している訳じゃないぞ? 単純に楽しいからしてるだけで」
「……それは、私がバスケを楽しんでないって――」
「ああ、そうじゃなくて」
そう言って藤田は視線をちらりとこちらに向ける。
「……なんだよ?」
「こないだワクドで逢った時、お通夜みたいな空気だったじゃねーか。ホレ、俺がこのバスケチームに参加するって決まった時」
「……そうだな」
お通夜はともかく……まあ、若干行き詰った感はあった。
「困ってたんだろ、浩之?」
「……まあな」
俺の言葉に藤田は一つ頷いて。
「だからだよ、有森」
……なにが? え? 俺だけが分かんないの? そう思い桐生と有森に視線を向けると、二人ともきょとんとした表情を浮かべていた。良かった。藤田、日本語でプリーズ。
「……ええっと……意味が分からないんですけど? なにが『だから』なんですか?」
「いや、だからさ? 別に俺はバスケが好きってワケじゃ……まあ、最近は面白いけど、ともかくバスケ部の連中ほどバスケが好きってワケじゃねーの」
「……なのにあんなに沢山練習しているんですか?」
「いやだから……するだろうが、普通」
「……ごめんなさい、本当に意味が分からないんですけど?」
「だー! なんで分からないんだよ? だって浩之が困ってんだぞ?」
そう言って俺に視線を向けて。
「ツレが困ってたら、助けるだろ、普通」
「――っ!」
「浩之が困ってた。んで、俺にその手助けが出来る。それなら、頑張るだろ、そりゃ。え? お前、頑張らないのか?」
「が、頑張りますよ! そ、そりゃ、頑張りますけど!」
わちゃわちゃと両手を振る有森。そんな有森に、藤田は優しい笑顔を浮かべて見せた。
「……だよな? お前にデリカシー無い発言した俺にも手助けしてくれるもんな、お前。良いヤツだと思うし」
「ほ、褒めてもなんにも出ませんよ!」
「別に何もいらんが……まあ、そういう事だよ。浩之が困ってて、俺が手助け出来て、俺が頑張れば浩之の助けがもっと出来る。なら、頑張るだろうって話だ。別にバスケが好きとかそういう話じゃないし」
「……」
「それに……さっきお前、俺に『努力』してるって言ったよな? 言っとくけど俺、努力なんか一切してないぞ?」
「あ、あれだけ練習していて、ですか? まだ努力が足りて無いって……」
「そうじゃなくて。自分の好きな事してるんだぞ? んなもん、『努力』って言えるか?」
「い、言えないんですか?」
「言えないに決まってんだろうが。『努力』ってのは嫌いな事する時に使う言葉なんだよ。勉強とかな。俺、格ゲー好きだけどよ? 格ゲーの必殺技のコマンド努力して覚えるゲーマーが何人いると思ってんだよ? ゼロだ、ゼロ。皆、好きだからやってるんだよ。プロゲーマーとかはともかく……俺ら一銭にもならんアマチュアはな。好きな事やってる人間は『努力』してるって言わないんだよ」
そう言い切る藤田に、口をあんぐり開ける有森。そんな姿を苦笑で見やり、藤田は言葉を続けた。
「だから、そんなに卑下すんなって。実際、俺はお前にすげー感謝してるし……アドバイスも的確だしな。バスケ好きなんだな~ってのは分かる」
「……で、でも……そ、その……」
「なんだ?」
「そ、その……そ、そんなにどりょ――が、頑張って、自分のしたい事せずにバスケをしても……そ、その……」
もじもじと言い淀む有森。やがて、囁く様に、ポツリと。
「……藤田先輩に……め、メリット……な、ないのに……」
……うん。分かる。この試合で勝っても別に藤田に何にもメリットはない。ないが、それを『ツレの為に頑張る』って言ってくれた藤田に言うのは抵抗あるよな。なんか、自分は見返り期待してるみたいな感じに聞こえそうで。
「す、すみません! なんか今、凄く失礼で情けないって言うか、自分が小さくてイヤになるっていうか……と、とにかく、す、すみません!!」
可哀想になるくらい頭を下げる有森。そんな有森に、藤田は苦笑の色を強くする。
「……だから、そんなに卑下するなって。別に俺は聖人君子じゃねーから、当然俺にもメリットがあるに決まってんだろ?」
「……あんの? 俺、ワクドぐらいしか奢れないぞ?」
「充分だが……そんな即物的なモンじゃねーよ」
「な、なんですか? 藤田先輩のメリットって」
「んなもん、決まってんだろ?」
そう言って藤田は苦笑をにこやかな笑みに変えて。
「――ツレが喜んでくれるんだぞ? それ、最高のメリットじゃね?」
ポーン、と、ボールが跳ねる音が聞こえた。
「うお! あ、有森? どうした? 顔、真っ赤じゃねーか!」
慌てた様に藤田が声を上げて、有森に近寄る。そんな有森の表情を見やると。
「……あ……あ……あぅ……」
……頬を真っ赤に染めて、潤んだ瞳で藤田を見つめる有森の姿がそこにはあった。良く見れば手も唇も震えてるし。ボール落とした事、気付いて無いんじゃないか、アレ?
「だ、大丈夫か!?」
「……? ……っ!! だ、だいじょうぶでし!」
「なんだよ、『でし』って。おい、マジで顔真っ赤だぞ? 大丈夫か?」
「だ、大丈夫です! だ、大丈夫ですから、そんなに近くに寄らないで下さい!」
「なんでだよ! そんな真っ赤な顔して……保健室……は開いて無いか。病院行くか?」
「だ、大丈夫! ほ、本当に大丈夫ですから!! あんまり優しくしないで下さい!!」
「……えー……なんでだよ? 俺、お前に本当に感謝してるし、お前がしんどい姿なの見るのイヤだぞ? なんにも出来ないけど、看病ぐらいはさせてくれよ。な?」
「――っ!! な、なんですか! 藤田先輩、私を殺すつもりですか!!」
「……なんでだよ」
真っ赤な顔でじりじりと後ずさる有森と、間合いを詰める藤田。表現がアレだが……うん、まあ……いいんじゃね?
「……ねえ」
「なに? つうか回復したのか?」
「貴方のお水のお陰で。それにしても……」
そう言って桐生は少しだけ頬を上気させて。
「私――人が恋に落ちる瞬間って、初めて見たわ。ちょっと……っていうか、物凄く、その……きゅんきゅんするわね!!」
「……そうかい」
まあ、お前、恋愛小説大好きだもんな。っていうか、俺もこんな見事に恋に落ちる瞬間は初めて見たが。
タイトルは最後まで『藤田△』にするかどうかで悩みました。